4 オステリア
陽が傾く夕暮れの中、誠の姿は今、晃大の職場近くのイタリアン居酒屋オステリア前にあった。
細身のスラックスに、ネイビーシャツの出で立ちで、腕時計を気にしている姿は、まるで恋人を待っているようにも見える。
スマホを取り出すと、誠は晃大に送ったメールを見返していた。
『今週土曜の午後5時、イタリアンオステリアMaerneで食事をしませんか? 都合が合わなければ、日程を変更するので連絡をお願いします』
それに対しての晃大の返信はこうだった。
『了解です。問題ありません』
お互いよそよそしい他人行儀な言い回しに、つい笑ってしまう。
誠が晃大と小料理屋で再会を果たしてから、もう半月が経っていた。
本当はもっと早めに誘うつもりだったが、仕事や細かい用事が重なり、思ったよりも時間がかかってしまったのだ。
待って間もなく、遠くから靴音が聞こえてきた。
薄地の半袖オーバーパーカーにジーンズというラフな格好で、こちらに向かって来る、高校生と見間違えても違和感のない、しかしそれは間違いなく晃大だった。
誠は大きく手を振った。
「こっちだよ」
すると、晃大も走りながら手を振り返してきた。
「待った?」
「全然。少し前に来たところ」
誠は到着したばかりの晃大が、十分に息が整うのを待ってから、
「じゃあ、入ろうか?」
先に立ち、明るい緑色の店の扉を開けた。
店内は夕方のまだ明るいうちから大変に繁盛していた。見た感じでは、もう7割の席は埋まっているようだった。
出迎えのボーイに、
「予約している澤瀬です」
と、にこやかに伝えると、
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
晃大と共に、店の奥に通された。
このイタリア風居酒屋は誠の職場からも近く、落ち着いた雰囲気が気に入っていて、同僚とも何度か利用した事がある。遅い時間になると、BARとしても飲めるため重宝していた。
そしてこの店の特徴の一つに、客席の奥には仕切りがあり、簡単なペア席がいくつかある。
それぞれのペア席のテーブルは小さめで、互いの声が良く聞こえるようになっていて、酔い過ぎた他の客の声などを好まないだろう晃大にぴったりだと選んだのだった。
二人は案内を受けて席へ着くと、誠がメニューをめくりながら、晃大に笑顔を向けた。
「まずは飲み物だけど、何がいい? 俺のおすすめはイタリアンビールなんだけど」
「じゃあ、それにする」
「ワインじゃなくていい?」
「うん」
「料理はそうだな、リクエストある?」
「うーん、どれも美味しそうだけど……」
「とりあえず、この前菜の盛り合わせと、サラダ、ビステッカにする?」
「そうだね」
注文を終えた誠がメニューを脇に寄せて、ふと晃大に目を合わせる。だが、晃大はさっと視線を外してしまった。
少しよそよそしいと感じ、気になった誠が、晃大の顔を覗き込んだ。
「どうかした?」
「ううん、何でもない……」
晃大は首を振り、座っている席の横にちらりと視線を流した。
一つ空けた次の席には、デート中のカップルがいて、彼氏は可愛い彼女とワインで乾杯し、嬉しそうに微笑んでいる。
なるほど、どおりでテーブルが小さいわけだと納得した。膝がぶつかりそうなほど近いのは、より親密になるためなのだ。
(気まずいな……。何を話せばいいんだろう)
この間の小料理屋は叔父も途中まで同席していたし、酒の勢いもあって話が弾んだが、素面からいきなり馴れ馴れしくなど話せそうにない。
ずっと黙っているわけにもいかないが、自分の話など誠は興味がないだろうし、逆にあれこれを聞くのは悪い気がする。
(澤瀬君、こっち見てるな……どうしよう。高校時代の話は、この間ほとんど話したし、何も話題が浮かばない……)
晃大は落ち着きなくそわそわして俯き、どうしたものかと思案していた。
が、その時、丁度いいタイミングで、ビールとグラスが運ばれてきた。
晃大は、助かったと一息ついた。
すぐに誠がビールをグラスに注いでくれ、
「はい、どうぞ」
お互い軽くグラスを合わせた。
「乾杯」
口に含むと、フルーティーであっさりして、アルコールがあまり得意でない晃大にも飲みやすかった。
「どう? この店。隣の席の間隔は広めだから声を気にしなくていいし、雰囲気もいいだろ?」
ただでさえ間近なのに、誠がさらに小声で問いかけてくるから、顔が近くて照れくさくなる。
「そ、そうだね……」
目の前の誠に視線を向けられず、晃大は今度は、反対側のスペースを見てみた。
相変わらず自分達の世界に没頭している恋人達を見てると、こちらの耳まで赤くなりそうで、そんなロマンチックなムードに押されてしまい、
「お待たせ致しました」
料理を運んで来たウェイターの気配に全く気づかずに、びくりとしてしまった。
誠が、運ばれてきた前菜の盛り合わせを、皿に取り分けてくれた。
「どうぞ」
晃大は、すすめられるまま遠慮気味に口に入れた。
「……美味しい」
「だろ?」
にっこりと満足そうな誠の笑顔に、晃大の緊張も少しはほぐれ、前菜を食べながら、ようやくちらちらと誠を見る余裕も出てきた。
それにしても、今日はなぜ食事に誘われたのだろうか、何か他に用でもあるのだろうか。
だったら、早めに聞きたい。せっかちではないが、後から言われるよりは、先に知った方が寛げるというものだ。
そう思い始めると、どうにも気になってしまい、ビールで料理を流し込んで一息ついてから、自分から聞き出すことにした。
「あの、澤瀬君、今日は何か僕に用事があった……?」
「用事? んー、そうだな……」
誠は答えに困った。
晃大が怪しがるのは当然かもしれない。
高校在学中も、さほど久しかったわけでもなく、偶然に再会したとはいえ、突然食事に誘われたら、自分が逆の立場ならば、何かあるのかと疑ってしまうだろう。
晃大が普通の生活ができるようにサポートしたい、というのは本心からだが、いきなり過ぎるし、言葉にすると恩着せがましいような気がする。
正直に伝えたとしても、大きなお世話だと思われたら、今回を最後に会ってくれなくなる可能性だってある。
今の思いをそのまま伝えるのは、誠にとっては難しかった。
「まあ、また会いたいなと思ったから。それだけだよ」
誠は、まるでそれが当然のように装った。
「そうなんだ……」
思い切って聞いたのに肩透かしのような、意外にあっさりした返事だったが、晃大は少しだけほっとし、またビールに手を伸ばした。
「ペース早いね」
誠が前菜を摘みながら、さりげなく気を使う。
「ちょっと……喉渇いちゃって」
「実は俺も喉渇いてる。なんだか緊張してさ」
「澤瀬君も?」
「も? って、もしかして緊張してた?」
「そう、なんだよね」
「全然そんな風には見えなかった。ほら、この間の小料理屋でも結構喋ってたから」
「あれは酔ってたのもあるし、もう会わないかもしれないから、いっぱい話しておこうと思ったからで……」
「また連絡するって言ったのは、社交辞令だと思われた、かな?」
「そんなことはないけど、こんなに早く会うとは思わなかった」
「どれくらい先だと思ってた?」
「一年後……とか?」
「ははは、気が長すぎだよ」
いや、本当にそう思っていたのだ。
実際、学生の頃に「また会おう」と言って、連絡をしてきた人はいなかったし、社会人になってからも、ほとんど次はなかった。
だから、こうしてすぐに誘ってきたのは、何か意味があるのではないかと勘ぐってしまい、落ちつかなかったのだ。
しかし、誠の様子だと、本当にただ食事に来ただけなのかもしれない。
「緊張しすぎだよね……」
独り言のように呟いて、晃大はビールを飲み干した。
「このお店よく来るの?」
フォークを持ちながら、遠慮がちに誠に聞く。とにかく無言よりは、何か話していたほうが、まだましだと思った。
「ああ、たまに来るよ。あっちのカウンター席で、友達と飲んだり、それからカラオケ行ったり。今は全然行かないな。飲んだら直ぐに帰るから」
「そうなんだ……」
また、会話が途切れてしまった。次は何を話せばいいのか迷っていると、誠がきっかけをくれた。
「藤野君は、いつも何してるの?」
「家にいる、かな」
「外出はあまりしない?」
「用事があれば出るけど、遊びにはほとんど行かない」
「じゃあさ、今度一緒にどこかへ行かないか?」
「どこって……どこへ?」
「例えば、食べ歩きしたり、買い物をしたり、ありきたりだけど、気晴らしにどうかな」
「誘ってもらうのは嬉しいけど、人混みは……」
「分かってる。だから、平日にお互い有給でも取って。どう?」
「あの、今日も誘ってくれて凄く嬉しいけど、その……」
晃大は言いにくそうに、置いたグラスに視線を落とした。
「今決めないとダメかな……」
「いつでもいいよ、待ってる」
優しく目を細める誠に、申し訳なく思う。
こんなに良くしてもらって、本当は一人が気楽だなんて、そんなことを言えるわけがない。
思い切れない晃大の心をよそに、その時、店内のBGMが陽気で明るいカンツォーネに切り替わった。
店内はいよいよ騒がしさが増し、あちこちで話し声や笑い声が大きくなっていく。
真っ直ぐ見つめてくる誠に、相変らずどう視線を返すべきか迷ったまま、晃大はまた俯いしてしまった。
それに気付いた誠が、
「もしかして、迷惑だった?」
気遣わしげに声をかけると、晃大は慌てて首を振った。
「全然違うよ! ただ……」
「何? なんでも言って」
「怒らないで欲しいんだけど……。正直に言うと、あまり親しくない人と、二度もこうして会ったりするのが初めてだから、何を話せばいいのかわからなくて……気まずいというか。この前は、お酒の力で話せたようなものだから、あの……」
勢いに任せ、心の声を全部言ってしまった。しかし、真摯に関わろうとしてくれている誠に、嘘はつけなかった。
「ごめんね、僕おかしいよね。でも、助けてもらったのは本当に感謝しているよ。本当に、失礼なこと言ってごめん」
肩をすくませ、俯いて謝る晃大の様子に苦笑しながら、誠も白状した。
「俺だって藤野君を誘うのは緊張した。仕方がないよ。俺たち、実際それほど友達じゃなかったしね」
言いながら、誠は少し寂しそうな表情で笑った。
それから少し間が開き、誠が真面目な顔で、晃大に視線を合わせた。
「あのさ、一つお願いがあるんだけど、いいかな」
「何?」
晃大は、とっさに身構えた。やっぱり今日食事に呼ばれた理由は別にあるのか。無茶苦茶な要求だったらどうしよう。
しかし、誠が求めてきたのは、意外な内容だった。
「俺と親友になって欲しいんだ」
「……親友?」
まるで、何を言ってるんだという顔で戸惑う晃大の反応に、誠は慌てて手を振った。
「いや、普通は時間を重ねて友情を育てていくのが親友なんだろうけど、俺は、これからも藤野君とずっと付き合っていきたいと思ってるんだ」
誠にとって、晃大のこの反応は想定内だった。とにかく、友人という関係に時間をかけている暇はない。出来るだけ早く晃大の役に立ちたいと願えば、親友が一番手っ取り早い方法になる。
「だって、それは……」
晃大はすぐに無理だと思った。今まで学校などの友達はいても、校外でも会うような付き合いはしたことがない。社会人になってもそれは同じで、いきなり親友から始めるなんて出来るわけがなかった。
「だって、何をしていいのか分からない」
「例えば、一緒にいて色々なことを楽しんだり、辛い時に側にいて話を聞いたり。何でも言い合えて、お互いを信頼できる、そんな関係になりたいんだ」
「それ……僕でいいの?」
「逆に、俺でよければ、なんだけど」
誠の目は確かに真剣だった。
その真っ直ぐな視線に、晃大は気持ちがザワザワと動き出すのを感じた。
まさか、自分に親友が出来るとは、つい数分前まで考えもしなかった。
一人が好きだと思っていたのに、今は手のひらを返したように、親友の申し込みに喜ぶ自分がいるなんて、あり得ないだろう。
いいや、そうではない。
本当は、一人が好きなわけじゃなかった。そう思わなければ、寂しさに気づいてしまうから、知らないふりをしていただけなのだ。
同級生達は、学校では親切に接してくれていた。だが、人との付き合いに神経を使い過ぎる晃大には、負担が大きかった。いつの間にか一人がいいと、自分の心をごまかしていたのだ。
突然の申し込みに、期待と不安が同時に胸に広がっていく。
このまま素直に受け入れれば、何か変わるだろうか。
「澤瀬君にそう言ってもらえるのは、凄く嬉しい」
俯いたまま、晃大は背筋を伸ばした。
「僕で良ければ……よろしくお願いします」
その晃大の表情がわずかに明るくなったのを確認した誠が、続けてこう切り出した。
「もう一つ、提案があるんだけど。親友ならこれからは、お互い名前で呼ばないか? 俺のことは誠と呼んでほしい。俺も晃大って呼んでいいかな」
これには、パッと顔を上げて、
「うん」
快諾した。
苗字で呼ばれるのは、あまり好きではないから、その方がよかった。
「誠」と呼ぶには少し時間が必要かもしれないが、こちらも慣れればなんてことはないだろう。
「じゃあ、晃大、もう一度乾杯しようか」
「何に?」
「もちろん、俺たちの友情に」
「うん、乾杯」
グラスがキンと音を立てた。
気持ちが高揚して、体がふわふわしている。
これから凄く、楽しい事が始まるような気がする。
この予感は本物なのだろうか……。
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