14 小さな芽

 あっという間に夏が過ぎ、その間は特に問題も起きず、二人はゆったりと過ごしていた。

 「一気に涼しくなったよね」

 「この三連休、ほんとうに家で過ごして良かったのか? 行きたいところあれば行くのに」

 「じゃあさ、たまには誠が行きたいところにしようよ」

 「うーん、そうだな……」

 「風が気持ちいいから、河川敷に散歩でも行ってみる?」

 と、提案すると、晃大はすぐに賛成した。

 それから室内を少し掃除をし、疲れた晃大が、

 「ちょっと休憩〜」

 ソファにごろんと寝転び、両腕を真っ直ぐ頭の上で交差させ、ストレッチをし始めた。

 その時、シャツの裾がめくれて、へそが見えたところを誠が横切り、

 (あー、へそ丸見え。つんつんしたいな……)

 と、思いながらその素振りも見せず、素知らぬ顔で通り過ぎる。

 こんな風に、高揚する気持ちを抑え、理性的に振る舞う日常にも慣れてきた。

 だが時々、晃大本人も意識していない肌の露出などがあると、誠の我慢がどうしようもなくなる時がある。

 (晃大のためにも、俺のためにも、なんとかしたいけど……)

 気持ちは焦る一方だが、無理強いは絶対に出来ない。

 「はい、ご褒美」

 誠が晃大の頬に、冷たいプリンアラモードの容器を少しだけ当てる。

 「やった! 嬉しい!」

 「掃除、手伝ってくれたお礼。晃大の好きなあの店の期間限定品だよ」

 ソファから跳ね起きた晃大は、テーブルに置かれたプリンをスプーンですばやくすくい、

 「はい、誠、あーん」

 この穏やかな日々の間に、晃大はいろいろなスキルを身につけていた。

 例えば、この「あーん」がその一つだ。

 この間まで、怒るほど恥ずかしがっていたのに、今では自ら楽しんでやってのける。それを誠は、歓喜を隠して、さも当然のように口を開けて受け入れる。これが楽しくて仕方がない。

 「俺のも食べてみる? 秋らしく洋梨味」

 「欲しい! あーん」

 触れられなくても、楽しむ方法はいくらでもある。これで満足していれば、この先も問題はないだろう。

 だが当然、誠はこれでいいとは思っていない。

 何か他に出来ることは、もっと触れるきっかけになるものはないだろうか、そればかり考えている。

 「明日の散歩は、午後に出ようか」

 「そうだね。昼間はまだ日差しが強いからね」

 食べ終えた晃大が、またソファに伸びた。そしてやはりヘソが出る。

 (こういう隙だらけなところが可愛いんだよな)

 役得だから、存分に堪能しようかとも思うが、

 「お腹冷えるぞ」

 つい注意をしてしまい、楽しみを台無しにしてしまう。

 「おっと……」

 ハーフパンツをずり上げて、へそを仕舞う様子が、これがまた可愛い。

 今度は体を横にし、手を胸の前で小さくたたんだ。

 これは眠い時にするいつもの癖だ。

 「眠い?」

 「ううん、大丈夫」

 そして、しばらくすると、うたた寝をしてしまう。

 ここひと月は、全てがこのように平穏に過ぎていた。

 晃大のほうも、それで満足していた。

 以前は、変わりたいと言っていたが、最近はその思いを強く感じることはなかった。

 何もない日常が一番幸せなのだと、身にしみて分かっていたからだ。

 誠は何を要求するでもなく、いつも笑顔で接してくれている、それだけでじゅうぶんだった。



 翌日の日曜の午後、約束どおり二人は河川敷に来た。

 場所は、会社方向へ車で走り、少し先へ行ったところにある。

 家を出たのは午後の3時、夕方の駐車場はだいぶ空いていて、二人は車から降り、土手の法面の階段を駆け上がり土手道へ出た。

 「わー、広くて気持ちいいねー!」

 晃大が手を広げて、背筋を伸ばす。

 風の心地よさに空を仰げば、少し前までの、焼けるような夏のギラギラした太陽は、季節がわずかに移っただけで穏やかになっていた。

 運動場には、日曜ということもあり子供の野球チームや、バトミントンなど、スポーツを楽しむ人達が多くいる。

 「あの500mくらい先の橋梁まで行ってみるか?」

 誠は真っ直ぐな土手道の先を指差した。

 ランナーや、ロードバイクと次々にすれ違い、同じように散歩をしている老夫婦や家族連れとは、通り過ぎる度に「こんにちは」などと挨拶を交わした。

 歩きながら、眼下に広がる街を見渡しながら、土手から駆け上がる風に揺られる草花を眺めて歩けば、ススキなども動く秋の気配に、どことなく哀愁を感じてしまう。

 「たまにはいいな、こういうのも」

 「そうだね」

 それからやっと橋梁までたどり着いた二人が、折り返し足を進めた時だった。

 向かいから歩いて来る、ベビーカーを押す夫婦とすれ違った。

 その時、晃大が、

 「あっ!」

 と、思わず声を出し、そして、女性の方も同じように、「あっ!」

 と気がついて驚いた声を出した。

 そして、目を丸くし、口に手を当てて、

 「ええー! びっくりしました! お久しぶりです。あの時はありがとうございました!」

 深々と頭を下げてきた。

 それから、隣の夫の肩を興奮気味に叩き、

 「ほら、前に、私が事件に巻き込まれた時に助けて頂いた方!」

 それで夫のほうも、すぐにその件を思い出したようで、

 「妻と娘を助けて頂き、ありがとうございました! まさかここでお会いできるとは思いませんでした」

 慌てて、晃大に頭を下げてきた。

 被害にあった妻の名前は桜井里美で、事件後、北園商店を訪れ、お礼をしている。

 夫のほうは登といい、事件前後はしばらく仕事で遠方に居た為に会う機会がなく、戻ってすぐに再度お礼をしたいと連絡をしてきたが、晃大が丁寧に断っていたのだった。

 「いえいえ、全然。僕は何も出来なかったんですから」

 恐縮しながら答える晃大に、

 「そんなことはないです! 何より娘が無事で、ほんとうに助かりました」

 里美は、感謝してもしきれないといった様子で、頭を何度も下げてくる。

 「皆さんお元気そうで、よかったです」

 思わぬ偶然の再会に、晃大も桜井夫婦も興奮気味にお互いの健在を喜び、笑い合った。

 一緒にいる、ベビーカーの子供は2歳くらいで、ぐっすり眠っていた。

 その子の寝顔を覗き込んだ晃大は、

 「可愛いですね。お名前はなんて言うんですか?」

 愛おしそうに、にっこりと微笑んだ。

 「優実です」

 「ゆうみちゃん、可愛い……」

 晃大はベビーカーの前に屈むと、子供の頬を人差し指でそっと触れた。

 「え……」

 突然のありえない光景に、誠は思わず声を漏らしてしまった。

 (今、触った!? どういうことだ!?)

 一切人に触れられないと思っていた誠にとって、この動作はほんとうに信じられない出来事だった。

 相手が、子供だからだろうか。

 いや、その情報は本人から全く聞いたことがない。

 しかし、実際に触れていた。

 今、間違いなく、晃大から先に触れていたのだ。

 それから晃大は、ごく自然にその夫婦と会話をし、そして、手を振っておだやかに別れた。

 誠は慌てて尋ねた。

 「さっき、子供を触ってたけど、平気だったのはどうして?」

 「うーん。前にも一度、あのくらいの親戚の子を抱っこしたことがあって、だから大丈夫だと思って」

 「子供だから大丈夫なのか? 子供って、いくつから? 小学生はだめなのか? 中学生は?」

 「分かんないよ。でも、子供のことを触ろうと思った時に、大丈夫だっていうのは、なんとなく分かった」

 「子供は無害だから、かな……」

 「無害? そういう感じじゃないような……」

 「どんな感じ? どんな風に大丈夫だと思った?」

 誠が興奮気味に、次々と質問をぶつけてくるため、

 「ごめん、ほんとうに自分でもよく分からないんだ」

 晃大は、両手を左右に振り後退りをして、半分逃げるように歩き始めた。

 だが、誠は後ろから追い、この先の大切なきっかけになるかもしれないと必死に食い下がった。

 「例えば、女の子なら大丈夫とか?」

 「女の子か……僕が小学生の時に、同級生に触れられた時はだめだった」

 「だったら、大人になった今、小学生の女の子にだったら、どう?」

 「そういう機会がないから分からないけど、多分、無理だと思う。触れられる気がしないから。でも、知らない子に触ったら犯罪だから、違う意味でまずいと思う……」

 「それはそうなんだけど……。あー、だめか。やっぱり……」

 誠はひどく悔しそうに頭を掻く。

 「色々考えてくれて、ありがとう。ごめんね……」

 「いや、俺も焦っちゃって、ごめん」

 誠は自分に苛つきながら、ため息をついた。

 晃大は歩くスピードを抑えて、落ち着いた様子で話しを続けた。

 「僕さ、このままでもいいと思ってるよ。誠とも仲良くなれたし、毎日すごく充実してる。それに、こんなに幸せなのに、もっと色々と欲張ったら、全部無くしてしまいそうな気がするんだ」

 だが、誠はすぐにそれを否定した。

 「そうか? 触れることが欲張りなことかな。俺はそうは思わないけど」

 「いいんだ、ほんとうに……。あ、そうだ! 夕飯何食べようか? あのハンバーガー屋さんのスペシャルセットにする? スマホで注文して、帰りに寄れば早くていいよね!」

 言いながら、ポケットからスマホを出し、注文をし始める。

 「僕はねー、うーん、期間限定のにしよっと。誠は?」

 「……俺も同じのでいいよ」

 「よし、これで予約OK。帰りは僕が運転するからね」

 そう言いながら、

 「ほら、帰ろ! そういえばこの間、職場でさー」

 と、話題を変えようとする。

 「晃大……」

 それでも誠は、晃大の背中に、諦めきれないものを感じていた。

 家に帰ると、晃大が鼻歌まじりでハンバーガーセットを袋から出して、テーブルに並べた。

 「あ、ケチャップもらうの忘れた。冷蔵庫にあった?」

 「あると思うよ」

 誠は帰る間中も、ずっと考えを巡らせていた。

 だが、糸口になりそうな発想がなかなか浮かばなかった。

 食事が済みシャワーを浴びて、二人はソファに座りテレビを見ながらとりとめのない話をする。

 誠はその間もなんとなく上の空で、晃大は心配になった。

 「ほんとうに僕はこのままでいいと思ってるから。無理に考えなくていいよ」

 「でも、どうしても気になって……。また聞いてもいいか? 以前に親戚の子供を抱っこした時って、その子どうしてた?」

 「えっと……遊び疲れて車の中で寝ちゃって、僕が抱っこして外へ出して、お布団にそのまま寝かせた」

 「眠ってたの?」

 「うん、寝てたよ」

 「……今日のあの子も寝てたよな? 性別や大人子供の区別でないとしたら、状態の可能性はないかな。眠ってる人には触れられるとか。今まで、眠っている人に触れたことある?」

 「……ない」

 「今まで一度も?」

 「この体になってからは、一度もないよ。今日の優実ちゃんと、親戚の子以外はない」

 それを聞いた誠が、少し考えるように首を傾げた後、ハッとして目を強く、大きく見開いた。

 「だったら、試してみないか? これから俺が寝た後に、晃大が俺に触れてみて」

 「ええ!?」

 「無茶苦茶なことを言ってるのは分かってる。でも、試してみる価値はあると思う。だから、俺に触れてみてくれないか?」

 「でも……怖いよ……」

 「これはチャンスかもしれないんだ。これがきっかけで、次に進めるかもしれない」

 誠の凄まじい気迫に、晃大は初めは戸惑っていたが、

 「分かった……やってみる」

 最後には覚悟を決め、聞き入れた。

 「それじゃあ、今晩……」

 「うん」

 就寝時間になると寝室へ入り、それぞれがベッドに横になる。緊張している晃大に誠が優しく声をかけた。

 「俺は一度眠ると、眠りが深くて途中で起きないから安心して。そして、もし何かあれば、声を出して起こして」

 「うん……おやすみ」

 晃大は、おやすみと言ったものの、当然眠る気にはなれず、ベッドの中で悶々としていた。

 触ってみるとは言ったが、まず、自分から触れるという行為自体、もうずっとないことだ。

 そして、もしだめだった場合、あの苦しみが体を襲うのは、わかり切っている。

 触れる前の恐怖と、触れた後の後悔を思うと、気が重くなる。

 ただ、誠の熱意を思うと、止めるわけにはいかなかった。

 少しでも希望を抱いたその瞬間から、もう進むしかないと思った。

 スマホでそっと時間を見る。

 就寝から一時間半経っていた。

 わずかな明かりのなか誠を見ると、身動き一つせず、深く眠っているように見える。

 晃大はそっと起きて、誠のベッドへ近づいた。

 膝を折り、誠の顔を覗き込み、寝息を確認する。

 規則正しい、静かな呼吸だ。

 そして、誠の胸のあたりに手をかざした。

 (どうしよう……怖い……)

 目の前の誠の体の前で、自身の体が凍りついたように動かなくなる。

 もう何も考える余裕がないくらい気持ちが張り詰めて、呼吸も荒くなり、全身に汗が滲み出てきた。

 (でも、もう決めたんだ……)

 決意を繰り返し思い出し、乱れた呼吸を懸命に整え、すうっと一呼吸置いた。

 そして、そのまま手をゆっくりと下ろす。

 それから服の上から、誠の胸にそっと触れた。

 手の平に、誠の体温を確かに感じる。

 だが、動悸と震えは起きない。

 晃大は、症状が全く出ないことに驚き、信じられないという顔で、誠の胸から手を離し、今度は肩に触れた。

 やはり、何も起こらなかった。

 立ち上がった晃大は、自分のベッドに戻り、それから、声を殺して泣いた。

 「う……うっ……」

 その泣き声を、誠は聞いていた。

 ほんとうは、寝ていなかった。

 初めは眠ろうしたが、晃大の気持ちを考えると、眠れなかったのだ。

 もし見当が外れて、苦しませてしまったらという思いと、ほんとうに触れることができるかもしれないという期待が、混じり合っていたからだ。 

 晃大が起きて、ベッドの横に膝をついた時、誠はいよいよかと気が張り詰め、顔を覗き込まれる気配がすると、鼓動が早くなるのを抑えるのに必死だった。

 どこに触れるかは、彼に任せていた。

 だから触れられるまで、緊張で体中が強張り、一秒がとてつもなく長く感じた。

 晃大が息を吐いて、それが決心だと分かったすぐ後、胸に重みを感じた。

 触れられた瞬間は、喜びよりも、直後に起きるかもしれないあの症状が不安だった。

 しかし、それは肩に触れられても起きなかった。

 晃大が肩の手を離した瞬間から、湧き上がる喜びと安堵で、飛び起きてしまうのではないかと思うほど、興奮した。

 だが、泣いてしまった。

 起きて、言葉をかけようか。

 いや、それでは眠っていないことが分かってしまう。

 それに、その涙の意味を、受け止められるかが不安だった。

 そして、そのままほとんど眠れずに、朝を迎えた。

 誠は先に起きて、身支度を済ませ、朝食を作っていた。

 なるべく普段通りにさりげなく、そう思いながら、晃大が起きてくるのを待つ。

 テーブルに料理を並べて、時計を見ると、もうそろそろ起きてもいい時間になったが、まだ来ない。

 誠は寝室へ様子を見に行った。

 「おはよう……」

 ベッドに近づくと、寝息が聞こえてくる。

 今起こすのは酷だろうか。

 もう一度、声をかけて目覚めなかったら、また後にしよう。

 「起きて……」

 誠が遠慮がちに呼ぶと、

 「ん……あ、おはよう……」

 むくりと起きた。

 「ご飯、できてるけど、どうする?」

 「うん、食べる……」

 寝癖がついたままよろりと歩き、席へ着く。

 「朝ごはん……ありがとう。いただきます」

 よほど眠いのか、半目のままで、トーストをちぎって口に入れる。

 次にミルクを飲み、フォークで目玉焼きを少し突いた時、そのフォークを置いて、ぼんやりとした目で誠を見た。

 「あのさ、昨日やってみたよ。誠の体、触ってみたんだ。胸のあたりに手を置いて……そしたら、苦しくなかった。発作が起きなかったんだ……」

 誠は、晃大が喜んで報告してくれるとばかり思っていた。なのに、この寂しげな様子は、なんだろうか。

 「よかった、よかったじゃないか。でも、どうした? 元気ないようだけど」

 「だって……」

 晃大は項垂れて、肩を震わせた。

 「嬉しかったよ……ずっと触れていたいと思った。でも、眠ってる誠に触れても、意味がないって分かった」

 「意味がない……どういうこと?」

 「僕は、誠に触れて欲しいんだって、気づいたんだ。眠った後じゃなくて、起きている時に触れられたい。触れ合いたい」

 「俺もそうだよ。触れたいよ。でも何がきっかけになるのかが、わからないんだ。今すぐには何も手が考えられない。他には、例えば、奇跡、これを待つしか……」

 「待てないよ……今すぐにでも誠に触れたい。ごめん、また困らせてるよね。僕はいつもこうなんだ、最悪だ……」

 誠は、晃大が涙を流すまいと耐えている顔を、見ているのが辛かった。

 やっとここまでと思っていたが、まだまだこれからなのが現実だった。

 だが、時間がどれだけかかろうと、諦める気はない。

 今出来ることは、もっと触れて、慣れる。それが当たり前のように感じられるまで。

 そのために、必要なことはなんでもしなければならない。なりふりなど構っていられない。

 誠は、起きがけに頭に浮かんだあることを実行しようと思った。

 「ちょっと寝室へ来て……」

 晃大のベッドの横に立つと、誠はそこを指差した。

 「俺が寝ている時、触れても問題ないなら、このベッドを、俺のベッドと隣り合わせにしないか? そうすれば、夜中に晃大が起きたタイミングで、俺に触れられる。それを繰り返して、もっと触れることをポジティブに思えるようになれば、また何かが変わるかもしれない」

 「……やってみたい」

 もう迷わなかった。

 否定よりも行動するほうが、早くたどり着けるかもしれないと、誠を信じることにした。

 「よし、だったら先にご飯を食べてしまおう」

 「うん」

 ベッドの移動は、食後すぐに行った。

 誠のベッドを壁から少し離し、人が十分に歩けるスペースをとり、晃大のベッドをその隣にピタリと移動させる。

 軽く掃除を済ませると、誠は晃大に眠るように勧めた。

 「あまり眠れてないんだろ? 実は、俺も少し眠いんだ。一緒に眠ってみようか」

 お互いを気遣い、ほとんど寝ていないことも伝えないまま、二人はそれぞれ横になった。

 誠が晃大の方を向いて横になると、同じように彼も向き合う。

 「こんなに近くで大和以外と眠るのは初めだよ……」

 「怖い?」

 「起きている時は、やっぱり……。でも誠が眠ったら、触れてもいいんだよね?」

 「もちろんだよ。そのために隣にいるんだから」

 「よかった……」

 晃大の目が、眠気で徐々にとろんとしてきた。

 こちらを見ている誠の視線に合わせようとするが、それからほんの数分もかからず寝てしまった。

 誠も、晃大の寝顔を見ているうちに、だんだんと眠くなってきた。



 次に目覚めると、目の前に可愛らしい寝顔があった。

 髪もパジャマもくしゃくしゃで、顔はこちら側に傾けて、口元は何か言いたげに、ほんの少しだけ開いている。

 誠は、ぷっくりとしたやわらかそうな唇に、これまで何度もキスをしたいと思っていた。

 目の前にあるチャンスに、唇を寄せてみる。

 しかし、途中で虚しくなった。

 晃大の「眠ってる誠に触れても、意味がないって分かった」という言葉。

 まさに、これを感じていた。

 ほんとうにそうなのだ。

 意思の伝わらないキスなど、無と同じだ。

 それに晃大には一番初めのキスは、自身が望む時に、愛する人として欲しい。 

 この思いだけは変わらない。だから勝手にそれを奪うのは、どうしても出来なかった。

 それにしても……。

 並べたベッドを見ながら、睡眠不足の頭で考えた結果がこれかと、笑いを堪える。

 自身の願望丸出しで、晃大もよくこれを受け入れてくれたと、すまなく思う。

 しかし、晃大が触れられたいと思ってくれたことで、また少し前進した気がする。

 このまま警戒心を解いて、もっと近づいてくれたら、抱きしめられる日が必ず来るだろう。

 そして、二人で笑い合い過ごせる日々は続いていく。

 誠はこの時はまだ、明るい未来だけを信じていた。

 晃大の温もりと笑顔は自分だけの物で、失うことなど全く考えていない。

 奪われる日々など知るはずもなく、幸せな気持ちにどっぷりと浸っていた。

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