クモヒトデと呪術師

藤花スイ

第1話

 私は呪術師の母と村一番の狩人の父に育てられ、何を食べたいとも、何が欲しいとも思わずに大きくなりました。

 母の家系は呪術師の家系でありましたから、幼い時分から私も母の手伝いをしまして、呪術師の卵として修行しておりました。

 私の村は山にありましたが、二日間歩いて山を三つ越えると海に出ます。私と母は、季節ごとに海へ出向き、呪術用の素材を採取しました。取ってきた素材は母によって加工され、山の神を呼び出す儀式のために使われます。そして、酒や肉、御幣、木刀などを供えたあと、帰還の儀式を行うことで神様は安全に供物を持って帰ることができます。

 私は特にこの帰還の儀式が得意で、私が祈ると供物の取りこぼしがなく、神様が平穏に帰路につけるということで、いつの間にか私の仕事となってゆきました。


 ある時、私が成人した季節のことですが、母が森の木の根に絡まれ、足を怪我してしまいました。

 母は「あなたは今年成人したのだから、山の神があなた一人で行う儀式を見たがっている。私が成人した時も、私の母が成人した時も、婆様が成人した時も、みんな一人で行うことになった」と言って、まず素材を集めてくるように言います。


 私は支度をして、いつものように森の中に入る前に三回礼拝をして、ヤマグルミの殻が五つ付いた楽器をカラカラと鳴らしてから、丁寧に左足を踏みしめた後、歩いて行きました。

 森を女が一人で歩くというのは本来は危険なことですが、呪術師が素材を取りに行く際、しっかりとした手順を踏み、呪文を唱えていれば、獣に襲われるということはありません。また、呪術師の女を森の中で襲うというのは、山の神を大変に怒らせることになるので、無体を働く者もおりません。


 私はいつものように母に教えられた呪文を唱え続けながら、森の中を歩きます。

「クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル。クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル」


 二日間歩いて、山を一つ、二つ、三つ越えます。

「クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル。クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル」


 いつかからかどこからか、潮の薫りと波のザーっという音が聞こえてきます。

「クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル。クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル」


 海はもうすぐです。

「クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル。クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル」


 今回は途中で雨が降ってしまっていたため、海に着いたのは夕暮れになってからでした。素材集めにも時間がかかりますので、私は海の近くに建てられた滞在用の小屋に入り、軽く埃を払ってから、夕飯の支度をはじめました。

 夜が更けてから、衣繕いを終えて床を準備している時、外側から「えへん。えへん」という音が聞こえます。これは外にいるものが中の人に会いたいことを示す合図でありますので、私は戸の閂を抜いて応じます。

 よく耳をすますと、もっさもっさという音も聞こえてきます。ガラッと戸が開けられるのをしっかりと見ていますと、入ってきたのは大きな大きなテヅルモヅルでありました。

 テヅルモヅルは入ってくるなり、私に声をかけます。

「やっぱり君が次の呪い師か。君の噂はよく知っている。山の神たちのお気に入りだからね」

 そう言っている間にもテヅルモヅルの腕はわっさわっさと音を発しております。

「山の神たちから、今度、君の成人祝いの儀式があると聞いている。その時どうか私を山神のところへ連れて行ってくれないだろうか」

 生き物にも位階というものがありまして、海の生き物は山の神の世界に連れていかれることで位が上がります。山の神は珍しい海の生き物たちと遊べることから、海の生き物は位階をあげられることから、感謝して村ごと呪術師を守ってくれるのであります。


 願ってもいないことですが、私は気になったことがあったので質問します。

「テヅルモヅル様、そのようなお話、望外の喜びにございます。ですが、このように顕現して、私とお話しできるということは低くとも亜神の領域にいるお方、私などのような未熟者が儀式を行って良いのでありましょうか」

 それを聞いたテヅルモヅルは、これまでに見たことも聞いたこともないくらいに腕をもっしゃもっしゃと鳴らしながら答えます。

「君のように仕事上手、支え上手で精神の良い呪術師は見たことがない。そのような者に儀式を行ってもらえるのはこちらこそ本望だ。それにいつも聞いている。君が森に入るたびに高らかに歌い上げる声は山をいくつも超えて海にまで届いているのだ。私だけではない、クモヒトデやユウレイモヅルも新しい季節が来るたびに君のことを噂しているよ」

「それでしたら私も望む所でございます。これから準備をいたしますので、明朝お迎えにあがります」

 私は、何度もなんども丁寧な礼拝を行い、ヤマグルミの殻がついた楽器を鳴らしながらテヅルモヅル様にお礼を送りました。


 翌朝、私は日の出とともに目を覚まして、旅の服を裏返して着用します。そして何度もなんども礼拝を行いながら、お迎えの準備を整えます。

 海の神への心づけのために持たされた酒を木彫りの器に垂らして、かおりをあたりに広げながら、海へと歩いて行きます。

「クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル。クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル」


 海が近づいてきます。

「クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル。クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル」


 海辺には昨日見たテヅルモヅル様よりはふた回りほど小さいテヅルモヅルがおりました。

「クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル。クモヒトデ、ユウレイモヅル、テヅルモヅル」


 私は母に習った通り、十五回礼拝をしたのちに海に酒をゆっくりと流し込みまして、テヅルモヅル様をはじめとした海の素材を採取して、村に帰って行きました。

 その後、私の儀式は成功しまして、長い間、村に熊が入り込むことも、奇病が発生することもありませんでした。


 私は村一番の狩上手である男と結ばれ、四人の子に恵まれました。

 そして、娘に呪術師としての仕事を受け継いだ後、何を食べたいとも、何が欲しいとも思わずに幸せに老いてゆきました。

 若者よ、誰も見ていないと思っていても、山の神様も、海の神様も、遠くから私たちの行いを見て、お話なさっているものなのですよ。と、ひとりの呪術師が語りながら世を去りました。

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クモヒトデと呪術師 藤花スイ @fuji_bana

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