2022年11月20日東京。『逃亡者』からの手記

中田祐三

逃亡者手記『2022年11月20日東京。』

ヴァルター・ライナーの『コカイン』をホテルの部屋で読み終えた私は数十分ぶりに視線を上げた。


ゴキリと固まったコリがほぐれ、一白置いてジワリとした感覚が走る。


初冬の夜の香りが窓から侵入してくる。


同時にため息。


『ああ…また近づいてきてる』


怯えるでもなく、怒るわけでもなく、ただ力無く首を後ろに傾ければ当然、視線はグラリと天井に向かい、そして停止した。


新しく感触の良い若草色のソファ。


その心地良さを首の後ろで感じながら

瞳を閉じる。


瞬間、右手の小指の先に『コカイン』が触れた。


この本を買ったのは本当に気まぐれだった。


文学フリマ、たまたま期日の日休みが取れた。それだけだった。


否。 それが決定的だったのだ。


ここ一年。当ても無い、『薄笑いしそうな虚無感』とか『痛くも痒くも無い喪失感』に私は囚われ続けていた。


そしてなにより絶望的だったのはそれに唐突に気づかされたことだ。


突如、災厄のラッパが鳴り響き『終末』がやってきたように『以前』が明確に切り替わった瞬間でもあった。


その瞬間まで、私を捕らえていたものは『鬱』だった。


私はそれを知っていた。 それは私という存在が『存在』した時から『認知』していた。


若い頃は勢いで抑えられた。


だが歳を経て関係は逆転しかけた。私に若い頃の強さが無くなっていた。


生活と現実に疲れて『今日』と堕落し続けたから。


私は妥協した。


それを懐柔し、同化して蕩けて繋がった。


心地良かった。


耳触りの良い言い訳に流されているだけなのだから。


私は『彼女』と共存しているのだと。


当面、ひとまずはそれでよかった。


事実、破綻はしていなかった。


だからこそ気づくのが遅れ、そして『今』となってしまったのだ。


いや実際のところそれは現実に表されていた。


共存と思いこんでいたそれは屈服であり、私は徐々に『彼女』に侵食されていたのだ。


まず創ることが出来なくなった。アイディアも言葉も涙すらも全てが陳腐に見え、同じようにしか見えない。


思いつくもの、手が届くものが全てがただの『単語』となって『言葉』にならなくなった。


でも『足元を見ていれば空の色はわからない』ように、いつのまにかそれが普通になっていたのだ。


そして私は笑っていた。 


皮肉にポツリと笑っていた。 怒るわけでもなく、悲しむわけでもなくただへつらうように。


それは屈服の瞬間だった。

言葉と文字通りの意味で『心からの』


何もかもが終わったのだ。


何もやりとげなかった自分、そこだけはと守ろうとした最後に残ったその部分がいま死んだのだ。



取り戻そうと足掻いた、その心の裏の深いところでは『諦めていた』『見捨てていた』と自白して。


突きつけられたのだ。


もう『とっくに終わっていたこと』に


そして私は死んだ。 ただ『死んでないだけの死者』になったのだ。


そしてこの一年の間、ブラブラと揺らされていた。


しかし数日前に気づいた。


いや目覚めたのだ。


そう思わせられていたことに。


文学フリマの会場に溢れる作品。人。そしてその数々が現実となって私の『鬱』を一時的に引き剥がしてくれた。


お嬢さん、私が説明を聞いて『また、後で』と離れてから戻ってきたのを不思議がっていましたね?


あの時なのですよ。 まさにあの時。


あなたが翻訳したドイツ作家の小説。


ヴァルター・ライナーの『コカイン』


痩せこけて眼鏡をかけた紳士風の若者が表紙で、その絵に目を取られて、まあいいかと前に進もうとしたあの瞬間こそ『鬱』が私を見失った時なのです。


同時に私が『蘇った』瞬間でもありました。


そして最後に表紙のイメージからして『青年が街中を逃亡がてら歩きまわる』ような内容と勝手に想像し、その状況が自分と重なったようにも思えたからです。


そして読んだ結果。


結末もまた。 同じように。


手元で『コカイン』を開き、作者のその後を知る。


彼は詩人で薬物中毒者で放浪し、最後はモルヒネの過剰摂取で死んだそうだ。


これはそんな彼の唯一の小説。というかもはや先に書かれた確定度の高い未来の話だった。


違うのは死に方だけ。


まあ、そんなことは大した問題じゃない。


ただ『死ぬ』のは確定している。


それだけのことだ。


そう。 誰もが同じように。


俺だって同じだ。




チラリと時計を見る。


時刻は21時を過ぎたところだ。


カーテンを開いた向こう側は高級マンションそんな立地のホテルの部屋。


オレンジの間接照明だけを着けた。


テーブルの上にはポッキーが一箱だけ。


さてどうするか?


太っちょドンファンよろしく、窓を背にしてやはり手触りの良い若草色ソファに目一杯手足を伸ばして『逃亡生活』のこれからを考える。


財布の中には明日を変えてくれるほどにはないが数日の『豪傑さ』には耐えられるだけの金はある。


久々に自由だ!と叫んで酒でも飲もうか?


それとも取り戻した矜持と喜びをただひたすら書き記そうか?

 

はたまた久しく忘れていた『ため息』意外の深呼吸をして、ただひたすら『娑婆』の空気を愛でようか?


いずれにしても明日は来る。


そして腹は減る。


ただそれを繰り返すだけなのだ。 くたばるまで。


さて、これから何をするかはこれを書き上げた後にでも決めよう。


まずはこれを書き上げて、そして『コカイン』を開き、作中の彼のことを思い、黙祷をしよう。


そしてその後に逃亡者からの最大限の賛辞を彼と彼の作品と翻訳者に。


出会いがすべてを変える。


それが刹那でも一度だけでも。


なんのことはない。 ただ端的に言ってしまえばいずれ『追いつかれる』のだからそれまではただ感じたままでいいのだ。


ただ違うのは『死ぬ』か『死なない』かの差でしかない。


そして追いつかれたのなら決断をしなければならない。

それまでは逃げてやる。

逃げ切ってやる。 

泥臭く、息汚くても。

俺は生きてやる。


そして逃亡者である私は空虚な豪傑笑いをして表紙の『彼』を重ねて撫でるのだ。


いつかの自分のために。


これを読んだものは『コカイン』の彼にどうか黙祷を。



2022年11月20日東京浜松町のホテルにて『逃亡者』からの独白手記をこれにて終える。

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2022年11月20日東京。『逃亡者』からの手記 中田祐三 @syousetugaki123456

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