22 約束の海
11月も最後の休日、約束通り二人は、朝から海へ行く準備をしていた。
冬の海といえば、やはり防寒が必要不可欠というので、晃大はとりあえず着れるだけ何枚も重ねてしまい、着膨れのまん丸な格好で、ソファに待機している。
誠も防寒はしているが、薄手の保温ウェアを着用し、いつものようにスタイリッシュな雰囲気で、晃大の前に立ち、
「どう? いいかな?」
と、感想を求め、それを見た晃大は、少し憎らしそうに頬を膨らませた。
「誠だけずるい。僕なんか着だるまみたいになってるのに……。でも仕方がないか。去年までろくに外出もしてなくて、防寒着は必要なかったから持ってないし」
「俺の貸そうか? また袖と裾をめくれば着れると思うけど」
「いいの!? 着る!」
「着替え手伝おうか?」
「うん、お願いします」
二人は寝室へ入り、誠はとにかく晃大の着ている上服を全て脱がせてから、剥き出しの肌に抱きつき、彼の首筋に顔をうずめた。着替えの手伝いは口実で、ほとんどこれが目的だったりするが、それは晃大も分かっている。
だから、何度も重ねて首や頬にキスをされると、
「……くすぐったい 」
首をすくめて、嫌がる素振りをした。
それからしばらく上半身裸のままで体中にキスをされ続け、少しだけ身震いした晃大が、思わず誠にしがみ付くように抱き返すと、
「ごめん、ごめん、寒いよな」
ようやくクローゼットの保温ウェアを取り出し、頭から服を被せてくれた。
実際に着替えてみると、格段に動きやすく楽で、晃大は満足げに自身の姿を鏡に映した。
「見た目とか気にしてなかったけど、デートだもんね、少しはカッコよくなったかな」
「晃大は、何を着てもかっこいいよ」
誠はにっこりと笑みながら、ポケットに入っているはずの車のキーを確認し、バッグを肩にかけた。
「さて、そろそろ出かけるか」
「どうする? やっぱり行きは僕が運転しようか?」
「じゃあ、お願いしようかな」
運転席に座った晃大は、ナビをセットしすぐに出発した。
海までは順調に走れば、1時間半ほどで到着する。
車中はいつものように、二人の何気ない会話で盛り上がり、楽しいままであっという間に海岸線の道路に出た。
それからしばらくは、海を眺めながらのドライブになり、民宿や釣具店、飲食店などが居並ぶ通りを抜けて、山の間を少しだけ進むと港が見えてきた。
大橋を渡り、下り終えた場所に広い駐車場があり、そこへ車を停めた。
「うわー! 海に着いたー!」
車から降りた晃大は、目の前に広がる海の景色に目を輝かせた。
空は前日の
まずは、車を停めた漁港側にある防波堤の先に、二人は歩いて行くことにした。
歩きながら隣に並び、晃大が誠の手をそっと握り、お互いに顔を見合わせて、しっかり繋がっている幸せを実感する。
それから港に停泊している船を指さした。
「海って、今日で二回目なんだ」
「俺は何度か来ているかな。昔転校した学校は海の近くだったし」
「へー、そうなんだ。僕は小学5年生の頃、大和と伯父さんと来た。夏休みですごく混んでて、びくびくしながら浮き輪でガードして海水浴した。でも、それからは怖くて来なくなったな。今日こうして誠と手を繋いで海にいるなんて、信じられないよ」
そう遠い昔を懐かしみながら、長いコンクリートの道を踏みしめ歩き、防波堤の先に着くと、そこに腰を下ろし二人で並び海を見つめた。
遥か遠くまで、どこまでも水平線が広がっている。
時折り鳥が風に乗り、悠々と流れ、またどこかへ飛び去るのをただ眺めて、晃大は肩を竦めた。
「やっぱちょっと寒いね」
「もっとくっついたら?」
「うん……」
繋いだ手はそのままで、体を寄せ合う。
潮の匂い、波消しブロックに止めどなく打ちつける波の音。知っているはずなのに新鮮に感じるのは、隣にいる人のせいだ。
「なーんにもなくて、誠しかいないね、ここ」
水平線を見つめたまま誠の体に寄りかかり、晃大がそんなことを言う。
誠が、肩にある晃大の顔を覗き込み、
「……何考えてる?」
優しく問いかける。
「んー、たぶん、誠と同じこと……」
そう答えると、誠は、彼の頬に軽くキスをした。
すると晃大は、にっこりとし、
「あ、ちょっと違ったかも」
自分の唇を指でトントンと押した。
これに誠は、
「そっちは、まだだめ」
気の無い素振りで、また海に視線を戻す。
「えー、なんでだよぉー」
晃大はふくれて誠の太腿を拳で一発ドンと叩き、そのあとはまた黙り、光に反射し打ち寄せる幾つもの白い小波を、ずっと見つめていた。
しばらく何も言わず、ただ波の音だけを二人で聴いている。
「ねーねー、今度は何考えてんの?」
晃大が繋いだ手を持ち上げて、誠のお腹を突きながら言えば、
「何も考えてないよ」
と、誠はシラを切る。
「僕は考えてるよ、誠のことずっと」
「ほんと? うれしいな」
笑顔で答えるわりには、気のせいだろうか、ぶっきらぼうに感じる。
だったらと思い、
「あ、そうだ。前にさ、触れるようになったら何したいって聞いたよね?」
「ああ、俺と肩を組みたいって、言ってたな」
「今やってみようか!」
そう言うと、晃大は誠の肩を抱き、笑って見せた。
どちらかというと、誠が座高の低い晃大側に引っ張られ、彼の肩にもたれている。
「ちょっと、思ったのと違うけど……うん。満足」
「どう違う?」
「前は、親友として友情を感じられたらいいなと思ったけど、今は恋人として肩を組んでるから、誠を守りたいみたいな感じ」
「俺も、こうしていると、すごく安心するよ」
「ほんと?」
肩に乗った誠の顔を覗き込み、いたずらで誠の鼻をつまむ。
誠が笑ったのと同時に、
「よし!」
晃大は立ち上がった。
背筋を伸ばして海の空気をめいっぱい吸い込む。
すると、小さなことはどうでも良くなる。
「大好きだよ」
後ろから抱きつき、耳元でささやいた。
「俺も、大好き」
返ってくる愛の言葉。その言葉だけで、満ち足りる。
誠も立ち上がると、軽く足を叩きながら、
「さて、ここは風が強くて寒いから、一度車に戻ろ」
晃大の肩をたたいた。
「うん!」
それからまた二人で、長い防波堤を歩き出す。
しっかりと手を握り、まるで花道のように堂々と歩いてゆく。
時々体をぶつけ合ったり、抱きついてみたり、走って引っ張ったり、思いつくままに動き回る晃大は、心の底から楽しそうだった。
駐車場に着くと、誠は車のトランク側にまわった。
そして、いつもの爽やかな笑顔でこんなこと言った。
「せっかく来たんだし、気持ちいいことしていかないか?」
「気持ち……え?」
どういうことだろうか?
晃大は誠の笑顔の意味がよくわからず、ぽかんとしていたが、次の瞬間ハッとして大声を上げた。
「ちょっ! ちょっと待った! そりゃ僕だって、それなりにそういう欲求はあるけど、でも、初めてが、お、屋外ってこと? まずいよ、それはさすがに……。それに心の準備だって、まだ……。いや、そういう問題じゃなくて!」
慌てふためく晃大とは対照的に、誠は微笑みをそのままにトランクを開けた。
そして、あるものを晃大に手渡した。
「トング、と、ゴミ袋……?」
そして、誠自身も、同じものを持ち、トランクを閉めた。
「誠、これ、なんていうプレイなの……?」
「普通にゴミ拾いだよ」
「……?」
「浜辺、まだ散歩してないから、行こうか」
「あ、待って……!」
さっさと行ってしまう誠を、慌てて追いかける。
駐車場の階段を降りて、砂浜に降りると、さっそく誠がひしゃげた缶を一つ袋に入れた。
「一つゲット」
そう言いながら、楽しげに笑って見せる。
「あのさ、僕達、何でゴミ拾いしてるの?」
「ああ、これは……俺の母さんがさ、ジョギング行くときに、ゴミを拾いながら走って帰って来るんだよ。それの真似」
「そうなんだ。誠のお母さんって、変わってるね」
「うん、少しね。あーあと、小学生の頃、海の近くの学校に転校したって言っただろ?」
「うん」
「その学校が、夏休み前になると、児童全員で砂浜の清掃をしたんだ。それを思い出してさ。懐かしいついでに、やってみようかなって。海って、特に砂浜は、なんとなく来て、何となく過ごす場所だろ?」
「今日の僕たちみたいに?」
「そう。学生がジョギングしたり、お年寄りが散歩したり、あ、ほら、あっち見て。恋人達が手を繋いで歩いてる」
見ると、遥か遠くのほうで、まだ若い二人が波打ち際を寄り添い合い歩いている。
「思い出に残る場所にゴミが落ちてるのは、なんとなく嫌かなと思ってさ。俺らのためにも、物理的にもきれいな思い出にしたくて」
「そうだったんだ……。そういうことなら、よし、僕もきれいにするよ」
それから二人は、海を眺めながら、ゴミを拾い、話をしてまた拾いを繰り返しながら、浜辺を歩いた。
晃大はなぜか競争心が芽生え、誠よりも多く拾いたがり、どんどん先に行ってしまい、途中で呼び戻すほど楽しんでいた。
思ったよりも、清掃が行き届いていたようで、二人が拾ったのは、それほどでもなかったが、それでも袋半分くらいにはなった。
途中で大きめの流木を見つけた誠が、
「ちょっとこれに座って休憩しようか」
二人はそこへ並び、腰を下ろした。
「けっこう拾ったね」
「どう? 気持ちいいだろ?」
「うん、気持ちよかった! でもさ、誠がお母さんに似てるのって、顔だけじゃないんだね。なんか面白い」
「けっこうさっぱりしているよ、うちの母さんは。あ、それで、伝えたいことがあって……」
誠は晃大に向き、真っ直ぐに彼の目を見て話し始めた。
「この間、俺が実家に帰ったことがあっただろ? あの時に、実は、俺らのことを家族に全部話したんだ」
それを聞いた晃大は、驚きのあまり、声をあげてしまった。
「ええ!? それって、僕が、その……恋人だってことを?」
「そう」
「……大丈夫だった?」
「もちろん。今度会わせて欲しいって、喜んでたよ」
「ほんとに? 僕でいいのかな……嬉しい、嬉しいよ……」
じんわりと喜びが湧きがる。
そして、その嬉しい気持ちが爆発しそうになると、立ち上がり、海に向かって大声で叫んだ。
「やったー! 僕は誠の恋人ー!」
笑いながら、誠に抱きつき、ぐりぐりと頬を擦り付ける。
「俺もほっとした。まだ早いって叱られるかなと思ってたから」
「そんなわけない。家族に紹介してもらえるって、こんなに名誉なことはないよ」
「名誉だなんて、大袈裟な。あー、でも、逆に、俺が大和さんにきちんと挨拶するとなると、ちょっと大変そうだな」
「そんなの、大和に理屈なんか通らないからね、既成事実突きつけてゴリ押し一択だよ。それに、反対されたって、もう僕は誠の物だから。だよね?」
「うん、そう。俺の物」
笑いながら抱き合い、晃大はまた誠の隣に座り直し、そして、少しだけかしこまった顔つきになった。
「前に、伯父さんから聞いた。誠と再会した時、あの小料理屋で僕の家族の話をしたって……。でも僕からはまだ両親の話をしてなかったよね」
「いいよ。話せる時が来たらで」
「うん。ありがとう。僕さ、誠と再会するまで、ずっと「仕方がない」そう思って生きてた。穏やかに毎日過ごせるだけで、もう何も必要がないはずだって……ほんとうは、欲しいものはあったのに、気づかないふりしてた」
「晃大の欲しかったものって、何だった?」
「やっぱり、誠のような存在。理解してくれて、諦めずに見守ってくれて、そんな人とずっと一緒にいたいって思ってた。それを、大和に求めてたんだ」
誠はやんわりと晃大の肩を抱いた。
「大和さん、俺が話し合いを申し出た時も、自分のことよりも晃大のことを考えてたよ」
「うん。大和には感謝してる。でも同じくらい申し訳なく思ってる。僕は大和の時間を使いすぎた」
「それは、これから晃大が幸せになることで返していこう」
「幸せか……。もし、自分が幸せでなんともない人生なら、誠と出会っても、通り過ぎていただろうね。辛いことがたくさんあって嫌だったけど、今は、こういうのもありなのかなって思う。複雑な気持ちだけどね。消せない過去の辛さよりも、これから幸せの時間をたくさん重ねたい、それでいいんだよね?」
「そうだよ。これからは俺が隣にいるから」
「うん……。誠が家族に話をしてくれたのに、僕は誘惑を疑って、服を脱がせたりして、ほんと何してんだろ……恥ずかしい」
「それもいい思い出になったから、もういいよ。そうだ、波打ち際、行ってみる?」
立ち上がった誠は、晃大の手をとり、砂に足をとられながら走り出した。
「あ、そうだ。もう一つ、やりたいことあったよな?」
「うん、僕がアポロンで、カマキリ将軍が誠で、戦うって……」
「よし。今こそ決着をつけてやる! アポロン覚悟しろ!」
そう言うと、誠はニヤリとして、晃大の腕をブンブンと振り回し、波打ち際まで来ると、今度はその手を離し、彼の背中を海に向かい軽く押し出した。
「うわっ! なにすんだよ!」
ギリギリつま先で波を回避した晃大は、今度はお返しとばかりに、誠の腕をぐっと掴み、思いっきり振り回す。
「アポロンやめろ……! わっ、やめろ……!」
誠は大げさにふざけてみたが、思いがけず湿った砂に足を取られ、よろけて砂浜に転んでしまった。
腰を落としたところが、乾いている砂でほっとして、立ち上がることを諦め、そのままそこへ仰向けになる。
慌てた晃大が、駆け寄り、
「ごめん! 大丈夫!?」
膝をついて、誠を心配そうに覗き込んできた。
「うん、平気……」
誠が見上げると、晃大が見つめてくる。
それが太陽の光に重なり、眩しくて仕方がない。
ああ、なんて素晴らしい光景なのだろうか。
素直で、無邪気で、世界で一番愛らしい人が目の前にいる。
ずっと触れたくて、やっと触れられたからには、もう二度と離したくはない。
思わずその頬を両手で包み、引き寄せ、繰り返す波の音と共に、その唇にキスをした。
今日初めてのキス。
朝からずっと我慢をして、我慢をして、我慢し切れなくなって、してしまった。
晃大がそっと唇を離し、誠を抱き起こした。
それから彼の服に着いた砂を払い、その体を強く抱きしめる。
「ずるいよ。僕だって、唇に……ずっと待ってたんだよ?」
「初めてのデートだから、場所を選んで、もっとムード良くしたかったけど、晃大があまりにも、眩しかったから……しちゃった」
「眩しいって……」
これには晃大も、大いに照れてしまう。
「もしかして、今朝から少し素っ気なかったのって……」
「そう。自制しておかないと、すぐしちゃいそうだったから」
「誠って、意外にロマンチストなんだね」
「まあ、ね……。あ、そういえば、さっき、屋外がどうのって言ってたの、あれ安心して。屋内でするから」
「あーもー、今それ言うんだ。台無しだよ」
呆れて戻ろうとする晃大の腕を掴み、引き留めた誠は、そのまま抱き寄せて口付けた。
見つめ合い、それから何度かキスを繰り返した後、晃大が、
「屋外、恥ずかしいけど、キスまでならいいかも……」
いたずらっぽく笑って見せた。
「それはよかった」
それから二人は砂浜から出て、アスファルトの遊歩道を歩きながら、車へ戻った。
車内でシートベルトを着けた途端、晃大は、
「お腹すいたー。デートって、普通は何食べるんだろ?」
色気よりも食い気にシフトチェンジしたようで、お腹をさすりだす。
「好きなのでいいんじゃないか?」
「ドライブ中に浜焼きの看板見たけど、行ってみる?」
「じゃあ、それ食べてから帰ろうか」
「おっす!」
帰りは誠の運転で、晃大が気になる店を見つけると、そこで食事をとることにした。
テラス席に通され、水槽から魚介類を選び、自分たちで炭火で焼いていく。
牡蠣や帆立などを網にのせ焼いていると、食欲を誘う海の香りがして、晃大は楽しそうに焼き上がりを待っていた。
「んー美味しそう。海老とサザエとイカもあったから、それも焼こうよ!」
「張り切ってるな。こういうの好きなんだ?」
「焼きながらっていうのがいいよね。あ、牡蠣は僕が開けてあげる」
軍手をつけると、ナイフを差し込み器用に開けていく。
「やったことあるんだ? うまいね」
「ないよ。勘で開けてる」
「凄いな」
元々器用なのだろうが、それにしてもここ最近は何をするにも積極的に動くのは感心する。
「おお〜、牡蠣とろっとろだ。レモン汁かけるね。はい、食べて!」
「ありがとう。うん、美味い!」
「ほんとだ、うんま〜い!」
それから誠の食事の世話焼きもこなし、満腹になった晃大は車に乗ると、
「絶対に寝ない。今回は帰るまで起きてる」
だが、その宣言も虚しく数分後には爆睡してしまい、家に到着して起こされた時は、さすがに気まずそうにしていた。
「ごめん、また眠っちゃった……」
ただ今までと違うのは、申し訳なさそうに眉は下がっているが、落ち込まずに、口元は笑っていることだ。
自分を必要以上に責めなくなり、気楽に過ごせているのが、誠は何よりも嬉しく思う。
車中でぐっすり眠った晃大は、機嫌がよく、風呂に入ってる時も鼻歌を歌うほどで、これも珍しいことだった。
続けて誠もさっぱりとし、ソファに座ると、晃大が初めて膝枕をしてきた。
誠の太ももを枕に上を向いて、彼の顎を下から触って笑っている。
「……やめろって、どうした? 何でそんなとこ触ってんの?」
「触ってないとこ触りたいから」
「そうか……って、それで顎?」
とにかく楽しそうで止めるわけにもいかず、しばらくはされるがままの誠だったが、それからも喉仏や鎖骨、胸板を順に触られ、少し気持ちよくなってしまい、晃大の唇を指でゆっくりとなぞり始めた。
晃大もされるがままだったが、誠の指を舌でわずかに舐めてその気を見せた。
これを合図に、火がついてしまった誠は、晃大を起き上がらせると、
「俺も、触ってないところを、触りたくなった……」
と言い、彼のスエットをぐっとずり下ろそうとした。
だが晃大はとっさに、引っ張られて伸びるウェストを掴み、片手で拳を作り、誠の頭をゴンと叩いた。
「痛っ……」
なぜ叩かれたのかが分からないという顔の誠に、今度は足をバタつかせて抗議をする。
「いきなりはひどいよ……!」
「いや、だって今日、海で「そういう欲求はある」って言ってたから」
「あれは、その……今は関係ない! それに僕は、服の上から誠の体を触った。だから、全然違う」
「そうなのか? 何がだめ?」
「……下着は、だめ、かな」
「じゃあ、他は脱がせても問題ない?」
「う……ん」
ほんとうは、触れられるのはまだ少し怖い時がある。
初めての場所は、特に緊張するし、嬉しいと同時に不安が大きい。
ただ、誠が気を使い丁寧に接してくれているのも分かるだけに、途中で止めるのは申し訳ないと思ってしまう。
「……ごめん、だめだめばっかで」
「いいよ。嫌だったら言って」
「嫌じゃない…… 。あ、自分で脱ぐから、待ってて」
そう言うと、晃大はするすると脱いだスエットを床に落として下半身は下着だけになり、またソファに座った。
すぐに誠が晃大の前に跪き、彼の左足のみを持ち上げ、足の甲にキスをした。
「あ……」
そんな所にされるとは思わず、晃大は罪悪感を感じてしまった。
次にくるぶしに食むようなキスをされると、誠の唇の柔らかさが強調されて、もっと悪いことをさせてしまっているように感じてしまう。
「足なんて……そんなとこ、いいのに」
そう言っているのに、誠はかまわず足首に舌を這わせたり、ぐるりと一回りする。
ふくらはぎにまるで印をつけるように、吸い付いて上がっていき、今度は太腿の上をゆっくりと舌であそび始めた。
足の付け根までそれを繰り返し、一度膝にキスをし、そして内ももへと唇を移す。
より柔やかなそこを、少しづつ内側に沿って口付けられ、誠の手が腰に回されて、より執拗に責められると、晃大も妙な気持ちになってくる。
ふと目が合い、晃大は恥ずかしさのあまり、目を伏せて足を閉じようとするが、誠の体が割って入り抱きしめられた。
「苦手だった?」
そう聞かれて、
「こういうのは恥ずかしい……」
と、答えるのがやっとで、抱き返してからずっと緊張してたと気がついた。
腕の中に晃大を抱いたまま、誠がつい本音を口にする。
「これでつま先まで俺の物になった」
「つま先って……そんなに独占欲強かったんだ?」
「いや、晃大っていう限定品に弱いだけ」
「何だよそれ……」
二人はくすくすと笑い、晃大も負けずに、
「じゃあ、僕は、誠という特殊な人に夢中なだけ」
抱き返した腕に力を込めて、温もりを引き寄せる。
すると、すぐに口付けをしてくれた。
やさしくゆっくりとお互いの息遣いを確認する。
唇を離し、見つめ合い、そしてまた口付けると、待ちきれず舌を絡ませてくる晃大を誠は受け入れた。
今朝から誠は、初めてのデートということもあり、なるべく紳士的に一日を終えようとしていた。
だが抑えようと意識すればするほど、逆に晃大が物足りなさを感じて余計に求めてくる。
既に限界のようで、晃大は自らの上服を脱ぎ捨て、誠の服に手をかけてきた。
昼間とは違う荒々しい様子に驚きながら、誠も自ら上半身の着衣を剥ぐと、彼の積極的な唇に応えた。
ソファの背に、晃大を押し付けるようにキスを繰り返していた誠は、
「寝室に、行こうか?」
と、背に絡みついた腕ごと彼の体を抱き上げた。
ベッドに入り抱きしめると、腕の中の愛しい人はこんなことを口にする。
「もし、明日また、僕が触れられない体になったら、どうする?」
見つめる目の奥に、まだ少しだけ残る不安。
これに、その人の恋人は答えた。
「そうはならないよ。だって、もうこの感覚を忘れることはできないだろ?」
と、指に指を絡めて、やんわりとキスをする。
「そっか、そうだよね……もう戻らないんだ……よかった」
「だから、安心して」
「……ありがとう」
誠は、その笑顔に、満たされるものを感じた。水に落ちた波紋のように、心の隅々に広がる安堵。
ずっとこの笑顔を見ていたいと純粋に思う。
「明日、隣にいてくれるだけで、俺はいいから」
この言葉に、晃大は誠の体にぴたりと寄り添い、安らぎのなか目を閉じる。
晃大にとって、夢は夢でしかなく、苦しみが日常だった。
だが、誠に再会したあの日から、少しずつ変わっていった。
夢は現実になり、怯え怖がるだけの日々は、もう二度と来ないと教えてくれた。
「だったら僕は、絶対に離れないから」
そう誠の素肌に埋もれるように抱きつきながら、そんなことを言う。
固く抱き合う体の温もりだけは、決して裏切らないことを知っている。
そして二人は、深い眠りにつくまで、お互いを心から愛おしむ。
それから、誠が眠ったはるか後で、晃大は思いついたように彼の唇や体に触れる。
毎夜毎晩、それは不安を安堵に変える、まじないのようなものだ。
誠にしてみれば、こんな風にいつ襲いかかってくるか分からない晃大のほうが、狼なのではないかと思う。
だが、それでいい。
愛しい人が触れることで安らぎを得られるのなら、何度狼に食われてもかまわない。
心の中で、愛していると打ち明ける。
晃大はいつも、それが聞こえているかのように、同じ言葉を耳元で囁いてくる。
「誠、愛してる……」
我知らず、笑みが浮かぶ。
この狂おしい愛しさと共に、そしてこれからも、狼の隣に眠る。
狼の隣に眠る 木野国 歩 @hagamiakari
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