第四章

第四章 予測を超えていた、其処にある悪夢その一

 神社の本殿に入るなり、猛烈なカビ臭さが鼻を刺激した。外観だけじゃなく、内壁まで、至る所がカビで覆われているようだ。

 あまりの臭いと埃に耐えかねて、俺と真奈美は思わず、鼻を摘まんでしまう。それでも我慢して周りを見回してみると、中は六畳程度の狭い部屋になっていた。

 また奥には祭壇があり、ご神体と思しき銅像が祭られている。それもこの村にはいたく似つかわしい、悪鬼の如き姿をしていた。


「この神社付近は、昔から村の宴会の場になっていたらしくてね。野生動物の血を川で洗い流して、その肉を切り分けて、皆で食べたそうだよ。この鬼神様にも、お供え物が捧げられていたのだろうね」


 まるでユカリは、観光案内のガイド気分のようだった。鬼の銅像に手を差しながら、楽しげに解説をし始めている。


「お供えか。だが、不思議だな。あんたの昔話では、鬼というのは元々、鬼巌村に集まった先住民の成れの果てのはずだ。その後に鬼達を討ち取って、新たに住み着いたのが、信濃守の部下達だとすれば……」


 俺がそこまで言うと、ユカリはにやりと笑った。俺の言わんとしていることを理解したということだろう。


「敵対者である鬼を祭壇に祀っているのはおかしい、という訳かね? しかし、日本の伝承には、祟りを鎮めるために魑魅魍魎を祀る事例はある。真相は現代まで伝わっていないが、この像もそんな所なのだろうね」


「なるほどな。まあ、こいつを休ませられる場所なら、人々の信仰をとやかく言うつもりはない。なあ、真奈美。どうだ、今の体調は?」


「ん、別に全然、平気だよ。これくらいさぁ」


 俺に肩を貸されてようやく立っている真奈美は、そんな強がりを言う。弱音を吐くことを嫌う彼女らしいといえばらしい。だが、ここは素直になって欲しかった。

 俺は真奈美を床に下ろし、旅行カバンからペットボトルを取り出す。そしてキャップを外すと、中に入った水を彼女の口に含ませた。


「さあ、飲め」


「ん……」


 まだ手を付けていなかった、新品のペットボトルだ。だから、屋敷の時のように、誰かから毒を盛られる心配もない。

 その時、俺はふと思い出して悪い予感がした。あの時、真奈美は香山から出された紅茶を、僅かに口に含んでいたのではなかったか。

 すぐにユカリがテーブルを引っ繰り返してくれたから、飲み込んではいない――はずだと、楽観視していたが、今の彼女の体調不良は、もしや……。

 死相は今も顔に色濃く出ていて、心配するあまり嫌な想像ばかりしてしまう。


「それを飲ませたら、隠し部屋になっているシェルターに移ろうか。ここはまだ安全ではないのだからね。見ての通り、この神社は外も中もぼろぼろだろう」


 ユカリは祭壇に腰を下ろしてから、そう言った。時刻は深夜を回ったばかりで、夜が明けるまでの時間はまだまだ遠い。

 肉体の限界を超えて戦った反動で、俺は筋骨を損傷し、真奈美はこの有様だ。日の出までは、もう何事もなく終わって欲しかった。


「もういいよ、ヨミ君。喉が潤って楽になったし、全然大丈夫だからさ」


「……そうか。あまり無理はするなよ」


 俺は真奈美を立ち上がらせ、ユカリに視線を送った。これからシェルターに入るのであれば、もう準備はできたぞというアイコンタクトだ。

 ユカリは腰を上げると、床のある一点を人差し指で指し示した。そこだけ手を引っ掛けるための、取っ手のようなものがついている。


「ここだよ、ヨミ君。男手を貸してくれたまえ」


 俺は、ユカリに言われるままに床の取っ手を掴むと、一気に持ち上げる。

 すると、大人が一人通り抜けられそうな穴が、ぽっかりと口を開けていた。更にその中には、梯子がかかっているのが見える。

 恐らくこの下が、シェルター空間になっているのだろう。中では幾つかの豆電球が、梯子を照らすように薄っすらと灯っている。

 ユカリの顔を見やると、俺達に降りるようにと目が言っていた。さっそく俺が、片足を梯子の一番上の段にかけようとした時、外から物音が聞こえた。

 足音のようにも聞こえたため、この場の全員が神社の扉の方を向く。そしてユカリが扉に寄って、その隙間から外を覗いた。

 そして少しして扉から顔を離すと、こちらに振り向いて急ぐように言ってきた。


「ふむ、鬼だな。人の肉と血を求めて、ここにまでやって来たようだ。早く降りてしまった方が良さそうだね、ヨミ君」


「ああ、分かった」


 俺が急ぎ足で梯子を降りていくと、真奈美とユカリもその後に続いた。梯子はそこまで長くはなかったため、俺達はすぐに一番下まで降り立つことができた。

 天井には蛍光灯が煌々と灯り、地下シェルター内の十分な光源となっている。また地上の神社本殿内よりも、多少は広い構造をしているようだった。

 そしてユカリが、壁に設置されたスイッチを押す――と、今、降りてきた天井の出入り口が、機械音と共に金属板によって閉ざされていった。

 これでこの地下シェルターが、完全に外界から隔絶されたということだろう。


「これで良し、だ。これで鬼達は、もうこのシェルターに入ってはこられない」


「大した設備だな。天井の蓋が閉まる装置もそうだが、この地下シェルターを照らしている蛍光灯などの電力供給源は、どこにある?」


「自家発電機によるものだね。有力者の男性が晩年、数週間は中に引き籠れるように、業者に依頼して作らせたそうだよ。なぜ自宅ではなく、神社の地下なのかだが、もしかしたら鬼神の加護を得たかったのかもしれないな」


 ユカリが電子タバコを口に咥えて、中央にある机を囲む椅子に座った。どうやら電気だけではなく、壁際の棚を見れば、保存食料の備蓄もあるようだ。

 俺は缶入りの乾パンを手に取ると、蓋が完全に閉まっていることを確認する。そして蓋を開けて、缶を机に置いた。


「昨晩から何も食べていないだろう。ここらで腹ごしらえをしておこう」


「うん、賛成。激しく運動したせいで、もうお腹ペコペコだよ」


 俺と真奈美は、ユカリと向かいの椅子に腰を下ろすと、乾パンに手を付ける。俺達は、空腹と疲労がスパイスになって、次々と咀嚼して食べていった。

 その最中、ふと真奈美の顔を見てみたが、赤みが差して疲れが見て取れる。しかし、さっきは熱がある訳ではなかった。

 食欲だってあるようだし、彼女の口ぶりからして、倦怠感があるだけのようだ。さっき頭を過ぎったことが、杞憂であればいいと思いつつ、不安は尽きない。


「ねえ、ヨミ君。大蜘蛛一族が、村のどこを根城にしているかなんだけどさ。食事が終わったら、占ってくれないかなぁ?」


「あ、ああ……そうだな」


 体調が不安定であっても、真奈美の関心事は、あくまで警察としての捜査だ。相変わらずではあるが、少しは身体を気遣って欲しいものだと思う。

 ただ、念視をすること自体に反対するつもりはない。さっさと彼女が満足する成果を出して、こんな危険で陰気な村とは、おさらばしたいからだ。

 俺は仕事に取り掛かるべく、乾パンを食べる手を止めた。もう一度、念視をしてみれば、また何かしら新情報が発見できるかもしれない。

 俺は椅子から立ち上がると、旅行カバンから水晶玉を取り出し、机に置いた。


「さて、今回は何が出るか」


 水晶玉の上に右手を軽く乗せてから、俺は再び椅子に腰を下ろした。真奈美とユカリが興味深そうに見守る中、両手を翳して念視を始める。

 無色透明に見える水晶の内部が歪み出して、映像を描き出していく。虹色の輝きと共に映し出されたのは、若そうな筋肉質の男性だった。ただし、俺達から見て、手前側に映っているため、位置的に後ろ姿しか確認できない。

 せいぜい見て取れるのは、オールバックの髪型に――ラフなTシャツの上からでも分かる程に発達した筋肉と、眼鏡をかけていることくらいだ。

 ただ、俺はこの若い男の風貌には、見覚えがあった。そして真奈美も、その男性を見るなり、大声を上げて、がたりと椅子から腰を浮かした。


「あ、ああーっ! こいつだよ、僕らが追っている大蜘蛛一族のリーダーはさっ!」


「この男……もしかしたら、あの時に現れた奴か」


「え? 君もこいつを知ってるの、ヨミ君?」


「ああ、俺が暴獣モードに入った時に、ちらりと姿が目に入った。暗くて、顔までは見えなかったがな」


 そういえば、あの時にこの男を見かけた、少し前。電話で大蜘蛛一族の首領代行だと名乗る人物が、鬼巌村から今すぐに出て行けと、俺達に要求してきたが――。

 その直後に、無人のダンプカーが屋敷の壁を突き破ってきている。もしかすると、あれを運転していたのも、この男だったのかもしれなかった。


「こいつが大蜘蛛一族のリーダーか。なら、居場所がどこか特定できるヒントがあればいいんだが。どこかの洞窟の中ということしか、現時点では分からないな……」


 俺は目を凝らして水晶玉を食い入る様に見つめたが、手掛かりは見当たらない。駄目かと諦めかけていた時、ユカリが呟くように漏らした。


「そういえば、屋敷で自害した大蜘蛛一族の女性が、発掘隊だと言っていたがね。人の手が入った洞窟となると、目星が付くかもしれないな」


「本当か? 特定できるのか、ユカリ?」


「うむ、村の有力者が鬼神伝承を再現しようとしていたと言っただろう? 鬼にまつわる洞窟になら、心当たりがある。私も昔、ここに住んでいた村民だからね」


「知っているんだねっ。じゃあさ……っ」


 真奈美はよほど気が急いているのか、善は急げといった顔をしている。しかし、俺はそんな彼女に、釘を刺すように言った。


「今はまだ駄目だぞ、真奈美。ここは恐らく、奴らの根城になっている。朝になれば、留守電を聞いたあんたの同僚が、救援にやって来てくれるかもしれないんだ。行動を起こすのは、それからでも遅くはない」


「でもさ……」


 真奈美は、まだ焦れていた。思い立ったら即行動は、彼女の長所でもある。しかし、それだって、時と場合によるのだ。

 一時の感情を優先させて、彼女の身を危険に晒させる訳にはいかなかった。


「いいな、真奈美? 特に今のあんたでは尚更、駄目だ。そんなフラフラな身体で、助けに行けると思っているのか?」


「う、ん……分かったよ、ヨミ君さぁ」


 真奈美は、渋々ながら折れてくれた。やる気になっていた彼女にしては、すんなりと言うことを聞いてくれた方だろう。

 水晶玉を見ると、今もオールバックの男の姿が映し出されている。だが、これ以上は得るものはないと判断して、念視を解除しようとした、その時だった――。

 ずっと奥を見ていた男が、初めてこちらを振り向く。丸眼鏡に、顔に斜めの傷が入っている鋭い目つきをした風貌をしている。

 そいつの常軌を逸した目が明らかに、今ここにいる俺のことを意識していた。


『九条ヨミ、そこにいるのはお前か。この野良犬が、余計なことに首を突っ込んだことを後悔するんだな。今、我が神の名の元に、裁きを下してやろう』


「なっ! 馬鹿な、気付かれたのかっ!? ……あり得ないっ、これは念視だぞ! こんなことは、今まで一度たりともなかったっ!」


 俺は驚きのあまり、思わず立ち上がった。水晶玉の中に黒い靄が充満し、オールバックの男の姿が見えなくなる。

 この靄……これは占いの館で奴らの行方を念視していた時の、不吉な予兆だ。では、あれはこのオールバックの男を警告していたのかと、焦りが募っていく。

 そして畳みかけるように水晶玉からは黒い靄が立ち昇り、ビキっと亀裂が入る。ただならないことが起きていると理解した俺は、真奈美とユカリに叫んだ。


「まずい、水晶玉から離れろっ。俺の念視に干渉されているっ!」


 俺はこの場から飛び退き、真奈美とユカリも、机から急いで離れる。その間も一旦、入り始めた水晶玉の亀裂は、更なる拡大を止めない。

 より凄まじい早さで広がっていく、そのひび割れは――火花がバチバチと散って、派手な炸裂音と共に、水晶玉は粉微塵に爆発した――!

 粉々に砕け散った破片は、壁などに打ち付けられてから、床に散乱する。俺は足元に散らばった大事な商売道具の末路を眺めながら、溜息を漏らした。


「……それなりに値が張った天然水晶だったんだがな。しかし、あのオールバックの男、ただの頭がおかしい犯罪者ではないということか……」


 別に水晶玉がなくても、直に脳内へと情報を送ることで一応、念視はできる。また鏡や機械など、別のものを媒体することだってできはするのだ。

 しかし、前者は発狂のリスクがあり、後者は成功率が安定しない。つまり今後は、念視を使うハードルが大きく上がってしまった訳だ。

 また、なぜあの男が、俺の名前を知っていたのかも分からない。それに念視への干渉も、俺と同じく異能によるものだったのではないのか――。

 水晶玉を失った喪失感以上に、俺は得体の知れない不気味な予感がしていた。異能使いとしてではなく、占い師としての直感だ。


「……やれやれ、どうしたものかな」


 どうやらこの事件には、超常現象染みた力が絡んでいるのは間違いない。鬼巌村に残された鬼神伝承というのも、ただの迷信や言い伝えではないかもしれない。

 散々、村内で異形の鬼達を目にしてきたとはいえ――今更になって俺は、ようやくそのことを強く思い知っていた。

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