第八章

第八章 迫りくる、最後の戦いの始まりその一

 どことも知れない、牢獄のようだった。まるで堅牢に作り上げられた空間の檻と形容するしかない鉛色の空間に、俺とカズマは二人っきりで浮かんでいる。

 周囲の障気は強烈で深く、俺は周囲を見回して探った。何もない、俺達以外は。だから、自然と俺は、唯一近くに浮いているカズマに声をかけるしかなかった。


「神代カズマ、まだ生きているか?」


「……っ」


 俺の問いかけに浮かんでいるカズマの身体が、僅かに動いた。あれだけ真奈美に打ちのめされて、頭を足で踏み潰されても、まだ生きている。

 呆れた生命力だと思った。ただ、こんな空間に一人っきりというのは、ぞっとする話だったし、テロリストとはいえ、側に誰かがいること自体に安心する。

 俺は返事が返ってくることは期待しなかったが、カズマに再び話しかけてみた。


「お互いに惨敗だったな。まさか鬼神の力を得た真奈美が、あそこまで強大だったとは俺の想像を超えていた」


 しかし、予想外にもカズマは、俺のその言葉にややあって答えてくれた。


「私が未熟だったからだっ……。もし偉大な先代なら、あんな悪神など生身で倒してのけただろう。あまりに不甲斐なく、未熟だから……私は大蜘蛛一族の首領を名乗ることも、自らに許していない」


「なるほどな。だから、お前は首領代行と名乗っていた訳か」


 この牢獄の空間から脱出する術も思いつかず、話すことしかすることがない。だから、俺もカズマも、思いのたけをぶつけたかったのかもしれない。

 この状況に限っては、俺達が同じ境遇の身の上であることは幸いでもある。己の不幸話のネタなら、幾らでもあるのだから。


「神代カズマ、お前は何歳の頃から、ランゴバルド教団に囚われていた?」


「……物心つく前からだ。もう正確には覚えてもいない、自分の実年齢さえもな。だが、前首領に拾われてからの日々なら、鮮明に覚えている。俺の人生がようやく始まったのは、その時からだからな」


「なるほど、テロリストとして生きる道も、あの地獄よりはマシだったか……。俺も身を以ってあの塗炭の苦しさを味わっているから、分からんでもない」


 恐らくあの宗教集団に人生を拘束されていた時間は、俺の方が長いはずだ。

 だから、俺だって、よっぽど人格が歪んでおかしくはなかった。ただ、俺の場合は、あの地獄の牢獄から救ってくれたのは幸運にも警察だった。

 それも当時の俺の目には、聖母のように映った優しい真奈美だったんだ。俺の人生が動き出したのも、そこから――。

 その日以降、占い師として暮らすただの日常ですら、俺には黄金に輝いて見えた。


「最後だから打ち明けてやる。私の両目は、もう霞んで碌に見えない。私は、直に死ぬのだ……。呪われた人生だったが、せめてあの女に一矢報いたい」


「無念さは分かるが、そのズタボロの身体でどうするつもりだ?」


 真奈美を殺させるつもりはないが、止めたい気持ちは俺だって同じだ。その方法が思いつかない現状、カズマにもし何か作戦があるなら聞いておきたかった。


「お前の見立てでは……鬼巌村の各所に祭られた肉体の部位は、君島真奈美の前任のシャーマンなのだろう? だが、なぜかそのことは伏せられて伝わっていた」


「ああ、なぜあれを鬼神の部位として奉じていたのか、引っかかる話だった。長い時の流れで、言い伝えが歪められたのでなければな」


「私は、そこに鍵があると……見ている。あれだけ邪悪な存在なら、その名を歴史の闇に葬りたい気持ちも理解できるが、その遺体を残す意味はないはず……」


 カズマの言い分は、理解できる。ただ、その理由が不明だから、あれらが鬼神本体の在り処を示すこと以外にどう使い道があるかを調べる手間が必要だ。

 まずはその取っ掛かりとして、肉体の部位すべてを集める必要があるだろう。俺がそう思っていると、言わずとも察したかのように、カズマは話を続けた。


「私も、幾つかの部位は手に入れた……。くれてやる、持っていけ。どうせこれから死ぬ私には、必要のないものだからな……」


 そう言ってカズマは、自身の腹部に手を透過するように、ずぶずぶと突っ込む。そして手で体内の何かを掴んで、勢いよくそれらを引っ張りだした。

 それは人体標本の模型ではない。本物の骨盤と、そこから下の部位すべてだ。取り出されるや否や、その干からびた下半身は、まるで生き物のように動き出した。

 凄まじい吸引力で俺に飛びつき――眩い黄金の輝きを放ったかと思えば、勢いよく俺の下半身と結合して、体内に取り込まれていく。

 この現象は、前にユカリがやったことと同じだ。驚いて違和感がないか、咄嗟に手で自分の太腿を触ってみるが、特に異変はない。


「あ、あの下半身が、俺の身体に取り込まれたのか?」


「後は……頼んだ、ぞ……九条ヨミ。もう……指先にも力が入らん。残る遺体も、すべて手に入れろ……」


 カズマは戸惑う俺を余所に、そこまで言って顔を俯かせ、身をだらりと下げる。そんな彼を見て、俺は心配して咄嗟に手を伸ばした。


「お、おい。神代カズマ……?」


 しかし、俺が声をかけても、いつまでも返事はない。安心した顔で眠るように目を閉じ、頭と腕をだらりと垂らしたまま、カズマが動くことはもうなかった。

 この男の末路――それを見届けた俺は、手を合わせて同胞として悼んだ。

 同情の余地もない悪事を働いてきたテロリスト達のリーダー格とはいえ、死後にまで辱められる必要はないのだから。

 ただ、昔の俺と顔見知りだったそうだが、悪夢しか思い出せず、記憶にはない。

 それでも一時期とはいえ、同じ時と場所で地獄から生き延びてきたのならば――俺とこの男が同胞なのは、確かに間違いないと思った。


「お前の意思、受け取ったぞ。真奈美の凶行は、俺が止める。あいつに心を救われた者として、今がその恩を返す時なんだ」


 そのためにも、まずはこの牢獄の空間から脱出しなくてはならない。気付けばいつの間にかここに浮いていたが、あまり長居はできないのだ。

 ただ、ここから出ていくための方法は、取っ掛かりすら見つからない。しかし、やれることはやるつもりだった。


「階段も……何も見当たらないな」


 しかし、俺は普通の人間にはない、異能者としての強みがある。念視能力だったなら、抜け出すための何かしらのヒントが掴めるかもしれない。

 水晶玉は壊されたが、あれを媒介にしなくとも使うこと自体はできるのだ。俺は目を閉じると深く念じて、自分の脳内に直接、周囲の映像を描き出した。

 ただし、負担は大きいため、そう長くは持たない。リスクを心配して範囲を定めて念視を行使したが、それでも額から玉のような汗が流れ出す。

 この空間に充満する障気、それが流れる動き。それさえ分かれば、瘴気が出ていく孔があるか見つけ出せると思った。

 そして――思惑通りに、それを探り当てる。


「あったぞ、あそこかっ。やはりここは完全に閉ざされている訳じゃない。外界まで突き抜けた、トンネル状の孔があるんだ」


 俺は目を大きく見開き、念視を使った息苦しさから、がばっと息を吐き出す。

 そして体重を支えるものが何もない空間内を、手足を動かして泳いだ。非常に緩やかながらも、もがきつつ移動していく。

 あまりの鈍い進み具合に苛立ちはしたが、確実に近づけてはいるのだ。悪戦苦闘しながらも足掻き続け、およそ数十分は経過した頃だろうか。

 もっともこの空間の時間の流れが、現世と同じか分からないが――俺は苦労の末に、いよいよ抜け孔の間近まで辿り着けた。

 俺はその達成感と安堵から、軽く一息をつく。しかし、すぐにこの空間から出られた所で元の世界に戻れる保証がないのだと、気を引き締め直した。


「俺は生きて戻る。そのためなら、どんな苦行も乗り越えてやるぞっ」


 困難の道を行く覚悟をした俺は、トンネル状の孔に身を投じた。その瞬間、周囲の空間が、まるごと裏返るような感覚に襲われる。

 最初は、上下が逆転するような錯覚を覚えて――その次は、全身に渦の中に叩き込まれたような感触が押し寄せた。

 それらが息つく間もない程に、何度も繰り返されていく。気を緩めれば、意識を手放してしまいそうな流れの中、俺は必死にその苦しみに耐えようとした。


「ぶはっ!」


 空間のうねりにもみくちゃにされた後、ようやくどこかに飛び出した。だが、そこも現世ではなく、まだどこかの異空間のようだ。

 七色の光彩に満ちた、上下の区別もつかない空間の中を俺は飛んでいた。幾つもの光の粒が、後方から高速で飛んできては散っていく。

 目がチカチカして、光の粒が流れる川に運ばれているのではないかとさえ思う。そんな中、俺は無言のままポケットのナイフに手をかけた。

 最悪、どこかに出た瞬間、鬼や真奈美と交戦することになるかも知れない。呼吸を落ち着け、整えていた時、前兆もなく七色の粒が流れる空間は終わった。


「どこだ、今度は……? 今度こそ現世に戻れたのかっ」


 周囲の光景が切り替わるなり、俺は空中に投げ出されていたことに気付く。咄嗟に態勢を立て直し、数メートルほど下にあった家の屋根に音を立てて直撃する。

 経年劣化で損傷している日本家屋の黒い瓦屋根の上だ。そこでゆっくりと俺は立ち上がり、周囲を見回した。


「ここは……」


 空には夕焼けに浮かぶ太陽が、地上を赤く照らしている。神社の鳥居から幽界に向かう前よりも、その高度は低くて、地上に大きく迫ってきていた。

 ようやく現世だ。ついに俺は、元の世界の鬼巌村に戻って来られたのだ。だが、素直にそのことを喜んでいる場合ではないらしい。

 あの太陽を見れば、落下までのタイムリミットは、近いと分かる。俺は屋根から飛び降りて、地面に音なく着地した。

 ここが村のどの辺りなのかは、地の利のない俺には見当もつかない。しかし、俺には、それを探るための念視能力がある。


「どこだ、真奈美っ? それにユカリ、神代雪羅……っ。それにもう一人のメンバーの名前は、空木瞬成といったか」


 俺はさっきのように目を閉じ、脳内に村の地図を描き出す。水晶玉を介さないこのやり方だと脳にかかる負担が大きく、前同様にあまり長く持続はできない。

 まして探索対象が広範囲となると、尚更のことだ。だから、出来るだけ多用はしなくなかったが、今はリスクを鑑みている状況ではないため、使用に踏み切った。

 鬼巌村全体の地図を脳に描き、そこに点在する生物をも網羅させる。


「つっ……うっ。おおおぁ……! 頭が、割れるっ」


 たった数秒間それを行使しただけで、頭がくらくらするような激痛が襲った。その僅かの間に行くべき目的地を見つけ出した俺は、念視を解除して走り出す。

 ユカリと神代雪羅は今、最後の特殊埋葬課メンバー、空木瞬成と合流している。その男の顔も一瞬だけだったが、脳内に映った。

 あの腕が立つ三人と協力し合えば、この窮地からも脱せる気がしてくる。もっとも彼らがどう判断しようと、真奈美を殺すことだけは断じてさせない。

 生き神となった彼女を救ってやる選択だけは、折れるつもりはないのだ――。


「どこだ、どこにいるっ! ユカリ、神代雪羅っ!?」


 俺は徘徊する鬼達を避けて村内を走り切り、周囲を見回す。さっき念視して脳に描いたマッピングでは、この辺りに三人はいたはずだ。

 ここは村の中では何度か訪れた場所、西洋ホテル風の屋敷の前だった。必死に探すが、近くにユカリ達の姿は見当たらない。

 ただ、なぜか屋敷の前で横転していたパトカーの一台が起こされている。そしてあったはずの二台目のパトカーの方は、影も形もない。

 まさかあの三人が、倒れたパトカーを起こして乗っていったんだろうか。だとすれば、それは途轍もない怪力のなせる業になる。

 驚きはしたものの、俺は何気なく残されたパトカーの側に寄ってみた。ユカリ達からの、無言のメッセージを感じたからだ。


「俺もこれに乗って、使えということか」


 ここに俺が立ち寄るのを見越し、この一台も起こして残していったのだろう。俺は、そんな三人の意思を汲んでパトカーの扉を開け、運転席に乗り込む。

 バンパーやボンネットが鬼の攻撃でひしゃげているものの、つけっ放しの鍵を回すとエンジンは問題なくかかった。

 故障はなく、車として使用するのには、何も支障はないようだ。カーナビも生きているようだが、さすがにこんな廃村の地図など入ってはいない。

 それでも起動さえしていれば、念視使いの俺なら有効活用ができる。俺は水晶玉を媒介にするのと同じ要領で、画面の地図上に手を翳す。

 すると、それを起点に、画面内に波紋が広がったような描写が生じる。更に「ザザ……ザっ」と、電子音が、数回に渡り繰り返された。

 そして「ぶんっ!」という音と共に、画面に行き先を示す矢印が表示される。


「よし、成功だ。俺の念視も成長しているということか」


 以前までならこれほど上手く、そして確実かつ正確にはできなかった。それが今なら不思議と出来そうな気がして、試してみたのだ。

 暴獣化を多用したことで、相乗効果で念視能力も研ぎ澄まされてきた――か、あるいは……。俺は、自分の太腿をそっと撫でてみた。

 これはカズマから受けとった、前任のシャーマンの下半身の部位だ。これが念視の効力を高めてくれているのかもしれなかった。

 その力こそが、真奈美の凶行を食い止める切り札になるかもしれない。

 そう思うと、少し光明が見えてきて、発車させたパトカーのハンドルを握る手にも力が入る。


「ユカリと神代雪羅が集めた部位に加えて、俺と空木のものも合わせれば……きっとすべて揃うはずだ。完全に近い、ミイラ化したシャーマンの肉体が」


 俺は鬼巌村の道を慌てず、安全運転で慎重にパトカーを走らせた。気は急くが、事故を起こしたり、迂闊にも大勢の鬼に襲われては本末転倒なのだから。

 どうやらユカリ達も今は、俺と同様に車で移動中のようだ。行き先は、鬼巌村の入り口がある方向だろうか――?

 地割れに阻まれて脱出ができないのに、三人がそこに向かう目的を考える。出入りができる算段がついたか、もしくは――。

 その考えられる最悪の可能性に思い当たり、俺は思わず青ざめてしまう。


「まさか真奈美が、村の外に出ようとしているのか? なら、一大事だ……っ」


 真奈美が村外に出たがる動機は、明らかだ。俺や特殊埋葬課、そして大蜘蛛一族の残党しかいない鬼巌村では、あいつが望む大量殺戮の欲求は叶えられない。

 山を下りて、街を、長野県を……日本全土を襲う気だ。鬼神の完全なる力を得た今のあいつなら、どんな天変地異だって引き起こせるだろうから。


「させるかっ、絶対にさせんぞ、真奈美。そんなことで、お前の手を血で汚させる真似だけは、決してな……っ!」


 俺は安全運転をやめて、アクセルを全開にした。進行方向にいる鬼は轢き殺し、パトカーが地面を跳ねるのも気に留めず、仲間達との合流を求めた。

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