第18話 アンタレス

『ただいまより、一年A組の劇、アンタレスを上映いたします……』


 観客が入った体育館に、放送委員会の生徒の声が響く。


 今日は文化祭。本番だ。 


 ブザーとともに幕が開く。そしてステージの明かりがついた。


 ステージの中央付近を子供役の海音と香澄が歩いている。


「聞いたか? サラト王子様の話」


「うん。聞いた聞いた。なんか、アルト王子様が優遇されているらしいね」


「でも、サラト王子様ってアルト王子様のお兄様だろ? どうしてだろうな……」


 二人が考えながら袖に引っ込むと、ステージの明かりが落ちた。


 その隙に、翔太達がステージ中央に移動する。


「うるさい!」


 妃の怒鳴り声とともに、明かりが戻る。そして妃は間髪を入れずにサラトを蹴飛ばした。


「っ……」


 倒れたサラトが顔を歪めながら体を起こす。目にギリギリかかるくらいの長さに切った前髪がぐしゃぐしゃになり、赤い右目がスポットライトに照らされて光る。


 劇は順調に進んでいき、中盤の見せ場の場面になった。


 城を追い出されあてもなく歩くサラトがアンタレスを歌うのだ。


「頑張れ」


 小声で応援する相賀に軽く微笑み返し、一歩踏み出す。


 袖からゆっくり出てきたサラトにスポットライトが当たり、曲が流れ出す。


「――♪あの空に光る星は ♪どこに行ってしまったの ♪僕はあの空みたいだ ♪全部こぼれ落ちた」


 小さい、しかし芯があって惹きつけられる声に、観客は一瞬のうちに魅了された。


「あいつ、こんなに歌上手かったんだな……」


 相賀が感心したように呟く。


 サラトが歌い終わると大きな拍手が沸き起こった。


 拍手が弱まった頃を見計らい、悪役の拓真と柚葉が現れた。


「なあそこの兄ちゃん。オレ達金がねえんだ。持ってたら分けてくれねえか?」


 男に言われてサラトは戸惑った。自分は城を追い出されたのだから金なんて持ってるはずがない。


「ごめんなさい。僕も持ってないんだ……」


 やんわり断ると、女がスッと近づいてきた。


「そんなことないでしょ? こんなに豪華な服来てるんだもの」


「それは……」


 元王子だから、とは言えない。どうやってこの二人から逃げるか考えあぐねていると、男がガシッとサラトの肩を抱え込んだ。


「!」


「まあとりあえずさ、ここじゃなんだからあっちで話そうぜ」


「あっ、ちょっと……!」


 男の手から逃れようとするサラトだが、男の力が思いのほか強く、抜け出せない。


 その時、


「ちょっと、あなた達何やってるの?」


 袖から瑠奈――若い女性が現れた。


「あん? 何だねーちゃん」


「さっきから見てたけど、その子嫌がってるじゃない」


「何なのよあなた――」


 女が女性に近づいたとき――女が突然ガクリと膝をついた。


「え?」


 男が素っ頓狂な声を上げる。


「テメエッ……エレナに何を……」


「ちょっと寝てもらっただけよ」


 手刀を納めた女性は平然と言った。


「クソッ!」


 男はサラトを乱暴に突き放し、女性に突進した。


「学習しないわね」


 女性はスッと右足を上げた。その瞬間には、男はもう倒れていた。


「大丈夫? 少年」


「あ……ありがとうございます……」


 サラトはペコリと頭を下げた。と、


「おーい、ローズ」


 袖から光弥――男性がやってきた。


「あ、リーアム」


 女性――ローズの顔がパッと明るくなる。


「なにやってんだよこんなところで……」


 男性――リーアムはローズに近づいてきたが、倒れている男達の前で止まった。


「ハァ……またやったのか?」


「だって……この子が困ってたから……」


 しばらく、三人のシーンが続く。相賀はトイレに行こうとそっと体育館を出た。



 一方、相賀達と逆の袖では。明歩が悶々とステージを見ていた。


「私が……光弥とやりたかったのに……」


「しょうがないよ」


 愛が優しく慰める。


「あみだくじで決まったんだから」



 廊下を歩いていた相賀は、人気のないトイレの近くの廊下の隅でしゃがみ込んでいる女子を見つけた。小学生くらいの、ハーフアップの女子だ。肩が小刻みに震えている。


「ねえ、君。どうしたの?」


 女子の側にしゃがみ込み、優しく声を掛ける。すると、女子は振り返った。やはり泣いている。


「迷子かな?」


 相賀が言うと、女子はしゃくりあげながら頷いた。


「お兄ちゃんと、来てたんだけど……いなくなっちゃっ、て……」


「そっか……じゃあ一緒に――」


 相賀が言いかけたとき、


「紬! 紬!! どこだ!」


 男性の声がした。


「お兄ちゃん……!」


 女子が走り出す。そして男性の背中に抱きついた。


「紬! そこにいたのか!」


 男性が振り返り、女子――つむぎを抱き締め返す。


「良かったな、兄さん見つかって」


 相賀が言うと、紬は満面の笑みで頷いた。


「紬を見つけていただいてありがとうございました。……あれ?」


 頭を下げた男性は首を傾げた。


「君、もしかして相賀君?」


「はい? そうですけど……」


「やっぱり。俺は大空そら。実鈴の兄だよ」


「え!?」


 相賀は素っ頓狂な声を上げた。


「君達の劇を見に来たんだけどね、紬とはぐれちゃって探してたんだよ」


「そうなんですか……」


「ありがとう。助かったよ。それじゃ」


 大空は軽く手を振り、紬と手を繋いで歩いていった。


 ふと、相賀の脳裏に思い出がよぎる。



 あれは確か、小学生一年のこと。真優と買物に来ていた相賀は真優とはぐれてしまい、迷子センターにいた。係員の女性が慰めてくれたが、涙が止まらなかった。


『相賀!』


 その時、真優が猛ダッシュでセンターにやってきた。


『お母さん……!』


 相賀も駆け出し、真優に抱きつく。

 

『良かった……!』


 真優も相賀を抱き締め返す。そしてギュッと右手を握った。


 その手の暖かさを今でも覚えている。



 相賀はしばらくその場に立っていた。


 換気のため開いていた窓から、柔らかい日差しが射し込んでいた。

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