9 パーティー

 トゥルル・トゥルル

 「んー、ぬぅ……ん……」

 今朝は目覚ましを5分おきにセットしていた。

 絶対に遅刻したくない、特別な日。

 そう、今日は誠の誕生日会、その日だ。

 前日に仕事で少し疲れていたせいもあり、起き上がれるまでごろごろとベッドの上で何度か転がる。

 (もう少し……でも、起きないと……ああ、ねむ……)

 やっとベッドから出て、寝ぼけたまま洗面所へ行くと、大和が髪をジェルでセットしている最中だった。

 「ふぁああ…… あれ? 今日どこか行くの?」

 「ん? 美晴とデート」

 「ふーん……」

 美晴というのは、大和よりも三歳下の結婚を前提に付き合っている恋人だ。

 二人は付き合ってかなり経つが、今のところ結婚前に同棲をする予定はない。大和は一度くらいはと考えたが、晃大のことが心配で結局実現しなかった。

 美晴も、結婚してしまえば嫌でもずっと一緒だからと、同棲はそれほど興味がないようだった。

 割と細かい大和とは違い、美晴はあっけらかんとしている。無駄に悩むよりもまず行動するというしっかり者で、大変に明るく嫌味がない。

 いつも上から目線で晃大を子供扱いしている大和だが、美晴の前ではまるで頭が上がらず、父親の義行は「お似合いだな」とベタ褒めだった。

 大和がせっせと支度をしている間に晃大も顔を洗い、着替えて着々と準備をしていく。

 大切なプレゼントを持ち玄関へ向かうと、大和がちょうど靴を履いたところだった。

 「なんだ、今出るのか? 俺も出るから、送ろうか? どうせ、あいつのところだろ?」

 「いいよ。住所教えたら、邪魔するから」

 「ったく……わかった。じゃあ、最寄りの場所まで送るから、それでいいだろ? さ、いくぞ。遅れると美晴うるせーから」

 「じゃあ、ケーキ屋さんの前で降ろして」

 「わかった」

 その頃誠は、簡単なオードブルを作っていた。

 酒はとりあえずキンキンに冷やして、テーブルには出来た順に料理を並べていく。

 ケーキは晃大が買ってくるというので、甘えることにした。

 それから今回は晃大のために、サプライズを用意してある。

 「きっと驚くだろうな……」

 ナイフやフォークを置きながら、つい頬がゆるんでしまうほど、晃大の反応が楽しみ過ぎて仕方がなかった。

 そして、そのサプライズがもうそろそろやってくる時間だった。

 「ピンポーン」

 約束の時間丁度にチャイムが鳴り、誠がモニターを覗くと、そのサプライズが満面の笑みでドアが開くのを待っている。

 「いらっしゃい。さ、入って」

 にっこりと手招きすると、

 「会いたかった〜!」

 美しく着飾った綺麗な人は、誠の首に腕をまわし、頬にキスをした。

 「いきなり? まあいいや」

 「おじゃましまーす」

 それから、その綺麗な人はさっそく、誠の左腕を独り占めしながらリビングへ入っていった。

 その頃晃大は、洋菓子店の前で車から降ろしてもらい、予約していた誕生日ケーキを受け取っていた。

 二人だから、一番小さいホールケーキにしたが、それでも思ったよりも大きく感じる。

 商品を手渡された時に、レジ横にある2と7の数字のろうそくを追加で買い誠の家へ急いだ。

 マンションまで急いで歩き、蒸し暑さで滲む汗を気にしながらインターフォンを押すと、誠がすぐにドアを開けてくれた。

 「これ……冷蔵庫に……暑いから溶けちゃうと思って」

 息を切らせながら、ケーキの箱を渡した晃大は、涼しさを求めてリビングへなだれ込んだ。

 「あー、ここ天国ぅー」

 汗で張り付くリュックを下ろし、それからダイニングテーブルに並ぶ誠の美味しそうな力作を見つけて声を上げた。

 「おいしそう! 実は、誠の料理たくさん食べるために、朝ごはん抜いて来たんだ」

 「じゃあ、お腹空いているよな? そろそろ始めようか?」

 「うん! あ、今日は主役なんだから座って!」

 そう言って振り返ると、誠がすかさずエプロンを外しながら、爽やかな笑顔で呼び寄せた。

 「その前にいいかな。俺からサプライズがあるんだ。そこに座って待ってて」

 「僕に?」

 機嫌良く頷いて、慌ただしく自分の寝室へ入った誠は、サプライズの手を引いてリビングに戻ってきた。

 誠にエスコートされ姿を見せたのは、ノースリーブにスリットの入ったロングスカート、ゆるいウェーブの髪を肩で整えた長身の女性だった。

 その堂々とした姿はまるでモデルのような雰囲気で、晃大の目の前に立つ。

 だが、肝心の顔が、広げた扇子で隠されていて見えなかった。

 晃大は、今日は誠と二人きりだと思っていた。

 まさか他に来客があるとは想像もしていなかっただけに、この状況を理解できず、唖然としていた。

 それから誠は、もったいぶるように尋ねた。

 「誰だかわかる?」

 もちろん、今まで会ったことも、見たこともない人だ。

 しかし、サプライズというからには、特別な人には違いない。

 もしかして、誠の彼女なのだろうか。

 そう思った途端、鼓動が急に騒がしくなった。

 晃大は今まで、彼女の存在を全く気にしていなかった。誠なら、いて当たり前だろうし、親友だから紹介するのは普通なのだろうが……。

 (でも、どうしてがっかりしているんだろう……。なんだか悲しくなってきた……)

 不安になった晃大は、誠に助けを求めるような視線を送った。

 だが誠は、そんな彼の戸惑いには全く気づかずに、

 「答えは……」

 上機嫌で、その人の扇子を勢いよく取り上げた。

 「私だよ、私。アキ君、久しぶり!」

 晃大は一瞬、何が起きているのか分からなかった。

 目の前でにこやかに微笑むその人の声は、男性のものだったからだ。

 「忘れちゃった? 卒業してから会ってないもんね〜」

 「も、もしかして和馬……和君……!? わあぁ、びっくりした! 久しぶり! 卒業して以来だよね? でも、どうして? 女の人になった……の?」

 「女装だよ。ほら、昔から趣味でやってたじゃん私。綺麗でしょ?」

 和馬は晃大の前でぐるりと回り、様々にポージングして見せた。スリットからチラリと覘く美しく長い足は、思いがけず艶っぽく、目が釘付けになってしまう。

 「驚かせてごめん。和馬が晃大と幼なじみだって知ってたから、連絡したんだよ。和馬もずっと会ってないから会いたいって。それで来てもらった」

 サプライズが無事に成功してほっとした誠は、扇子をたたみながら和馬の肩に手を置き、にっこりと笑った。

 「なんだ、そういうことか。和君、元気そうでよかった」

 (よかった。彼女じゃなくて、ほんとによかった……。よかった? あれ? なんでそんな風に安心してるんだろう……)

 「アキ君も昔と変わらず可愛いね」

 和馬は晃大にウィンクをし、

 「さて、感動の再会も済んだことだし、乾杯しようか!」

 元気でいつも笑顔だった昔そのままに、明るい声で手を叩いた。

 誠もそれに頷き、グラスを二人に手渡し、それぞれにビールを注いで歓迎の挨拶を始める。

 「本日は、俺のためにありがとうございます。目一杯楽しんで下さい。乾杯」

 「かんぱーい!」

 グラスを合わせた和馬はさっそく、懐かしげに晃大に声をかけた。

 「それにしても、二人がこんなに仲良くなってるなんて、知らなかった。高校の頃、一緒にいるのほとんど見たことなかったからさ」

 すると、誠は優しい眼差しを晃大に送った。

 「少し前に偶然会って、それから遊びに行ったり飲みに行ったりしているよな?」

 「そうなんだ。高校の頃よりも仲良くなったよ」

 「ふーん。仲良いんだ」

 二人の顔を交互に見ながら、意味あり気にふふっと笑った和馬は、ふんわりと髪をかき上げた。

 「でもアキ君は本当に変わらないね。びっくりするくらい、そのまんま。私なんか、どんどんおば……おっさんになるし嫌だよ、もぅ〜」

 「僕は年相応に変わりたいけどね、でも諦めた。和君は綺麗になったよね。いつもそんな感じ?」

 「私? まあ、普段は男やってる。時々女に戻ってストレス発散したりして。こっちの方が素に近いかな。でもどっちも私だからね。アキ君も慣れてね」

 両手でハートマークを作り、和馬はゆっくり足を組み直す。ビールを飲み、唇についた泡を舌でぺろりと拭う仕草に、少しどきっとしてしまった。女装だと言いながら、和馬の仕草は女性のように振る舞うために、あまりじろじろ見てはいけないような気になってしまう。

 それから晃大と和馬は、会わなかった間の出来事や、お互いの近況、誠との再会時の様子などを話して笑い合った。

 「え〜、救急車で? じゃあ、誠がそこを通りかからなかったら、私達はこうして会うこともなかったってわけだ。凄い偶然というか、運命だね」

 「……運命か。実際俺は運がいいと思うよ。あれから一緒に過ごせて本当に幸せだよ」

 誠は嬉しそうに頷き、目を細める。

 だが晃大は、その視線が照れくさく、すぐ目を逸らし立ち上がった。

 「そろそろケーキ食べようよ。僕がセットしていいかな」

 ぎくしゃくしながら、冷蔵庫からバースデーケーキを取り出し、2と7のろうそくを立てて火をつける。

 「いい? 歌うよ?」

 晃大が合図を出すと、和馬も立ち上がり、誠に向かい歌った。

 そして、賑やかに歌い終えると、

 「ハッピーバースデー、誠!!」

 盛大な拍手の中で、誠はろうそくを吹き消した。

 「ありがとう」

 「喜んでもらえてよかった」

 ケーキを三等分にし、一番大きめのをチョコプレート付きでお皿に盛り、それを一口食べた誠がとろけそうな顔をする。

 「ん? マロン風味なんだ、おいしい」

 「好きな味でよかった」

 晃大はほっとして、誠がおいしいと言う度に何度もにっこり頷く。こうして一つずつ好みを知るのは、宝探しのようだと思った。

 それから皆すっかり食べ終えて、紅茶を飲みながら歓談していた時だった。

 「ピンポーン」

 突然、インターフォンが鳴った。

 誠はモニターを確認すると、晃大と和馬に、

 「ちょっと待ってて」

 と、言い、玄関へ向かった。

 残された二人は何事かと気にするが、とりあえず誠に任せて、再び話を続けた。

 「でもさ、アキ君ほんと誠に愛されてるよね〜」

 「ん?」

 「あれ? もしかして、言ってないのかな、あいつ……」

 和馬は首を少し傾げて、独り言のようにぼそぼそと呟く。

 「何?」

 「ううん、なんでもない」

 「本当によくしてもらってる。でも、時々やっぱり迷惑かけているんじゃないかって考えてしまって……」

 「うーん。誠って、いつもどんな顔してんの?」

 「笑ってる。ずっとにこにこしてる」

 「楽しそうなんだ? だったら迷惑だなんてないよ」

 「そう思っていいのかな」

 「だね」

 和馬は軽くウィンクをして、残りの紅茶を飲み干した。カップを置き、晃大の顔を見ながら何かを言おうとして一度目を閉じ、そしてこんなことを口にした。

 「あーもう、言っちゃお! 高校の頃さ、私、誠に告ったことあるんだよね」

 「そうだったんだ!?」

 「でも、惨敗! 気になる人がいるから〜って、見事に砕け散って。このヤローって思ったけど、今はほっぺだったらキスさせてくれるから許してやってるけどね」

 「そっか……でも、キス出来てよかったね」

 「は〜? ちょっと、ここ妬くとこ! もー、何のためにフラれた話したと思ってんの〜」

 「そんな、やきもちなんか……少しは理解してくれているのかなと思うと、それだけで十分なんだ」

 「まあ、誠はしっかり受け止めるからね、誰のことも」

 「うん。本当に感謝してる。こうして和君にも会えたし。新しいことは大変なだけだと思ってたけど、誠のおかげで楽しいと思えるようになった」

 「それが、愛されるってことじゃない? 私もアキ君を愛してるよ」

 「ありがとう。僕も和君のこと、あ……あの……」

 照れて言葉がなかなか出ない晃大を、和馬は優しく見守る。

 「ところで、誠、遅くない?」

 いつまでも戻らない誠を気にして、和馬は玄関へ探しに行った。

 しかし、誠は玄関にも外にも見当たらない。

 リビングに戻った和馬は、不思議そうに腕組みをし、首を傾げた。

 「どこ行ったんだろうね……」

 それからしばらくして、やっと戻った誠が、

 「ごめん、このマンションで電気系統のトラブルがあったらしくて、管理人さんの話を聞いてた」

 と、簡単な状況説明を始めた。トラブルと聞いて、和馬が心配そうに、晃大と顔を見合わせる。

 「そう……大丈夫なの?」

 「とりあえず、業者が来て作業はしているみたいだけど、今のところこの階は直接は関係ないみたいだ」

 「だったらいいけど。それじゃあ、誠も戻ったことだし、気を取り直して、プレゼントの贈呈初めまーす」

 和馬の合図で、晃大は用意していたプレゼントを誠に手渡した。

 「気に入ってもらえるといいけど」

 受け取った誠は早速丁寧に梱包を剥がし、箱の中からガラス製のコーヒードリパーセットを取り出し、大切そうにテーブルに並べた。

 「嬉しいよ! すごくきれいだ」

 「喜んでもらえてよかった。あともう一つ。トルコブルーのマグカップなんだけど」

 「きれいな色だな、毎日これで飲むよ、ありがとう」

 「ほんとおしゃれ! アキ君センスいいね。じゃあ、私からはこれ! メンズ用高級美顔フェイスパック! 誠もそろそろお手入れしないとね。あと、バブルバスとアロマキャンドル、どっちも限定品。定番だけど、お風呂で使ったらロマンチックだよ〜」

 「へ〜、パックなんて、自分では絶対に買わないから、面白そうだな」

 誠はパッケージの裏の使い方を、興味深げに読んでいる。

 「ちなみに、お風呂上がりが効果的。なんだったら、今やっちゃう!? パックしている誠の顔見てみたーい」

 「いいよ、いいよ。一人の時やるから」

 「なんでよ、こういう時にやらないと意味ないでしょ! あ、アキ君もやってみて〜! もっと可愛くなるよ〜!」

 言いながら、和馬は誠の手からパックを取り上げ、中を出して広げた。

 そして、まずは嫌がる誠の顔に、強引にぴったりと貼り付けてしまう。

 「あ、いい感じ。あれ? でもなんだか、どこかで見たことある……あ、髭の無いアノニマスっぽくない?」

 和馬がクスクスと笑い出し、つられて晃大も笑い出した。

 「なんだよそれ」

 「次、アキ君も、ほら、つけてみて!」

 「僕はいいよ」

 手を振って断る素振りをしても、和馬は問答無用でパッケージをビリビリと破き、差し出してくる。

 「じゃ、じゃあ……」

 強気な和馬に押し切られ、しぶしぶ自分でパックを伸ばしてみた。初めてつけるが、思ったよりも冷たくて気持ちがいい。

 「どう? ちゃんとついている?」

 「あー、アキ君はお稚児さんっぽいかな、可愛いよ!」

 「なんか、褒められてる感じがしない……」

 可愛いと言われ、拗ねて口を尖らせたが、内心は面白いと感じていて、まんざらでもなかった。

 「次! 写真撮るよ〜、はい、二人とも顔近づけて!」

 「えっ、このまま撮る!?」

 誠が焦りながらも、なるべく晃大へ顔を寄せると、和馬がシャッターを押した。

 「はい、二人とも超イケメンだよ〜!」

 ケタケタと笑いながら、和馬が二人のスマホに写真を転送する。

 さっそく写真を確認した誠が、

 「いやこれ、誰か分からないだろ」

 と、晃大に見せて笑っていると、和馬はショルダーバッグを肩にかけ、誠の背中を軽く叩いた。

 「あ〜、楽しかった〜! さてと、私は帰るね」

 「もう?」

 「ごめんね。夕方から行くところがあるの。今日は呼んでくれてありがとう。久しぶりにアキ君と誠に会えてよかった。見送りはいいよ、またね!」

 「来てくれてありがとう。また今度」

 「和君、僕も会えてうれしかった」

 和馬は二人に投げキッスをして、あっという間にリビングから出て行ってしまった。

 「帰っちゃったね……」

 「あいつ一人いるだけで、賑やかさがまるで違うな」

 パックを付けたまましんみりとする二人だが、お互いの姿を見て、その寂しさもすぐに吹き飛んだようだ。

 「もういいんじゃない? 取ろうよ」

 まずは、晃大がパックを剥がし、自分の頬を触ってみる。 

 気のせいか、多少は効果があったような、そうでもないような、よく分からない。

 しかし、誠はその変化に気付いた。

 「あれ? すごくつやつやになってる」

 言いながら、興味津々で、至近距離で顔を見ようとしてくる。

 まるで珍しい物を見るように、右から左へと肌を観察された晃大は、

 「もういい?」

 誠のくすぐったい視線を手で遮って、キッチンへ逃げてしまった。

 「ごめん、ごめん、戻ってきて。ほら、貰ったバブルバス、お風呂に入れてみようか。ローズの香りか、ラベンダー系か、どっちがいい?」

 誠はパックを剥がしながら、さりげなく、泊まることを前提に声をかけてみる。

 少し強引でも、目的のためならば、使える理由は利用するしかない。

 「誠が好きなのにすればいいよ」

 「風呂入ってみる? だったら今日はもう泊まれば?」

 「あーでも着替え持ってきてないし、どうしようかな……」

 「俺の貸すよ。だから、な?」

 「いいの? んー、なら泊まる!」

 今回もすんなり受け入れてくれて、ほっとした。

 「少し早いけど、お風呂に入れてみようか? 俺が泡作るよ」

 「いいよ、僕が作る。誠のお祝いなんだから」

 ピンク色のボトルを開けて香りを確かめた晃大は、バスルームへ入り、浴槽にボトルの液を遠慮なくドボドボと入れた。

 それから勢いよく温水シャワーを当てると、一気に泡が膨れ上がる。

 背後からその様子を眺めていた誠は、泡に触りながら、

 「おお〜、あわあわだ〜」

 珍しく子供のように、はしゃいだ声を出した。

 その様子が晃大には新鮮だった。

 そうこうしているうちに、泡が雲のようにどんどん膨らんでいく。

 「出来た! 誠、入って! 主役なんだから、ほら、泡が消えちゃうから早く!」

 「分かったから、そんなに急かすなって……!」

 誠はなるべく急いで体を洗い、泡に浸かった。もっと優雅なものを想像していたが、入るまでが慌ただしく、よくあるCMのような雰囲気にはならないものだなと苦笑する。

 一度リビングで待機していた晃大が戻り、浴室のドアを開けて、

 「どんな感じ? 面白い?」

 と、声を弾ませて聞いてきた。

 「うーん、これは入るよりも、見ている方が楽しいのかもな。来てみて」

 晃大を呼んだ誠は、大量の泡を顎につけたり、鼻につけたり笑わせる。

 それから晃大は、湯船に手を入れバシャバシャと泡を立てて、誠の首や肩にさらに泡を盛ることを楽しんだ。

 ひとしきり遊んだ後、誠が、

 「俺はそろそろ出るから、次入って」

 と、浴室から出て、入れ替わりに晃大が入浴することになった。

 体を洗うシャワーの音が消えた時、今度は誠が、

 「入っていい?」

 脱衣所から、浴室に向かって声をかけたが、返事が聞こえてこない。

 「おい、まだか?」

 気のせいかと思い、もう一度声をかけたが、やはり返事がない。

 「大丈夫か? 入るぞ」

 何事か起きたのではないかと焦り、すぐに浴室のドアを開けた。 

 だが、浴室に姿が見あたらない。

 「晃大……?」

 浴槽を見ると、泡の中に頭が埋もれているように見えた。誠はまさかと思い、慌てて手を伸ばした。

 次の瞬間、

 「ぷはぁー!」

 湯船の中に潜っていた晃大が勢いよく頭を出し、泡まみれの顔を手で拭きながら助けを求めてきた。

 「泡が……目が痛い、誠、シャワー貸して……!」

 「おい、何やってんだよ!」

 そして、シャワーで顔を流してもらい、目が開けられるようになった晃大は、

 「へへへ、びっくりした?」

 全く悪びれる様子もなく、楽しげな表情で笑顔を見せてくる。

 これには誠も、怒るよりも先に安堵で長い息をつき、浴室の床に座り込んでしまった。

 「驚いたよ……泡で滑って頭打ったのかと思って……。もう、やめてくれよ、こんなこと」

 「でも、誠だってサプライズ仕掛けたじゃん。そのお返しだよ」

 「やりすぎだって。ほんとに心配したんだから」

 「それなら僕だって……。和君が顔を隠して現れた時、本気で誠の彼女なんだと思ったんだよ。別に彼女がいても僕には関係ないのは分かってるけど……。でも、これから会える時間が減るのかなと思ったら、なんだか、その……」

 「驚かせたのは謝るよ。でも、関係ないなんて言うなよ。こんなに一緒に過ごしているのに」

 「……うん、そうだよね、ごめん」

「本当に、何ともなくてよかった。じゃあ、ゆっくり入って。あと、潜るのは絶対禁止だからな」

 よろよろと立ち上がった誠は、念を押して浴室から出て行った。

 それから、ソファにどっと腰をかけ、深い息をつく。

 少し気持ちが落ち着くと、なんだか可笑しくなった。

 晃大は、誠が持っている彼のイメージをいつも覆す。

 遊園地のジェットコースターに乗りまくったり、SF映画が好きだったり、そして風呂に潜って人を驚かせる……。

 いつも呆気にとられるが、愛嬌のある行動にぐっと心を惹きつけられ、憎めないどころか、その純真さを守りたい気持ちでいっぱいになるのだ。

 脱衣所で忙しない音がしてすぐ、晃大がリビングへ駆け込んできた。

 「さっきはごめん。ほんとに、ごめん! よく考えたら、子供みたいだよね、あんなことするなんて……反省してる」

 髪も乾かさず、誠の部屋着をぶかぶかに着て、必死に手を合わせてくる。

 許すも許さないもない。愛くるしいその姿に、自然に笑みが湧き上がる。

 「もういいよ、また映画でも見る?」

 「うん」

 「やっぱりSFがいい? それともファンタジー? ありえない設定というところはSFと似ていると思うけど」

 「誠が見たいのでいいよ。ただ……」

 「ただ?」

 「泣くのは嫌なんだ」

 「……分かった。笑えるのにしよう」

 晃大がS Fを好む理由の一つが、泣かずに済むからというのは、思ってもいなかった。やはり彼には泣ける場所が必要だった。

 誠は、晃大が安心して感情を出せる場所を作るのが、自分の使命なのだと再確認した。

 「そうだ、この前見たSF映画のリターンズ編パート2将軍の逆襲、あれはまだ見てないだろ? それにしようか?」

 「そうだった。それにする!」

 「よし、決まり」

 二人はソファの端と端にそれぞれ座り、早速映画を見始めた。前回と違うのは、晃大があぐらをかいてソファに座っていることだ。リラックスしてくれているのだと、ほっとする。

 映画が中盤に差しかかってくると、晃大はよりストーリーに没頭した。

 緊迫するシーンでは、口をぐっと閉め、クッションをぎりぎりと抱きしめる。

 晃大が映画に夢中になっている間は、誠は安心して彼を見ていられた。

 ところが、ここで予想外のことが起こった。

 突然、部屋の電気がブツッと消えたのだ。

 「停電……?」

 誠はすぐに、昼間の電気系統のトラブルが関係していると理解した。

 あの時管理人は、もし停電が起きた場合、解決には時間がかかる可能性があるとも言っていた。

 とりあえずスマホのライト機能を使い、それから明かりを確保するために、和馬がプレゼントしてくれたキャンドルを使うことにした。

 「びっくりしたね」

 「昼間の話だと、もしかしたらマンション全戸の停電もあるかもしれないって言ってたから、いつ復旧するかは分からないだろうな」

 「そっかー。映画の続き気になるけど、しょうがないか」

 「またうちに来て見ればいいよ」

 「うん、ありがとう。それにしても、勇者アポロンかっこよかったな〜。仲間を助けるために、一人で空母に突入するところは鳥肌だったよ。カマキリ将軍の手下達に囲まれた時『俺が貴様らを殺す!』これは最高だった」

 晃大は立ち上がり、セリフを言いながら、誠に剣を振る素振りを見せた。ところが誠は、

 「いや全然違う。もっとドスが効いていたよ」

 笑いながら、晃大に軽くダメ出しをした。

 「『俺が貴様らを殺す!』こう?」

 声をなるべく低く睨みを利かせながら、もう一度晃大が言ってみる。

 「んー、なんか可愛い過ぎるんだよな。もっと『俺が貴様らを殺す!』こんな感じ」

 「『俺が貴様らを殺す!』」

 「あははは、だから可愛いんだって。晃大にドスは無理だよ」

 決して悪気はなく軽く笑っただけだが、晃大はそれが面白くないようだった。

 「だったらあれやってよ。カマキリ将軍が自分だけ逃げる時のセリフ『おい、家来どもよく聞け。私が愛しているのは、私だけだ』」

 「やだよ、そんな超俺様なセリフ」

 「いいから。やってみてよ」

 「……分かったよ。『おい、家来どもよく聞け。私が愛しているのは、私だけだ』」

 「違う、優しすぎ。もっと自分さえ良ければいいって感じ出して」

 「ええー?」

 わけも分からず演技をする誠をじっと見つめて、晃大はセリフを待っている。

 「ちょっと待って。カマキリ将軍の気持ちなんか分からないから無理だって」

 「だめ。誠なら出来る!」

 珍しく晃大が意地悪な物言いで、試すように見てくる。

 いつもは目を合わせても、すぐに他所に目をやるのに、今はじっと見つめて視線を外さない。

 仕方がなく、誠は晃大の目を見たまま、セリフを続けようとした。

 だが、真っ直ぐこちらに向けられる、キャンドルの儚い明かりに照らされた瞳に、なぜか徐々に吸い込まれそうになっていく。

 「『おい、家来どもよく聞け。私が愛しているのは……愛しているのは……』」

 (あれ……待て。俺は、何を言おうとしてるんだ……?)

 セリフの言葉に、心を揺さぶられる。

 はっとし、その時初めて、誠は晃大の視線から目をそらした。

 「なんだよ、ちゃんとやってくれないと!」

 途中でセリフを諦めた誠を笑いながら、晃大はクッションを彼にポンと投げつける。

 「……降参。カマキリ将軍にはなれなかったよ」

 急に元気がなくなった様子に、心配になった晃大が顔を覗き込んだ。

 「……どうかした?」

 「なんでもない。そろそろ寝ようか。色々と動いて疲れただろ?」

 「ううん、楽しかった。誕生日が祝えて嬉しかった」

 「こちらこそありがとう。あ、電気まだ復旧してないし、何かあると困るから、寝室のドアは開けて寝ようか」

 「そうだね。もうキャンドル消すね」

 「OK」

 二人はそれぞれ寝室へ移動するとカーテンを開け、月明かりを部屋の中に入れた。

 誠が寝室の中から、隣の部屋の晃大に声をかける。

 「おやすみ」

 彼も、同じように「おやすみ」と返した。

 それから、一度は疲れのために眠った誠だったが、夜中に目が覚めた。

 時計を見ると、午前1時だった。

 喉が乾き、暗がりの中キッチンに水を飲みに行く。

 その時、冷蔵庫のモーターが動いているのに気がついた。どうやら無事に復旧したようだった。

 寝室に戻る前に、念のため晃大の部屋を覗いてみる。

 少しだけ蒸し暑いために、布団を抱き枕代わりに腕に挟み、パジャマの袖を肘までめくりあげ、横を向いている。

 俯き寝息を立てる、その無防備な顔を見つめていると、止めようのない愛しさが湧き上がってくるのを感じた。

 (なぜだろう、目を離したくない。ずっと見ていたい気持ちになる……)

 その瞬間、騒がしく高鳴る胸の音と、触れたいという欲求が体全体を支配していくのを覚え、とっさに心にブレーキをかけた。

 そしてこの時、ようやく誠は確信する。

 (ああ、そうか、やっぱり俺は、晃大が好きなんだ……)

 恋をしていると、はっきり自覚した瞬間だった。

 この感情の始まりは、いつからなのだろうか。ずっと以前のような気もするが……。

 高校の頃、晃大が隠れて泣いている姿を見た時からなのか、再会し食事に誘った頃からなのか、好意が恋になったのか、それとも恋を好意と勘違いしていたのか、始まりはあまりにも曖昧ではっきりしない。

 しかし、稲妻に打たれたような激しい衝撃で始まる恋も、ゆっくりと知らずのうちに育てた恋も、想いは同じだ。

 この先もずっと一緒にいたい。隣で微笑んでほしい。それだけなのだ。

 ただ晃大との場合は、そう簡単にはいかないことは、分かっている。

 誠の一方的な好意だった場合、それを晃大が負担だと感じれば、今までの関係が一気に崩れる可能性がある。

 そうなれば、あの症状を手放すチャンスは遠くなるだろう。

 それどころか、大きな傷になってしまう可能性だってある。

 今優先するのは、晃大の気持ちだ。

 だからこの気持ちは、容易に悟られてはいけない。

 しかし、友情と恋の難しい線引きを、この先、保つことが出来るのだろうか。

 愛する気持ちを伝えられないもどかしさに、心は苦しみを覚え、誠は唇をきつく結んだ。

 (難しいな……)

 横になっている『親友』に視線を落とす。

 月明かりはまだ、晃大の顔を美しく照らし続けている。

 眼下の愛しい人は、愛されている事実をまだ知らずに眠っていた。

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