第九章 理の頂上決戦・瞬閃と疾駆の攻防その二

 俺は乗り込んだパトカーのハンドルを動かし、走らせ続けた。そしてここに来るまでに通ってきた、鬼巌村の中心までの道を猛スピードで引き返していく。

 だが、行きと帰りでは、その道程はまったく同じ訳にはいかなかった。今、目前には鬼以外にも鬼の輪郭をした赤い靄が、行く手に立ちはだかっているのだ。


「邪魔だ、どけぇっ!!」


 俺は、赤鬼の靄達を押し退けるために車体で体当たりを敢行していく。だが、パトカーが奴らに接触して、弾き飛ばすことはなかった。

 まるで実体がないかのように、ただすり抜けていくだけだったのだから。

 それを目撃して、敵と認識したのは杞憂だったかと考えを改める。大量の魂で作られた太陽の残り香が、幽霊のように彷徨っているだけなのかもしれない。

 こちらに敵意がないならば、気兼ねなく無視して突っ切っていける。用心すべきは、鬼や真奈美は勿論のことだが、この大きな足跡を残した奴らだろう。


「特殊埋葬課のメンバーなら、滅多なことはないと思うが……さっきのあの芋虫達に追われていった空木は、今はどこにいるのか」


 芋虫達が残していった足跡を辿りながら、俺は額に指先を当てた。念視で再び脳裏に直接、鬼巌村のマップを描き出すために。

 ほんの僅かな時間、廃人化しないために、数秒間だけ念視を発動させる。だが、それでもパトカーを運転するどころではなくなってしまう。

 事故らないようにその場に急停車させ、激痛から頭を抱えた。


「ぐ、うっ……そうか、そこにいるんだな、空木っ!」


 念視で空木の行き先を割り出した俺はハンドルを握り直し、追跡を再開した。その時、自身の内側から夜一が、俺の脳裏に話しかけてくる。


『急いで、九条ヨミさんっ。もうあの女が追ってきているよ!』


「何だとっ? じゃあ、神代雪羅とユカリは……っ」


『それは分からない。僕が感じ取れるのは、あの女の気配だけだから。でも、今、戻ってしまえば、あの二人の努力は無になる。だから……っ。行って、お願い!』


 俺は唇を噛んで、夜一同様に苦渋の決断をする。神代雪羅達のことは心配だったが、もし真奈美に追いつかれれば、空木を探すどころではなくなるからだ。

 だから、俺はアクセルを踏んで、パトカーの速度を更に上げる。空木のいる場所は、村を見下ろせる丘に建てられた鬼巌村の有力者、北条宗一郎の屋敷だ。

 崖を背にした空木が、背水の陣で芋虫達を迎え撃っていたのが念視で見えた。だが、よっぽどの覚悟がなければ、自ら退路を閉ざすなどあり得ないはずだ。

 正気とは思えない。勝つか負けるか、もしかしたらその土壇場を楽しんでいるのかもしれないとすら思った。


「かなりイカれた男のようだな、空木という男も。特殊埋葬課には変人奇人が多いと聞いていたが、どうやら事実らしい」


 進路を妨害する鬼を強引に轢き殺し、赤い鬼の靄達を透過し、俺が運転するパトカーは、いよいよ屋敷が見える小高い丘を駆け上がっていく。

 そこでは念視で視たのと同じ光景があった。丘の上で、空木があの芋虫達の巨躯を殴り蹴り、もしくは投げて崖下に突き落としている。

 細身の身体とは思えない程、途轍もない膂力による荒業だった。俺はパトカーで芋虫達の群れを突き抜けようとする――が、途中で空と大地がひっくり返る。

 その直後、頭を強く打ち、口の中で苦い血の味が広がっていった。一体、自分の身に何が起きたのか、逆さまになった車内で頭が混乱してしまう。

 俺が発生した事故の原因を理解できたのは、その少し後――横転したパトカーの外から、俺が良く知る声が届いてきてからだ。


「どうして逃げるんだよっ? 僕らは、たった二人の姉弟なのにさっ!」


「っ!? 真奈美かっ?」


 逆さになったパトカーの窓の外に、真奈美らしき足が見える。俺が割れたその窓から車外に這い出すと、涙を流してこちらを見下ろす彼女の姿があった。

 悲しそうな表情とは反対に、放たれる殺気が俺を射すくめる。最悪にも、空木の元まで後一歩の所まで来ておいて、とうとう追いつかれたらしい。

 俺は、背後をちらりと伺う。空木が戦っている丘の上まで、二十メートル程だ。問題は芋虫達が遮っていて邪魔なのと、目の前には真奈美がいること――。

 俺は隙を見て駆け出すつもりで、やや前傾姿勢のまま身構える。


「ねえ、夜一っ? いや、ヨミ……君だっけ? ……ええと、どっちなの? ううん、もうこの際、どちらだって……いい。だから、返事ぐらいしてよっ!」


「悪いが、取り込み中だったんだ。出直してくれるか?」


 俺を無視し、真奈美は苦しそうに頭を抱えながら、こちらに歩いてくる。さっきからずっと暴獣モードだが、その殺戮衝動を上回る悪寒に、俺は数歩後退る。

 それにしても俺のことを夜一と呼んだりヨミと呼んだり、情緒が不安的だ。二人分の自我と記憶が混ざり合って、まだそれらが統合されていないのだろうか。


「そうか……やっと分かったよ。君はヨミ君で、夜一でもあるんだね。やっと思い出したんだ。どうして、こんな大事なこと忘れてたんだろう。君がさ……」


 真奈美は顔を伏せながら、更にこちらへ緩やかに近づいてくる。そして彼女は立ち止まり、その俯けていた頭を振り上げながら、大声で叫んだ。


「君が、君がぁっ! よくも……よくもっ! すっかり忘れてたんだっ! 君が信濃国の奴らに寝返って、僕を殺しやがったってことをさぁ!」


「っ!?」


 真奈美の額に紅く灯るのは、今までにない程、煌々と輝いている第三の目だ。それを見た瞬間、身体が硬直してしまい、身動きが取れなくなった。


「殺す、殺さないとさ。あんなに愛していたのに、よくも裏切ったなぁ!」


 真奈美は激昂した顔で、こちらに歩いて近づいてくる。だが、俺の身体は意に反して、この場から一歩も身動きが取れなかった。


「く、そっ……! 動け、俺の身体っ!」


 不動鬼宿洞窟の最奥で、真奈美と対峙した時と同じだった。僅かでも恐怖を感じると、自由を束縛されてしまうのだ。それが鬼神の特殊能力なのだろう。

 あの時は、そこから脱するのに一日かかった。しかし、今は幸いにも暴獣モードにある上に、その異能を進化させつつあるのだ。

 俺は恐怖を上書きするだけの、すべてを殲滅する凶暴な殺戮本能に働きかけ――それによって叫び声を上げ、半ば強引に打ち破った。


「おおおおぉっ!!」


 そこから俺は、続けて両足で地面を強く踏み締めた。理性を保ちながら暴獣モードを併用できるようになった、今の俺だからこそ取れる選択肢がある。

 感情に流されるのではなく、ただがむしゃらに戦うのでもなく。俺が選んだのは、一切の躊躇もせず、真奈美と反対方向に走り出すことだった。

 ここに来た目的を考えれば、当然の判断だろう。空木が持っている遺体と俺のを揃えて、完全な形にしなくてはならないのだ。

 丘の上の屋敷を舞台に繰り広げられる、空木と芋虫達の激闘に俺も躍り出ていく。


「空木っ! 今、行く! 助太刀させてもらうぞ!」


 俺が走っている足元には、頭部を砕かれ絶命した芋虫達の死体が転がっている。助勢などしなくても、時間さえかければ殲滅しそうな勢いだ。

 背後を振り返ると、やはり真奈美が猛然と追ってきている。その背面から多くの触手を伸ばし、地面を芋虫達ごと薙ぎ払っていっていた。

 その度に土や砂利が舞い、体表が裂けた芋虫の紫色の体液が巻き散らかされる。


「くっ、もう少し……あと少しなんだ――!!」


 空木がいる所まで、もう目前だ。ふと彼と俺の目が合った気がした。これで後一歩で遺体が集まる――と思った時、俺の足下まで伸びた触手が迫ってくる。

 そしてすぐに追い越して、空木の方まで伸びていった。直後、天候が崩れて遠雷が走り、どんよりした灰色の雲が、台風の時のような速さで、空を駆け回り出す。


「もう手加減はしないからなぁ。君らが悪いんだ、僕を怒らせるからぁっ!」


 俺の後ろから桁違いの威圧感を放ち、真奈美が荒ぶりながら叫んでいる。瞬間、天が白銀に輝き、気付けば目指していた屋敷が降り注いだ落雷によって消し飛んだ。

 丘ごと消失させてしまった程の、途轍もない破壊力だ。あれこそが天変地異を操れる鬼神本来の力なのかと、戦慄を禁じ得なかった。

 落雷の余波がここにまで届いてきたため、俺は咄嗟に両腕で頭部を庇う。


「あはぁ、捕まえた! ヨミ君さぁっ」


 そんな俺の首根っこを、後ろから真奈美が掴み上げ、軽々と持ち上げた。両足が地面から浮かされた俺の背後で、今の彼女がどんな顔をしているかは窺えない。

 だが、首をぎりぎりと締め上げてくる力加減から、激しい怒りを感じる。ただ、そんな痛みよりも、俺がしていたのは真奈美の行く末の心配だった。


「悪いが、俺は諦めていない。俺はお前を救う、何が何でもだ――っ」


「あははっ、まだ言ってる。この裏切り者がさぁ」


 暴獣化している俺は、決して力では負けていない自負がある。俺は自身を持ち上げている真奈美の腕を、後ろに伸ばした手で掴み――。

 そのまま力任せに、引き剥がそうとしていた時だった。


『大丈夫、安心して、九条ヨミさん。これで僕の身体が、全部揃ったよっ』


「揃った――っ?」


 ふいに聞こえた夜一の声が、確かにそう言った。そのすぐ後に轟いてきたのは、突如、乱入して真奈美の横っ面に跳び蹴りを喰らわせた、空木の雄叫びだった。

 よろけた真奈美が、俺の首根っこを手放す。そのまま蹴られた勢いで、俺達は一緒になって身体が地面をごろごろと転がっていった。

 そして転がり終えて横たわる俺の頭の付近に、空木は駆け寄ってくる。同時に、挨拶代わりだとばかりに言い放った。


「手荒な助け方になって悪いな、九条ヨミ。生まれつき力が有り余っているせいで、スマートなやり方は不得手なんだ」


「いや、礼を言う。あんた、相当強いようだな、空木」


「それは君も同じことだろう、ランゴバルド教団の生き残りなら当然だが」


 俺は真奈美よりも先に立ち上がると、地面に横たわる彼女を見やった。泣いているのか笑っているのか、彼女はうつ伏せで肩を震わせて、嗚咽を漏らしている。

 いや、この迸る怒気を感じ取れるなら、不機嫌で怒っているのは明らかだ。


「ヨミぃ……夜一。瞬成ぇ……もう頭に来たからなぁ」


 頭を伏せながら、真奈美はゆらりと立ち上がる。戦いの開始は、何ら珍しくもない、些細なきっかけで始まった。

 空木が無言のまま一歩進み、足を踏み締めて拳を突き出したのだ。固く握られた右拳は、的確に真奈美の鳩尾に直撃し、足を浮き上がらせて吹っ飛ばす。

 ――だが、同時に彼女の背面にある数多くの触手が動き、地面に突き刺すことで、その身体を支えて止めた。


「やはり強いな。簡単には殺せないか」


「待て、殺すだと。あんたは、真奈美の元恋人だったんじゃないのか? 今は別れたとしても、そう簡単に殺すなんて口にするなっ」


「恋人だったと言っても、あいつとは三日で別れた。それに非情だが、任務が最優先だ。そこに下らない次元の私情を挟む気はない」


 俺は空木の口ぶりから感じられる冷徹さに、耐え難い怒りが湧いてきた。この男は、真奈美のことなど何も案じていない。

 最初に感じた温厚な第一印象など、作られた仮面に過ぎなかったのだ。こんな奴とこれから共闘して真奈美と戦うなど、到底、考えられなかった。


「もし真奈美を殺す気で戦うつもりなら、俺はその前にあんたを殺す。絶対にだ」


「下らない次元の話をするな。分かっているのか? この仕事に、日本の未来がかかっているんだ。ここで真奈美を止めなければ、大天災が起きるんだぞ!」


 僅かな会話だったが、もううんざりだった。考え方が違い過ぎて、話が噛み合わない。空木とこのまま話をしていても、平行線を辿るだけだろう。

 それに長話をしている時間的余裕も、俺達にはない。すぐ近くでは、真奈美が触手で身体を支えながら、両目と額の第三の目でこちらを睨んでいるのだから。


「もういい、あんたを頼ろうとした俺が馬鹿だった」


 俺が空木を無視して、真奈美に向かっていこうとした、その時――。

 それよりも早く彼女は触手で地面を叩き、自身の身体を上空へと跳ね上げる。そのまま空高くまで到達した真奈美は、眼下に対して赤い光弾を放った。

 額の第三の目から放たれたその光弾は、途中で分裂して無数の欠片になる。それらは容赦なく俺達を襲い、着弾した地面を爆炎によって深く抉っていく。


『駄目だ、バラバラに戦ってちゃっ、九条ヨミさん、空木瞬成さん! 一か所に集まって、僕を一つにするんだ!』


 俺達が一向に協力して戦わないことを見かねた夜一の声が、また脳裏に響く。しかし、俺にしたって、好き好んで仲違いしている訳ではないのだ。

 上空を見上げると、地上で燃え上がる炎を避けるように真奈美が落下してくる。俺はそんな彼女が着地するなり、斜め上から躍りかかった。

 だが、命中寸前に触手が上がり、渾身の拳を受け止められる。更には先端がぶれた触手が、高速で俺を弾き飛ばした。


「ぐ、おおぉっ……くそっ!」


 俺はその飛ばされた勢いで、ずざざざと地面を滑るように後退していく。そのまま軽く十メートルは下がった所で止まると、バランスを整え直す。

 そこへ空木が駆け寄ってきて、俺の隣に立った――が、その顔は光弾の爆発による炎を浴びたのか、軽い火傷を負っている。


「九条ヨミ、温いことを言うなら、お前が持っている遺体を俺に渡すんだ。聞こえているんだろう、この遺体からの声を」


「ふ、ふざけるなっ! お前のような冷血漢に戦いを任せられるものか!」


 俺が怒りに任せてなじると、空木はこれまでの冷静沈着な態度を一変させる。打って変わった激怒した顔で、俺に思いのたけをぶつけ返してきた。


「……勘違いするなよ、九条ヨミっ。俺が真奈美を殺したい訳ないだろうっ! 俺だってお前と同じなんだ、本心ではな! だが、救うと言ってもどうするつもりだ? 妙案でもあるというのかっ?」


「……っ!」


 俺はすぐに返事を返そうとしたが、空木からの詰問に即答できなかった。

 しかし、カズマからそう言って託されたように、遺体をすべて集めることで打開策があるはずだと、これまで信じてきた。

 あの遺体が埋葬されずに、祀られていた理由はきっとあるはずなのだと。ただそれだけしかない、それだけが根拠のほとんど願望だったのだ。


「……すまない。あんたを悪者にして、不満のはけ口にしていたらしい……。ただの願望だが、その遺体があれば、殺さずに救う手段が見つかるかもしれない。少しでも望みがあるなら、俺は試したいんだ。頼む、その役目を任せてくれ」


 蟠りを捨て、頭を下げた俺の必死の懇願を見て折れてくれたのだろうか。空木は軽く息をついてから、頷いてくれた。


「……そうか、分かった。そこまで言うなら、もう何も言わん。お前の好きなように、やるだけやってみろ」


 空木はそう言って、自分の胸に手を突っ込むと――心臓、左腕、脊髄、右腕、胴体、頭部が、すべて繋がった状態で、眩い黄金の光と共に引っ張り出される。

 そのままそれらの部位は吸い込まれるように、俺の体内に入り込んでいった。そのことでようやく自分の中で、すべての遺体が揃ったのだと実感も湧いてくる。

 何が起きるか未知数だが、精神が研ぎ澄まされていくのを感じた。同時に念視も暴獣化の異能も、今なら更なる効力を発揮できそうな気がする。


『九条ヨミさん、ありがとう。これで僕は、貴方に完全な力を付与できるよ』


「教えてくれ、どうすればいい。どうすれば、真奈美を殺さずに止められるんだ。そもそも……そんな方法は本当にあるのか?」


 それは確認というよりも、俺の期待を形にしたものだった。そんな藁にも縋る俺からの質問に、ややあって夜一は答えてくれる。


『大丈夫だよ、方法はある。彼女から鬼神の力を切り離す、唯一の方法がね』


「……そうか、あるんだなっ! それさえ聞ければ、十分だ。俺も迷いを完全に捨てて全力を尽くせるっ!」


 俺の視線の先では真奈美が、右手を天に向けて翳していた。額には第三の目が深紅に瞬いて、俺達が今話していた間に、より大きな攻撃の準備をしていたようだ。

 しかし、こちらも迎え撃つ心の備えは、すでに終えている。湧き上がる殺戮衝動を理性で制御しながら、俺は真奈美に向かって走り出した。

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