12 居場所

 北園商店の休憩室は壁の上半分がガラス張りで、廊下から見えるようになっていて、外窓もあるため開放感があり、晃大はいつも人が居ない時を見計らって休憩をとっている。

 今日はその休憩室で、自販機で買った缶コーヒーを飲んでいた。

 しばらくすると、廊下で女子社員達の声がした。きっと休憩に来たのだろう。騒がしくなりそうだと感じた晃大は、飲みかけの缶コーヒーを持ち、部屋を出ようと席を立った。

 だが、入室してきた一人の女子社員にすぐに引き止められた。

 「待って下さい。藤野さん、少しお話いいですか?」

 「あ、はい……」

 晃大は再び椅子に座り、他の女子社員達もそれぞれ好きな席に座った。

 向かい合うように座ったのは、木村七絵という4つ下の女性だった。

 七絵はテーブルに身を乗り出して、好奇心の塊のような目で晃大に質問をしてきた。

 「この間のカラオケに来ていたあの素敵な人って、藤野さんのお友達なんですよね?」

 「うん……まあ……」

 「指輪無かったし、結婚してませんよね? 彼女さんとかいるんですか?」

 「多分いないと思う」

 「本当ですか!? あのー、連絡先とか教えて欲しいんですけど、やっぱりダメですよね?」

 「それは本人に聞いてからじゃないと無理かな」

 「ですよね……」

 矢継ぎ早に質問をしたわりに、一番必要な情報が手に入らない状態で、七絵は明らかにがっかりしている。

 他の二人は興味はあるようだが、今はどちらにも彼氏がいるようで、七絵の様子を控えめに見守っているようだった。

 「誠さんって、落ち着いていて知的だし、すごくもてると思うんですけど、好きな人とか、お付き合いしている人がいないなら、彼女募集中か聞いてもらってもいいですか? ダメ元でチャレンジしたいなーって思ってるんですよ」

 七絵の言葉には力がこもっていて、真剣なのが伝わってくる。

 断る理由も権利もないと思い、

 「分かった。聞いてみる」

 聞くだけなら構わないだろうと返事をした。

 「やった! お願いします」

 「……じゃあ、僕は、もう行くね」

 晃大はそこまで話すと、直ぐに休憩室を出て、仕事へ戻った。

 (僕は、誠のこと、何も知らないんだな……)

 親友だからといって、全てを知り、答える必要もないのは分かる。だが、彼女の有無、好きな人がいるのかというのは、晃大にとっても大切なことだ。もしいるのなら、週末に押しかけて泊まるなんてことは、迷惑極まりない話になるからだ。

 しかし、心の中は意外にも穏やかだった。普段の誠の様子だと、特定の人はいないように思えるし、仮に好きな人がいたとしても、今は自分を優先していることは確かだから、この友達関係が突然切れることはないだろうと考えられた。

 今日は金曜日。先週のように駅で待ち合わせをし、帰る予定になっている。

 七絵には聞いておくと約束をしてしまったから、彼女の有無は会ってから頃合いを見て聞くことにした。

 「藤野さん、納期チェックお願いします」

 「はい。分かりました」

 午後は特に追加の仕事が回ってくる。なるべく時間内に終わるように、手早く処理を進めていく必要があった。

 多少バタバタしながらも、ミスが無いように気をつける。しばらくすると、スマホが震えた。誠からのメールだった。

 『急でごめん。仕事で遅くなりそうだから、今日の泊まりはキャンセルでもいい? 明日の朝にそっちの駐車場に迎えに行く』

 (あ……なんだ……)

 一気に力が抜けた気がした。

 しかし、仕事ならば仕方がない。すぐにOKの返信を送った。

 以前の自分だったら、泊まりのキャンセルがあれば、きっと動揺していただろう。楽しみにしていた分、寂しくて辛くなっていたと思う。

 だが、誠が微笑むロック画面の写真を見ていると、そんな気持ちはどこかへ吹き飛んでしまう。

 明日になれば必ず会える。そう前向きに思えるようになっていた。



 仕事が終わり、家に帰った。

 「ただいま」

 家には誰もいない。義行はもちろん、大和も忙しいために帰るのは今日も遅いらしい。

 着替えてキッチンへ立ち、冷蔵庫に貼ってある家事の担当表を見る。

 誠の家に泊まることを決めてから、土日の家事は大和がやってくれている。それを申し訳なく思っている晃大は、夕食の用意を始めた。

 ふと時計を見ると7時を過ぎていた。今日はなんとなく誰かと一緒に食べたくて、掃除をしたり洗濯をしたり時間を潰しながら待ってた。

 「ただいま〜」

 大和が帰ってきたが、時計を見るともう9時近くになっていた。

 帰ってくるなり大和は驚いた様子で、

 「あれ!? アキ、なんでいるんだ。泊まりは?」

 と、言いながらも、嬉しそうにネクタイを緩める。

 「今日は無し。誠が仕事忙しいみたいだから。でも明日の朝に迎えに来てくれるって」

 「なんだそうか……喧嘩でもしたのかと思った」

 「しないよ。仲良いもん」

 「あっそ! あー腹へった。何食いたい? 冷蔵庫に何あったかな……」

 言いながら、大和はキッチンへ行く途中で、テーブルに用意された食事に気づいた。

 「なんだ、作ってくれたのか? 助かる〜」

 「伯父さんは、まだ仕事?」

 「いや、多分これから仕事関係で飲みに行くと思う」

 「大変だね……。だったら僕らだけで食べちゃおうか」

 「おう。手洗ってくる」

 大和は今まで、晃大の作ったものに文句を言ったことがない。いつも旨い美味しいと絶賛し、最後に絶対にまた作って欲しいと言う。

 「あー、アキの味付けが一番好きだわ。ほら店だといつも変わらない味とかいうだろ? それはそれでいいんだけどさ、作る度にちょっとずつ違うってのが手作りの良さなんだよなー」

 お世辞と分かっていても、まんざらでもない気分になる。

 「あと常備菜も作ってあるから、明日から食べて」

 「ありがとうな。もうさ、泊まりに行くの止めろよ。そうすればずっとアキの飯が食えるんだから、俺が」

 これに晃大は、返事をしないで無視をした。

 大和は毎日毎回食事時に必ず誠のことを持ち出して、こんな風にちくりと釘を刺してくる。

 以前なら、言われる度に怒ったりイライラしたが、最近はスルーを覚えて、別の話題に切り替えることも出来るようになった。

 「……美晴さんとの結婚の準備、進んでる?」

 「あ? まあ。身内だけで済まそうと思ってるからな。そんなに大変じゃないし大丈夫だ。アキは何も心配するな」

 「心配なんかしてないよ」

 晃大は、美晴とはずっと会っていない。なんとなく会うのが気まずいと思っていて、それを察した大和が未だに家に連れて来ないでいる。

 「住むところは決まった?」

 「この近所で探してる。通勤に時間かけられないしな」

 「この家で暮らせばいいのに。だってここは大和の家だよ。本当は大和と美晴さんがここに住んで、僕が出ていくべきなんだから」

 「いいんだよ、アキはここにいて。親父も俺もアキは家族だと思ってるし、一人になんかさせられない。美晴のことは気にするな。あいつは何も気にしてないから」

 「……ごめん大和」

 「だからそんな顔すんなって」

 大和はしかめっ面でそう言い放ったが、声は優しかった。

 作った料理をきれいに食べ終えた大和は、

 「疲れただろ? さっさと風呂入って寝ろよ」

 自分の方が疲れているのに、最後まで晃大を気遣う。

 「ありがとう。おやすみ」

 「おやすみ。俺明日は午前中寝溜めするから、出てくなら静かにな」

 (行くなって、言わないんだ……)

 珍しいなと思いながら、その気まぐれな優しさに心の中で感謝した。

 


 翌日は約束通り、誠が晃大を車で迎えに行って、また家に戻った。

 晃大は荷物をゲストルームへ置いて、すぐにリビングのソファに座り、クマを抱きしめる。

 「久しぶりだね、クマ〜」

 そして、そのクマの手で、コーヒーを飲む誠にちょっかいを出した。

 「あぶなっ! こぼすからやめて」

 笑いながらテーブルにカップを置いた誠が、申し訳なさそうに謝った。

 「昨日はごめん。結局終わったの22時くらいだった。それから寝たのは0時過ぎでさ」

 「お疲れ様です。うまくいった?」

 「もちろん。気になるところは全部クリアできた」

 「……よかった。あ、そうだ……」

 気になる、という言葉で、晃大は七絵の質問を思い出した。

 「あのさ、うちの職場の女の子からの質問があるんだけど……いいかな」

 「何かあった?」

 「僕らよりも4つ下の七絵さんって子なんだけど、誠の事が気になっているみたいなんだ。それで、彼女はいるのかって聞かれて……」

 「彼女はいないよ」

 「そっか……。あと、好きな人はいるかって……」

 そう問うと、誠の体が一瞬強張ったように見えた。

 晃大は慌てて、

 「言いたくないなら、言わなくてもいいよ。プライベートなことだし、絶対に答えなきゃいけないわけじゃないし」

 すると誠は少し考えるようにし、

 「そうだな、その質問は晃大が知りたいなら答えるよ」

 「僕が……?」

 それから、ソファの背もたれに片腕をのせた。

 「興味ないか、俺のことは」

 「そんなことないけど……」

 「じゃあ逆に、晃大ってさ、好きな人いないの?」

 「僕はいないよ。いるわけない。だって好きになっても仕方がないんだから。触れられないし、意味ないよ」

 「触れたいって思った人は、いた?」

 「……忘れた。でも、他の誰かに触れられたら嫌だと思う人はいた」

 「誰?」

 「……大和。大和に触れる人がいると、すごく嫌な気分になった。それで今は……これ、言わないとだめかな」

 「聞きたい。教えて欲しい」

 「……誠だよ。今は誠がそうなんだ」

 「嬉しいよ、凄く嬉しい」

 「それ違うよ。これは自分勝手な嫉妬心なんだから。大和にはこの気持ちのせいでずいぶんと悩ませた。だから誠も……」

 「嫉妬されるほど晃大に慕われるって、俺にとっては光栄なことだよ」

 「光栄って……。おかしいよ……」

 「ひどいな、真剣に答えてるのに」

 誠は晃大の膝の上のクマの手をギュッと握り、穏やかな声でいった。

 「その七絵さんって子には、「ごめんなさい」って伝えてくれるかな」

 それからクマの頭を撫でて、晃大の目を愛おしそうに見つめる。

 「さて、質問コーナー終わり。でいい?」

 「いいよ。ありがとう」

 結局、知り得たのは彼女はいない、ということだけだったが、とにかく今は一緒にいられるのだと、ほっと胸を撫で下ろした。

 「今日はどうする?」

 「遠出は無理かな。昨日の仕事でちょっと疲れた。体は大丈夫なんだけど、頭使いすぎてギブなんだ」

 「そうだね」

 晃大はソファを誠に譲り、自分はひんやりとした床に寝転がった。仰向けになりスマホで天気をチェックする。

 「んー遊びに行きたいような、ないような。でも、暑いしなー」

 ゴロゴロと左右に転げ回る晃大を、ソファで横になっている誠が見て笑っている。

 「晃大ってさ、慣れてきたらそんな感じなんだな」

なんだか猫のようで可愛いなと思うが、言えば怒るだろうから心の中に留めておく。

 「そうだ、ちょっと待って」

 誠が寝室へ行き、エアマットを持ってきた。

 「腰痛めるから、これの上に座って」

 「ありがとう。でもふわふわしてるところに横になったら、本気で寝ちゃいそう」

 「寝れば? 俺もソファでうたた寝するかもしれないから」

 「誠は眠った方がいいよ。僕のことは気にしないでいいからさ」

 晃大はエアマットにごろりと転がると、うつ伏せになり目を閉じた。

 冗談のつもりだったが、すぐに寝てしまったようで、目覚めたのは誠の「起きて」の声が耳元で聞こえた時だった。

 「ゔ……ん……あれ? 寝てた? わっ! ごめん僕寝てた!?」

 「よく眠ってたよ。俺も少し寝たけどおかげでスッキリした」

 壁掛けの時計を見ると、12時を少し過ぎている。

 「もうお昼か〜。何もしてないけど、お腹空いた気がする……」

 「簡単にパスタでも作ろうか」

 二人で作業をしていると、時に晃大が張り切り、楽しそうに色々と話しながら、手際良く作っていく。

 誠はリラックスしている姿を見るのを、この上なく幸せに感じていた。これからもずっと、日常という当たり前の空間に彼がいてくれたら、どれほど居心地がいいのだろうか。

 「うん、晃大のご飯はいつも美味しい」

 「それ、大和もよく言うんだよね。自分ではそれほど上手だとは思ってないからよく分からないけど……。多分、子供の頃から作ってれば、誰でもそれなりになるんじゃないかな」

 食べながらさりげなく言ったその言葉に、誠の手が止まった。

 「ああ、そうか……そうだよな」

 誠が知らない、ままらない生活を、晃大は苦労しながら過ごしてきた。 

 20歳で母親を亡くすまで、小さかった手で一生懸命に、生きるために繰り返してきたのだ。

 誠には、大和がどんな気持ちで、晃大のご飯を食べているのかが分かった気がした。

 「大和さんが羨ましいよ。毎日こんなご飯が食べられるんだから」

 「でも最近の大和は余計なこと言うから……」

 話の途中で急に黙った晃大の様子を、誠は不思議に思った。

 「どうした?」

 「ううん。なんでもないよ。うん。美味しい。自分で言うのもなんだけど」

 まさか誠のことをよく思っていない上に、ここに来ることを反対されているなんて言えるわけがなかった。

 「ごちそうさま」

 食後は映画を見たいという晃大のリクエストで、「幻の都アトランティスの罠」を鑑賞することになった。

 晃大はさっそく、ウェブのあらすじを見ながら説明を始めた。

 「この映画って一応戦闘系アクション映画みたいだね。アポロンやってた俳優さんが主演なんだよ。この役者さん好きだから、見ようかなと思ったんだ。アポロンってさ、カラオケに来てた誠の職場の白石さんに似てるよね。美術室にある胸像みたいで、彫りが深くて渋いというか」

 「確かに先輩は、ギリシャとかにいそうな雰囲気があるな。晃大はあんな感じの顔が好きだったんだ?」

 「俳優さんは好きだけど、白石さんは似ているだけで、好きとかじゃないよ。誠の方が絶対かっこいいと思う。俳優になればよかったのに」

 「俺は無理。だって演技が出来ないし。この間二人でセリフの言い合いしたけど、だめだったろ?」

 「あはは、そうだった」

 「じゃあ、再生するよ」

 映画が始まると、早速晃大は身を乗り出して鑑賞し始めた。 

 オープニングから戦闘シーンがあり、緊迫したやりとりが繰り広げられる。

 誠は、熱中するその姿を微笑ましく見守っていた。

 だがそれから、物語が中盤に差し掛かった頃、インターフォンが鳴った。

 誠がモニターを覗くと、知っている顔がこちらを覗いていた。

 慌てて玄関のドアを開けると、

 「お久しぶりです。荒木です」

 荒木と名乗ったその男は、愛嬌のあるやんわりとした笑顔で、頭をペコペコと下げている。

 誠はいきなり現れたその男の肩を久しげに叩き、

 「おお! なんだ、久しぶり!」

 喜びの声をあげた。

 荒木は大学の後輩で、誠が短期間だけ義理で入っていたキャンプサークルのメンバーだった。

 良く言えば前向き、悪く言えば無鉄砲、ただ気安い雰囲気で憎めないところがあり、学生時代はよく慕われていて、誠も可愛がっていた。

 卒業してからは、時々遊びに来ることはあっても、最近はあまり顔を見ていなかった。だからといって心配するようなタイプでもないのだが。

 それにしても、その服装が妙だった。グレーの半袖のツナギに首にはタオルが掛けてあり、どう見ても遊びに来た感じではない。

 「どうした? その格好」

 突然の訪問に多少驚いている誠に、荒木は焦りながら話を始めた。

 「先輩! 俺、この後一年くらいアメリカ行くんですけど、その間、家財道具を預かって欲しいんですよ!」

 「ん? って、いきなり情報が濃すぎて……で、なんで俺の家?」

 それから荒木は、身振り手振りを加えて説明を続けた。

 「えーっと、ほんとは俺の友人の家の物置小屋を、使わせてもらうはずだったんです。物置は前もって俺と友人が綺麗にして、準備は済んでたんですけど、その友人の親父さんがきれいになった物置を見て、自分の趣味の道具を置くために使うから、貸せないって言い出して……。それで他に場所を探さないといけなくて。先輩の家に一度泊まったことがあったじゃないですか? そういえばゲストルームがベッドだけで、空いてたなーと思って」

 「だったらトランクルーム借りればいいんじゃないか?」

 「いやぁ、金が無くて……」

 「じゃあ、実家に置けばいい」

 「それが、実家は喧嘩して追い出されてるんで、無理なんです。だから友達の物置を借りる予定だったわけで」

 誠は呆れてため息をついた。

 「で、俺の部屋しかないと……」

 「はい。明日アメリカに発つんで、一年くらいだったら許してくれるかなと思って」

 「明日!? いやいや、よくないよ。大体、ちゃんと一年で戻って来るって約束できるのか?」

 「はい。絶対に戻って荷物引き取ります! 先輩には迷惑かけません!」

 「でも、ちょっと待って。あの部屋、今使ってるんだよな……」

 誠は、後方で成り行きを見守っている晃大をちらりと見た。

 「僕は、別に……誠が決めたらいいと思う」

 そもそも、晃大自身も誠の家に押しかけているようなものだから、とやかく言える立場でもなく、そう答えるしかない。

 「ところで、荷物ってどれくらいあるんだ?」

 「2トントラック一台分くらいです」

 「それ、この部屋に入るのか? とにかく荷物を見てみないと、分からないな」

 「じゃあ、トラックに行きましょう」

 誠と荒木は忙しなく部屋を出て行った。

 トラックの中を覗くと、それほどいっぱいに積んでいるわけでもなく、なんとか部屋に収まるようだった。

 それから二人はまた部屋に戻り、ゲストルームで置き場所のシュミレーション をした。

 「ベッドがあると、あの荷物は入らないから、出すしかないか……。晃大、このベッド、俺の部屋に置いても平気?」

 手を腰に当て思案する誠が、申し訳なさそうに言う。

 「……うん」

 「じゃあ、荒木、荷物を入れるのは、こっちのベッドを俺の部屋に移動させてからな。手伝えよ?」

 「という事は、荷物預かってくれるんですか!?」

 「仕方がないだろ」

 「ありがとうございます!」

 「ところで、台車持ってきてる?」

 「はい! 友達と作業する予定だったんで、二台用意してます」

 「よし、荒木はトラックから台車に荷下ろし。俺はそれをエレベーターでここに運んで、晃大には荷物を部屋に入れてもらう。それぞれサポートしながら、終わらせよう」

 晃大も頷いて、いよいよ作業が始まった。

 まずは、ゲストルームのベッドを三人で誠の部屋へ移動する。

 誠の部屋も物がほとんどなくスペースは十分あるから、今あるベッドの反対の壁側に置くことにした。

 ゲストルームは掃除機をかけて床を拭き、いよいよ荷物を置く準備が出来た。

 「怪我だけはしないように」

 誠が言うと、二人は汗を拭きながら頷いた。

 ゆったりと過ごす午後が一転、夏の蒸し暑い中での搬入作業になってしまったが、こうなれば最後まで付き合うしかない。

 誠と荒木は荷下ろしのため、トラックへ向かった。

 その間一人で待機している晃大は、移動したベッドを見ながら複雑な気持ちになっていた。

 親友とはいえ、寝室というプライベートな空間まで踏み込んでいいのだろうか。やはり、眠る場所は別でないと、誠が休まらないのではないか。

 そんなことを悶々と考えていると、

 「晃大、これお願い」

 荷物が次々に運び込まれてくる。

 Tシャツも、首にかけたタオルも汗でじっとりと濡れて、外で動いている二人はさらに晃大の何倍もの汗を流しながら作業していた。

 しかし、さすがに三人での作業は早い。汗だくになりながらも、無事に荷物を運び入れることが出来た。

 すっかり物置部屋になってしまったゲストルームを前に、誠が荒木に最後の確認をする。

 「もし一年後帰って来なかったら、お前の実家に連絡して引き取ってもらうってことにするけどいい?」

 「はい、大丈夫です。それにしても、荷物きれいに並びましたね」

 荒木が、整然と積み重なった荷物を感動しながら眺めている横で、晃大はそれらを指し、

 「奥は軽め、手前は重めの物を置いて、次に運び出す時に積みやすくなるようにした。両サイドを開けて、通気と掃除が出来るように並べておいた」

 そう言うと、

 「さすが、センスいいです! あ、お礼なんですが、元々今日作業が終わったら友人と行く予定だったんで、スーパー銭湯のチケット2枚あるんですよ。もしよかったら、受け取って下さい。もちろん、きちんとしたお礼は、帰国した時に改めてさせて下さい」

 そう言って、ポケットに入れてあったチケットを晃大に手渡した。

 「ほんとにありがとね。はい、そうぞ。お兄さんと一緒に行ってね!」

 「お兄……?」

 晃大が苦笑しながら受け取ると、誠が、

 「晃大は兄弟じゃない。俺と同い年だから、お前よりも年上だぞ?」

 「そ、そうだったんですか!? なんか先輩が凄い気を使ってたんで、てっきり弟さんだと。高校生くらいかなと思ってました。あ、いい意味で、ですよ? ほら、可愛いし、いいなーって……」

 荒木は慌てて取り繕うが、言えば言うほどフォローにならない。

 「もういいよ。チケットありがとう。「お兄ちゃん」と一緒に行くね」

 晃大はふざけて無邪気なピースをして見せた。

 「あはは。なんか、すみません……。じゃあ、俺そろそろ行きます。トラックも返さないといけないし、明日の準備もあるんで。先輩、本当にありがとうございました! また一年後に!」

 「ああ、気を付けて行って来いよ。何か困ったことがあったら、連絡して」

 「もう先輩最高です! それじゃ!」

 トラックが去り、ようやく労働から解放された二人は、リビングの床にへたり込んだ。

 「……疲れたね。汗だく」

 晃大は冷たい床に背中を押しつけた。

 「とりあえず、シャワー浴びようか?」

 誠が起き上がり、汗で濡れたTシャツを脱ぐ。

 すると晃大が、荒木に渡されたチケットをひらひらと見せながら、

 「だったら、このままスーパー銭湯に行かない?」

 「うーん、それはまた今度にしようか。さすがに疲れた……」

 「うん、そうだよね。誠、頑張ったからね」

 少しだけ残念そうな様子に、誠は心の中で「ごめん」と謝った。

 晃大とだったら物凄く行きたいに決まっている。しかも一緒に広い風呂に入れるなんて、誠にとってはまさに夢のようなチケットだ。

 だが、晃大は二人で風呂に入る意味を、悲しいくらいに何とも思っていない。 

 それでいいと諦めていても、寂しいことには違いなかった。

 「先に汗流したら?」

 「うん、ありがとう。そうする」

 すぐに晃大がざっとシャワーを浴びに行き、入れ替わりで誠が浴室に入った。

 晃大は濡れた髪をタオルで拭きながらソファに座り、なんとなくクマを抱いて、ぼうっとしながら誠が戻るのを待っていた。

 家主が決めたのだから、自分は何も言えない。

 しかし、使っていた部屋に荷物が入った事で、なんとなく、居る場所が無くなったような気がしていた。

 ドライヤーの音が聞こえて、しばらくすると止まった。戻ってきた誠が、乾ききっていない晃大の髪を見ると、

 「あれ? 濡れてるけど平気?」

 心配そうに聞いてきた。

 「ああ、うん。もう半分乾いてきたし大丈夫」

 「そうか。あのさ、荒木のことだけど、驚いただろう?」

 「まあ……うん。部屋のことなんだけど、僕、泊まるの止めようかな」

 「え、なんで!? 俺と一緒の部屋、やっぱり嫌だった?」

 「違う違う! 寝室が一緒だと、誠が疲れちゃうんじゃないかなと思って。僕のせいでゆっくり眠れないと困るなって……」

 「平気、眠れるよ。晃大は? やっぱり一人がいい?」

 「僕は大丈夫……だと思う。誠とだったら」

 「一緒の部屋で寝ようよ。俺は一緒がいい」

 「そう言ってくれるなら、うん……そうする」

 「よかった。安心した」

 ほっとした誠が、晃大の抱いているクマの手を握りぶんぶんと振りまわした。

 荒木が来て荷物を見た時は、どうなるかと思ったが、結果、晃大の使っていたベッドが誠の寝室に移動した。

 突然舞い込んだ幸運に、誠は本当は、安心どころか叫びたいほど嬉しかった。

 にっこりと笑う誠に、自分が思うよりも、嫌がっていないと分かり、晃大は気が楽になった。

 ソファの端に座った誠が、

 「映画の続き見ようか? 気になるだろ?」

 「それがさ、内容が思ったのと違うような気がして。初めは良かったんだけど……」

 「どうした?」

 「アポロンが途中からヒロインとイチャイチャし始めて、戦闘が適当になってつまらないっていうか……」

 「ロマンチックな方が、映画的には盛り上がるから仕方がないんじゃないか?」

 「……それは分かるけど、でも、誠が続き見たいなら、見るよ」

 「だったらもういいよ。俺も人のイチャイチャ興味ないから」

 「それじゃ、終わり! アポロンまたね〜!」

 「ファンだって言ってた割には、切るの早すぎ」

 だが誠にしても、これでよかった。イチャつくシーンが多ければ、気まずい雰囲気になるのは目に見えている。

 テレビの電源を落とし、ふと窓の外に目をやる。空はいつの間にかオレンジ色に染まっていた。

 「もう夕方か。さすがに晩飯は作れる気がしないから、車で食べに行く? 酒は飲めなくなるけど」

 「シャワーしちゃったし、お酒臭くなるの嫌かな。それに今日は酔いたくない」

 「だったら少し歩いたところに、テイクアウトのハンバーガーショップがあるから、買い出しに行ってくる」

 「僕も行く。一緒に行こうよ」

 二人は部屋着にサンダルのラフな格好で出かけた。

 蒸し暑い夕暮れの中、時々セミの声が聞こえてくる。

 買い物を済ませ、家に戻った頃には、もうだいぶ暗くなっていた。

 「いただきます」

 早速ハンバーガーにかぶり付く晃大に続いて、誠も同じように口にする。

 「うっま〜!」

 とろけるような表情で、晃大がもぐもぐと口を動かせば、誠も弾力のあるパティと新鮮なレタスの食感、舌に絡むソースを味わった。

 「ソースが口の端についてるよ。お好み焼きの時も同じことしてたな、そういえば」

 誠が笑って、ポテトを摘んで口に入れた。

 すると、次の瞬間あっと声を上げて、長めのポテトを一つ摘み、それを晃大の口元に持っていった。

 「はい、これ。「あーん」ってやってみたかったんだ。食べてみて」

急に言われた晃大は戸惑うも、咄嗟に差し出されたポテトを、パクッと口に入れた。

 「……何これ。は……初めてやった。うわっ、恥ずかしい……!」

 「大和さんとはしたことないんだ?」

 「あるわけないじゃん!」

 耳まで真っ赤になり、ソファに転がっていたクマの手を持ち、誠をボコボコと叩きまくる。

 「誠のバーカ! バーカ! もー何すんだよー!」

 しかし、誠は叩かれるほど嬉しそうに笑っている。

 「だったらお返しに俺にもやっていいよ」

 「……絶対にやらない!」

 そして真っ赤な顔のまま、ドリンクのストローを咥えた。

 誠はというと、それほど恥ずかしいことをした感覚がないのか、平気な顔でポテトを食べ続けている。

 (なんだよ。僕だけ恥ずかしがって馬鹿みたいじゃん……)

 誠にとっては、いとこの子供達にいつもやっていて、それほど特別な行為ではないが、晃大は初めての経験だ。半分やけになりながら食べていたが、それでも満腹になるとどうでも良くなった。

 テーブルの上を片付けながら、誠がお腹をさする。

 「手作りの店で近所にあったのは知ってたけど、初めて食べたよ。こんなに旨いなんて、もっと早く行けばよかった」

 「美味しかったね。誠の家に住みたいよ。そうすれば毎日食べられるから」

 「いいよ、住んでも。なんなら今日からでも」

 「え? 冗談だよね?」

 「ううん、本気。うちに引っ越してくればいいのに」

 「いや、さすがに、それは……」

 突然の誘いに晃大が躊躇していると、誠は立ち上がり、書棚にある小さな箱の中からある物を取り出し、それをテーブルの上に置いた。

 「鍵……?」

 晃大はその鍵を持つと、戸惑うような目をした。

 「昨日残業で泊まれなかっただろ? その時に思ったんだ。鍵があれば、晃大だけでもここへ来られたのにって。引越しは無理でも、好きな時にうちに来れるだろ?」

 「でも、そんな……いいの?」

 「もちろん。受け取ってくれる?」

 「嬉しいけど……もし誠が帰った時に、寝ちゃってたらどうしよう」

 「あはは。いいよ、寝てても」

 「じゃあ、一応、預かっておこうかな……」

 気のない素振りで受け取ったが、本当は嬉しかった。信頼されているのだと思うと、少しだけ得意な気分になる。

 「さてと、今日は疲れたし、もう寝ようか」

 誠は寝室へ行きエアコンを入れた。冷えるまでの間、歯磨きを済ませ、それぞれのベッドに入る。

 明かりをダウンライトだけにし、調光は最も暗めにした。向かいの壁側のベッドに横になる晃大の、姿は分かるが、表情までは見えなくなる。

 「どう、眠れそう? もう少し明るくしようか?」

 聞くと、

 「このくらいがいいかな」

 眠そうな声が返ってきた。

 「もし何かあれば、俺が寝ていても声をかけて。それじゃあ、おやすみ」

 「ありがとう……おやすみ」

 静かになった寝室で、誠が晃大の方へ体を横にする。晃大はというと、反対に壁に向いて寝ているようだ。しかし寝姿が見えるだけでも違う。やはり同じ空間で眠るのはほっとする。

 鍵は、元々渡すつもりだったが、まさか同室で眠るようになるとは思ってもいなかった。

 荒木の荷物を見た時は、どうなるかと慌てたが、だがこれで二人の距離は物理的にかなり近くなった。

 あとはこのまま良好な関係を維持しながら、彼の心の警戒を少しずつ解いていければ……。

 それにしても、具体的に何をすればいいのか、あとどれくらいの時間が必要なのかが全く分からない。 

 初めの頃のように、晃大のペースに任せて、自分は見守る側に回れば、それほど焦る必要はないだろう。

 しかし、途中から好きだと気づいた今は、もっと深く関わりたい気持ちになっている。

 手を伸ばせば届く距離にいる愛する人が、世界で一番遠い存在という現実をなんとか変えたい。

 明日はどうなるだろうか。

 もしもこのまま、永遠に触れられなかったら……。

 それでも、同じ場所で眠れる幸せは、自分だけのものだ。

 (……晃大がいい夢を見られますように)

 焦る気持ちを抑え、誠は、祈りながら目を閉じた。

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