第130話 兄

「ただいま〜」


 実鈴が鍵を開けて家に入ると、玄関から真っすぐ伸びている廊下で大空そらが電話をしていた。


「ああ、お帰り、実鈴」


 大空はスマホの通話口を押さえて実鈴を振り返り、すぐにスマホを耳に当て直す。


「ただいま、兄さん」


 電話の邪魔をしないように小さな声で言った実鈴はリビングの引き戸を開けた。すると――ソファの側に、つむぎが倒れていた。


「!? 紬!」


 実鈴は持っていたバッグを放りだし、紬に駆け寄った。


「紬!? 大丈夫!?」


 抱き起こしてみると、紬は静かに寝息を立てていた。


「寝てる……?」


「ああ、大丈夫だよ。寝かせただけだから」


 ハッと振り返ると、電話を終えた大空が立っていた。後ろ手に引き戸を閉め、ニヤリと笑う。


「兄……さん……?」


「その様子だと、気づかなかったみたいだな。俺の演技力もなかなかだな」


 実鈴は目を疑った。目の前にいるのは、今まで見てきた兄ではない。


「貴方……誰? 兄さんじゃないわよね?」


「ハハッ! いい加減状況を理解しろよ」


 笑い飛ばした大空は不意に冷たい表情になった。それを見た実鈴の背筋に冷たいものが走る。


「俺はお前の兄だよ。まあ、本当の兄じゃない。だって、そもそもお前に兄なんていないんだからな」


「え……?」


「俺の正体を明かしたほうが話が早そうだな。――俺は一等星・フォーマルハウト。組織からきたスパイだ」


「――!?」


 愕然とする。そんな、そんなはずは……


「お前達は利用させてもらうぞ」


 言い終わるやいなや、大空は実鈴に突進した。座り込んでいた実鈴は咄嗟に逃げようとしたが遅かった。


「きゃあああ!!」


 スタンガンを当てられ、紬を抱えたままその場に崩れ落ちる。必死で体を起こそうとするも、まぶたが落ちてくる。


(ダメ……眠ったら……!)


「運んでおけ」


 大空の、今まで聞いたことがないような冷たい声が耳に響き、実鈴は意識を手放した。



 夜中の十一時。相賀は自室でパソコンを操作していた。パソコンの画面にはたくさんの宝石の写真が映っている。


「これはまだ大丈夫そうだな。こっちは……」


 独り言を言いながらターゲットとなる宝石を選んでいく。


 と、デスクに置いていたスマホが振動した。


「電話? こんな時間に……」


 取り上げて見ると、知らない番号からの着信だった。普段は知らない番号なら無視するのだが、今日は嫌な予感がした。


 通話ボタンを恐る恐る押し、耳に当てる。


「……もしもし?」


『佐東実鈴達は預かった』


 突然、変声幾を通したような無機質な声が聞こえてきた。


「……え?」


 相賀は今言われた言葉が理解できず、思わず聞き返した。立ち上がってひっくり返した椅子が床に倒れる音が遠く聞こえる。


『もう一度言う。佐東実鈴達は預かった。返してほしいなら、今から送る場所に来い。全員でだ。一人でも欠けていた場合、即座に人質を殺す』


「待て! お前は誰だ!? 達ってなんだよ!?」


 相賀の叫びが部屋に響く。


『……フォーマルハウト』


 少しの間の後、告げられた単語に相賀の背筋が凍る。


 秋の一等星、フォーマルハウト。そして、自分達の中に潜り込んでいるスパイの名前――


『これだけ言えばわかるだろう』


 電話はそこで切れた。


「っ! おい!」


 怒鳴るが、終話音が虚しく鳴るだけだった。


「くそっ!」


 スマホを耳から離した相賀はギュッとスマホを握りしめた。


「あいつら……!!」


 怒りに顔を歪め、即座にスマホを操作した。

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