最終章
最終章 最大最後の頂上戦、ここに決着す
「うおおおおぁっ――!!」
俺が全力疾走で向かっていくと、真奈美も一歩ずつ進み出てくる。
相変わらず桁違いの威圧感を放ち、それが風圧のように接近を妨げていた。
そんな中で彼女が天に翳した右手に呼応し、上空の雲が相変わらず台風時の如く渦巻いている。
本能が警鐘を鳴らしたため、俺は十数メートル程の距離を空けて立ち止まった。
「教えてくれ、夜一。真奈美から鬼神を切り離す手段があると言ったな。それさえ分かれば、俺は全力でその弱点を突きに行くつもりだ」
『あいつの額にある鬼眼を潰せばいいんだ。あの第三の目は鬼神の力の源で、失えばその力を維持できなくなる。だから、攻撃するなら、あそこしかないよ』
「分かった。しかし、それには真奈美の懐に入らなくてはならないな。まあ、身を削ってでも、やり遂げてみせるが」
俺は覚悟を決めて真奈美の動向を注視しながら、じりじりと近付いていく。だが、その一歩ごとに、まるで彼女の身体が倍になっていく錯覚すら生じさせる。
その時、焦れ始めた顔で、彼女はこちらに向かって叫んだ。
「ヨミっ、夜一っ……もう消えろっ。全員まとめてさぁっ!!」
真奈美が右手を翳している上空では、鉛色の雲が渦巻く。程なくその手の平には、空から圧縮された空気が集まり出していった。
それを見たことで、俺は遅れて気付く。恐らく彼女が呼んでいるのは低気圧、右手に圧縮した空気を集めて、攻撃に転用しようとしているのだと――。
だが、それでも尚、俺は前へと歩くのを止めなかった。遺体が自分の中で一つになってから、異能の力が増し、また希望に繋がる道も明確になったからだ。
「いくぞ、夜一。いや、そういえば、まだ聞いてなかったな。お前も戦う覚悟はできているのか? 実の姉なんだろう、真奈美の半分は」
『あ、あいつは……確かに僕の姉だよ。だけど……』
俺の質問に対して、夜一の歯切れが悪かった。今まで彼は、一度も双子の姉に対する想いを口にしていなかったので、念のために確認しただけだったが――。
ふと考える。夜一にも、肉親と戦うことに迷いがあるのだろうか、と。ならば今、それをはっきりさせておくべきだと思った。
躊躇があっては全力を出し切れず、失敗に繋がるかもしれないのだから。
「どうした、お前も姉に愛情があったんじゃないのか?」
『うん、一応ね。でも、あいつは……異常だったんだ。僕にだけは優しかったけど、大勢の人達を殺した――! だから、僕と一緒に生贄に捧げられて……生き神になった化け物だ』
そこまで聞かされて、まだ会話の途中だったが、時間切れらしかった。真奈美が攻撃の前準備を完成させて、今まさに圧縮した空気を撃ち出そうとしている。
俺は歩くのをやめ、すぐにでも走り出せるように前屈みに構えた。空からは雨が激しく降り始め、遠雷が何度も轟き、天候が嵐を伴い始める。
視線の向こうでは、真奈美が右手だけではなく両手を空に翳していた。そのポーズから、こちらへと圧縮した空気弾を投げ出そうとしている――!
「消え、ろおぉっ!」
「分かった、夜一。話はまた後で聞かせてくれっ!」
俺は真奈美からの攻撃に対して、一切の小細工を考えなかった。放たれた特大の空気の塊に向かって、ただ真っ向から突っ込んでいく。
そしてついに俺に空気弾が、直撃した――! 瞬間、全身がバラバラになりそうな空気のうねりが、俺を破壊しようと襲いかかる。
俺の足の進みが遅くなるが、それでも空気弾の中を着実に前へと歩いた。全身が雨風を浴び、痛みだけではなく体温までもが奪われる。
そんな中にあって、今、俺の心を支配していたのは歓喜だった。これを抜けさえすれば真奈美を救える、受け続けた恩を返せるのだと――!
その時こそ、ようやく俺は人生を前に進め、独り立ちできるのだ――!
「真奈美ぃ……っ!」
思えば、ここに至るまで今この状況のように、険しい道のりだったと思う。ただ真奈美から与えられるだけの人生が、やっと終わるのだ――。
初めて気後れすることなく、彼女と対等な友人になれる気がする。その望みが、やっと叶うかもしれないことに対し、俺は最高に心の底から浮かれた――!
「俺はな、真奈美っ……あんたを心の底から大切に思っているんだっ!!」
俺の口から、本当に心の底から歓喜に満ちた声が溢れ出た。空気弾を向こう側まで抜け切った俺は、真奈美へと猛ダッシュで距離を詰めていく。
それを目の当たりにして、彼女は一瞬だけ驚きに満ちた顔を見せる。しかし、突然、嬉しそうに笑い出したかと思うと、俺を迎え撃とうとして叫んだ。
「このぉ! 何てカッコいいこと言うんだよ! 裏切り者の弟のくせにさぁ!」
俺から振り下ろされた右拳を、真奈美が触手二本で盾を作って受け止める。そこから更に多くの触手が伸び、俺の胴体を巻き付けて拘束してきた。
俺の両足は浮かされ、獲物を絞め殺そうとするように、触手により強い力が加えられる。しかし、これしきの拘束など、どうということはない。
すぐにでも抜け出そうと俺は全身を力ませるが、真奈美が笑いながら話しかけてきた。
「あははっ、あの大気の砲弾を突き破るなんてやっぱり君は凄いよ! それと実は、さっきの念視を喰らった時ね。見えたんだよ、君の心がさぁ」
「――っ!?」
俺の念視に自分の情念が混ざっていた――? 確かにあり得ないことではない。身動きが取れない俺は、笑いながら話す真奈美の言葉に黙って耳を傾けた。
「僕は最初、まともな人間性もなかった君のことが、気の毒で仕方なくてさぁ。友達になろうと努力してたんだけど、君からすれば対等じゃないって思ってたんだね」
笑っている顔とは裏腹に、真奈美の口ぶりには切なさが混じっている。今はどうしてか真奈美の意識が、強く表出しているのだろうか。
ただし、触手による締め付けに手加減はなく、より強くなっていく一方だが。
「何でこんなに悲しいんだろう。僕の努力は空回りしていたの? 君には上から目線で、ただお節介を焼いているだけの女に思えてた?」
「違うんだっ。あんたと一緒に過ごした日々は、至福の時間だった。だが、俺はいつも一方的に与えられるだけ――! だから、それが心苦しくて、いつか俺の方からも、あんたに与えられる対等な関係になりたかったんだっ」
真奈美の笑いは次第に小さくなり、拘束する触手を俺ごと引き寄せた。彼女のその目からは、これまでのような濃厚な侮蔑が消えている。
ここまで戦い抜いた俺を、強敵として認めてくれたのだろうか? 俺を尊敬する感情が、対等に話そうとする真奈美の自我を強く呼び起こした――。
ならば、やはりリスクは桁違いだが、闘争は互いを理解し合う手段として有効な手段の一つなのかもしれないと、そう実感した。
「君は凄いよ、これだけ僕と戦って生きてた人間なんてほとんどいない。だからさ、その健闘に敬意を払って、面白半分じゃなくて一人の敵として殺してあげる」
「俺を認めてくれたその気持ちは、素直に嬉しいと思う。だが、殺されるつもりはない。俺は、あんたを本気で救う気でいるんだっ! これしきの拘束で……っ! 暴獣化したこの俺を仕留められると思うなよ――っ!!」
俺は雄叫びを上げ、全身隅々にまで力を入れる。迷いを完全に捨て去り、踏ん切りをつけたことで、際限なく湧き上がる暴獣の力は何重もの拘束を打ち破った。
バラバラと触手が千切れ落ち、地面に両足がつくや、俺は真奈美に飛びかかる。狙いすましたのは、夜一から聞かされた弱点の額に輝く鬼眼だった。
ストレートに放った拳が、正確無比に鬼眼を捉えて直撃し、彼女の頭を仰け反らせる。
「やっぱり君は強いねっ、ヨミ君はさぁっ……! 昔から、ずっと!」
しかし、言葉に反して真奈美は、余裕の笑みを湛えて物ともしていない。それどころか、そのまま楽しそうに笑いながら、即座に俺を殴り返してくる。
その拳を頬にまともに喰らい、俺は衝撃が脳まで届いて倒れそうになった。だが、必死に押し返されまいと、この場に踏み止まって耐えた。
「あはっ! 今の本気で殴ったつもりだったんだけどなぁ!」
「当たり前だ、あんたを救うためにも! 倒れる訳にはいかないからなっ!」
俺と真奈美は互いに一メートルの距離から、何度も殴り合った。殴られる度に後退しそうになるが、それが何だとばかりに俺達は一歩も引かず殴り続ける。
その間も、真奈美は楽しくて仕方がないといった顔だ。こちらは一点集中で鬼眼だけを狙って打っているのに、恐ろしい硬度でビクともしないというのに。
むしろ、殴った拳の方から、血が滲み出す程だった。
「さすが鬼神の力の源だなっ。だが――っ!!」
鬼眼を砕くしか真奈美を救えないなら、後は根競べしかなかった。体力と気力が尽き果てるまで殴打の応酬を繰り返してやろうと、拳に力を込める。
執念でなら負けてやるものか――と、そう決意した時だった。ふいにこれまで黙っていた夜一の悲痛な叫び声が、頭に響く。
『九条ヨミさん、彼女はねっ。悪逆非道を繰り返し、誰も殺し切れなかった正真正銘の化け物だったっ。でも、でも――! やっぱり……僕の肉親なんだ……っ』
「――っ!?」
俺の内側から聞こえる夜一の声は、震えていた。歓喜、愛憎、怯え――様々な感情が入り混じって、それでも勇気を振り絞り、訴えたかのように思える。
『いつ彼女からの愛情を失うか、ずっと怖かったんだよ。いくら僕にだけは優しくても、お姉ちゃんは動物や人を面白半分に殺して回ってた。だから、いつか僕も見捨てられて、その矛先が向けられるんじゃないかって……』
「やっと本心を曝け出してくれたな。それが実の姉と戦った、お前の動機か?」
俺からの問いかけに夜一は、更に心の内を吐き出してくれた。彼と一体化していることで、その昂ぶった感情も自分のことのように伝わってくる。
真奈美と殴り合いを続行しつつ、彼の声と想いにも意識を集中させた。
『うん、そう! 本当は僕だって、お姉ちゃんを愛していたっ。僕らは鬼巌村に住み着いて、信濃守に滅ぼされた鬼の一族。当時、攻めてきた武士達に対抗するため、本来なら結束して戦うはずだったのに……』
言葉を介さずとも、夜一の記憶が俺に流れ込んできた。信濃国の武士達に対抗するために、夜一と彼の姉が厄介払いの意味も含めて、鬼神に捧げられたこと。
姉の方は邪悪な心故に、その鬼神の意思すら支配してしまい、武士達を返り討ちにした後は、村の同族さえも虐殺の対象にし始めたこと。
誰にも手が付けられなくなった彼女は、鬼巌村の先住人からも疎まれて、怯えた弟の彼によって騙し討ちをかけられ、鬼神と切り離されたこと――。
「それが……今に至るまでの顛末か?」
『うん……』
夜一との対話はひと段落し、俺と真奈美の拳の応酬も一旦、小休止となった。お互いに至近距離から睨み合いながらも、肩で息をしている。
頑丈だった彼女の鬼眼にも、いよいよダメージが通り、血が流れ出していた。
「真奈美……そろそろ限界が近いようだな」
「ふふ、ふ……君こそねぇ。でも、僕は負けない」
鬼眼からの出血をまるで気にせず、真奈美は愉悦の笑みを浮かべていた。その流れ出す血もじわじわと止まり、少しも効いてないような素振りを見せる。
やがて俺の方から、先に一歩を踏み出すと、彼女もすぐにそれに応じてきた。
「面白いよね、そうでなくっちゃさぁっ!」
「なあ、真奈美、約束してくれないかっ? 俺が勝ったら、また元の鞘に戻ってくれ。俺と元通りの友人になって欲しいんだ!」
俺の呼びかけに、真奈美の動きが一瞬、ぴたりと止まる。だが、すぐに口の端をつり上げてニコリと微笑んだかと思うと、さらりと言ってのけた。
「うん、いいよ。僕も君のことが、もっと知りたくなった。僕に勝てたら、友達なんていくらでもなってあげるよっ!」
「――っ! それだけ聞けたら本望だ。いくぞ、真奈美っ!」
俺は、次の一撃にすべてを込める決意を固めた。ぎりぎりの賭けになる。真奈美も相当に疲弊しているが、こちらの消耗も限界にきているからだ。
それでも俺は、あえて笑ってやった。彼女がそうしているように――。俺は血だらけの黒いコートを脱ぎ捨て、赤いヘアバンドも投げ捨てる。
それと共に俺達二人の周囲の空間が、粘ついたかと思った。今までになく、神経が最高精度で研ぎ澄まされていく。
暴獣化によって肉体の潜在能力すべてを引き出し、理性でその手綱を握る。これで心技体、いずれも限りなく完璧に近づいた。
後は夜一と呼吸を合わせて、全力全開でこの拳を鬼眼にぶち込んでやるだけだ。
「いくぞ、夜一っ! 一緒に勝利を掴んでやろう!」
『うん、九条ヨミさん!』
夜一から流れ込む感情によって、俺達の想いと目的は一体化する。もはやそれが物質化するほどの圧力を伴い、気迫が辺りに吹き荒れる。
「『う、お、おおおおお――っ!』」
もはや人間という域を飛び越えた俺に対し、真奈美は理すらも凌いだ。俺達の距離がいつ縮まったのか、無我夢中で自分にも認識できなかった。
空気が圧縮され、衝撃波となって四方に飛び散る。俺の拳と、真奈美の触手が正面から激突し合ったことで――っ!
俺は、そのままぶつけられた触手を右手の甲で受け流し、彼女以上の速さで摺り足にて潜り込み、拳を真後ろに引いた。
「あはっ、すご――っ!」
真奈美の顔に、感動とも驚愕ともつかぬ表情が浮かぶ。そこから先、俺は音速を超えた音と共に、右拳をただ無心で前方へと突き出す――っ!
拳が彼女の額に直撃し、無敵と思われた鬼眼が、ついにこの瞬間、砕けた。仰け反った真奈美の喉から、絶叫が迸る。
この時、俺は彼女の顔をじっと見た。鬼巌村に来る際に色濃く見えた死相が、いつの間にか消えてなくなっている。
運命は変えられたのだと安堵して、俺は乾いた笑い声を漏らす。そのまま俺は、力なく背中から地面に崩れ落ちた。
「あは、はっ……ははははぁっ!」
その後も手で額を押さえる真奈美が、空を見上げながらずっと笑っていた。
立ち尽くす彼女の背中から長く伸びる無数の触手が、ボロボロと崩れる。まるで石化したかのようなくすんだ灰色となって、木っ端微塵に千切れ飛んでいく。
真奈美の両目からは、光が消え――「ぎゃあああああっ」という叫び声と共に、身体から悪鬼の亡霊に見えるものが離れ、空へと立ち昇っていった。
そして彼女は憑き物が落ちたかのような表情で、地面に倒れる俺を見つめる。
「ヨミ、君……ごめんね。もうずっと一緒だよ」
真奈美が、よろよろとこちらに近づき、俺の身体に重なるように倒れた。その一連の流れを見たことで、鬼神の魂があるべき場所に旅立ったことを悟る。
大蜘蛛一族らが介入してきた蛮行も、これでようやく清算される。鬼神を取り巻く悲しい宿命も、ようやく終わりの時を迎えるのだ。
俺は横になりながら、身体に圧し掛かる真奈美を抱き締めて、目を伏せた。
「ああ、俺もこれから……ずっと、な」
そう呟きながら、雨が地面を叩く音を耳にして、俺の意識が途切れていく。その最後の瞬間まで、俺の中で安らかに眠る真奈美の寝息も、同時に聞こえていた。
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