第六章 夕闇と共に、近付いてくる終末の足音その二
「じゃあ、まずはそっちの話から聞こうか。交互に知ってることを話していこうよ」
「ああ、分かった。それで構わない」
暴獣化の疲労が癒えないまま俺は歩き、かいた汗が額から流れ落ちる。肌を伝うその汗を拭いながら、どこから打ち明けていこうかと迷った。
カズマのことを聞くからには、自分の身の上だって話さざるを得ない。同一の宗教集団によって、生贄のためだけに飼われていた同じ境遇なのだから。
「俺は、かつて孤児だった。頼る者もなく、一人で路上を転々としていた時、男が声をかけてきたんだ。仕事があるから、うちに来ないかってな」
「裏の人間の常套手段だねえ。身内がいない者を、言葉巧みに誘って違法に働かせる。おたくの場合、ヤクザやブラック企業よりも性質が悪かったみたいだけどさ」
「ああ、その後は最悪だったよ。人間扱いなどされず、同じ方法で集められた同年代の子供達と殺し合いをさせられたんだ。毎日のようにな」
俺が話す過去を神代雪羅は歩きながら、相槌を打ちつつ聞いてくれた。最初に彼が決めてきた通り、話すのは順番だ。
だから、今度は神代雪羅が、カズマについて知ることを明かす番だった。
「あいつは江戸時代初期に、元から鬼巌村に住んでいた先住村民の末裔さ。ユカリちゃんの先祖が村に住むより前に、信濃国の信濃守に討たれた連中の方だよ」
「当時、全員が根絶やしにされた訳じゃなく、先住村民にも生き残りがいたのか。それが確かなら、あの男が鬼巌村に執着している理由も理解はできるな。ユカリ同様に、鬼神伝承のことも詳しく知っている訳だ」
「うん、でもねえ。あの男が大蜘蛛一族の前首領に拾われる前のことは、僕もそこまで知っている訳じゃないよ。たださ、あいつは事あるごとに、自分は鬼の血を引く選ばれし者だと言っていたね」
そこまで聞いた所で、また話手は俺に交代することになる。次に俺は、宗教集団からどんな手段で殺し合いをさせられたのか、その内容を打ち明けることにした。
ただ、真奈美以外の誰にも話したことがなかったから、否応なく緊張してしまう。
「俺が強要されたのは、所謂、バトルロワイヤルというやつだ。閉鎖された空間で数か月もの間、限られた食料を巡って争うことを強いられた。奴らは、極限状態に陥った人間から異能が発現すると考えていたんだ」
「へえ、じゃあ、その結果がさっきおたくが見せた、獣染みた力ってこと?」
「ああ、そうだ。他にも、遠くの光景を映し出す念視能力が身に付いた。しかし、奴らにとっては、暴獣化の方が本命だったらしいがな。これは本当に限られた、最終段階の儀式まで勝ち進んだ者しか得られなかった」
それを聞いた神代雪羅は同情の念を抱いたような表情で、俺の顔をじっと見つめた。少ししてから顔を離すと、慰めの言葉をかけてくれる。
「まだ若いのに苦労してたんだねえ。あの神代カズマも、同じだったよ。でも、そんなあいつを大蜘蛛一族の前首領が、教団から買い取ったんだ」
「なるほどな。では、カズマはどんな異能が使えるかは知っているか?」
「妨害念波と念波受信、この二つだって聞いてるよ。嘘か本当か、常に誰かからの声が聞こえるらしいねえ。あいつはそれを神託だって呼んでたけど、おたくと違って実用的じゃないから、教団もあっさり手放したのかもよ」
つまり俺と違い、儀式の途中で大蜘蛛一族に引き抜かれてしまっているのか。
ということは、カズマの異能は未完成のままということに。いや、俺の異能だって、奴らが求める完成度に達していた訳ではない。
真奈美達の介入で教団は壊滅し、儀式は中断されてしまったのだから。奴らが何を求めていたのか今となっては分からないが、その野望はもう断たれたのだ。
俺達のような、日常に戻れない程の心傷を負った異能者だけをこの世に残して。
「教団にいた同じ被害者として、神代カズマは俺が止めたい。あいつの望みは何なのか、ここまで大事にしてまで何を成し遂げたいのか、それを聞き出した上でな」
「うん、その心意気は、応援するよ。僕にとっても、あいつは弟弟子みたいなもんだし、兄弟子として、元身内の不始末はつけたい所だねえ」
「兄弟弟子……。あんたとあいつがか?」
俺の質問に神代雪羅は苦笑いをして、すぐに答えなかった。しかし、ごまかすことは無理だと察したのか、軽く溜息をついて、話し始めてくれる。
「まあ、ねえ。僕も昔は、大蜘蛛一族だったのさ。それも前首領の実子でね」
「な、何だと! あ、あんたが、大蜘蛛一族の前首領の息子だというのか!?」
俺は耳を疑って、思わず聞き返した。今、大真面目な顔でさらっと口にされたが、犯罪歴のある人間が警察として働いているという突拍子もない話だったのだ。
「うん、本当さ。あいつとは、お父さんから兄弟同然に育てられたよ」
「……驚いたな。元テロリスト首領の息子が、今は警察か。どうやら特殊埋葬課っていうのは、職員の経歴を問わない自由な職場らしい。勿論、良い意味でな」
「そうさ、だから感謝しないといけないんだよ。犯罪歴のある僕なんかを受け入れてくれた、特殊埋葬課の他の皆にねえ。いくら大蜘蛛一族の内情を、すべて頭に入れている僕が、警察に必要だったとはいえさ」
その口ぶりから神代雪羅は、警察で働く自分を納得して受け入れているようだ。同時に、過去の行いと経歴を恥じているような印象も、表情から伝わってくる。
更に彼は、「警察に捕まった後、国から取引きを持ちかけられたんだよ」と、苦いであろう過去の経験も、続けて話してくれた。
確かに前々から、真奈美に聞いていたことではある。特殊埋葬課が、あらゆる犯罪に対応するために、幅広い人材を集めた試験的な課であることは――。
ただ、正直、どこまでが本当なのか眉唾な話だと思っていた。だが、神代雪羅の話したことが事実なら、警視庁もかなり思い切ったことをするものだ。
「きっとカズマは、僕を恨んでいるだろうねえ。裏切り者で、大蜘蛛一族を壊滅寸前まで追い込んじゃった張本人なんだし。でも、因縁は君にだってあるしさ。あいつが鬼巌村で何を企てているのか聞き出す役目は、おたくに譲るよ」
「ああ、感謝する」
俺と神代雪羅は、その後も話しながら鬼巌村を歩き続けた。途中、何気なく太陽を見上げてみる。気のせいか、太陽はさっきよりも大きくなっている気がした。
同時に辺りを照らす夕闇の赤い光も、より強くなっているようにも感じる――。
「どう思う、神代雪羅。あれは本当に本物の太陽なのか? 目の錯覚なんかじゃなく、目に見えて大きくなってきていないか」
「うーん、そうかもしれない。原因は分からないけど、嫌な予感がするねえ。僕らが肉体の部位を集めている間に、真奈美ちゃんはすでに何かを始めているのかもよ」
「なら、急ぐべきだな……。神代雪羅、ここからは走りで行こう」
「うん、そうした方が良さそうだねえ、オッケーだよ」
俺の提案に神代雪羅は快く頷いて、案内役として先に走り出す。朱色に染まる鬼巌村内を俺達は走り続け、やがて神代雪羅は人差し指で前方を差しながら言った。
「あそこだよ、待ち合わせ場所は。ようやく見えてきたねえっ」
神代雪羅が指差した先にあるのは、俺も見知った建物だった。鬼巌村に着いた時、最初に辿り着いて籠城した、あの場違いなホテル風の屋敷だ。
外壁に突っ込んだ大型のダンプカーが、あの時のままになっている。近くにあるパトカー数台も、前と変わらない位置で破壊されて横転していた。
確かにそれなりに堅牢で立て籠もり易く、待ち合わせ場所としては最適だろう。俺達は、屋敷の玄関前に到着し、中の気配を探りながら扉をノックしてみる。
「誰かいないのかっ? 俺は九条ヨミ、君島真奈美の友人だっ」
俺が屋敷の中に呼びかけると、扉を挟んだ向こう側で誰かが動いた気がした。その気配の主が扉の前まで来ると、がちゃりと音がして内側から鍵が開く。
開いた扉の奥から現れたのは、不動鬼宿洞窟で別れたっきりのユカリだった。
「君か、雪羅君。待っていたぞ」
「やあ、ユカリちゃん。お互いに無事だったようで何よりだねえ」
「うむ、それは私も同じ意見だよ」
神代雪羅のおどけた挨拶に、ユカリは軽く笑って答える。しかし、その後に俺の方を見るなり、彼女は急に真面目な顔になって深く頭を下げてきた。
「あの時は、すまない。君を見捨てたようなものだと後悔していたんだ」
「過ぎたことを、いつまでも気にするな。頭を上げてくれ、ユカリ。俺は悪運が強いのが、昔から取り柄なんだ」
俺がそう言った後も、ユカリはしばらくの間、頭を下げていた。やがて頭を上げた彼女の背中の向こうを見てみたが、他に誰かがいる気配はしない。
では、残るもう一人、空木という人物はまだ来ていないのだろうか。そんなこちらの視線を見て考えを察したのか、彼女は疑問に答えてくれた。
「お察しの通りだ。空木君なら、まだ到着していないよ。全員が揃えば、次の行動に移ろうと予定していたんだがね。少し雲行きが怪しくなってきたようだ」
「どういう意味だ、何か問題が起きたのか?」
俺が訊くとユカリは、右手の人差し指で、ぴっと天井を真っ直ぐに指差した。頭上にあるものを見ろというジェスチャーだろうか。
ただし、屋敷の天井ではなく、更にその上――? どうやら彼女は、空にある何かが原因だと指摘しているようだった。
「太陽のことを言っているのか? 確かにさっきから大きくなってきているが」
「そう、ご名答だよ。太陽が近づいてきているのは、外を歩いてきた君達も気付いただろう。本来なら東から西に向かって動くはずが、常に正午の位置に存在しているんだ。つまり私の推測だが、あれは恐らく本物の太陽ではない」
「では、誰かによって作られた、人造の太陽だとでも?」
「恐らくは……としか言えないがね」
俺は改めて、空に赤く輝いている太陽を見上げてみた。そう、確かにそうだ。ユカリから指摘され、太陽が前に見た位置から傾いていないことに今、やっと気付く。
あれがあるのは大気圏外ではなく、もっと近くだ。よく目を凝らして見てみれば、成層圏と呼ばれる空気の層よりも下にあるように見える。
しかも、またさっき確認した時よりも、更に大きくなってきていた。
「ま、まさか……あの太陽が、落下してきているのかっ!? 地上に向かって、引き寄せられるように!」
「その可能性は高いだろう。見た所、かなりの大きさだ。あれが地上に墜落した時、鬼巌村と共に私達の命運は終わり、新たに何かが始まるのかもしれない」
何かとは何だと考えたが、それが鬼神伝承の再現ではないかと予想はできた。タイムリミットは、あの人造の太陽が落ちてくるまで――。
それまでに俺達は、真奈美がやろうとしていることを止めなくてはならない。確かにユカリが言うように、あまりもたつく訳にはいかなそうだ。
「なら、迅速に行動した方が良さそうだな……。俺達は、鬼神の心臓を手に入れた。あんたの方は、どうなっている?」
「私は元々持ってきていた左腕に加えて、脊髄を集めてきているよ。確かにまだすべて揃った訳ではないがね。心臓と脊髄という人体で最も重要部位があるのなら、望みはあるかもしれない。貸してくれ、試してみようと思う」
ユカリは心臓と指先を神代雪羅から受け取ると、踵を返す。そしてエントランスから、屋敷の奥へと歩いていった。
俺達も土足のまま、彼女の後ろ姿を追っていく。ユカリが向かったのは、あの時に警察官達と籠城することに使っていたラウンジだった。
ダンプカーが内部にまで突き破っており、外から生暖かい風が吹き込んでいる。そんな中、ユカリは無傷のまま残っていたテーブルに置かれたトランクを開いた。
中に入っていたのは、干からびた左腕と脊髄の二つだ。鬼神の部位だろう。
「さて、上手くいくだろうか……」
彼女が慎重にそれらを手に取ると、指先と心臓が共鳴するように動き出す。次の瞬間には、各部位が彼女の身体に引っ付き、勢いよく体内に吸い込まれて――。
直後、一瞬だけユカリの全身が神々しい輝きを帯びたが、すぐに収まった。
「うむ、成功したようだ。感じるな。鬼神の息吹と本体がいるその場所が」
「お、おい、ユカリ! 何をしたんだ、今の現象はっ?」
俺が驚いて訊ねると、ユカリは事もなげに答えてくれる。まるで今、行ったことが可能だと、最初から理解していたようだった。
「鬼神の肉体を、自身に取り込んだのだよ。これで鬼神の本体が封印された場所が、ある程度近くまでは突き止められるはずだ。正確にはあれらの部位が真に鬼神の肉体なのか確証はないから、便宜上、そう呼ぶがね」
「別に今更、驚くことじゃないよねえ。なんてったって、この村は鬼なんて化け物連中が当たり前に存在しているんだし」
「まあ、確かにそれはそうだがな……」
ユカリはトランクを閉めて、胸ポケットからボールペンと手帳を取り出す。そしてペンを使って、サラサラっと誰かに向けたメモを紙に書き留めた。
空木瞬成。メモに書かれたその名前を見れば、残るもう一人に対してだろう。文面には――先に発つ。そちらも到着次第、追ってきてくれたまえ、と書かれていた。
「さて、一応、メモは書いたがね。もうしばらく待ってみようか。十五分ほど待っても、空木君が来なければ、我々だけで出発しよう」
「けど、空木が時間に遅れるなんて珍しいねえ。何かトラブルでもあったのかな。あいつのことだし、滅多なことはないと思うけどさ」
そう言って神代雪羅は、ソファにどすんと勢いよく腰を下ろす。そのまま彼は、ふんぞり返って目を閉じると、腕を組みながら仮眠を取り始めた。
それを見た俺も、彼に倣って少し休息しておこうと別のソファに座る。その際に持っていた旅行バッグは、目の前のテーブルの上に置いておいた。
たった十五分とはいえ、さっき暴獣化したことの疲れを癒しておきたい。
ソファにもたれながら、そっと目を閉じる。浮かんでくるのは、真奈美の顔だ。それも俺が初めて顔を合わせた、当時のあいつの顔と姿だった。
「真奈美……」
疲れから眠気が襲い始め、俺は浅く微睡みに沈みながら、彼女の名前を呟く。
地下に作られた密閉空間の扉が壊され、真奈美を先頭に警察官達が雪崩れ込んできた時は、何が起きたかも理解できなかった。
助けが来て、自分が助かったという認識すらなかったのだ。茫然と立つ俺に彼女は近づいてきて、全身が返り血で真っ赤だった身体を抱き締めてくれた。
それは外の世界から長く離れていた俺にとって、久しぶりに味わう温もりで――その抱擁の中、徐々に湧いて来たんだった。
地獄のような牢獄の人生から、救われたんだという実感がようやく。
「だから、俺はあいつを……」
そう、今度こそは俺が真奈美を救って、恩を返さなくてはならない。あの日以降、俺を縛り続けるこの感情について、これまで何度も自問自答してきた。
しかし、彼女本人からも指摘されたが、この強い思いは呪いなのだろうか。
いや、そんな訳がない――。断じて、違うはずだ。これはそんなネガティブな呪縛なんかじゃないと、今ははっきりと言い切れる。
かといって、恋愛感情などというつもりもない。そんなんじゃなく、あいつから以前から感じているのは、まるで母親のような母性だ。
俺からすれば真奈美は、聖母に思える女性なのだ。そんな肉親に等しい存在を助けたいというのは、男が命をかけるには十分な動機だろう。
長い問いの末、答えをようやく導き出し、内から熱いものがこみ上げてくる。その時……。
「ヨミ君、ヨミ君っ! どうしたのかね?」
「え?」
俺はユカリに声をかけられ、はっとして目を開ける。すると、すぐ目の前には彼女がいて、じっとこちらを見ていた。
「涙を流しているようだが……」
言われてみて、初めて気付く。確かに目頭が熱く、いつのまにか泣いていた。両目から涙が頬を伝って流れ、ぽたぽたと自分の服を濡らしている。
俺はすぐに涙を腕の袖で拭い、拭き取った。昔を思い出し、感傷的になってしまっていたようだった。
ばつが悪くなり、俺はソファから立ち上がって腕時計を確認する。どうやらさっきから、すでに十五分が過ぎていたらしい。
「……いや、気にしないでくれ。ちょっと昔を思い出していただけだ」
「そうかね。だったら、いいんだが」
ユカリは心配そうに俺の顔を覗き込んでいたが、やがて納得して離れてくれた。神代雪羅の方は、もうとっくに仮眠から起きていて、床で軽くストレッチをしている。
すでに彼は、出発する準備とやる気が万端のようだ。
「ヨミ君も起きちゃったしさ、もう時間切れだよ。空木には悪いけど、もう出発だねえ。ユカリちゃん、道案内を頼むよ」
「うむ、承知した」
ユカリはトランクをテーブルに置いたまま、ラウンジから立ち去っていく。激しい戦いになると予想されるから、荷物は邪魔になるという判断だろう。
それなら俺も、旅行バッグはこの屋敷に置いていくことにして、彼女と、最初から手ぶらだった神代雪羅の後を追っていった。
エントランスから扉を開けて屋敷の外に出ると、空ではまた太陽が大きくなっている。終わりの時は、刻一刻と迫ってきているのだ。
真奈美との戦いは避けられないだろうが、その困難を乗り越える覚悟を決める。
「待っていてくれ、真奈美。今度こそ、俺が必ずお前を救ってみせる」
そう強く決意をしたことで、俺の目から涙はもう流れなかった。歩き出した俺達は、川の上流に向かい、またいつかと一緒で山頂へと続く道を登っていく。
この道には、見覚えがある。図らずも、前にも通った山上にある神社と鳥居があった場所へと繋がる道だったからだ。
恐らくだが、偶然の一致ではないだろう。そのことが意味することは、まだ確証まで持てないものの、何となく察せた。
鬼神の本体が封印された地とは、どこにあるのか――ということを。
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