第五章

第五章 絡み合う妄執その一

 そこに到着した時、空は荒れ、大粒の雨が降り出してきていた。

 大きく口を開けた洞窟周辺は、腐臭と殺気に満ち、獣達の咆吼が轟いている。また壁には、毒々しい青紫色のキノコが無数に生えていた。

 ふと足元を見てみれば、動物の腐肉が転がり、蛆がたかって貪り食っている。


「ふむ、この異様な雰囲気、やはりかつてと同じ過ちを犯した者がいるようだ。この洞窟がそうなのだよ、鬼神伝承が発祥した地はね。名称は、不動鬼宿洞窟だ」


「名前などはどうでもいいんだ。真奈美は……すでに来ているのかっ?」


 辺りを見回すが、生きた人間の姿や気配は微塵もない。最大の懸念事項は、真奈美がすでに洞窟の中に入ったかどうか、大蜘蛛一族と接触したかどうかだ。

 しかし、俺はすぐにでも内部に突入したいという、焦っている気持ちを抑えた。危険が待ち受けるここに迂闊に飛び込んで、無事に生還できる保証はないからだ。

 激しい雨に打たれ、落ち着かない感情に支配されながら、しばし立ち尽くす。そんな俺の肩に、ユカリはそっと手を置いて宥めてきた。


「上出来だ、ヨミ君。情緒に任せず、理性的に行動できる自制心は、見事なものだよ。だが、雨に濡れては、風邪を引く。中に入ろうじゃないか」


「あんたは、内部の構造を知っているのか?」


「いや、詳しくはないよ? ただ、道しるべはある。水が流れる音を追っていけば、最奥に辿り着けるんだ。そこまでの道中は、大蜘蛛一族の連中が、多少は安全を確保しているはず。彼らの努力に、あやかろうじゃないか」


 そう言うと、ユカリは躊躇を見せることなく洞窟の穴の中へと降りていく。男の俺でさえ戸惑っていたというのに、大胆不敵で迅速な動きだった。

 俺も彼女に倣って、洞窟内に足を踏み入れていく。古くて寂れてはいるが、人の手が入った道が縦横に巡り、進む先々に朽ちたトロッコや、線路が残っている。


「坑道だったのか、ここは?」


「まあ、昔は、だがね。同時に力を求めて、夢見る者達が挑み、敗れたその果てでもある。しかし、予想に反して、生きた鬼も人間も一人もいないな」


 そう、あれから数分間、歩いてみたが、襲ってくる鬼とは遭遇しなかった。

 また大蜘蛛一族の構成員達とも、一向に鉢合わせることはない。ユカリが言った通り、鬼と人の死体だけがそこかしこに転がり、地面を血で濡らしている。

 人間の死体の方が、大蜘蛛一族の構成員達だろうか。かなりの人数が息絶え、それらには例外なく蛆が湧いて、腐敗が始まっていた。

 俺は屈んで、坑道に転がる鬼の死体の方に手で触れ、死因を確認する。どれもこれも、喉を拳らしき打撃で一撃でぶち抜かれていた。


「おい、見てくれ。どの鬼の死体も、死因は同じだ。山から下りた時に見た、あの折り重なった鬼と同じ殺され方をしている」


「ふむ、確かに。凄まじい実力者もいたものだ。この坑道には、鬼などよりも、ずっと強力な誰か人間がいるのかもしれないな」


 俺とユカリは戦慄を感じつつ、立ち上がって再び先を急いだ。どこか遠くから、水が流れる音がここまで小さく反響してきている。

 道しるべにしているその音を聞きながら、ユカリは会話を続けてきた。


「大蜘蛛一族も、相当、切羽詰まっているのだろうね。焦っていたからこそ、今回も無理を通そうとしてしまった。私は、そう予想するがね」


「確かにここ最近、頻発していた大蜘蛛一族達のテロ活動も、焦りの表れだと警察広報官がテレビで話していたようだが」


「うむ、あるいは組織の再起を図って、博打に出たのかもしれないな。だが、これだけ悪戯に犠牲者を出してまで、無謀な賭けに出たものだと思うよ」


 ユカリは、所詮は自業自得だと思っているのか、淡々とそう語った。では、俺達は窮状にあるテロ組織の大博打に、巻き込まれたのだろうか。

 しかし、自害した末端の女性構成員はともかく、あのオールバックの男。

 あいつだけは、野心と自信に満ち溢れた雰囲気を纏っていた。死を恐れていない覚悟が決まった目、屋敷にダンプカーで突撃してくる、頭のネジの外れ具合。

 何より、俺の念視に干渉し、逆にこちらへ攻撃を仕掛けてきた不可思議な力。もし相対したとしても、果たして確実に勝てるか不明瞭だ。

 俺は未来を占うために懐からタロットカードの束を取り出し、一枚を引き抜く。


「今回のは……正位置の悪魔、か。今日の生存確率は、十七パーセント」


 昨日よりも、更に厳しい数字が突き付けられ、否応なく気が引き締まった。

 危険に注意を払い、俺達は尚も先に進み続ける。行く先々には、そこかしこに部屋が設置され、生活感が残されている場所すらもあった。

 ただし、道のほとんどは崩れて、埋まっている。お陰で道を間違える必要もないが、もしかしたら鬼との交戦で意図的に塞いだのかもしれないと思った。

 その時、俺はふと前方から気配を察知し、隣にいたユカリに声をかける。


「おい……止まれ、ユカリ」


「ん、どうしたのかね?」


 俺は歩いていたユカリの腕をさっと掴んで、立ち止まらせた。すると、彼女も俺に遅れて気付いたらしく、前方にある曲がり角に視線を向ける。

 そこから僅かな殺気が、俺達に向けられているのだ。隠そうともしていないので、向こうから早く気付けと挑発されているようなものだが。


「正体は割れている、出てこい」


 俺は、そこにいるであろう人物に声を投げかける。少しして、待ちわびていたように俺達が注視している曲がり角から、静かな足音で男が現れた。

 水晶玉でも視た、大蜘蛛一族のリーダーであるオールバックの男だ。その手には人間……いや、鬼の頭部を持っている。

 そして男は眼光を真っ直ぐに俺達へと向け、言い放った。


「来たか、九条ヨミ。ちょうどいい。今、我が神の命により、鬼掃除は終わった所だ」


 オールバックの男は、そう言うなり、鬼の頭部を両手で挟み潰した。血が四方に散って、肉塊となった頭部も地面にぐしゃりと落ちる。

 そして男は、指先でクイッと眼鏡を押し上げてから、口を開いた。


「数少ない人数で組織を回すのは、骨が折れるものだ。お前が来るのは知っていたが、私も忙しい身なのでな。要件は手短に終わらせたい」


「それは奇遇だな。俺も、まったく同じ意見だ。ところで、俺の連れは知らないか? 黒いパンツスーツを着た若い女性警察官なんだが」


 オールバックの男は、答えない。その代わりに堂々たる足取りで、一歩一歩こちらに近づいてくる。俺は「離れていろ」と言って、ユカリを背後に下がらせた。


「気をつけたまえ、ヨミ君。この男、かなり危険な目をしている」


「ああ、醸し出す雰囲気を見れば、嫌でもそれが分かる」


 俺は戦いが激しいものになると察し、拳に秘かに力を込めた。なぜこいつが、俺の名前を知っているのかなど、腑に落ちない点はある。

 真奈美のことを匂わせて探りを入れてみたが、さて、どう反応してくるか。


「あの女なら、今ここに向かっているのが、この目で視えているぞ。しかし、顔に刻まれたあの紋様には、禍々しきものを感じるな。確実に抹殺しなくては」


「そうか、予想以上に寝言だったが、それを聞けて安心した」


 俺もまたオールバックの男に向かって、進み出ていく。真奈美とこいつが、まだ顔を合わせていないのなら、気後れすることは何もない。

 その前にこいつを倒してしまえば、いいだけ。憂いがなくなり、俺は身体を低くして、全身に緊張を漲らせる。


「九条ヨミ、私達は同胞だ。電話では脅しをかけておいたが、できれば殺し合いは避けたいのだがな」


「……同胞だと? ふざけるなっ。お前に仲間呼ばわりされる謂れはないっ!」


 俺は、男から放たれた同胞という言葉に苛立つ――が、引っ掛かりも覚えた。

 この男も俺と同じく、あの宗教集団と関わりがある気がしたからだ。ただ、あまり深く追求をしようとは思わなかった。

 なぜなら、真奈美を殺そうとする奴に情けは無用、それが俺の答えだからだ。


「いくぞっ!」


 俺は勢いよく地面を滑って、男の眼前で思いっきり拳を振り抜いた。その怒りに任せた拳は、寸分の狂いもなく、顔面に直撃する――!

 しかし、それを男は難なく耐え切り、この場から足を一歩も後退させなかった。

 俺は息をより大きく吸い込み、腹に空気を溜め込む。そして腹の底から力を入れて、両拳がぶれて見えるほどの高速で放った。


「だああぁっ――!!」


 俺は幾度も幾度も、連続で拳を繰り出していく――! 鋭い連打が、男の腹部に吸い込まれるように炸裂していった。

 洞窟全体が揺れ動き、パラパラと埃と石が落ちてくる。それらが目の前を僅かに遮った刹那の間に、男の手が俺に伸びて、俺は顎を右手で掴まれていた。


「うおぁっ!」


「まだ名乗ってなかったな、九条ヨミ。私は神代カズマだ。先代の跡を継ぎ、大蜘蛛一族の首領代行を務めている。しかし、どうやらお前、まだ昔の勘を取り戻せていないようだな」


「なんだと……?」


 代行というのが引っ掛かったが、納得はできていた。まだ若く見えるものの、この神代カズマという男が、本当に大蜘蛛一族の現リーダーで間違いないことに。

 しかし、凄まじい力だ。いや、それもあるが、顎を掴まれているだけなのに重心が崩れ、力が入り難い状態にされてしまっている。


「日常に慣らされ、牙を抜かれたか? かつて呪術を行う生贄に捧げられて、しのぎを削っていた頃のお前とは思えんな」


「俺の昔の素性を知っている、ということは……」


「ああ、私達は昔、顔を合わせている。忘れたのか、私のことを――!」


 俺は腹の底から叫ぶことで瞬間的に力を解放し、カズマの手を顎から剥がす。放り出された身体を両足で支え、しっかりと地面を踏んで飛びかかった。

 勢いを乗せた右拳が鳩尾にぶち込まれ、この男の肉体が僅かに浮き上がる。しかし、重量が凄まじい上に、筋肉が硬くて手応えがあった感触すらない。


「残念だ、お前の方は私を覚えていないかっ!」


 カズマは雄叫びを上げつつ、無造作に拳を振りかぶる。それと合わせるように、俺も拳で応じ、拳と拳が激突した。

 インパクトの瞬間、空気が弾け、周囲に広がって細かい石を散らす。俺達は拳を合わせたまま動かず、両者共に固まる……が、結果は遅れて明らかになった。

 カズマの右拳は無傷のまま、一方の俺の右拳だけが裂けて血が噴き出す。


「つぅっ……!」


「くだらん抵抗だっ!」


 痛みに怯む俺の横顔に、カズマの回し蹴りが炸裂する。大きく吹っ飛び、壁に全身を強打した俺が攻撃態勢を取り直すよりも、こいつは早く動いた。

 俺の頭を鷲頭噛みにしたカズマは、顔面を何度も何度も壁に叩き付ける。頭部から流血し始めるが、それでもこいつは攻撃の手を緩めない。

 少しの隙もない強さだ。最後に顔を猛烈な勢いで地面に叩き付けられ、沈み込んだ地面にうつ伏せで横たわった。そのまま、俺は右手に力を入れてみる。


「やっと掴めたな、チャンスを……」


 痛い、痛くて堪らない。しかし、それでも闘志が折れることはなかった。

 今の猛攻の間に俺は、辛うじてポケットからナイフを取り出せていたのだから。刃を握り締めた指先から、血が滴り落ちる。

 身体の底から、力が湧き水のように表に溢れ出してくる感覚が戻ってくる。かつての俺が振るっていた、圧倒的な暴力の――。


「やっと、やっと反撃ができるなぁ……! るるるぁ……!」


 俺はゆっくりと身体をひと揺れさせ、立ち上がる。そして昂る野獣のような衝動を抑えることなく、カズマに殺意の視線を浴びせた。

 こいつは俺の過去を知っている。俺が、あの儀式の生き残りだということも。あの儀式で生き延び続けた生贄は、確かに俺以外にもいた。

 だが、その人数は、ごく僅かだったはず――。同じ境遇の者同士で会話をした記憶も残っているが、思い出そうとした所で、感情が暴獣に塗り潰されていく。


「ぐるるぅっ……あああっ!」


 ただ、カズマは口ぶりからして、儀式が最後に残した結果は知らないのだろう。それは恐らく、途中で警察が介入してきたせいだろうが。

 儀式が実を結んだ暴獣化を物珍しい目で見ている以上、それは間違いない。


「ほう、まるで獣の眼光だ。やっと見せてくれたのだな。それが天啓に抗うための、お前の自信の源か? 面白い、試してみろ。天啓を覆せるかを!」


 カズマの挑発とは無関係に、気分が高じて、燃え上がる。あれだけ打ちのめされたのに、立ち上がっても、痛みや疲労が驚くほどない。

 むしろ、暴獣化したことで、とにかく目の前の誰でも蹂躙して回りたかった。今度はこちらから反撃の狼煙を上げようと、右足をカズマに向かって踏み出す。

 奴から強烈な殺気を感じたのは、その瞬間だった。


「受けて立ってやるぞ、お前の切り札をっ。しかし、無意味な行為だ。我が神からの天啓は、今もお前の死を告げてくれているっ!」


 カズマは拳を後ろに引き、大胆に走って間合いへと踏み込んできた。一度は打ち負けた相手に、むしろ、闘争心が増しに増していく。

 俺達の距離が縮まった一瞬、再びお互いの右拳同士が、真っ向から直撃する。刹那、洞窟内が振動し、俺は更に地面を踏み締め、気合を込めて叫んだ――っ!


「ぐるるぉあぁーーっ!!」


 カズマの右手の甲に裂け目が生じ、ブシュッと血が飛び散る。そのまま拳を打ち返した勢いで、俺は自身の右拳をこいつの額にまで叩き込んだ。

 衝撃の強さから、さすがのカズマも背後に頭を仰け反らせる。更に力で圧倒したことで、とうとう数歩とはいえ背後に後退させた。


「修正が必要、だなぁっ! その天啓とやらはなあぁぁっ!」


「……これ、しきでっ、粋がるな!」


 カズマの額から血が吹き出すが、やや弱かった。頭蓋骨を破壊することは叶わず、即座に奴から足払いの反撃を喰らい、俺は思いっきりその場に転倒させられる。

 しかし、すぐに下半身のバネだけで、跳ね起きた。攻撃されても痛みなどないし、占い師としての直感が告げていた。俺が勝利する未来しか見えてこないと。

 そのまま間髪入れずに、殴りかかろうとした時のことだった――。カズマが戦いの手を止め、別方向に顔を向けていることに気付く。

 俺達から十数メートル離れたそこに立っていたのは、真奈美だった。


「見つけたよ、お前さぁ。ずっと居場所を捜してたんだよ。大蜘蛛一族の首領代行、神代カズマ。やっと僕の手で血祭りに上げてやれるね」


「真奈、美……お前っ。ぐ、るるるぅ」


 真奈美は目が赤く血走り、全身から狂気の殺意を振り撒いている。

 ただし、彼女は、ぞっとする程の笑顔だった。楽しくて仕方がないような表情で真奈美は、ユカリの隣を歩いて通り抜けようとするが――。

 その時、ユカリが手にした拳銃の銃口が、彼女のこめかみに突き付けられた。銃器に詳しくはないが、あれは警察官に支給される回転式拳銃にも見える。


「止まってもらえるかな。これは君を守るために、ヨミ君が誇りを賭けた真剣勝負だ。今、勝機が見えてきた所なのだよ。あの子だけにやらせてあげたまえ」


「はぁ? お前こそ邪魔だよ、横槍は入れないでくれるかなぁ?」


 真奈美は低い声でそう漏らすと、銃口を軽く指先で摘まんだ。そして人とは思えない力で、その部分を無造作に捩じ切ってしまった。

 確かに彼女は、脳のリミッターが外れ、常人よりも強い力を発揮できる。とはいえ、今見せられたのは、そんなものを優に超えていた。

 ユカリは先端が壊された自分の拳銃を見て、感嘆した様子で溜め息をつく。


「驚いた、想像以上だ。私では君を止められないな」


 そうぼやいたユカリを無視して、真奈美はカズマの眼前まで進み出ていった。見上げる程の身長差があるにも関わらず、彼女はまったく委縮していない。

 俺がすぐ近くで見守る中、むしろ、小馬鹿にしたような笑みで、あの男に対して侮蔑の視線を送っていた。

 そんな中、俺は必死に自分の中で暴れる獣と戦っていた。彼女にまで襲い掛からないように、意識して暴獣化による気の昂りを抑え込んでいく。


「ねえ、やっと会えたね、神代カズマさぁ。お前のせいで、同僚の警察官が何人死んだか分かってる? それを償うには、死しかないよ」


「くだらん。お前達とは、憎しみの歴史が違う。私は大蜘蛛一族の中でも、異端の分派でな。鬼の血を引く故に、先祖がこの地に残した奇跡ですべてを手に入れる」


「あ、そう。やっぱりムカつくよ、お前さぁ」


 カズマが言い終わるなり、真奈美の身体はゆらりと揺らめく。

 だが、それに応じるように、あの男も機敏に動いていた。真奈美の右拳が振り抜かれるよりも前に機先を制し、カズマは右手で、その腕を掴んで止めていた。


「つまらん、あまりに未熟だっ。悪しき者よ、滅するがいい!」


 カズマは武術の理合いで、真奈美の重心を崩そうとするが、次の瞬間――。


「それがぁ、何? 悪い奴は、痛めつけて殺さないとさぁっ……!!」


 真奈美は怒った顔で、左手を伸ばして思いっきりカズマの首を握り締める。

 武術の技を仕掛けられているのに、彼女は単純な力だけで耐え抜いていた。予想外だったのか、カズマが驚愕の表情を浮かべている。


「なん、だとぉっ」


 そんな中、真奈美は高笑いをしながら、力任せにカズマを投げ放つ――!

 無理やり形容するなら、柔道の投げ技に近かった。ただし、服ではなく、肉を掴んで、それも片手だけで放つのは常識外れそのものだ――。

 逆にバランスを崩されたカズマは、背中から墜落する。ビキビキと落下点から、地面のヒビが周囲に大きく広がっていった。


「……私はっ、我が神に選ばれし存在だぞ……っ。この悪魔めっ!」


「そんなの知るかよ、この下賤な悪党がさぁ!」


 出来上がったクレーターに背をつけたカズマが、起き上がろうとする。しかし、そんな彼の腹部を真奈美は踏み付け、追い打ちをかけた。

 足の裏にかけられた強い力で、地面のヒビが更に大きさを増していく。


「ぬ、ううおっ!」


「声が聞こえるんだよ。誰かが、僕を呼んでいる。行かなきゃ、行ってやるべきことをするんだ。だから、今だけはお前なんかを相手にしている暇はないんだよ」


 そう言い残すと、真奈美は俺の方など見向きもせずに、奥へと歩いていく。水の流れがしてくる、洞窟の更に最奥へと。


「ま、真奈……」


 俺は去り行く真奈美の背中に向かって、縋るように手を伸ばす。

 今、声をかけなければ、彼女は遠くに行ってしまいそうだった。一体、彼女に何が起きたのか分からないが、俺が人生をかけて守るべき対象なのは今も変わらない。


「真奈美っ、待てっ!」


 俺は我慢できなくなり、取り縋るように叫んでいた。そして真奈美の背中を追っていく。後ろの方では、カズマが大声で猛り狂っているが、耳に入らなかった。

 ただがむしゃらに、ここから走り去った真奈美の後を追いかけていく。

 他の誰かのことなど、考えている余裕などなかった。それぐらい今の俺は、彼女のことだけで精一杯だったのだ――。

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