第3話 侑李と仁凪の記憶

「侑李は一生友だちだよね?」

「もちろん。なに、改まって」

「いやいやだって、出会って七年の記念日ですから~」

「乙女かよ」

「乙女ですよ~? この記憶をずっと留められるように早く完成させましょうコレ」

 うん、でもそう、あと一息。

 結局、記憶とはシナプス同士の繋がりで、その配列だ。どのように接続されているのか。電気信号が繰り返し、同じルートを通ることで轍ができるように道ができ、その記憶が定着する。その近くの道を辿ることで想起される関連記憶。だけどそもそもそのシナプスの回路は人によって異なっている。

 手順はわかる。まずその記憶、シナプスの通り路を正確に記録する。ルートの順位付けをしたままその記録を保管。それができればその周辺に同様に反応を示す関連シナプスを配置していく。確定ルートを特定できなくとも一連の記憶が相互に補完して……

「侑李、またボーッとしちゃって」

「ごめんごめん」

 私の馬鹿!

 なんでそこで話しかけちゃったの。ばかばかばか。大事なところだったのに!

 記憶をそのまま保管、でもその方法も本当は確立できていない。そう、シナプスの形は人によって違うから、どんなふうに配置するかはまだ検討段階だった。

 だからシステム完成段階で私か侑李で外部保存を試そうと思っていた。急いで進めて侑李の記憶のバックアップを取っていたら、こんな風に困らなかったのかも。それで今やってる記憶の抽出方法は、シナプスの形状をそのまま転写して、いや、今はそれはいい。それよりまた潜ろう駄目な範囲は、ええと。


 手元のメモを確認する。

 そう、シナプスの配置。複数ルートから推認できる、欲しい情報がありそうなルート。それが少しだけ体感的に分かってきた。でもここからこの範囲は行っちゃ駄目。ここを上書きすると私が機械を調整できなくなる。だから、駄目、そうすると可能な範囲はええと。

「それにしても暑いよ、暑すぎるよ」

「そうねぇ、侑李、夏はどっか行く?」

「とりあえずそんな余裕はないね。研究を勧めなきゃ」

 仁凪と一緒にいられるし。

「そういうことじゃなくて、一緒にどっかいこうよってこと」

「ああ、いいね、温泉でも行く?」

「夏なのに温泉? 暑くない? 海とかどう」

 侑李と海かぁそれもいいな。その景色をずっと残したい。だからシナプスというのは球状に皮質状に形成されていて複層で……

 目の前の黄色いワンピースをだらしなく着崩してイエローチェーンのブラストラップをチラ見させる仁凪に目を細める。可愛い。

 ちょっと違った。でも、海。そうだ、海、なんだったかな。ええと。

 でも、そうか、欲しいのは記憶の再構築方法。球状で、安定。

 そう口の中で繰り返した瞬間、言葉にならない泡のような思念がふつふつと脳裏に満たされる。これが侑李の思考の形。浮かび上がる関連記憶。私の脳に深まる轍。

 大丈夫、仁凪はもう全部わかってる。記憶は再構築されている。それをそのまま転写すればいいんだよ。

 目の前が霞む。

 私が見る目の前の私。

 んんん。なんだっけ。

 データはあって、それを再構成して入力するプログラムを作らないといけないんだ。だから。ええと?


 認識がグラグラする。けど、PCを起動。

 コンソールを開く。ツリーをつなげる。ふらふらしながら選択されるコマンド、それから、そうだ再構築だ。私は私の脳の動きをモニタリングしている。七十五時間十二分分。どのように私の中で侑李の記憶が光を描き、私の大脳皮質上で侑李のシナプスの回路が創成されていくかがきちんと記録されている。結局の所、侑李の記憶を保管できるのは今の段階では同種の媒体しかなかった。つまり私の頭の中だけだ。

 何度もなぞって明確になっていくシナプスの道。元々の道は埋められ、どんどん上書きされていく。その狭間を埋めて泡沫のように次々と浮かび上がる関連記憶。

 仁凪の中のもともとの記憶はどんどん侑李の記憶が上書きして、すでに認識の主体がどちらなのか、もはやよくわからなくなってきた。私は仁凪なのか侑李なのか、手元のたくさんのメモがなければもはや主観的には区別が困難だ。


 でも死守できた。仁凪の工学の知識は。

 侑李においては脳神経学に相当する知識の部分。多分ここからたどればもっと早く、私と侑李をうまく分離したまま構想にたどり着いたのだろう。けれども私が、仁凪の、自分自身の知識を失ってしまえば、機械を完成させて侑李の記憶を侑李に戻すことができない。私にとっての勝利条件は私、仁凪が大好きな侑李の復元。

 それに侑李を元に戻すことができれば、侑李はきっと私のこんがらがった頭のなかから私独自の記憶をサルベージしてくれる、といいな。

 それからしばらく頭をふらふらさせながらコードを組み上げた。完成した。これでもう、大丈夫。だからこの工学の知識も手放しても大丈夫。

 手元にメモを追加。


『プログラムは完成しました。侑李、私の記憶を全部集めて、私にもどして、どうか仁凪を治して』


 目に入るキーボードを打ち込む仁凪の手のひら。いつしか私の目からは涙がこぼれ落ちていた。私じゃない目玉から。

 目の前に横たわる私の脳内のシナプスを歩き回り、可能な限りの記憶を上書きした。私の大好きな仁凪の体に。私の中にいる仁凪がどんどん失われていく。悲しい。悲しい。なんで私はこんなことをしているの。大好きな仁凪。

 けれども私が仁凪を治すためには私の全ての記憶を全てを拾わないといけない。それが一番確実で、それが仁凪の望み。仁凪が好きな私。なのに私はこの仁凪の体から次々と仁凪を消していく。

 目の前に置かれた2つのコーヒー。私が好きなブラックと仁凪が好きな蜂蜜入り。ブラックを入れようとしても、仁凪の体は無意識に蜂蜜の瓶をとって入れてしまうから二杯分。蜂蜜入りなんて前は考えられなかったのに体が欲しているのはこっち。仁凪の中の私の中に、確かに私の大切な仁凪がいる。不思議な気持ち。私は自分を仁凪だとはちっとも思えない。なのにだけど、やっぱり私は仁凪なんだろう。

 記憶を集めて再構築してアウトプット。それを自動で行えるよう、私の中の仁凪が、私たちが作った機械に組み上げた。あとは起動させるだけだ。

 アウトプット用のヘッドセットを被って私の隣にくっつけた台に横たわる。横を向くと、本体の私がぼんやり半分目を開けている。自分の外に自分がいる。ひどく奇妙な感覚だ。気がつくと、手が勝手に本体に伸びて、本体の手のひらの上に手のひらを重ねていた。本体の指先がピクリと動く。仁凪、早く私に会いたいんだね。この体の奥底に、今は轍の底に深く沈んでしまった仁凪。


 これから私と仁凪が長い時間をかけて記録した私の記録、つまり侑李の記憶を本体に転写する。けど、それは機械にモニタリングされた上書きされた侑李の記録だけ。その時に走査線上に発生した光の粒にすぎないこの私の認識は移らない。私は自分を侑李としか認識できないけど、これは仁凪の体にうかんだ仁凪の脳波の作用なんだから。

 本体が起動したら本体はこの仁凪の中にある仁凪の記憶を拾い上げる。それこそが私と仁凪の希望。そして私のこの認識は再び上書きされる仁凪の記憶に押しつぶされて消えてしまうだろう。一時的につけられた轍の上に本来の轍が新しくつけられるように。それでいい。私は仁凪である仁凪が好きなんだから。

 仁凪のお腹の上に仁凪の反対側の手を乗せる。

 でもそれでいい。仁凪と私が混ざる過程で私は仁凪にとても愛されているのを知った。私が仁凪を愛しているのと同じように。そしてその思いも私が上書きして消してしまった。だからこれはもとに戻さないといけない。

 私は消えても私は仁凪の底に一緒にいる。

 でもその前に最後にメモを追加しておこう。私と違う筆跡の、私の書いたメモの下に。


『侑李、大好き。愛してる』

『仁凪、私も仁凪が好き。愛してる』


Fin.

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