#006 お引越し
ついに引っ越しの日がやってきた。
これから僕が引っ越す姉の新居は、自宅から電車で30分くらい離れた場所にある。
その代わり通っていた高校が近所になって嬉しい誤算だった。
むしろそれが目的で僕は引っ越したまである。
「うわ⋯⋯
そのマンションの建物はとても大きくて、まるでビルのようだった。
「おーアリスケ、こっちよ!」
マンションの前に姉が待っててくれて手招きしている。
「まさか姉さんがこんな高級マンションに住むなんて」
「まあね! ⋯⋯でも家賃は半分事務所持ちだから可能なんだけど」
そこにどんな取引があったのかはわからないが、姉さんと事務所両方にメリットがある事なんだろう。
「はい、アリスケこれ⋯⋯」
ねえさんが手渡したのはカードキーだった。
どうやらこのマンションに入る自体に必要らしい⋯⋯。
「すごいセキュリティーだね」
「元々は女の子だけで暮らすつもりだったからね、このくらいは当然!」
「⋯⋯」
「言いたい事があるならはっきり言えば?」
「四捨五入してハタチならまだまだ女の子だよね⋯⋯」
「はいはい、これだから男は。 女が魅力的になるのはこれからなのよ!」
その姉の意見にはある程度僕も同意だ。
十代の若くてわかりやすい魅力は確かにすばらしい。
でも付き合って結婚する様な女がいつまでも『女の子』というのはおかしいからな⋯⋯。
そこへ行くと姉は理想的に年齢を重ねている様に思える。
人当たりのいい心遣い、人を飽きさせない会話。
それに容姿だって全然老けてはいないし、むしろ綺麗になったといってもいい。
⋯⋯でも、ねえさんなんだよなあ。
僕は昔、ドブ川で手づかみでザリガニやカエルを持ってくる姉の姿を鮮明に思い出せるので、とても『大人の女性』だとは思えない⋯⋯。
いつか『今の』姉だけを見て、好きになる男が現れる事を祈るばかりだった。
僕はカードキーを使ってマンションに入る、そこはエントランスになっている。
飲み物の自販機なんかまであるな⋯⋯。
「あっちが自転車置き場でこっちがエレベーターね」
「わかった」
僕の自転車は実家に置いてきた、でもこっちでもそのうち買うかもしれない。
そして僕らはエレベーターに乗る、結構上の階だった。
「上層階はいいわよ、窓開けっぱなしでも蚊は居ないし誰も覗けないし」
「だったら風呂上りに裸でうろうろするの止めればいいのに⋯⋯」
「いいじゃない、
結局姉はこういったガサツなところを治す気が無いから、住む場所にまで神経を使っているんだな。
⋯⋯結婚は無理かな?
僕はこの姉と付き合える包容力のある男性をイメージできなかった。
そして姉の部屋の前に着く。
「これがこの部屋の鍵⋯⋯はい、アリスケ。 無くすなよ?」
「うん」
そのカギは今まで見たことないタイプのものだった。
なんか側面にいっぱい穴が開いてる⋯⋯なんか高級感がある。
そのカギを使って僕が扉を開けた。
「ようこそアリスケ、私たちの家に」
「こちらこそよろしく、ねえさん」
中に入るともう家具は運びこまれていた。
でもたくさんダンボールが積まれている。
「こことここの部屋は私が使うから、そっちの2つはアリスケが自由に使っていいよ」
「うん」
このマンションは4LDKというとても広い間取りだった。
そのうちの2部屋を姉さんは使うらしい。
「ホントになんでこんな広い物件選ぶんだか⋯⋯」
「だってここ条件が良すぎてね」
セキュリティー、防音性、高速光ネット回線、事務所までの距離⋯⋯などなど、文句が無いらしい。
ただ広すぎるだけが欠点だということだ。
「それにいずれ誰かと住むかもって思ってね⋯⋯まさかそれがアリスケになるとは思わなかったけど」
姉さんは誰かと同棲する夢でも見てたんだろうか?
「男と同居なんてファンにバレたらヤバいんじゃ?」
「男? 何で? 同僚のVチューバーにリアルでも仲いい子が居て、その子と住む⋯⋯予定だったのよ」
「予定? 今は?」
「実家よ、どうも両親が過保護みたいでさ⋯⋯」
「ふーん」
「こんど紹介するわよ。 まあいずれ出会うだろうけどね、同じ事務所なんだから」
僕はまだ見ぬ新しい出会いに不安になる⋯⋯でもきっと大丈夫かな?
ねえさんが信頼する人なんだから。
それから姉と僕の二人で荷解きを始めた──。
「ねえさん服が多いよ!」
「いいじゃないそんな事」
なんで姉が二部屋も使うのかやっと理解した。
片方の部屋は
それに何だこれ?
コスプレ衣装まである⋯⋯。
ねえさんこんな趣味あったんだ。
「アリスケ! キッチン周りは好きに配置していいからね!」
「⋯⋯うん」
どうやら食事当番は僕に押し付ける気マンマンらしいな。
でも姉のマズイ手料理を食わされるくらいなら自分で作った方がマシだな。
僕は自分の荷物は少ないので後回しにして、先にキッチン周りから整理を始めた。
──ピンポーン。
その時チャイムが鳴った。
姉がインターホンで対応する。
「あっ木下さん! ハイハイ開けますね!」
どうやらこのマンションに入るには、その住人の許可がないと入れない仕組みらしい。
しばらくすると部屋に木下さんがやってきた。
⋯⋯なんか黒服でサングラスな方々と一緒に?
「木下さんようこそ」
「こんにちは木下さん」
「ご入居おめでとう真樹奈、それにアリスケ君も」
しかし僕はその後ろの人たちに目が行ってしまう。
「あの⋯⋯木下さん? その方々は?」
「彼らは機材を持ってきてもらった事務所のスタッフよ」
よく見ると彼らが持ち込んだ荷物はパソコンだったりでっかいモニターだったりだ。
「アリスケ君の部屋は?」
「ああこっちです」
僕が案内すると黒服の人たちが僕に礼をしながら入って⋯⋯それらの設置作業を始めた。
「機材の設置は彼らに任せてこっちは別の話があるわ」
こうして僕らは真新しいリビングのソファーに座って話し始めた。
「アリスケ君、これを渡しておくわ」
「これは?」
それはスマホとクレジットカードだった。
「このスマホはVチューバー専用の端末よ、私用の物とは分けて使って」
「なるほど⋯⋯ラインの誤爆とかをそれで防ぐ訳ですね」
「そう言うこと。 あと事務所からの連絡や同僚のVチューバーのアドレスも登録されてるわ、無くさないように。 もし紛失したらすぐに報告よ」
「はい」
これは重要機密だな⋯⋯まるでスパイにでもなった気分だ。
「そしてこっちはクレジットカードよ」
「クレジットカード? なんで? 給料はこれで支給されるのですか?」
「違うわ、給料は普通に銀行口座へ入金されるから。 こっちは仕事用に使うの、要するに課金用よ」
ああ、なるほど⋯⋯。
僕は今まで課金ゲームはしなかったけど今後する事になるかもしれないからな。
「その課金で使った分は給料から引かれるのですか?」
「一応必要経費と認められた分は事務所負担よ、でも⋯⋯あまりに私的な引き落としだと判断された金額は給料から差し引く事もあるかもね」
なるほど⋯⋯。
僕は初めて持ったクレジットカードを慎重に扱う。
そんな話が終わった頃に、どうやら僕の部屋での機材の設置が終わったらしい。
僕は自分の部屋に入ってみた──。
そこには真新しいパソコン一式が⋯⋯なんかモニターが3つもある?
「なんでモニターが3つも?」
「1つはゲーム用ね、そしてこっちは今配信している画面が表示されるわ」
「なるほどニコチューブの画面を見る用か⋯⋯じゃあ3つ目は?」
「こっちは普通にインターネット用ね。 チャットの管理やググったりする用の」
なんて贅沢な環境なんだろう⋯⋯。
この椅子なんてゲーミングチェアじゃないか、ドリンクホルダーまで付いてる。
「椅子までこんな豪華な⋯⋯」
「Vチューバーはずっと座りっぱなしだから必要よ」
「何から何まで⋯⋯本当にありがとうございます、木下さん」
「それだけ期待しているという事よ、頑張ってねアリスケ君。 真樹奈、機材の使い方の説明は出来るわよね?」
「もちのロンよ!」
そう言って姉は自分の大きな胸を叩く。
その時木下さんはリビングの一角にある物に目が行く。
「買ったのね⋯⋯ソレ」
木下さんが見つめる物は全自動麻雀卓だった。
まだビニールを被ったままの新品の⋯⋯。
「だってここ、完全防音なんだもん!」
確かに麻雀禁止のアパートはあるらしいがここでは無用の心配だった。
我が家族はみんな麻雀が打てる、特に母が強い。
その影響で姉は麻雀にハマったらしい。
「どう? 打っていく?」
「⋯⋯今日はやめておくわ、これから戻ってまだ仕事があるし」
「アリスケも打てるから誰か2人来たらいつでも打てるわよ」
僕を雀ボーイ扱いはやめてくれ⋯⋯まあ打つのは好きだけどさ。
「へー、アリスケ君も打てるんだ」
「ええ、家族全員大好きなので⋯⋯」
「そのうちVチューバーでの麻雀大会とかも面白そうね」
「いいわね! やりましょう! 絶対に!」
姉さんはここをVチューバーのオフ会の場所にするのが夢だったんだ。
それはきっと楽しいだろうな。
「それじゃ真樹奈。 今夜の配信よろしくね」
「おう、まかせろ」
「へー、ねえさんもう配信するんだ」
すると⋯⋯。
「アリスケ君も今夜からよ?」
⋯⋯え?
僕が手に持つスマホには既に、最初の業務連絡が受信されていたのだった。
◇◆◇◆ ◇◆◇◆ ◇◆◇◆ ◇◆◇◆
このたび『ホロガーデン』からデビューすることになりました、
新人Vチューバーの『アリス』です。
これからのボクの活躍を見守ってくれるお兄さんやお姉さんはそこの『フォロー』を押してください。
そしてボクの事を応援してくれた分だけ『☆☆☆』を押してくれると、ボク嬉しいです!
これからもよろしくね、お兄ちゃんお姉ちゃん!
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