仮想酔夢

@qan_ph

 雨が、降っている。押し潰れた家の屋根に零れた雫が、ちいさな音を出して地に落ちた。

 彼の両目が最期に捉えたのは、足が竦んでしまいそうになるほどの────…朱色だった。



 閉じた視界に仄かな明かりが灯る。それから耳いっぱいに痛々しいアラーム音が広がって、レーヴはそっと身体を起こした。


(懐かしい夢、だったなぁ…)


 窓から覗かせる木々は、いつものように雨に濡れていた。溜息をつき、ベッドから下りる。

 白いワイシャツに袖を通して、黒いズボンを取り出せば、服装はもう整った。元々大した量も入ってはいなかった棚の中から1本の髪ゴムを取り出して、慣れた手付きで結ぶ。

 部屋の隅に置かれたちいさなトランクを横目で見て、レーヴはベッドを片付けるのだった。



──────この国は狂っている。

 いつか、誰かがレーヴの耳元で呟いた言葉。ぐるぐると頭の中を巡る。

 この国ではかつて、"王"を崇めていた時期があった。どんなに横暴で可笑しいことも、王が命令すれば絶対。それを良いことに、何代か前の王は国民を無下に扱った。

 国民の不満は高まる一方だった。けれどそこに、救世主が現れた。──そう、神様だ。

 正確に言えば、自身を神と名乗る者。本当にソレが神なのかどうかは誰にも分からないが、王を殺し、王を中心とする政治をやめさせた。

 本来ならば罪に問われる行為。だが既に、国民は手遅れであった。

 自身を神と名乗る者を、自分たちを窮地から救い出した神だと、信じきってしまったのだ。

 そこから国が良くなっていくのは目に見えていたことだった。ここは、王を崇める国から神を崇める国になった。しかしどうだ。王がいなくなった今度、神と名乗る者は秘密裏に人間を改良する薬を作っていたらしい。

 トラウマを糧とする能力を 発動させる薬。

 他国で流行っている病への対策だと、ソイツは国民全員に義務としてその薬を服用させた。

 薬は一定の者にしか効果を示さなかったため

何ともなかったように思えた。しかしその薬は、どんな臓器の消化酵素でも消えることのない性質を持っていた。厄介なことである。つまり、一度服用してしまったが最後。本人もその子供もその子供も、全員が能力を発動させる危険性がある人間になってしまったのだ。

 それをやっと知った国民が押し寄せて来て、神と名乗る者は愉快に笑った。


「アナタたちがワタシを信じたのでしょう?何故今更になってワタシを責めるのですか?」


 正論をぶつけられても尚、国民達は叫ぶ。神と名乗る者は呆れたように、また口を開いた。


「如何して其のように悪い方へ考えるので御座いましょう。ワタシが皆様に確実に授けたのは特別ななモノを授かれる身体。そして授かれるかもしれないものはワタシ・神からの贈り物である"GIFT"。これを受け取ったものはつまり、神からいただいた能力を持った、特別且つとても大切なヒトなのですよ?」


 ソレはふたたび笑った。

────────今度は本当の"神"として。


「サァ、ワタシを崇めなさい。そしてワタシからの"GIFT"を貰った─"預者"を、この城から一番近い、"GIFT"を貰えなかった者たちの住まう場所、"奪者"大都市の真ん中に集めるの。

預者を鳥籠に閉じ込めるように重宝すれば、アナタたちは死後にワタシからの恩恵を受けることができるでしょう!」


─────これが、新たなこの国の始まりだ。

 神から特別な者のみに与えられる"GIFT"、それを与えられた者は預者。逆に与えられなかった一般の者を奪者と言い、その者たちが大勢集まる国の中心部を奪者大都市と呼ぶ。


 そうして言わば"洗脳"された国民たちは、神を崇め預者を重宝する国を作り上げたのであった。そんな言い伝え通りの暮らしが、今では安定している。


 私も、そんな暮らしをする1人だった。幼少期こそ違うところで暮らしていたものの、今となっては完全に馴染んでいた…つもりだった。

 この国では、定期的に預者かどうかを調べる検査が行われる。ついこの間の精密な検査の結果、私は"預者"と呼ばれる部類だと判明した。

 先程説明した、神と名乗る者…今は神と崇められる者は、"預者保護施設"を開設した。その名の通り、神に選ばし預者が保護される所。預者とわかった者が、生涯を全うする所。


 私は今から、そこに囚われることになる。

 不意に、あの子の笑顔が脳裏を過ぎった。


(忘れてしまえたら楽だったのに。)


 いつも通りの雨の匂い。懐かしくも恐ろしい程に清潔な目の前の施設を見て、今すぐにでも逃げ去ってしまいたかった。

 忘れたい想い出が、美しい想い出が、沢山詰まった場所。レーヴはきっともう、誰よりも此処のことを知っていた。  


 頑丈な門をくぐり抜ける。何故か、雨が強くなった気がした。

 今日からまた始めるんだ。死ぬことを、失うことを恐れるのは、もうやめた。

 呼吸を整え歩き出す。綺麗に整備された道の土が、踏む度にキシキシと音を立てた。

 照明の光を浴びて、レーヴは目を細めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

仮想酔夢 @qan_ph

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ