20  罪深い唇

 アラームの音が、規則正しく鳴り響く。

 誠は手を伸ばして、それを消した。

 そしてすぐに、自分の腕の中で寝ているはずの晃大を確認する。

 だが彼は、隣のベッドでこちらに背を向けて、眠っていた。

 (あれ……?)

 昨晩の腕の中の晃大は甘えるように、そして時折まだ困惑している様子で誠にしがみ付き、その度に口付けて、安心させて、またキスをして……。

 確かにきつく抱き締めて、眠ったはずだった。

 まさか、あれらは全て夢だったのだろうか……?

 いや、いくら願望が強くても、あれほどのリアルな夢はありえないだろう。絶対に現実に間違いない。

 だが、もしもだ。仮にそうでなかった場合はどうだろうか……。このまま触れて起こせば、大変なことになる。

 無理に起こさず、ゆっくり寝かせておこうと、誠はそっと着替えて、寝室を出ていった。

 今朝の朝食は晃大の好きなご飯と決め、用意をする。

 追加で彼の大好きなりんごもカットし、準備は出来た。

 寝室を覗くと、まだ寝ている。

 寝顔はいつもと同じ、控えめに言っても、物凄く可愛らしい。

 ベッドの横に屈み、ああ、夢だとしても昨日の夜は、この唇に何度もキスをしたんだなと、感慨深く見つめていた。

 「おはよう。起きて」

 やんわりと声をかけると、晃大はすぐに目を覚ました。

 「おは……よう……」

 そう言って、上半身を起こし、ぼうっとこちらを見てくる。

 そんな寝ぼけまなこの晃大が、誠を手招きした。

 「……?」

 何だと思い立ち上がり、ベッドの縁に腰を下ろすと、

 「うわっ……!」

 晃大がいきなり抱きついてきた。

 そして、そのまま誠に覆い被さりベッドに倒し、笑いながら動かないようにがんじがらめにして、頬にキスをしてきた。

 この時誠は、昨日の出来事は紛れもない現実なのだと実感した。

 「夢じゃなくてよかった」

 そう言ったのは晃大だった。

 誠もたまらず抱き返して、同じように頬にキスを返した。

 「やっぱりまだ信じられない。ほんとうに触れられてるんだな。嬉しくてまた泣きそうだ……」

 「昨日散々キスしといて、それ言う?」

 「……だよな」

 「誠、痛い」

 「あ、ごめん」

 手を離すと、晃大はそのまま飛び起きて、寝室を出て行った。

 もう少し抱きしめていたかったが、うまく逃げられてしまったようだ。

 「あー、ご飯出来てる! ありがとう!」

 椅子を引く音が聞こえたかと思うと、晃大が大きな声で誠を呼ぶ。

 「早くこっち来て! 食べよーよ!」

 椅子に腰掛け、箸を持ちながら待つ晃大の背中を、誠は後ろから抱きしめた。

 「モーニングキス、していい?」

 誠はそう囁き、晃大の頬を片手で寄せて、軽くキスをする。

 「どう?」

 「最高……」

 満足しているのは誠も同じで、食事中も晃大を見ては、いつまでもにやけが止まらなかった。

 晃大も見られているのには気づいていて、会話でごまかし、照れ隠しをする。

 食後は、晃大が洗面所で顔を洗っているところに、誠が腰に手を回したり、誠の歯磨き中に晃大が横から首に手を回し、寄りかかってみたりと、出来るだけお互いに触れて、今までの触れられなかった時間を取り戻そうとした。

 誠がコーヒーを煎れている間、晃大はソファに座り、クマを撫でたりして待っていると、良い香りが漂ってくる。

 「お待たせ」

 テーブルに置かれた熱いコーヒーに息を、吹きかけて冷ましながら、一口飲み込んだ。

 「おいしい」

 弾けるような笑み、その姿を見られるのが、誠は何よりも嬉しかった。

 今二人は、二度と離れないようにお互いの腰に手を回し、ぴったりと寄り添いソファに座っている。

 特に誠が晃大に体を添わせ、べったりと密着して動かない。

 「ずっとこうしていたい……」

 「うん、僕も」

 「ただなぁ……」

 「……何?」

 誠は、このまま二人でくっつき過ごしたいと思っていたが、これからやることがあった。晃大と毎日同じ時間に退社するには、平日の残業を減す必要があり、土日にその分を調整しなければならない。それを今日中に済ませたかった。

 「離れたくはないけど、今から少し仕事の整理したいから、ここで作業していい?」

 カップをテーブルに置き、晃大の髪を触りながら、誠が残念そうに言う。

 仕事ならば仕方がない。

 「いいよ、もちろん」

 晃大は髪を撫でられながら、気持ちよさそうに答えた。

 ところが誠はそれからも、なかなか作業を始められずにいた。

 一秒でも密着していたくて、晃大を抱きしめ頬にキスをし、離れてはみるが、またすぐに抱きしめてしまう。

 「また後でいっぱい触れるから大丈夫だよ」

 そう言われて、名残惜しそうに体を離した誠は、ソファの前にあるカフェテーブルに資料を置き、やっとPCを開いた。

 それから、その間何をしようかと考えている晃大に、時間を潰すための提案をした。

 「映画見てても大丈夫だよ。俺、仕事中は結構集中できるから、音量も気にならないし」

 「んー、だったら、この前途中で観るのを止めた、アポロンの映画みようかな……」

 「ああ、あのイチャイチャしてたやつの続き?」

 「そう。今なら、少し気持ち分かりそうだし」

 「うん、俺も分かる」

 笑いながら誠は、映画を検索し再生した。

 「じゃあ、俺は仕事の続きやるね」

 「うん、分かった」

 晃大は映画を、誠は仕事をと、しばらく別に時間を過ごすことになった。

 映画は、前回の続きからの再生のため、いきなりアポロンと恋人のいい感じのシーンから始まり、途中痴話喧嘩や別れ、そして仲直りでベッドシーンという流れだった。

 誠も、息抜きに横目に見ながら作業をしていて、内容は頭に入ってくる。

 特に、ベッドシーンでは、お互いが別のことをしていても、なんとなく気まずい雰囲気になってしまった。

 物語の最後はハッピーエンド。

 エンドロールが流れると、晃大が、

 「仕事終わった?」

 と、聞いてきた。

 「んー、あと少し……」

 と、返事をした誠に、晃大はソファから移動して彼の横に座り、視線を外しながら、こんな事を言ってきた。

 「……あのさ、ディープキスっていうのやってみたい」

 「ディープ……って、今……?」

 昨日の夜に初めてキスをしたのに、さらに濃厚なキスを求めてくるとは……。少し好奇心が強すぎる気もするが、映画の内容がまあまあ官能的だったから、仕方がないのかもしれない。

 にしても、正直、まさか晃大の口からその単語が出るとは、全く想像もしていなかった。

 「やっぱり、だめ、かな……」

 しかも、お願いをしてくる晃大の目つきが完全に、情欲をそそる雰囲気に変わっている。

 この潤んだ瞳に見つめられたら最後、逃れられる気がしなかった。

 「してもいいなら、しようか……?」

 乗り気の誠はすぐに、晃大の前に片手をついて顔を近づけた。

 すると、晃大はぎゅっと目を瞑り、唇の間からほんの少しだけ舌を出してきた。

 たぶん、今さっき映画で見た有り合わせの知識の中から、精一杯心の準備をした結果なのだろう。

 せっかくだからと、誠はまずはその舌を、ちろちろと突いてみたり、自身の舌をゆっくり擦りつけたり、意地悪をしてみた。

 すると、待てなくなった晃大が先に口を開け、誠の舌を挟むようにして中へ引き入れた。

 こうなると誠も、もう遠慮もなくなり、衝動の赴くままに晃大の舌を絡めとっていく。

 徐々に激しくなる舌の動きに合わせ、唇を交互に揺らし、行ったり来たりを幾度も繰り返す。誠の積極的な舌の動きと、晃大の戸惑うような舌の動きが、駆け引きを繰り返しながら、お互いを濡らしていった。

 懸命に誠の舌のうねりに応えていた晃大だったが、耐えられなくなり、体勢を崩して床に倒れそうになる。

 寸前で、誠が晃大の後頭部を支え、もう片手は腰に回し、それで唇への愛撫が少しの間おざなりになってしまうと、今度は晃大みずから彼の首に腕を巻き唇を引き寄せ、また口の中へ侵入し舌を踊らせた。

 唇の隙間から声が漏れる度に、お互いの気持ちが徐々に興奮していくのが分かる。

 晃大は自身の腰にあてられている誠の手を掴むと、着衣の中へ呼び入れた。

 誠の手が、晃大の望むままに、肌の上を滑りながら我が物顔で支配していく。

 ふと誠の唇が離れた。

 その隙に、晃大の着衣がめくり上げられる。

 滑らかな肌の表面を、誠の唇と舌が少しずつ這い上がっていき、胸のあたりに辿り着いた時、耐えられずに晃大が声をあげた。

 「ちょっ、ちょっと、待って!」

 誠が動きを止め、晃大を見ると、真っ赤な顔で、彼の両手は肩を押してくる。

 この抵抗に驚いた誠が、晃大の肌から体を引いた。

 「ごめん、つい……」

 「ううん、僕もごめん。普通のキスとこんなに違うのかと思って、びっくりしただけ」

 ふぅと、息をついて起き上がろうとする晃大を、誠が抱き寄せる。

 「でも、体に触れさせてくれて、嬉しかった」

 「だって、夢中だったから……」

 「ほんと言うと、もう少しキスしていたかったけどな」

 抱きしめた晃大の背中を撫で、残念そうに誠は言う。

 物足りないのは晃大も同じで、巻き付いた体を擦り合わせるように、さらに密着させた。

 「じゃあ、もう少し、お願いします……」

 照れながら言う晃大の唇に、再び誠の唇がそっと触れる。

 それは先程までの扇情的なそれとは違い、温かで優しいうっとりするような口付けだった。

 そっと唇に触れては、離れて、スローモーションのように焦ったいくらいにそっと食みながら、時に擦り合わせ吸い付いたりする。

 ひとしきりたわむれ合い、満たされた晃大は火照った顔のまま、

 「喉乾いちゃった。水飲む? 持ってくる」

 そう言って、誠の腕から離れ、キッチンへ走った。

 誠はもうほとんど終わりかけの作業を終いにし、水を受け取り、一気に飲み干すと、彼の髪を撫でながら言った。

 「そうだ。触れるようになった記念に、何かプレゼントしようか? 何がいい?」

 「何もいらない。誠と居られたら何も欲しくない」

 これには誠も、嬉しくてでれっとしてしまったが、せっかくだから彼氏としても何かしたい。

 「だったら、行きたいところある? 触れられるようになれば、もうどこでも好きな場所に行けるだろう?」

 「うん……」

 喜々たる様子の誠とは逆に、晃大はしょんぼりとし、申し訳なさそうに答えた。

 「あのさ、誠には大丈夫になったけど、他の人はわからないんだよね。もし、大和や伯父さんにもまだ触れられなかったら……」

 「あ、そうか……」

 「なんて、勝手に反応しちゃう、僕が悪いんだけどね」

 「悪くない。気づいてあげられなくてごめん。またゆっくりやっていけばいいよ。俺の時のように、自然に触れられる時が来る」

 「ありがとう。意識して頑張ってみる」

 「だったら、やっぱり人が混み合わない場所がいいよな」

 「海は?」

 「でも、寒くないか?」

 「寒いけど、人がいないと思うし、気を使わなくていいなと思って」

 「晃大が行きたいなら、そうしようか」

 「あーでも、それだったら、この部屋でも同じか。誰にも邪魔されないで、二人きりでいられるから。それにこんなに温かい……」

 少し離れただけで、また誠の肌が恋しくなった晃大は、彼の体にしがみつく。

 そして抱き返されて、また幸せを感じた。

 何度抱きしめても、キスしても足りない。

 それでも甘美な時間は、あっという間に過ぎていく。

 「もう誠のいない時間には戻れないな」

 そんな風に言われると、誠の胸が熱くなる。

 つい先日までは、指一本も触れられなかった晃大の、今は体の隅々まで知ることが出来る奇跡。

 「俺を選んでくれて、ほんとにありがとう」

 心から、そう思う。

 いつまでも、いつまでも、隣にいて欲しい。

 朝も昼も夜もなく二人、思うままに語り合い、時には言葉を失くして、ただ抱き合っていたい。

 「僕こそ、あの時、見つけてくれてありがとう」

 そう言うと晃大は、愛する人の胸に顔をうずめ、幸せそうに微笑んだ。

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