3 助言と決意

 翌週の土曜の夜、実家から誠に連絡があった。

 日曜の夜に、父親が懇意にしている整体師の橋元と自宅で飲む予定だから、帰ってこないかという。

 橋元は人当たりがよく、運営しているクリニックも評判がいい、頼りになる人物だ。誠が学生の頃、体の不調があった時に世話になったこともある。

 彼なら、晃大のあの症状の件を相談できるかもしれない。そんな風に思いついて、もちろん参加すると返事をした。

 実家は電車で数駅先の距離で日帰りも可能だ。翌日出勤でもある適度付き合いで飲むのは問題がなかった。だから当日は、朝から家の雑用を済ませ、夕方に家を出た。

 実家近くのスーパーに寄り、家族への土産と酒のつまみをいくつかカゴに入れる。

 前回帰ったのは、一ヶ月前。近い事もあり、割と頻繁に帰っているのだが、今回は相談内容が少し特別なだけに、他所の家へ訪問するような緊張感があった。

 誠は、家の前の曲がり角までくると、立ち止まり、軽く一呼吸した。

 玄関を開け、

 「ただいま」

 声をかけると、奥からエプロン姿の母親の恵子が出てきた。

 背中までの髪を後ろに結い、キリッとした顔つきは、実年齢よりもかなり若く見える。すらりとしているが、細いだけでなく、しっかりとした体つきだ。

 恵子は、健康のために週に数回ジョギングをしているのだが、それが少し変わっていた。 

 ランニングウェアの腰にベルトを着けて、コンビニの袋をぶら下げて走るのだ。家に帰ってくると、その袋には、ゴミが入っている。走りながら、落ちているゴミを拾ってくるからだ。

 「だって、ただ走るのは勿体ないでしょ?」

 そう言って、いつものコースにゴミが無くなると、コースを変えて、また拾ってくる。これを繰り返す。

 変わっているといえば、恵子が夫の浩司を恋人として選んだ時のエピソードも、誠には不思議なものだった。

 二人は同じ大学で、浩司は野球選手、恵子は陸上の長距離走者で、二人は知人の紹介で知り合った。

 当時、恵子の人気は凄まじく、大会になると、彼女目当てでカメラを持った男達が競技場に詰めかけ、大変な騒ぎだったらしい。

 毎日のように男から告白をされたらしいが、その中でも浩司の告白がびっくりするほど「下手くそ」だったからOKしたのだと言う。

 子供の頃それを聞いた誠は、普通はかっこいいセリフで決めた人を選ぶのではないかと思ったが、大人になった今は、恵子の理屈が分かる。

 恵子は誠の姿を見ると嬉しそうに微笑んで、

 「もう、橋元さんいらっしゃってるから、上がって」

 と、スリッパを用意した。

 誠は、それを履きながら、恵子に土産を手渡した。

 「これ酒のつまみ、後で出して。母さんにはカップケーキあるから食べて。おじいちゃんとおばあちゃんには、黒糖プリン」

 「ああ、このチーズ味ね大好きなの。ありがとう。さあ、お父さんも待っているから」

 恵子は、誠から袋を受け取ると、キッチンへ入っていった。

 リビングでは、父親の浩司と橋元が先に飲み始めていた。機嫌の良い浩司が、

 「おい、早くこっち座れ!」

 誠を手招きすると、橋元が、

 「よう!」

 勢いよく声をかけてくる。

 「お久しぶりです」

 そして、座布団の上に腰を下ろすか下ろさないかの間に、橋元がさっそく誠のグラスにビールを注ぎ始めた。

 「ありがとうございます」

 「相変わらず男前だな。ほんと恵子さんに似てよかったな。どう? 仕事の方は順調か? 大出世したか?」

 「いえ、それはまだです」

 誠の苦笑まじりのあっさりした返事に、橋元はチーズイカをつまみながら、にこやかに「そうか」とだけ言い、話題を変えた。

 「そういえば、君の会社の新しい機器な、昔の職場の後輩に勧めたら、結構よかったらしくて、まとめて購入するかもしれないってさ」

 「ほんとですか?」

 「他にも声かけてるから、売れるといいな」

 「いつもありがとうございます」

 「いやいや、俺は何もしてないよ」

 このあたりの地域では顔も広い橋元が、こうして誠の勤めている会社の商品をあちこちに紹介してくれるおかげで、販売台数が進んでいる。

 「患者さんも助かるんだし、お互いに良いことじゃないか」

 いつもそう言って、絶対にお礼は受け取らない。

 その代わり、橋元が困った時には浩司に手助けを頼むので、誠もそれを手伝い、持ちつ持たれつ、良い関係が続いているのだった。

 誠はそれからしばらく、父親と橋元の話に参加していた。

 今は二人とも仕事の傍ら、大学まで野球をしていた縁で、地元の少年野球チームのボランティア指導員をしている。

 そのスケジュールや指導内容、イベントの調整などを、たまにこうして家で飲みながら話し合うのだ。

 1時間ほどして、ようやく内容が決まり、橋元がカバンにノートを片付け始めたのを見て、誠が、

 「すみません、少し相談したいことがあるんですが」

 と、切り出した。

 「何? 仕事のこと?」

 「いえ、個人的なものです」

 「いいよ」

 そこで父親に少し席を外してもらい、晃大との再会の際の出来事、そして、高校のクラスメイトとしての過去を伝えた。

 一通り聞いた橋元は腕組みをして、

 「うーん、トラウマみたいなもんなんだろうけど、俺は専門じゃないからな〜」

 厳しい顔で誠に向かい合った。

 「ですよね……」

 「でもな、患者さんを治療していて思う事はあるよ」

 「どんなことですか?」

 誠は身を乗り出した。

 「例えば、治療をしていて、もう良くなってもおかしくない状態なのに、痛みが取れないとか、全く良くならない。一応大きい病院でも検査してみるけど、特に原因がない。でも、本人は辛いんだから、治したい一心で通ってるわけだろ? ところがずっと痛い。ある時、治療していた時、その患者さんが、ぼそっと言ったんだよ。「家に帰るのやだな」って。差し支えないように理由を聞いたらさ、同居している義理の両親と上手くいってないって」

 「ああ、ストレスですか」

 「そう、気持ちの不調が腰痛にきてたわけ」

 「結果なんだけど、義理の両親とうまくいくようになったら、腰痛は無くなった。あんなに痛がって、長い間治療していたのに、嘘のようにね」

 「でも、その患者さんは、ずっと精神的な理由じゃないと思ってんですよね?」

 「そうなんだよ。まさか腰痛と人間関係が関係してたなんて、本人ですら分からないんだから。だけど、ストレスはその人の一番弱いところに出るって言うくらいだから、繋がってるんだよね、心と体は。その同級生のご両親は一緒に生活しているのか?」

 「いえ、お二人とも既に……」

 「うーん。原因の親御さんが既に居ないにも関わらず、それでも人に触れたり触れられたりすると体が反応するというのは、やっぱりショックを受けたのが、子供の頃だったというのが大きいんだろうな。大人になってから受けるストレスとは、衝撃が異なるんだろう」

 「子供の虐待って、多いですよね……藤野君のように、ニュースにならない子がたくさんいると思うと辛いし、知れば知るほど嫌になります」

 「うん。子供は幼すぎて、自身では虐待と気づけないからな。親に「お前が悪い」と言われれば、その通りに受けて取ってしまって、他人には隠してしまうから。悪いことにそれがずっと呪縛みたいになって、自己否定で苦しんだりする。俺の友人にもいたけど、自信を無くしてしまって、笑ってはいるんだけど、無理している雰囲気があったな」

 「藤野君の場合は、直接暴力は受けなかったようですが、それでもあれだけ酷い後遺症のようなものになってしまった……」

 「むしろ、手を出されない方が珍しいのかもしれないよ? 良いとは絶対に言えないけどな」

 「心の傷は見えないだけに、助けたいとは思っても、何をどうすればいいのか分からなくて」

 「これは普通の人間関係にも言えることだけど、まずは信頼、これが一番大事だな。絶対に裏切らない、信用できる相手がいるか、いないかで全然違う」

 「身内にも反応するのは、信頼関係が出来ていないということですか?」

 「うーん……というより、そもそも、身内である家族の暴力で家庭崩壊してしまったわけだろ? それが心に何かしらの影響を及ぼしているとは思うんだが……」

 メガネを外した橋元が、目をぎゅうと擦った。

 「必要なのは、手を伸ばせば掴めるような、いつでも安心できる存在や場所を実感することだと思うけど……。その彼が人を避けているようなら、むしろなるべく積極的に関わるしか、変わる方法はないだろうな」

 「そうですね、まずは、そこからですね」

 「まあ、素人の考えだから、なんとも。だけど、くれぐれも、無理をしないように。君も彼もな」

 「はい」

 「こういうのは長丁場だぞ? 途中で切るわけにはいかなくなる。大変だけど、大丈夫なのか?」

 「そのつもりです」

 「それが出来ないから、みんな遠巻きに見ているだけなんだが……君の場合、少し心配だな……」

 「どうして、ですか?」

 「何ていうか、知り合いにもいるんだよ。困っている人を見ると放って置けないような人がさ。君のご両親なんかも、そうだけど……。まあ、それでもいいが、自分の幸せも考えてやってくれよ? 親孝行はそれが一番なんだから」

 「はい」

 橋元の言いたいことは、分かっている。

 他人の人生に首を突っ込むのが、どれだけ大変で、抜け出せないことなのか。 

 関わればその分、自分の時間を失うこともよく理解している。

 しかし、心の底から湧き上がる、この感情は何なのだろうか。

 奉仕、献身……名前はいくらでも付けられると思うが、どれもしっくりこない。

 ただ、晃大を苦しみから解放してやりたい。

 そして、本当の笑顔が見たい。

 そのためには、あの症状をなんとかしなければいけない。

 だからこうして、橋元にまで相談をしたわけだが、やはり、解決策など簡単に見つかるわけはない。

 しかし、全てを話したことで、これから先、どう関わっていけばいいのか、自分なりに心が決まった気がする。

 そうなると、なるべく早く晃大に会いたくなった。

 誠は早速、詰まりに詰まっている予定を整理すべく、スケジュールをチェックし始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る