8 思いの連鎖

 外泊で溜まった洗濯物を干すためにベランダへ出た晃大は、外でタバコを吸っていた大和と鉢合わせになった。

 「服が臭くなるから、ここで吸うのやめて欲しいんだけど」

 晃大が最大級に嫌そうな顔で大和を咎めるように見ると、

 「わかったよ……」

 面倒そうに煙を吐き、ベランダに置きっぱなしの瓶の吸殻入れに、タバコを捨てる。

 珍しく大和が一言で聞き入れて気抜けをしたが、関わると面倒なので、追加で苦情を言うのはやめて、かごからタオルを取り出した。

 「これ、大和の分もあるんだから手伝って」

 「はいはい、やります、やります」

 文句を言われたわりには機嫌のいい大和に、何かを察知した晃大が、さっさと終わらせようと、手早くハンガーを物干しにかけていく。

 残りは靴下と Tシャツを干せば終わり……。

 とここで、案の定、大和が口を出してきた。

 「……二泊か。初めてだよな、他所の家へ外泊するの。楽しかったか?」

 「楽しかったよ」

 「何か困ったことなかったか?」

 「ないよ。別に」

 「例えば、弱みにつけ込まれて、言うこと聞けとかなかったか?」

 「ないよ。何度も言うけど、誠はそんな人じゃない」

 「ふーん」

 横目でちらりと晃大の反応を見て、パンツをピンチに挟みながら、大和が続ける。

 「木曜の夕方、あいつ、うちの店に買い物しに来たんだってな?」

 「そ、そうなの? 知らなかった……別の人じゃなくて?」

 「多分……いや、絶対あいつだと思う。俺が一階に降りて行ったら、女子社員達が、ヤバイくらいのイケメンが来たって、盛り上がってたんだよ。普通のイケメンじゃなくて、ヤバイんだぞ? で、どんな男か聞いたら、あいつっぽいなって。親父が中身も外見もいいってめちゃくちゃ褒めてた奴だからな。逆にあいつしかいないだろ、ヤバイのなんか」

 「誠は全然そんなこと言ってなかった」

 「おかしいな、普通は初めて来たら、声くらいかけないか? 出来なくても、後で会った時に「行った」くらいは言うと思うけどな、友達なら」

 「忘れてたんじゃない? 僕もそういう時あるし……」

 「まあ、いいけど。そんな事があったって報告だけ」

 大和はそう言うと、戸惑いを隠して平気な顔をする晃大を置いて、さっさとリビングへ戻っていった。

 ベランダの窓を閉め自室へ戻った晃大は、部屋の片付けをして、掃除機をかけ始めた。

 掃除をしている間は、何も考えずに済んだが、終わると大和が言っていた内容が気になってきた。

 すっかり片付いた部屋のベッドへ寝転がり、天井を仰ぐ。

 そもそも、店に来ていたのが誠だったとしてだ。行動をいちいち晃大に報告する必要はない。その前に、その客が誠かどうかも確かではないのに、これ以上気にしても仕方がないではないか。

 大和はとにかく気に入らなくて、そんな不確かなことを言い、晃大の気を外らせようとしているのではないか。

 だが、万一まんいちにも誠だったとすれば、どうだろうか……。やはり何も言ってくれないのは少し寂しい気がする。

 晃大は、スマホの誠の写真を見ているうちに、気になり確認をしたくなった。

 聞いてどうするのかとも思ったが、迷った末、聞いてもやもやをなくすことにした。

 電話をかけると、3コールで誠が出た。

 『どうした、忘れ物?』

 「違うよ。少し聞きたいことがあって。いいかな……」

 『いいよ、何?』

 「この前の木曜日って、もしかしてうちの店に来た?」

 『行ったよ。ごめん、言えばよかったね。実はその日、俺と祖父の誕生日で、実家で一緒に祝ったんだ。それでお菓子をプレゼント用に買った』

 「誕生日だったの!? 言ってくれたら、よかったのに」

 『いや、俺の誕生日なんかそれほど重要じゃないし』

 「大事だよ、祝いたかったよ……」

 晃大は気落ちした声で残念そうにぼそっと呟いた。

 その沈んだ声色こわいろに誠は驚き、慌てて謝った。

 『ごめん、色々とバタバタしてて、それで……』

 今回伝えなかったことで、親友と言っておきながら結局は無関心だったと勘違いをしてしまったのだろうか。

 忙しかったのは嘘ではないが、言えば言うほどおかしな言い訳になってしまいそうで、誠はそれから何も言えず黙ってしまった。

 二人の間に、少しの沈黙が流れた。

 誠が、繕う言葉を探していると、

 「あのさ、次に会う時、誠の誕生日のお祝いやりたいんだけど……」

 晃大が突然そんな提案を出してきた。

 『え!? まあ、そう言ってくれるなら……。だったら、うちでやろうか。その方が晃大も気を使わなくていいだろ? いつにする?』

 「再来週の土曜は、空いてる?」

 『ちょっと待って……うん、OK。時間は後でメールする』

 「分かった。待ってるね。じゃあまた」

 (なんだ、そうだったのか。電話をしてよかった。大和が変に煽るから、気にしたけど、心配は要らなかった)

 途端に機嫌が良くなった晃大は、通話を終えるとリビングへ行き、ソファに寝転がりながら、ゲームに集中している大和に向かい、

 「誠のこと教えてくれてありがとう。おかげでもっと仲良くなれそうだよ」

 にっと笑い、当て付けたっぷりに舌を出した。

 大和はそれでも表情を変えずに、テレビ画面越しに晃大の顔色を密かにチェックしながら、コントローラーを連打し続けた。

 「よかったな。で、次はいつ会うんだ?」

 「教えない」

 「ヒントくれ」

 「ヒントって、意味不明だよ」

 晃大は笑いながら、部屋へ戻っていった。

 大和はソファからのっそりと体を起こすと、

 「テンション上がり過ぎなんだよ……」

 嫌そうに頭を掻きながらぼやき、テレビ画面を消した。

 大和の不機嫌をよそに、早速カレンダーに丸をつけた晃大は、プレゼントは何がいいか考え始めた。

 初めに思いついたのが洋服だが、サイズがわからないので却下。次に、アクセサリー。これも趣味が今ひとつ分からないのでやめておく。

 無難にネクタイと思ったが、以前大和の誕生日に贈ったことがあるから、なんとなく嫌だと思った。

 酒? 観光? いや、初めてのプレゼントは形に残るものがいい。

 あれこれ考えて、ようやく決めた。

 プレゼントは近々買いに行くとして、ついでにやることがあった。

 「そろそろ真理子さんのとこに行かないと……」

 晃大は、髪を触りながら、スマホの通話をタップした。



 今日は金曜の夜。誕生日祝いまで、まだあと一週間はある。晃大は時間が経つのをこれまでで一番長く感じていた。

 今まで何をして過ごしていたのかが分からなくなるほど、何をしていてもつまらない。

 仕事は集中できるからまだ良かったが、家に帰ってからが苦痛だった。

 大和が風呂上がりにストレス解消のためにするネットゲームも、今はもう付き合う気にもなれない。

 大和は大和で、話し掛けても適当な返事をする晃大を、気に入らないでいた。

 一緒にソファに座っている時も、スマホを眺めている晃大に、大和はむっつりとして、誘いをかける。

 「ようようよう、アキよう。対戦してくれよ。俺をボコボコにするチャンスだぜ?」

 「……興味ない」

 晃大は一言だけ返し、あいからず画面から目を離さないでいる。

 「やっぱ、これかな……。あ、でもこっちもいいな。うーん」

 スマホ画面を夢中でチェックする晃大に、大和は呆れたように文句を言う。

 「さっきから何ぶつぶつ言ってんだ」

 「だから、大和には関係ないって……。あ、明日、真理子さんのとこに行ってくるから」

 「そうか。だったら俺の車使えよ」

 「いいの? ありがとう」

 「おう」

 若干媚を売る形になったが、晃大に口をきいてもらえたのが嬉しい大和は、鼻歌まじりで車のキーをテーブルの上に置いた。



 翌日、晃大が向かったのは、かつて住んでいた地元にある、色あせた看板が目印の「ヘアーサロン・ミネオカ」だった。

 店は以前の家の近所で、子供の頃から母親がカットをするついでに晃大も散髪をしていた。それから現在までずっとこの店を利用している。

 男性の散髪は、主にこの店の主人がしているが、晃大はあの症状が出るようになってから、女性のカットを担当していた妻の真理子に切ってもらっていた。

 真理子はいつもシャンプーはせず、ドライカットを施し、短時間で済ませてくれる。

 子供の頃から慣れているため、動悸も我慢が出来る程度で済むので頼りにし、真理子のほうも、晃大の家庭の事情やあの症状についてもよく理解していて、余計な詮索はせずに、さっさと済ませるように気を配っていた。

 「こんにちは、真理子さん」

 店へ訪れた晃大が挨拶をすると、

 「いらっしゃい、さあ、こっちへ座って」

 いつもの笑顔で、手招きしてくれた。

 それから椅子に座った晃大になるべく触れないように、真理子はさっとカットケープをつけ、髪に触れる時は手の代わりに櫛を使い、すぐにカットし始めた。

 散髪の間は、二人は無言になる。

 晃大は、あの症状を抑えるために必死で、真理子は素早くかつ丁寧にカットを終わらせるのに、集中するからだ。

 晃大が2歳の頃から24年もの間、髪をカットしている真理子は、晃大の成長を一番間近で見ていた他人の一人だ。

 髪をカットする時、晃大の状態はいつも同じではなかった。不安定な時は動悸が激しく、一時休憩しては再開するの繰り返しで、2時間くらいかかったこともあった。

 だが真理子はそれでも、晃大が次も顔を出してくれた時はほっとし、とても喜んだ。

 晃大も、真理子が何も言わず何も問わず、ただ黙々と作業をしてくれるのでとても安心だった。

 他の客とは明らかに違う、晃大だけに施すカット方法で、真理子は上手に仕上げていく。

 「もう少しで終わるからね……」

 集中を切らさず、独り言のように真理子が伝えると、動悸を堪え肘掛けをギュッと握り、目をかたく閉じていた晃大の、肩の力が少し抜けた。

 最後に左右を確認し、ドライヤーと櫛で髪を整え、無事に終了した。

 「はい、お疲れさま」

 カットケープを外された後、晃大はようやく目を開けて、ほっと息をついた。

 「ありがとうございます」

 カット中は心なしか血の気が引いていた晃大の頬が、和らいだように見える。

 会計を済ませた晃大は一度車へ戻り、手土産を持ち出し再び店に入り、散らかった髪をほうきでまとめていた真理子に渡した。

 「これ、受け取ってください」

 「こんなにいいのに。ありがとうね」

 「いいえ。真理子さんの好きな紅茶入れておきました。あと、大和が今度来るのでよろしくお願いします」

 「あら、大和君もいらっしゃるの? 嬉しい。待ってるね」

 「はい」

 明るく笑う晃大を見ていた真理子が、珍しくこんなことを言った。

 「なんだか今日は凄く調子がいいようね、よかった……」

 晃大は今までカットの最中は、症状を堪えるためか、本人も気づかぬうちに前屈みになるのが多かった。

 しかし今回は、姿勢がほぼ真っ直ぐで、首も下がらなかったのだ。

 「あの、僕、親友が出来たんです。それで、多分……」

 照れ臭そうにTシャツの裾をつまむ晃大に、真理子が手を叩いて喜んだ。

 「ほんとう? わあ、よかった! そうそう、そうなんだ……そっか……」

 しみじみと晃大を見つめて、

 「お友達、大事にしてね。あ、よかったら、今度連れてらっしゃいな。半額サービスするから」

 あははは、と口に手をあてて笑った真理子は、

 「じゃあ、気をつけて帰ってね」

 サンダルに履き替えて店の外へ出て、大きく手をふり見送ってくれた。



 次に向かったのは、ネットで探したおしゃれな雑貨店だった。

 誠の誕生日プレゼントを一応は決めてみたものの、実物を見てみないことにはイメージがわかない。だから思い切って店に出向くことにした。

 人気の店らしく、若い女性が次々と入店するのを見て、晃大は緊張気味にドアの前に立った。

 一歩入ると、店の中には色とりどりの可愛い物から、かっこいい物まで、どこからどう見ていけばいいのか迷うくらいに、お洒落な雑貨が並んでいる。

 バスグッツ、食器、小さめの間接照明、壁掛け時計、クッション、ブランケット……どれも本当におしゃれで、目移りしてしまう。

 誠の部屋にあれば素敵だろうなと、イメージ出来るものを探していると、ガラス製のコーヒードリッパーセットが目に入った。

 薄いグレーの波打つガラスに特徴がある、渋めのデザインで、人気なのか「在庫2セットのみ」とある。

 (作りが繊細でかっこいい。うん。誠にぴったりだ。よし、これに決めた)

 カゴに商品の箱を入れ、レジに並ぶために移動している途中で、様々なカップが並んでる棚が目に留まった。

 その中でもひときわ目を引いたのが、きれいな空色のペアマグカップだった。

 値札にはトルコブルーと書いてあり、ペアでも、それぞれ形が異なり、手作りなのか色も微妙に変化がある。

 晃大は、それをすぐに気に入り、一緒に買うことにした。

 「コーヒードリッパーセットと、このマグカップ一つはプレゼント用で、もう一つは自宅用で、お願いします」

 「はい。かしこまりました」

 (ペアのマグカップを買うなんて少し恥ずかしいけど、別々に使うなら問題ないよね……)

 店員は、ていねいな梱包で、バッグにはリボンをつけてくれた。

 誕生日パーティーまではあと一週間。待ち遠しくて仕方がない。

 晃大は車の助手席にそっと袋を置いて、エンジンをかけた。カーステレオからは、大和がいつも流している懐かしい音楽が鳴る。晃大が高校時代に流行っていた曲ばかりだった。

 そしてそれは、誠が転校してきた頃に流行した歌でもある。

 その聞き覚えのあるメロディーを歌いながら、晃大は車を走らせた。

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