第170話 逆鱗

 想像はできていた。だが、そうだとしても自分が死んだ後だろうと思っていた。


「……来ないだろ。僕を餌にした所で、僕は木戸君達にとっては裏切り者なんだ」


 A達が来たのは想定外だったため仕方なかったが、自分は裏切った演技をした。口には出さなかったが、自分がアクルックスであるかのように装ったのだ。あの状況でA達を突き放す方法は、これしか思い浮かばなかった。


「いや、来る。あのお人好しぶりなら、貴様が本当に裏切ったとしても助けに来るだろ。……まあ、そうだとしても貴様を生かしておく必要はないんだがな。仕方ない」


 冷たく言ったベクルックスはパソコンに向き直った。


(あれ……? 今……)


 翔太はベクルックスの話し方に違和感を覚えた。そして、ある答えが翔太の頭の中で導かれる。


「……伊月、お前なんかあったのか?」


「え?」


 ベクルックスのパソコンを打つ手が止まった。怪訝そうに翔太を振り返る。


 今翔太は、ベクルックスではなく『大沢伊月』に話しかけている。


「……何だと?」


 ずっと感じていた違和感は、今の伊月の言葉で決定的になった。


 どうしても確かめたかった。このチャンスを逃せば、多分……もう二度と訊けなくなるから。


「前のお前なら、仕方ないなんて言わなかっただろ。木戸君達を釣るのだって、文面だけでいいんだから僕を生かしておく必要はない。僕を殺るチャンスなんていくらでもあったのに、全部スルーした」


 伊月は黙って翔太の話を聞いていた。


「僕を消すのがお前の任務なんだろ? けどここまで僕を生かしてる。……お前、もうそういうことしたくないんだろ?」


「っ……! 黙れっ!!」


 逆鱗に触れてしまったのか。ベクルックスがいまだかつてないほどの大声で叫んだ。それと同時に拳銃を構えて撃つ。放たれた弾は翔太の右側頭部を掠めた。


「ぐあっ……!」


 ほとばしった鮮血が翔太の右頬を伝い、地面に落ちる。


「それ以上言ったら貴様の頭吹っ飛ばすぞ!!」


 翔太は焼けるような激痛に顔を歪めながらも、怒り狂うベクルックスを悲しげに見た。



 宇野のSUVは法定速度ギリギリの速さで大通りを走っていた。


『特定できたよ』


 走り出して五分ほどで、海音の声がした。怪盗モードのいつもより低い声だ。


『二、三年前にテナントが退去した廃ビルだよ。防犯カメラは今から探すけど、動いているかどうか……』


「わかった。頼む」


『うん』


 短く返事をした相賀はジャケットの左胸部分をつかんだ。その内ポケットには、翔太のロケットが入っている。


「……それにしても、どうして翔太は急に……」


 相賀の隣に座っていた瑠奈が口を開いた。


「せやな」


 二列目に座っている拓真がチラリと振り返る。


「なんや悩んどったのはわかっとったけど……まさか、突然こんなことをするなんて思わんかったわ」


「そうだよね……」


 詩乃も神妙な顔で頷く。


「……ごめん」


 相賀の小さな声に三人が振り返る。


「……俺の、せいだ」

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