第四章 予測を超えていた、其処にある悪夢その二

 気分は最悪そのもの――何しろ、またかつての悪夢を見たのだから。左手首の腕時計を確認すると、示す時刻が、早朝の午前八時を告げていた。

 シェルター内の俺達には、ここから外の様子は分からない――だが、この時間ならとっくに太陽が空に昇り、朝日が差していることだろう。

 いつもの寝覚めの悪さに別れを告げ、そろそろ行動に移るべきと思った。


「頃合いだな。そろそろ地上に出てみるか」


「うむ、本当に警察から救援が来ていると、助かるんだがね。そろそろ熟睡している彼女を、起こしてあげたまえ」


 俺は横になっていた自分のベッドから、意気揚々と腰を上げる。何しろ、昨日からベッドで仮眠を取りながら、この時が来るのをずっと待ちかねていたのだ。

 向かいのベッドにいたユカリも立ち上がり、荷物のトランクを片手に持った。俺もとうに準備はできているが、真奈美だけは同じベッドの隣でまだ寝ている。

 それもうつ伏せで枕に顔を埋めながら、まったく動く気配がない。この時刻まで熟睡している所をみると、やはりかなり疲れていたのだろう。

 出発を伝えるために声をかけようとするが、そこで異変に気付いた。


「お、おい。真奈美っ」


 俺は最初、錯覚かと思って目を疑った。真奈美の目元や頬に、稲妻のようにギザギザな、黒い模様が浮かび上がっているのだ。

 就寝前までは、間違いなくなかったものだ。俺はまだ寝息を立てている彼女の肩を揺すって、何度も名前を呼びかけた。


「真奈美! おい、真奈美っ! 起きてくれっ」


「……ん、どうしたのさぁ、ヨミ……君」


 ようやく目覚めた真奈美は、ベッドの上で上半身を起こす。その顔を見て、俺は驚きのあまり言葉を失ってしまった。

 目の下や頬にかけて、稲妻を思わせる模様が刻み込まれている。まるで呪術の紋様のようにも見えるが、真奈美自身は気付いている様子はない。

 俺は旅行カバンから手鏡を取り出すと、彼女に自分の顔を見せてやった。


「これ……僕の顔なの? 何だか、大変なことに……」


「身体にどこかおかしな所はないのかっ? ただごとじゃないぞっ」


 俺が問い詰めると、真奈美は肩をわなわなと震わせている。顔に不気味な紋様が浮かんで、少なからずショックを受けているのだろうか。

 思い当たるのは、やはり昨日からの体調不良のことだ。いや、そもそもの発端は、あの屋敷で香山巡査部長が出した茶を飲んだせいではないのか。

 それ以外に、原因となりそうなことは何もなかったはずだ。では、どう処置をするのが最善なのか、またこれから真奈美はどうなってしまうのだろう――。

 悔しいが、この症状は自分の手に余る事態だ。そんな八方ふさがりの中、俺が藁にも縋る思いで助けを求めたのは、ユカリだった。


「なあ、ユカリっ。真奈美のこの紋様は、何なんだっ。一体、何が起きたのか、鬼神伝承を知るあんたなら、知ってるんじゃないのか?」


 ユカリは助けを求める俺に応じ、ベッドに腰かける真奈美の顔をじっと見た。そして指先で、彼女の紋様をつつっとなぞる。

 しかし、そんなユカリの指を真奈美は、手で叩いて跳ね除けた。


「五月蠅いなぁ。お前なんかに一体、何ができるってのさ?」


「おい、どうしたんだ、真奈美! お前らしくもないぞ、少し落ち着けっ」


「だからさ。うる、さいっ……んだよ、お前も! このガキっ!」


 俺が注意しても、真奈美は様子がおかしかった。普段は、のほほんとした顔をしているのに、今は表情に険があり、きつい目つきになっている。

 そして他人に対して、こんな刺々しい態度を取る人間ではなかったはずだ。実際、彼女と長く顔を合わせてきて、ここまで邪険にされたのは初めてだった。


「ふむ、錯乱している……だけではないね。性格が攻撃的になる所は、鬼巌村の湧き水を長期間、飲み続けた事例に近く思えるが、それとは違う……」


「分からないのか、あんたでも?」


「ああ、今この場ではお手上げだ。私は医者ではないし、病院に行かないことには、症状を見ただけで原因の特定はできない」


 俺は、ユカリから告げられた無慈悲な現実に愕然としてしまった。しかし、山を下りて病院で診察してもらいさえすれば、まだ希望はあるかもしれない。

 この症状の治療法を見つけ出して治すことだって、きっとできるはずだ。なら、最優先でやるべきことは、おのずと限られてくる。


「じゃあ、真奈美を連れて、早く村を出るしかないな。背に腹は代えられない」


「そんなの駄目だっっ!!」


 真奈美が、急にシェルター内に響き渡る大声で叫んだ。そしてそれに面食らっている俺の腕を、がっしりと力強く掴んで放そうとしない。

 手加減など感じられないその行為に、俺は鈍い痛みで顔を歪めた。ここまで拒絶するくらい、気に障ってしまったのだろうか。

 俺は彼女の顔を見据えて、理由を話してくれるのを待った。


「そんなのは、駄目だよ。この村から離れるのは、まだその時じゃないんだ。やり残したことは、まだあるんだしさ」


「やり残したこととは、大蜘蛛一族の捜査かね? 教えてくれないかな、君は何を目的にしている。そしてそれは本当に自分の意思によるものなのかね?」


 ユカリが、真奈美に行動原理の確認を取っている。精神が異常をきたし、落ち着きがなくなった彼女に、正常な判断ができているか俺も知りたかった。

 しかし、真奈美は俺達を無視して立ち上がり、ずかずかと歩き始める。どうやらシェルターの出入り口にかかる梯子から、外に出て行こうとしているようだ。

 すでに側の壁についたスイッチを押して、天井の穴を開閉させている。俺はすかさず、そんな彼女に駆け寄ると、その肩を掴んで引き止めた。


「真奈美、まだ話は終わっていないぞ。まさか一人で行くつもりじゃないだろうな」


「そのまさかだよ、ヨミ君さぁ。じっとなんて、していられないんだよ。まずは大蜘蛛一族の連中を、皆殺しにする。そして……それから僕は、困っている皆を、救ってあげるんだ」


 こちらを無理やり振り向かせた真奈美の目は、漆黒の殺意と狂気を宿している。

 到底、正気には見えない。ただ、困っている人を救いたいという望みは、いつも彼女が抱き、目標にしていたことだ。

 何かに導かれるまま、その欲求が増幅されているかのような――俺には、そんな危うい印象を受けた。


「そんなことをあんた一人で、できると思うのか? 分かった、出ていくのは反対しない。なら、せめて俺も、連れて行け。力になってやる」


 しかし、真奈美は返事をすることなく、俺の手を払いのける。

 そして無言で、梯子を上り始めた。俺はユカリと顔を見合わせると、早く止めた方がいいとその目が言っていた。

 同意見だと思った俺も、真奈美を追いかけるべく梯子に手をかけて上っていく。そのまま急いで上がり切ると、神社本殿の床に開いた穴から頭を出す。

 しかし、その時には、すでに真奈美の姿はそこにはなかった。すぐに神社の両開き扉を開けて外を見てみたが、やはりもうどこにもいない。

 狼狽えかけた俺に遅れて、ユカリも地下から梯子で上がってきた。


「あいつ、もう出て行ったのか。くそっ、早まった真似をしたもんだ」


「今から追えば、何とかなるだろう。彼女は、大蜘蛛一族の根城となっている洞窟の場所を知らないんだからね。私達の方が、目的地に先に辿り着けるはずだよ」


「そう願いたいな……」


 俺達は神社の本殿を出ると、ユカリの案内の元、駆け足で下山し始める。途中、鬼達の吠える声が、あちこちから幾度も轟いてきた。

 一夜、睡眠を取ったことで、疲れは癒えている。過信はしないが、交戦になったとしても、敵が少数でありさえすれば、勝機はあるはずだ。

 それにいざとなれば、反動のある暴獣化も辞さない覚悟もあった。しかし、俺達は運が良かったのか何事も起きることなく、山を下りることに成功する。

 ただ、そこで目にしたのは、驚くべき光景だった。数え切れない数の死体、それも顔がうっ血した鬼達の死体が、山のように折り重なって倒れていたのだ。

 俺は腰を屈めて、慎重にそれらの死体をよく観察してみた。


「喉を恐らく拳で打たれて、殺されているな。他に致命傷らしきものはない。そのたった一撃で、即死させている。……やったのは、かなりの使い手のようだな」


「さて、問題は誰の仕業か、ということだが。この一方的な惨劇を作り上げたのは、真奈美君だと思うかね?」


「さあ、どうだろうな。こんな殺し方は真奈美の流儀じゃないが、今朝からのあいつは別人みたいに変貌していた……。違うと思いたいが、何とも言えん」


 俺は腰を上げると、ユカリにこれからの行き先を告げることにした。真奈美を追跡するよりも優先して、先に行くべき場所があるからだ。

 だが、そのことは苦渋の決断だった。俺達よりも、真奈美と大蜘蛛一族が先に接触してしまうことのリスクと、彼女を救出する確実性を天秤にかけての選択になる。


「まずは村の入り口に向かいたい。この事態は、大事になり過ぎている。警察の救援がなければ、俺一人では真奈美を守り切れないかもしれない」


「うむ、私も同意見だ。それにこのオカルトめいた事件に、警察がどう対応するのか、非常に興味がある。お手並み拝見といきたいものだね」


 目標が定まった俺はユカリと一緒に、駆け足で村内を走り抜けていく。地の利がない村だが、やがて昨日も通った見覚えのある道が見えてきた。

 そこを俺達は、更に走り続ける。その内、辿り着いたのは――真奈美のセダンが破壊され、横転している鬼巌村で唯一の入り口だった。

 やっとの到着だが、そこを目にするなり、俺達は驚いて立ち止まってしまう。予想を大きく超えた、起きるはずがない光景が待ち受けていたのだから。


「な、何なんだ……これは。地面が、大きく裂けて……道が断裂している」


 鬼巌村からの脱出を阻むように、大地が横に裂け、俺達に立ちはだかっていた。昨日の今日で、こんな災害が起きているとは信じられない思いだ。

 俺もユカリも、息を呑んでしばしの間、押し黙ってしまう。


「参ったことになったものだね。しかし、これは偶然ではあるまい。誰かが、明確な意思でやったんだ。私達を逃がさないためか、救援が来られないようにするためか。それはまだ断定できないがね。……ただ一つ、言えることは」


 ユカリはそこで一旦、言葉を区切って、深刻そうな顔をして話を続ける。


「これは悪意によるものだ。もしかすると、誰かが鬼巌村の守り神である、鬼神を呼び覚ましたのかもしれないな。だとしたら、この日本国で天災が起きるぞ」


「どういうことだっ。仲間を増やそうとする、あの香山のような鬼達以外にも、本当に鬼神……。祭壇に祀られるような、神格化された大物がいるというのかっ?」


 日本で天災が起きるとは、どういうことなのか。また鬼神とは、ただの鬼とは違い、人を襲って仲間を増やそうとするだけではないというのか。

 俺は問いただしたが、ユカリは一向に答えようとしない。焦れる俺は、彼女の両肩を掴み、知っていることを聞き出そうと試みた。


「すまないが、急いでいるんだ。知っていることを、話してくれ。鬼巌村の元村民だというなら、この村のどんな秘密を知っているっ!?」


「そうだな、そろそろ隠し事はやめよう。私は鬼巌村の出身だが、今は真奈美君と同じで国家の機関に勤めているんだ。そして村の秘密を追っている」


 ユカリは顔色を変えず、俺の手をそっと両手で掴み、引き離そうとしてきた。彼女の細い指先が、俺の手の甲に喰い込み、血が滲み出す。

 痛みで手を引っ込めようとするが、凄まじい力で逃げられなかった。女の細腕とは、とても思えない腕力だ。

 俺の力では、暴獣化しなければ、とても抗えそうにもないだろう。


「見ての通り、私も普通の人間ではない。長年、鬼巌村の湧き水を飲み続けたことで、尋常ならざる膂力を得るに至った特異な人間だよ」


「じゃあ、なぜそれを話してくれなかった? 言えない事情があったのか?」


 いきなり国家の機関に勤めていると言い出されても、まだ何の確証もない。だから、俺は、まだユカリのことを疑ってかかった。

 そんな俺の質問も想定内だったのか、彼女は僅かに笑みすら浮かべている。ただ、続きを話し出したその目は真剣そのもので、茶化している様子はない。


「任務の性質上、守秘義務があるのだよ。ただ、君も鬼神伝承を追うのなら、利害は一致することもあるだろう。それだけは信じて欲しいがね」


 俺達はお互いに、両手で相手を掴み合った密着状態で、視線をぶつけ合った。

 そんな睨み合いが、しばらく続くが――やがて先にその均衡を破ったのは、俺の方だった。

 こんなことをしている場合ではないし、今は猫の手も借りたかったからだ。


「分かった、手を放せ。占い師としての直感だが、少なくとも犯罪者じゃないんだろう。真奈美を助けるのに協力するなら、俺もあんたに力を貸してやる」


「和解成立と受け取るよ。では、出発前に、明かせることだけ話しておこうか」


 俺達は、それぞれ相手から手を放すと、緊張を解いた。そしてユカリは電子タバコを咥えると、俺が聞こうとした鬼巌村について話し始める。


「鬼巌村の有力者が、鬼神伝承の再現をしようとしていたことは、前に話したね。それを行った場所が、死者の住まう国と、我々が生きている現世。その国境線とも言うべき聖域なんだ」


「そこで有力者の男は、昔、それを行おうとして、大きな失敗をやらかした訳か」


「そう、察しがいいな。簡単に人が鬼化する程、湧き水の濃度が濃くなった事件が、以前にも発生したのだよ。功を焦ったのか、正式な手順を踏まずに、鬼神伝承のとある儀式をやろうとしたせいでね」


「なるほどな……」


 つまり大蜘蛛一族は、かつての鬼巌村の有力者と同じ失敗をしてしまった。今、村に鬼達が溢れている発端を作ったということだろう。

 そしてその失敗は、自分達をも苦しめることとなってしまっている。屋敷で自害した大蜘蛛一族の女性の今際の言葉から、そのことは間違いない。


「君は私にとっても、大事なパートナーだ。明かせることであれば、共有したいと思っている。それと実はね、方便で登山サークルのメンバーと偽っていた仲間達も国のエージェントだ。優秀な彼らのことだ、きっと村のどこかに到着しているはず」


「言いたいことは、分かった。それよりも、そろそろ案内してくれ。真奈美が先に大蜘蛛一族と、顔を合わせてしまう前にな」


「ふふ、それもそうだな。しかし、本当に君は、真奈美君とは恋人じゃないのかね? そんなに彼女のことで頭が一杯なのに」


「……そんなんじゃない。あいつは、俺を救ってくれたんだ。とある宗教集団に呪術の生贄として捧げられ、同じ境遇の連中と殺し合いをやらされていた時にな」


「そうか、事情は深掘りはしないがね。いいだろう、私の後について来るといい」


 ユカリは踵を返すと、トランクを片手に風を切るように走り出した。華奢な見た目に反して、かなりの走力だ。あっという間に、元来た道を引き返していく。

 鬼巌村の湧き水を飲み続けてきた効能らしいが、まるで五輪選手並みだ。そんな彼女を見て、俺はつい不満からの疑問をぶつけてやった。


「おい、ユカリ。そんなに身体能力に自信があるなら、何で今まで戦わなかったんだ? 一緒に戦ってくれていたら、俺達も少しは助かったんだがな」


「うむ、色々と理由はあるが、一つは君達の実力を見ておきたかった。まあ、楽をしたかったというのもある。下っ端を君達が蹴散らしてくれたら御の字だからね」


 ユカリはいけしゃあしゃあと、そう言ってのける。身分を明かしたくなかったとか、もっと適当な理由をでっちあげることも出来ただろうに。

 憎らしいが、過ぎたことを責めても仕方がない。それに俺も過酷な人生を乗り越えてきたことで、腕っぷしと体力には自信はある。

 負けじと後を追い、次第に暗雲が立ち込め始めた村の中を走り抜けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る