第三章
第三章 心の外に現れる、破れない過去の誓いその一
「真奈美。あれから鬼を何人、倒した?」
「さあ、分かんないね。数えてなかったからさ……」
俺と真奈美と警察官二人は、ラウンジのそれぞれの窓際で外を見張っていた。
幾つもの窓が割られているが、家具で塞ぐことでどうにか鬼達の侵入を抑えている。全員が付かず離れず固まって、協力していることが功を奏したのだろうか。
籠城してそれなりに時間は経過したが、俺達は生き延びられていた。ただ、今までは侵入してきた連中を、一人一人各個撃破できたからの勝利であって――。
もし一気に雪崩れ込まれたら、勝ち目はゼロに等しい。
「君達、そろそろ一息つきたまえ。見張りぐらいなら、私が替わろう。いい加減に、体力も限界なのではないかね」
ラウンジの中央で椅子に座るユカリが、俺達にそう声をかけた。俺の指示で、一般人である彼女は戦闘に参加させず、ずっと待機してもらっている。
申し出は有り難いものの、今は身体を動かしていた方が、気が楽だ。俺は顔だけ振り返って、「俺ならまだ大丈夫だ」とだけ、答えた。
「そうかね。しかし、私だけ何もしないのは申し訳ない気持ちだよ。では、少しの間、気分転換に昔話でもしようじゃないか」
今は鬼達の動きが停滞しているものの、なぜこんな時に――と、思いはした。だが、俺は口を挟まずに、外の監視を怠ることなく、ユカリの話に耳を傾けた。
「この村には、かつて一人の有力者がいてね。バブルの時期に人を集めるため、こんな場違いなホテルまで建てる程、村興しに熱心だったそうだ」
ユカリは、まるで過去を思い出すような遠い目で、淡々と語り始める。話しながら天井を見上げている様子は、感慨に浸っているかに思えた。
「ただ、有力者の彼は、きな臭い連中との付き合いもあったそうだよ。ある日を境に、犯罪組織の力を借りて、村の鬼神伝承を再現しようとしたんだ」
「なるほどな。では、もしその話が事実としたなら、何年前の話だ?」
鬼巌村の鬼神伝承に話が及んだことで興味が湧き、俺はそう聞き返した。つまりこの事件の発生には、過去からの積み重ねがあったということだろうか――?
ユカリは関心を示してくれた俺に気を良くしたのか、快く答えてくれた。
「さあ、少なくとも有力者が亡くなった、十年前よりもっと前なのだろうね。けれど、さっき蜘蛛の入れ墨を身体に入れた男を見て、私は確信したよ。その犯罪組織、大蜘蛛一族は、今もまだ鬼巌村で暗躍しているのだと」
ユカリが大蜘蛛一族の名を出した瞬間、場の空気が凍り付いた。殺気――。突如、凄まじいまでの殺気が、ラウンジ内の、ある一点から漏れ出ていたからだ。
俺は恐る恐る、ぞくりとした殺意の出先を見やってみれば――やはり窓の外を覗きながら髪が逆立つ程、怒気が迸っている真奈美がいた。
「あいつらぁっ!! 絶対に全員検挙してやるっ! 大蜘蛛一族は、僕ら警視庁の職員がずっと追っていた連中なんだ。何度か、やり合ったこともあってさ」
真奈美は、その後に「僕ら、特殊埋葬課とは特にさ」と、更に続けた。そして自害した大蜘蛛一族の女性の死体があるエントランスを、憎々しげに見やっている。
「私は、つくづく運が良かったな。もしこの村までの道中、君達と出会えていなかったらと思うと、背筋が寒くなる思いだ。この村で待ち合わせていたサークルの仲間達も、私のように助かってくれていればいいんだがね」
仲間の身を案じているのか、ユカリはそう言って視線を足元に落とした。今の村の状況を鑑みれば、ここに辿り着けていない方が生きている可能性は高いだろう。
ただ、何のために鬼巌村にまで足を運ぼうとしていたのか、まだ謎が残る。それは恐らく単なるホラースポット巡りではないはずだ。
疑問に思った俺は、気になって率直に質問をぶつけてみた。
「ずいぶん鬼巌村の事情に詳しいようだが、あんたにも目的があるんだろう。一体、何の用があってこの村を訪れた?」
「ただの興味本位……と、言いたい所だがね。私は、この村の生まれなんだ。だからこそ、起きた悲劇も知っている。呪われているんだよ、この鬼巌村は。そして今、現在進行形で起きつつあることの真相も知りたいのだ」
ユカリは、電子タバコを吹かしながら、淡々とそう答える。生まれ故郷を悲劇が襲ったと口にしつつも、落ち着き払って表情を崩すことをしていない。
彼女の場合は、大蜘蛛一族に対して、特に恨みがある訳ではないのかもしれない。
「かつて鬼巌村の村民は、信濃国の信濃守によって討たれたことは話したね。でも、村はそれで廃村になった訳じゃない。信濃守は信頼できる部下達に命令して、代わりに住まわせたんだ。私を含めた村の人間は、その末裔と言う訳さ」
「なるほど。大昔に鬼巌村を巡って、そんな経緯があったとはな」
「ああ、けれど、長き時の流れによって、私達はそうとは知らずに湧き水を飲み続けてしまった。そのせいで精神に異常をきたす者が現れ始めたんだ。この鬼巌村を襲った被災という訳だよ。そして……」
ユカリはそこで言葉を区切ってから、聞き手である俺達を見回す。そして本題はここからだとばかりに、椅子から身を乗り出して続けた。
「鬼巌村のどこかには、人を真の鬼に変える果実を齎す鬼神がいるはずだ。湧き水などとは違い、果実は本当に人知を超えた力を得られるらしい。もしかすると大蜘蛛一族は、私達でさえ一部、失伝した鬼神の封印地を捜しているのかもしれないな」
ユカリの話を聞き続ける度に、真奈美から放たれる怒気が強くなる。窓の外を見ている今の彼女が、どんな表情をしているかも、容易に想像できてしまう。
ただ、真奈美の精神衛生には悪いが、元村民からの貴重な情報なのだ。何かしらの役に立つかもしれず、このまま聞いておきたかった。
幸いにも、今は外の鬼達からの襲撃は止んでいる。嵐の前の静けさな気がして不気味ではあるが、俺はユカリの話を聞く機会だと思い、続きが始まるのを待った。
「ただ、手掛かりはね……」
しかし、ユカリが話を再開しようとした、そんな時のこと――突然、前触れなく、ラウンジ内に電話のベルの音がやかましい程に鳴り響いた。
「電話、だとっ?」
全員の視線が、一斉に音がした方向に集中した。ラウンジの壁際だ。そこにある飾り台に、電話機が一台置かれている。
音の発生源はそこで、今も止むことなく鳴り続けている。この場にいる誰もが顔を見合わせる中、俺とユカリは駆け足で移動し、俺の方が受話器を取った。
「ふむ、野戦電話のようだね。自衛隊でも使われているタイプだ」
俺が受話器を耳に当てると、隣で立つユカリが、そう囁いた。
つまり指揮所内及び、指揮所間の通話に使用する電話機ということか。こんな廃村には、本来ならあるはずがない代物だ。
誰が設置したかは、言われずとも察することができた。俺は単刀直入に、この電話をかけてきた相手に向かって話しかける。
「あんた、大蜘蛛一族だな?」
「忠告を出す。すぐに村を出るなら、見逃してやる。だが……」
俺の質問を無視し、受話器の向こう側にいる、男と思われる声の主は、一方的にそう言い放った。そして一呼吸置いた後に、ドスの効いた強めの声で続ける。
「逆らうならば、殺す。三十秒以内に決断しろ。私は天に選ばれた高貴なる一族の、首領代行だ。これは天命、神の裁きを覚悟せよ」
「天に選ばれた? ずいぶん頭がおかしいようだな、あんた。悪いが……」
当然、断ると伝えようとした所で、電話は向こうから切られた。ずいぶんせっかちな男だと思ったが、交渉は決裂したと考えていいだろう。
居場所を知られている以上、ここにずっと籠城するのは悪手かもしれない。俺は受話器を置くと、振り返って今の電話内容を全員に伝える。
「大蜘蛛一族から伝言がきた。このまま村に居続けるなら、俺達を殺すそうだ」
そう伝えるなり、各々が違った反応を見せた。真奈美が顔を真っ赤にして怒りを表したのとは真逆に、ユカリは冷静そのものだ。
警察官二人は、テロリストと対峙する覚悟を決めたのか、顔が引き締まった。怖気づいた者は、誰一人としていない。
俺とユカリ以外は、警察の人間だから職務上、当然かもしれないが。
「やっぱり、さっきの女にまだ仲間がいたってことだよね。上等じゃない。なら、奴らの攻撃を待たずに、僕らから仕掛けてやろう」
「だが、連中の居場所がどこなのか、分からないではないかね?」
「大丈夫、ヨミ君の念視があるから」
ユカリからの質問に、真奈美は即答してのけた。色々と制限があるから、あまり過度に期待してもらっては困るが、望みがない訳ではない。
もし鬼達の襲撃を無事に乗り越えられたら、試してみるべきだろうか。それは悪くないが、今はとにかくこの屋敷から、少しでも遠くに離れた方が賢明だろう。
「お前達、準備しろ。今すぐ最低限の荷物だけ持って、出発するぞ」
一応、そう言ったものの、真奈美とユカリは言われるまでもなかったようだ。すでに現況を理解しているようで、即座に行動に移ってくれた。
警察官二人も、特に異論を挟まなかった。一般人である俺とユカリを守る職務を果たすため、一緒に同行してくれるという。
しかし、できるだけ迅速に、俺達が荷物をまとめている時、車の走行音が聞こえた。遠くから響いていたその音が、やがてこちらに近づいてくる。
窓の外にライトの光が見えた、車……? いや、もっと大型のダンプカーだった。
それが急スピードのまま接近してきたかと思うや否や――! 壁を派手に破壊する音と共に、ラウンジの内部へと大きな車体が突っ込んできた――!
「な、なんだとっ! う、うおおあっ!!」
俺は、咄嗟に側にいたユカリを身を挺して庇った。床に伏せ、彼女に覆い被さった背中に、飛び散った瓦礫の破片が幾つも叩き付けられる。
一部の破片は、服を破って肉に喰い込んでくる程だった。鋭い痛みに耐えかねて、思わず苦悶の声が漏れてしまう。
「ぐぅっ……真奈美! そっちは無事かっ!?」
「う、うん……痛いけど、支障ない程度だった」
俺が声をかけると、少し離れた位置にいた真奈美は返事をする。彼女も同じく蹲っていたが、痛みなど物ともしない顔で飛び起きた。
だが、警察官の二人はダンプカーの突進をまともに受け、押し潰されている。内壁と車体の隙間から、夥しい量の血が流れ出ていた。
善良な警察官達の、あまりにも悲惨で無慈悲な死に、気分が滅入ってしまう。だが、差し迫った現実は、悠長に嘆いている暇すら与えてくれなかった。
「ぎしっ、がぁぁっ!」
外では、しばらく動きがなかった鬼達が、好機と判断したのだろうか。壁に開いた大きな穴から、次々と侵入し始めてくる。
ダンプカーの運転席にも目を向けてみたが、誰の姿もない。激突前に、運転手は車内から飛び降りたのかもしれなかった。
つまりこの最悪な現場を作り上げた実行犯は、すぐ近くにいることになる。否応なく緊迫感は増し、背筋に冷や汗が流れた。
俺は痛みを堪えながら立ち上がり、真奈美の手を取って次の指示を出す。
「真奈美、ユカリ、外に脱出しようっ。全員で固まって動いて、離れるなよ」
「うん、これから戦場に出ることになるんだよね。……ねえ、ヨミ君。僕の顔に死相ってやつは、まだ出てたりする?」
真奈美が普段通りの明るい表情で、そう訊ねてきた。その訴えに俺は、彼女の顔を見つめ返して、運命を示しているその相を読み取る。
「ああ、まだ死相は消えていない。だが、気に病むなよ。未来など気の持ちようで、いくらでも変えられるんだからな」
「そう、それだけ聞ければ十分だよ。意地でも覆してやりたくなったからさぁ」
真奈美は逆に俺の手を引いて、歩き出す。その顔は、笑っていた。そしてその目は火が灯ったかのように、爛々と燃え盛っているのだ。
窮地にこそ力を発揮し、どこまでもやる気を出す。それが彼女の生来の性格だったと、今更ながらに思い出した。
「その調子なら、大丈夫そうだな」
土壇場に追いやられた時の真奈美は、強い。それは知っているし、いざとなったら、俺が側にいて守ってやればいい。
だから、俺達は手を繋ぎながら、外へと駆け出した。鬼達が緩慢な動きで屋敷内に侵入してきているその間を走り抜け、生き延びるために。
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