第212話 裏の世界

 そして走り出そうとした時――後ろから、強く引っ張られた。


「っ!?」


 数歩よろめきながら振り返ると、フォーマルハウトがマントの裾をつかんでいる。


「何する気か知らねえけどなあ、お前はこの世にいていい存在じゃない」


 そう言って、拳銃を構える。


『X!』


 Yが叫ぶと同時に、Xはマントの留め具を外した。


「おわっ!」


 今度はフォーマルハウトがバランスを崩してよろける。


「――そんなのはもうどうだっていい!」


 Xは、澄んだオッドアイでフォーマルハウトを捉えた。


「お前達にとってはそうでも、皆にとっては違うんだ。僕は、生きてていいんだ!」


 もう、迷わない。皆が、認めてくれたから。こんな自分に、いていいと言ってくれたから。


 定位置に向かったXが、くるりと中心を向く。


『今だ!』


「引けえええ!」


 KとAが同時に叫ぶ。


 持っていたメジャーをフェンスの隙間に引っ掛けた怪盗達が、ボタンを押す――!


 幹部達の足や体に絡みついていたワイヤーが巻き取られ、団子のように一箇所に集まる。


「なっ!?」


「なんだこれ……!?」


 状況が飲み込めていない幹部達の中、ベガだけは、なにかに気づいた。


「まさか……!」


「そうだ。ベガ、お前がXを殺ろうとしたときに使った手だ」


 ワイヤーを相手に巻き付け、あとから巻きとって動きを封じる。Kが思いついたのは、それをそのままやることだった。


 一時的な拘束にしかならないだろう。だが、それで十分だった。もうすぐ、警察が来るのだから。


「くそっ、いつの間に絡めてたんだよ!」


 ワイヤーから逃れようと、幹部達は体を動かす。しかし、ワイヤーを巻き取る力が強く、ろくに動かすことができない。


 と、幹部達はハッと顔を上げた。怪盗達も顔を上げる。


 パトカーのサイレンが、近づいてきていた。


「…………」


 メジャーを固定したAは、おもむろに歩き出した。その視線の先にいるのは、拘束された幹部達を呆然と見ているベクルックスだ。


「――聞かせろ。お前が、どうしたいのかを」


 静かに、問いかける。


 しかし、ベクルックスは、目の焦点が定まっていなかった。どこか虚空を眺めている。Aの声すら、聞こえているのかわからない。


「おい」


 正面に立っても、ベクルックスは微動だにしない。


「聞いてるか?」


 肩に手を置いた瞬間――ベクルックスはAの胸ぐらをつかみ、足払いをして地面に叩きつけた。


「がはっ!」


 ギリギリで受け身を取るが、ベクルックスはAの左胸に拳銃を向けた。


 一瞬の出来事だった。


「A!!」


「伊月、お前……!」


 Rの声とAの声に、ベクルックスはハッとした。わけがわからないといった表情で、Aの胸ぐらから手を離す。


「……オレは……」


(……染み付いている、のか)


 恐らく、無意識に防衛反応が出てしまったのだろう。幼い頃から叩き込まれていたであろう、裏社会で生きていくための術が。


 幼い頃身につけたものを、成長してからやめるのは難しい。ベクルックスがそう簡単に、表の世界に戻れるわけではない。


「……どうしたいかなんて、わからない。未来のことなんか、考えたくない」


 ベクルックスは、消え入りそうな声でそう呟く。

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