第153話 相賀と実鈴

 いつも通りの声……に、聞こえるけど。


「……なあ」


 相賀はスマホを持ち直し、口を開いた。


『何?』


「……辛かったら、言えよ」


 電話の向こうで、息を飲む気配がした。


「俺達じゃ実鈴の辛さは理解しきれない。けれど、話し相手になることくらいはできる。そういうのは、溜め込むより吐き出したほうが楽だ」


『……そうね。引きずっていないといえば嘘になるわ。大田君が言ってたじゃない、アクルックスが私達のクラスにいるって』


「……ああ」


『それはつまり、私達のクラスの中にも裏切り者がいるかもしれないってことでしょ? でも、私はまだ、クラスメート達を疑うことができない……』


「……それは当たり前のことだ。自分を責める必要はない。……俺だって、仲間を疑いたくなんかないんだよ」



「…………」


 相賀の血を吐くような声に、実鈴は何も言えなかった。


 実鈴は警視庁にいた。五島からは来なくてもいいと言われたのだが、じっとしていると大空のことを思い出してしまうため、無理矢理来たのだ。


『でも、どうしても言いたくないなら言わなくてもいい。言えるときで構わない。そういうのは話すと楽になるけど、話してる途中が辛いからな』


「……ええ。ありがとう」


 電話を切った実鈴は窓の外に目を向けた。黒い雲が垂れ込め、雨水がアスファルトを叩いている。さらに窓ガラスがガタガタ鳴っていた。


「……嫌な天気ね」


 まるで、今の自分の心のようだ――


 そう思ったとき、部屋の扉が開いた。驚いて振り返ると、五島警部が立っていた。


「警部」


「すまんな。その……今日は帰ったほうがいいんじゃないかと思ってな。こんな天気だし、紬ちゃんの側にいたほうがいいんじゃないか?」


「…………」


 実鈴は、すぐにその言葉が建前であることを見抜いた。本当は、まだ精神が回復していない実鈴を捜査に参加させるのは憚られるのだろう。


 実際は逆で、捜査をしていたほうが気が紛れるのだが……紬のことを考えると、帰ったほうがいいかもしれない。まだ紬は小学生だ。こんな嵐の中、一人で留守番しているのは心細いだろう。


 ――あの家に帰る人が、一人減ってしまったのだから。


「……すみません。そうさせていただきます」


「ああ。よかったら送っていこうか?」


「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 実鈴が頭を下げると、五島は目尻を下げた。


「……無理しなくていいんだからな」


「……はい」


 うなずいた実鈴は部屋をあとにした。エレベーターを待つ間、相賀の言葉が脳裏を巡る。


『……辛かったら、言えよ』『そういうのは、溜め込むより吐き出したほうが楽だ』『……俺だって、仲間を疑いたくなんかないんだよ』


 そうは言っても、何を話せばいいのだろう。実鈴は、自分の心に雨雲をかけているものの正体をわかっていなかった。


 誰かに話したい。楽になりたい。でも、うまく言葉にはできない。


 もどかしくて、実鈴はギュッと拳を握りしめた。

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