第2話 きつねの森
吾輩は仕方がなく狐が導くまま森を抜け、林を抜けて
「大狸! 何しに来た! お前が来るような場所じゃない!」
「出てけ出てけ!」
熱烈に歓迎されていない。なんとなく、ポン太の狐に対する態度と似ている。
「みんなお待ちよぅ。このお方は猫なんだってさァ」
「猫?」
「うそん。だってどう見ても狸にしか」
「ほらみんなァ。このお方からは狸のあの嫌ァな感じはしないだろう?」
そんなに明確にわかるものなのだろうか? 手を嗅いてみたがよくわからぬ。
ポン太らにも狸臭さというか、そもそも獣というものはそれぞれに臭いはするが、この狐連中とさほど変わるものではないように思うのだが。
そのうち慣れてきたのか何匹かの狐がもそもそと近づいてきてツンツンと吾輩の前足に触ってヒャッと逃げていくようになると、吾輩を連れてきた狐がギュルゥと睨みを効かせて狐どもを追い散らした。
「全くねぇ。みんな目新しいもんに目がないんだからァ。ごめんなさいよぅ」
「いや。それで何故土御門の森に訪れるのだ」
「それがぁねェ。あっちらも別に狸と喧嘩したいわけじゃァないんですが会っちまうとどうしてもねェ」
「誰だ!」
狐の先導に薄暗い藪を抜けると小さな洞があり、そこから鋭い誰何の声が聞こえた。番犬ならぬ番狐だろうか。
「若頭ァ。あっちですよォ。お客人を連れて参りやしたァ」
「む……なんだ? 狸じゃねぇか!」
「このお方、猫なんですって。狸の嫌ァな匂いしないでしょう?」
「猫? む……確かに?」
不審げな顔にこちらに、と言われてついて行くと、そこには吾輩よりさらに細長い一体の狐が息も絶え絶えに横たわっていた。体長3メートルほどはあろうかな。けれども体中にふつふつと痛ましい出来物ができている。その狐は頭を上げて一瞬我輩を強く睨み、少し首を傾げてまたその首を力なく地面に横たえた。
「いづ様、お客人です」
二匹の狐は大狐に恭しく頭を下げた。どうやらいづというのがその大狐の名らしい。
「失礼する。病か。お気の毒に。それで吾輩は何故呼ばれたのだ」
「いづ様の病は色々な薬草などを用いてもなおりませんでした。そこでこのコン助に狸の里に向かわせたのですが」
「あのねェミケ様。あたしら『
コン助は哀れ気な声を出す。
「狸吸出薬? 何だそれは」
聞いてみると狸吸出薬というのは狸の秘伝で、それを塗れば出来物はたちどころに治るのだとか。そんな便利なものがあるのか。
「では狸どもにそのように言えばよいではないか」
「それがですねェ、そう頼もうと思ってェ狸の森まで行くんですけども、どうしても狸を見ると気がたっちまってェ」
「そんなことを言っている場合じゃないだろ」
「……コン助、もう……よいのだ。お客人。狐と狸は相容れぬもの。これも我の運命、なのであろ」
大狐が絶え絶えの息の下からそのように二匹の狐を諭す。
運命。狸の連中も随分仲がいいが、ここの狐の連中も随分仲がよさそうだ。なんだか可哀想になる。
「ミケ様。なんとか狸吸出薬を狸どもから譲って頂くわけにはいかないでしょうか。あっちらでは話にならないんです。何卒、何卒」
「我輩も今そう思っていたところだが、それだけ仲が悪ければ無理ではなかろうか」
吾輩がこの里に来た時の狐共の反応も、このコン助が現れた時のポン太の様子も、長年の仇敵のような態度に終始していた。
「お客人。狸と狐は仲が悪うはござんすが、敵対しているわけではござんせん」
「うん?」
聞いてみると、会えば『嫌い』という気持ちが抑えきれぬものの、離れていればとりたててどうということもないらしい。だから平和的に離れて暮らしているのだとか。
意思ある狸と狐というのは『会うと喧嘩をする』関係という運命なのだそうだ。吾輩にはよくわからぬ。猫だからだろうか。
「そうすると、直接会わなければ仲が悪いわけでないのか」
「まあ好きか嫌いかというと嫌いでやすが、そういうもの、というだけのことでござんす」
「そういうもの?」
そうすると、何かの故があって嫌っているわけでも、ないのだろうか。
「ふうむ。そうするとその狸吸出薬とやらをもらうなら、見合うものを渡すのが筋と思うがその辺はどうなんだ?」
「いづ様がよくなられるなら、なんだって差し上げますよォ。でも狸にしても狐臭いものなんていらないんじゃァないかと思ってェ」
なるほど。そういえば狸は臭い臭いとさっきからしつこいな。嫌いなものの臭いは休まらないだろう。うん? 狐も同じなら狸の薬はいいのか? 塗り薬なら使い切ればいいのかな。そういえば。
「傷薬はないか? 切り傷らしいのだが、狸に怪我をした者がいるらしいのだ」
「ハハッ。いい気味だ」
「若頭ァ。気分はわかりますがねェ。ミケ様、
「ふむ。それで交換ということなら話ができるかも知れぬ。それでよいか」
「そりゃァ勿論薬をもらえるならこちらも薬を差し上げる分にゃぁ釣り合いが取れますねェ」
そんなわけで我輩は森に戻ってその旨をポン太に伝えた。どうやらポン太の友人の弟というのの容体はあまりよくないらしい。
それにしても狐に協力するとか沽券にかかわるみたいなことをブツブツ言う。
「ポン太よ。狐がその運命とやらで気に食わぬのはわからなくもないのだが、狸どもが狐どもに何らかの危害を加えられたことはないのだろう?」
「そりゃあまぁ、そうですが」
「それなら薬のやり取りだけすればよいのではないか。これっきりだ」
「ううん」
狸の集会でもこの話が話し合われ、結局薬をやりとりする、ということになった。気に食わぬ狐に対する面子より仲間の怪我のほうが重大なのは当然だ。
だから我輩は狸吸出薬を再び狐の森に持っていった。会えばやはり気に食わぬらしいので、狸でも狐でもない吾輩が行くより仕方がない。狸どもがわざわざ持っていって気が変わるのもなんだかな、と思うし。
持ってきた狸吸出薬をいづ殿に使うとたちまち膿は吸い出されて大狐は回復し、代わりに持ち帰った狐膏薬であっという間にポン太の友達の弟の傷は塞がり回復した。
これで一件落着だ。
そう思って森でうたた寝をしていたら、ザワザワと騒がしくなった。なんだろうと思ってみると、神社の人間が帰ってきたのが見えた。
「おや、ミケ」
「にゃん」
我輩はこの神社の人間が苦手なのだ。隣の大柄のよく美味いものをくれる人間の方が好きだ。
「ふうん。面白い。狸と狐の加護が同居している。初めて見ました」
「それはいいもんなのか? ミケは今日もふさふさしてるな」
「な~」
大柄の人間は我輩の首筋をひとしきり撫でたのち、干した魚を我輩にくれた。やはりこちらの人間の方が好きだ。
その後、狐と狸はいがみ合いながらも、それぞれの森の入り口で薬を投げ合って交換する姿が見られるようになったそうな。
了
猫と狸と狐 ~明治幻想奇譚~ Tempp @ぷかぷか @Tempp
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