5 宴の後

 食事の後、晃大は誠と一緒に歩いて帰った。

 店から晃大の家までは徒歩10分くらいだが、話しながら歩いたからか、実際はもっと短く感じられた。

 帰り道を友達と一緒に歩くというのは、なんだか照れくさく、別の緊張感があったが、誠の始終穏やかに話す声はなんとも心地よく、到着する頃にはもっとずっと聞いていたい気にすらなっていた。

 「ここだよ。うち、会社のビルの最上階にあるんだ」

 晃大が目の前のビルの上方を指で差した。

 北園商店は1階から3階まではオフィスとして使い、4階から7階は賃貸マンションとして貸していて、最上階が北園家の住居になっている。

 「俺の職場はここから5分くらいだから、すぐに来られるな」

 誠がそんなことを言いながら、ビルを見上げると、晃大も一緒に上を向いて、

 「今日はありがとう。楽しかった」

 少し名残惜しそうに誠に向き直り、軽く頭を下げた。

 食事の時は慣れない状況に落ち着かなかったが、誠の気遣いのおかげで最後は楽しく過ごせた。

 それに、家まで送ってくれて、申し訳ない気分になる。

 「じゃあ、また。連絡待ってる」

 と、明るい口調で、誠が声をかけると、

 「うん」

 晃大もめいっぱいの笑顔で応えた。

 そして、精一杯手を振る晃大に、誠も手を振り返す。

 歩きながら何度も振り返る誠に、晃大は手を振り続けた。

 晃大にとって、次も会う約束は初めてで、とても不思議な感覚だった。

 誠の背中を見送っても、まだまだ実感が湧かなかった。

 


 「ただいま」

 晃大がリビングのドアを開けると、一緒に住んでいる北園の息子、つまり、いとこの大和やまとがソファに座りテレビを見ていた。

 大和は晃大よりも5つ年上で、同じ職場で働いるため、起きてから寝るまで、ずっと顔を合わせて暮らしている。

 大和はたいてい晃大よりも遅くに帰宅するが、たまに早く帰ると、テレビはお笑い、もしくはクイズ番組、それら以外ならスマホでゲームをして、今日は寝るまでの暇を、テレビの録画を見ながら潰していた。

 ソファから起き上がり、

 「おかえり。始めてだよな、こんな時間に帰るの」

 背もたれに片腕をのせた大和は、無表情で晃大に声をかけた。

 「友達と会ってた」

 「友達って誰?」

 「誠君。この前病院まで付き添ってくれた人」

 「ああ、親父から聞いてた彼か……で、何だって?」

 「何って、ご飯食べに行ったんだよ」

 「ふーん」

 大和はそれきり何も言わず、いつものカモミールティーを飲みながら、またテレビに顔を向けた。

 晃大はキッチンへ行き水を飲むと、伯父の姿がまだなのに気がついた。

 「伯父さんはまだ帰ってこないの?」

 「知り合いとゴルフだから、今日は向こうのホテルにでも泊まるんじゃないか? まだ連絡はないけど、いつもそうだから」

 「そうなんだ。じゃあ、お風呂、先入るね」

 「いいよ」

 服を脱ぎながら、脱衣所の鏡で事件の時の顔の傷を確かめてみる。赤みは無く、もうほとんど治っているようだった。

 そして、湯船に浸かり、お湯の中で体をゆっくり撫でた。

 (楽しかった……)

 こんな嬉しい気持ちはいつぶりだろう。

 まさか今日親友ができるとは思わなかった。

 それに何よりも、誠から申し出てくれたのが、意外で驚いた。

 誠は高校時代、男女関係なく好かれていて、明るく優しくてしかも美男なのに、おごるところがまるでなかった。

 転校が多いと聞いていたから、それで人付き合いが上手くなったのかもしれないが、それにしても人当たりが良すぎるほどいい。

 友達は沢山いるはずなのに、こんな自分にも気を使ってくれて、しかも親友になって欲しいだなんて、嘘でも嬉しかった。

 いや、嘘などあの誠が言うわけはない。本気で言ってくれたのだ。

 シャンプーをしながら、泡で髪を逆立てた。これは、機嫌がいい時にやる癖だった。ドライヤーで髪を乾かす時は、無意識に鼻歌も出てしまった。

 それから、胸に象のプリントが入ったお気に入りの部屋着を着て、再びキッチンへ向かった。

 いつもはあまり食べないが、今日はなんだか自分を甘やかしたい気分になり、冷凍庫からカップアイスを取り出した。すると、テレビを見ていた大和が振り返り、甘えた声を出した。

 「いいなー、俺もアイス食べたいなー」

 「何味がいい? ストロベリーかバニラかチョコあるよ」

 「じゃあ、アキと同じやつ」

 「同じのはないよ」

 「チョコで」

 「ラジャー」

 大和はテレビを消し、晃大からアイスを受け取った。

 「アキ、一緒に食べようよ」

 「部屋で食べたいんだけど……」

 「いいじゃないか」

 「うーん……」

 晃大は迷いながら、渋々大和の隣に座った。

 大和はスプーンでアイスをすくい口に入れると、美味いなと言って、一気に半分まで食べ進めた。

 そして、さりげなく尋ねてきた。

 「ところで、今日会った友達、大丈夫なのか?」

 「大丈夫って、何が?」

 「呼び出されたんだろ?」

 「その言い方、変だよ。ご飯に誘われたんだ」

 「親父から聞いてる。高校の同級生なんだって? なんかめちゃくちゃいい男らしいな。久しぶりに会って、懐かしむのもいいが、気をつけろよ。変なカルトとかマルチとか、そういうのに勧誘するつもりかもしれないぞ。見た目がいい奴を使うのは、そういう組織の得意技だからな」

 その大和の筋違いな言い方に、晃大は真顔で答えた。

 「無いよ、そういうのは。誠はすごくいい人なんだ」

 「だから、それが『仮面』かもしれないって言ってんの、俺は」

 「会ったこともないのに、何で分かるの?」

 明らかにイライラしている晃大に、大和はなだめるように続けた。

 「心配してるんだよ。この前の暴行事件の時もそうだし、変な奴に関わってアキが傷つくのは嫌なんだよ」

 「誠は変じゃない。もういい?」

 「あ、待てって!」

 声を上げた大和を無視して、晃大はアイスを持ったまま、さっさと自室へ戻っていった。

 せっかくいい気分で一日が終わろうとしていたのに、大和の余計な心配で台無しになってしまった。

 甘いアイスも、ほとんど味を感じないまま食べ終わってしまい、苛立ちをぶつけるようにカップをゴミ箱に投げ入れた。

 普段だったら、大和に何か言われても、特に怒ることはないし、反発もしない。

 しかし、自分のことを言われるならまだしも、親友と言ってくれた誠を悪く言われると、許せない気持ちになる。

 晃大は思いついたように、スマホを取り出し、誠にメールを送った。

 『今日はありがとう。今度有給を取ります』

 思い切って、自分から保留にした誘いを受けることにした。

 もし大和があのような嫌味を言わなければ、誠から催促の誘いがあるまで、メールはしなかったかもしれない。

 完全に大和への当て付けだが、しかし、あと半分はまた誠に会いたい純粋な思いがあった。

 ぼんっと勢い良くベッドに寝転び、改めて今日の出来事を思い返してみる。

 食事は美味しかったし、狭い席は恥ずかしかったが、あれはあれで面白かった。

 そして親友の申し込み、次回の約束、別れ際の物寂しさ、全て、誠が用意してくれた優しさだった。

 晃大は腕を枕にして横になり、送信画面をしばらく眺めていた。

 病院の付き添いの時のお礼は伯父が手配してくれて、晃大自身はまだ口頭だけのお礼しかしていない。

 今回の食事だって、誘ったのは自分だからと、誠が御馳走してくれた。 

 次は自分が何かお返しをしなくては。

 誠は必要ないと言うだろうが、喜ぶようなことがしたい。

 そんな風に思いを巡らせていると、誠から返信が届いた。

 『了解。調整して行けそうな日をピックアップする。その中から晃大と一緒に行ける日を選ぼう』

 返信メールに「晃大」と名前があるのが、少し照れくさい。

 「こっちは大丈夫」

 『なるべく早く連絡する。おやすみ』

 「おやすみ」

 簡単なやり取りでも、十分に満足だった。

 あとはもう歯磨きをして寝るだけだ。

 洗面所へ行くと、間の悪いことに、大和と入れ違いになった。

 また小言を言われるに違いないと思った晃大は、すぐに洗面所の扉を閉めた。

 「おい、そこまでしなくていいだろ」

 扉の外で、大和がノックしてくる。

 鍵がかかっていないから、開けようと思えばすぐ入れるのに、大和は数センチの隙間を開けて、そこからうらめしそうに覗き込んできた。

 「おーい、アキ。ごめんって、そんなに怒るなよ」

 無視を決め込んで歯磨きを始める晃大に、鏡ごしに大和が詫びてくる。

 「お前に無視されるの、一番嫌だよ」

 わざとらしく目を擦り、泣いてるように見せてくるのもいつもの作戦だ。

 「なー、こっち見ろよ。アキー、アキー、アキー」

 晃大はこのままやり過ごすつもりだったが、最後は意地でも粘る大和に根負けしてしまった。

 しかし、言うことは言わないといけない。

 「誠のことを知らないのに、変な言いがかりはやめて欲しい」

 「もう言わない……かもしれない」

 「言わないって約束して」

 「無理。それが俺だから」

 「何かあれば、大和にちゃんと言うから、それでいいよね」

 「まあ、それで妥協してやる。じゃあ、おやすみ」

 大和は約束が出来たことに満足し、満面の笑みで自室に戻っていった。

 晃大はそれ以上、大和を責めることは出来なかった。

 誰よりも晃大を守ってくれたのは、他でもない、大和だったからだ。

 大和の母親は彼が中学に入学した頃に亡くなっている。

 彼自身が一番辛い時でも、伯父の義行が晃大を保護した時は、一緒にいて面倒を見てくれていたのだ。

 晃大も兄のように大和を慕い、親にも友達にも言えないことを相談して、頼りにしてきた。

 彼が本当の兄弟のように接してくれたからこそ、今の晃大がいると言える。

 ただ、大和の愛情がゆきすぎて、晃大が若干困惑することもある。

 職場では堂々と「大好きなんだから当たり前」と晃大をこれでもかというほど可愛がり、全社員公認のブラコンで有名なのだ。

 毎年の慰安旅行では移動も宴会も晃大の隣をキープして、風呂はもちろん、寝るときも布団は並べて、決して誰かに譲る事はない。

 まるでブラコンの見本のような行動だが、これは誰かが不用意に晃大に触れるのを防ぐためでもあった。

 そのおかげで、仕事関係の宴会などの酒の席も、大和が常に気を配っているため、晃大も他の社員も、気まずいことにならずに済んでいる。

 晃大はいつも、口には出さないが感謝していた。

 だから今回も誠に対して悪気があるのではなく、いつものブラコン反応だろうと諦めたのだった。

 部屋に戻った晃大は、照明をベッドサイドランプだけにして、布団にもぐり込む。

 いつもは6時にセットする目覚ましを、遅めの9時にする。

 酔いよりも、気を使ったせいで、かなり眠くなっていた。

 「おやすみなさい」

 二、三度寝返りを打ち、目蓋が重くなるのを待つ。

 それからさほど時間はかからなかったと思う。

 体がベットと一体化して間もなく、深い眠りへ落ちていった。

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