第二章 遭遇する脅威からの逃走劇その二

 日が暮れかけている中、俺達は鬼巌村の荒れ果てた道を走った。後ろからは、比喩ではなく本当に化け物のような容貌をした制服警察官が追ってきている。


「ねえ、ヨミ君っ。何で村の外に逃げなかったのさぁ!?」


 俺の隣を休むことなく走り続けながら、真奈美がそう恨み節を告げる。村内のあちこちからは、唸り声が響いていた。

 その唸りは、まるでお互いを呼び合うために轟かせているかのようだ――。やはり読み通り、あの化け物は一人じゃなかった。他にも、まだまだいたのだ。

 そしてこの村、意外と土地が広く、家と家が離れているのは想定外だった。どこかにパトカーが停車していると読んでいたのだが、これでは探すのも一苦労する。


「確実に逃げ切れるか、保証はなかっただろう! それにな、村のどこかに警察が来ているはずだと思ったっ。もし困っているなら、助けるべきだろうっ!」


「うわぁ、この状況で他人を心配か。余裕だねえ」


 真奈美は、走りながら目を輝かせて笑った。化け物に追われているというのに、怯えなど微塵もないようだ。

 さすが警視庁の中でも、暴力に秀でた者だけ集められた特殊埋葬課の精鋭だ。


「ユカリ、まだ走れそうか?」


「心配ないよ、持久走は割と得意なのでね」


 そう言うだけあって、ユカリに息切れしている様子はない。育ちに事情がある俺や、特異体質の真奈美も同様だった。

 このまま走り続ければ、さっきのあいつからは逃げ切れるだろう。事実、振り返ってみれば、あの警察官を大きく引き離すことができている。

 ただし、村中にあんな化け物達が何人もいる以上、あいつ一人からだけ逃げ切れても何の意味もないのだが。


「ねえ、ヨミ君っ。あれ、パトカーだよねっ?」


 真奈美が走りながら、遠くを指差して言った。確かにここから百メートル程度、離れた向こうに、パトカーが数台破壊されて横転している。

 そして近くにあるのは、屋敷と呼べる程に大きな西洋風の建造物だ。生存者がいるなら、どこかに籠城しているはずだというのが、俺の考えだったが……。


「上手くいけば助け合えるかもしれない、あそこに行くぞっ」


 俺を先頭に真奈美とユカリも方向転換し、パトカーの方へ走った。さっきユカリから受け取った旅行カバンが重りになっていて、やや辛い。

 しかし、男手は俺一人だけなのだ。泣き言など、言っている暇はなかった。俺は気力を振り絞って、手足を振りながら疾走していく。

 だが、その途中――またも別個体の化け物が、ゆっくりと道の脇から現れた。あいつらを鬼などとは認めたくないが、いい加減に呼称は鬼で統一しよう。

 今度現れた鬼は、浮浪者のようにボロボロで薄汚い服装だった。そいつが、俺達の行く手を遮るように直立で立ちはだかり、びくんと筋肉を痙攣させる。


「おおおらぁぁっ!!」


 先ほどの警察官と同じだ。奴らは敵を認識した後で、急に機敏に動き始める。

 だから、その前に俺は猛ダッシュし、急接近――すれ違いざまに、遠心力で振った旅行カバンを顔面に叩き付けてやった。

 鬼は顔を仰け反らせ、そのまま地面に背中から倒れる。


「やったじゃん、ヨミ君っ!」


「いや、大したものだ。君だけじゃなく彼も、見かけによらず強いんだな」


 飛び跳ねて喜ぶ真奈美に、ユカリが称賛の言葉を述べている。しかし、あの鬼は、まだまだ元気一杯で、またすぐに立ち上がって動き出すのは確実だ。


「ううん、僕なんか全然、大したことないよ。本気を出したヨミ君と、課の皆の方が、僕なんかよりも、ずっと強いからさぁ」


「ほう、それは謙遜と受け取っておくよ」


 これで屋敷まで続く道に、邪魔者はいなくなった。俺は、呑気に喋っている真奈美とユカリに、「早く走れ!」と叫んだ。

 だが、ユカリだけが何のつもりか、今、倒した鬼を腰を屈めて調べている。そんなあり得ない光景を見て、血の気が引きそうだった。


「おい、ユカリっ! 死にたいのか!? そいつは、まだ生きているんだぞっ!」


「ああ、すまない。今、行くよ」


 もう一度、声をかけると、ユカリは立ち上がり、俺達は一斉に駆け出す。

 全力疾走したことで屋敷との距離はみるみる縮まり、玄関前に辿り着く。だが、すぐにドアノブを回したものの、鍵がかかっていた。

 それはつまり中から鍵をかけた者がいるということだ。村内に危険な鬼が徘徊している以上、中に生存者がいれば、戸締りをするのが必然だろう。

 俺はここに人がいる確信をより強めて、呼びかけた。


「誰かいないのかっ! 俺達は旅行者だが、助けを求めている! 同行者には、警察官も一人いる! いるなら頼む、開けてくれないか!」


 しばしの時間が流れたが、返事はない。しかし、人がいる気配はしている。幸いにも、鬼達はまだ集まってきていないが、それは時間の問題だ。

 玄関は木製の両開き扉だから、その気になれば破壊して入ることはできる。

 出来れば乱暴に押し入りたくないが、いざとなれば……と、そう心に決めかけていた時、がちゃりと内側から扉が開く。

 中から出てきたのは、厳めしい顔をした年配の制服を着た男性警察官だった。彼は値踏みするように、俺達の顔を見回す。


「君ら三人だけかい? それで、警察の人間というのは?」


「ああ、隣にいる彼女が俺の友人で、現役の警察官をしている」


「はい、これが警察手帳だよっ。僕らはさ、捜査中のテロリスト達を捜してここまで……」


 真奈美が警察手帳を見せ、ここに来た経緯を話し始めようとする――が、年配警察官はそれを遮って、中に入るように言った。


「分かった、君らの話は中で伺おうか。建物の中にいれば、安全だ。奴らは視界に入らなければ、襲ってはこないようだ。早く入ってくれよ、見つかる前に」


「すまない、助かる」


 許可を得た俺と真奈美とユカリは、急ぎ足で玄関先から屋敷内へと駆け込む。その後、すぐに年配警察官は、鍵をかけて戸締りをした。

 足を踏み入れた内部は個人宅というより、ホテルのエントランスに近い。

 この場には彼以外にも三人の男女がいて、俺達の様子を不安げに見守っている。その内の二人は若い男性警察官で、一人は若く華やかな顔立ちの女性だ。

 初対面同士、まずは自己紹介でも……。と思ったが、その前に女性は焦れたように、血相を変えてこちらに駆け寄ってきた。


「貴方達、警察? じゃあ、助けに来てくれたのよねっ?」


 女性は、つばが四方にある帽子を脇に抱え、作業服を着ている。まるで発掘隊のような格好をしている、というのが第一印象だった。

 彼女は怯えていることの裏返しか、激しい剣幕で俺達に詰め寄ってくる。


「俺は違うが、こちらの女性が警察官だ。だが、俺達は救助隊じゃない。彼女が凶悪なテロリスト達を捜査中でな。その足取りを追って、この村に来ただけだ」


「そう、なの。いえ、ごめんなさいね。勝手に期待してしまって」


 女性は落胆したように視線を落とし、頭を下げた。彼女だけではなく、この場に居合わせた全員が、疲弊した顔をしている。

 その姿を見れば、屋敷の中で希望もなく籠城していたことが、容易に窺えた。


「しかし、協力し合うことは、できると思う。こんな状況だ、まずは情報を交換しないか。この屋敷に籠城していたのは、あんた達四人だけか? この村で、登山サークルのメンバーらしき人間を見た覚えは?」


「屋敷から出られなくて、外の様子は分からないの。でも、私の知る限りここにいる人間以外は、殺されるか、あいつらみたいになってしまったわ」


 やはりそうかと、俺は自分の中で納得がいく。最初に遭遇した警察官の鬼は、制服がまだ洗濯したてのように綺麗だった。

 だから、最近この村にやって来て、鬼になって間がないと考えていたのだ。問題は、人を鬼……みたいな化け物に変えてしまう何かがあることだろう。

 村の鬼神伝承が、どうしても頭を過ぎってしまう。しかし、本当にそんなものがあるのかと、今でも懐疑的なのは変わらない。

 ただ、無事に生き延びるためには、それを調べる必要もあると考えていた時。

 ユカリが皆の前に進み出て、パン! と大きく手を打った。すると、視線が自然と彼女に集中する。


「単刀直入に一つ訊いてもいいかな? この件には、犯罪組織が関わっているのではないかね。何と言ったか、最近、騒がしいテロ組織の……そう、大蜘蛛一族だ」


 ユカリのその発言で、全員の顔色が変わった。まさに俺達が今、捜しているテロリスト達のことだったから、真奈美は特に反応を示す。

 主に公的機関を襲撃し、自爆テロを繰り返している大蜘蛛一族のことは、テレビでも連日、騒がれている。だから、彼女が名を知っていてもおかしくはない。


「実は、つい先ほどだがね。化け物になった男の首筋に、蜘蛛の入れ墨が彫られていたのがちらっと目に入ったんだ。念のため、確認し直したが間違いなかったよ」


「蜘蛛、の……だって? あ、あああぁっ!!」


 ユカリのその説明を聞くなり、誰かが叫び、床を大きく踏み砕いた音が響く。ぎょっとして隣を見れば、それは真奈美だった。


「蜘蛛の入れ墨があったっ!? じゃあ、間違いないね、その話さぁ。大蜘蛛一族……あいつらぁ! まだしぶとく、ここでも悪事を働いているなんてっ」


「おい、真奈美っ! どうした、落ち着けっ」


 なぜ真奈美がこれだけ激昂しているのか、俺には分からなかった。確かに現在、捜査中のテロ組織ではあるのだが、この怒り方はそれだけとは思えない。

 もしかしたら、彼女しか知らない因縁でもあったりするのだろうか。

 しかし、真奈美の剣幕に、作業服の女性が怯えた顔をしている。止めるべきか迷っていると、ユカリが女性に歩み寄り、その肩に手を置いた。


「裏目に出たのではないかね、その怯えた顔。気に障ったら謝るが、どうも嘘っぽさを感じるんだ。もしや貴女が、テロリスト大蜘蛛一族の……」


「そ、そんな訳ないでしょう! わ、私は、違います。発掘隊の一員として、この鬼巌村に派遣されただけです!」


 作業服の女性は、否定しながらも目を逸らした。ここまで動揺があからさまだと、彼女には後ろめたい隠し事があるのだと、誰にでも察せる。


「あんた、名前は? 安心してくれ、別に疑う訳じゃない。ただ、発掘隊と言ったが、鬼巌村でどんな仕事をしていたのか、良ければ教えてもらえないだろうか」


「……いいですよ、そんなことだったら……。でも、少し待ってください」


 女性は観念したように懐からタバコを一本取り出すと、ライターで火をつけた。

 そして少し後に指先でぴっと、そのタバコを投げ捨てる。その刹那――っ。彼女は、怯えた表情から打って変わって、顔が引き攣り始めた。

 次の瞬間には、口からごぼっと血を吐き、喉を掻きむしり始める。爪で引っ掻いた傷痕からも、血がぼたぼたと溢れて零れ落ち、床は赤く染まっていく。


「おい、何をやっているっ!」


「……そう、当たりよ。でも、口は割れない。ただ……貴方達も、気をつけなさいよ……。この村は鬼、だらけ……。もう手が付けられ……ないの」


「鬼……。外の奴らのことか」


 女性は最後にそれだけを呟いて、血を吐き続けている口を閉ざしてしまう。

 毒っ? してやられた――と、気付いた時にはもう手遅れだった。駆け寄った時には、女性は背中から倒れて、白目を剥いたまま顔の筋肉を痙攣させて動かない。

 念のために腰を屈めて脈を確かめてみたが、もう事切れていた。


「くそっ、歯にでも毒を仕込んでいたのかっ。だが、自ら死を選ぶとは……」


 俺が血で汚れた女性の顔を綺麗に拭き取ろうとした時、背後から殺気を感じる。

 背筋がぞわりとして、悪い予感が走った。一度、敵と見定めたら躊躇なくどこまでも攻撃を仕掛ける、真奈美の固定観念が表出したのかと危惧したのだ――。

 しかし、それは杞憂に終わった。振り返ってみると、ユカリが真奈美の腕を掴んで、引き止めていたからだ。


「う、うううぅっ! な、何で止めるのさぁ! きっと一人だけじゃない、こいつには仲間がいるんだよ! 捜し出して、ぶっ潰さないとっ!」


「落ち着きたまえ、もう外は薄暗い。今、一人だけで出ていくのは、自殺行為だと思うがね」


 必死の形相の真奈美は、ユカリからの忠告に耳を貸さない。手足をじたばたさせ、今にもユカリの手を振り払おうと暴れている。

 しかし、脱される前に、俺が真奈美の背後から羽交い絞めにして取り押さえた。その後も、数分間はもがき続けていたが、やがて諦めたのか静かになる。


「ふー、ふーっ……確かに、合理的じゃないよねぇ。ごめん、ヨミ君、ユカリさん。やっと冷静になれた……」


 真奈美は視線を落とし、がくりと力を抜いて項垂れた。そこでようやく俺も羽交い絞めを解いていいと判断し、彼女から身体を離す。

 やっと一先ずは、内輪揉めを収めることができた。しかし、周りの警察官達の顔を見れば、女性の死に狼狽えているのは一目瞭然だ。

 場に残されたのは、警察官三人と、俺と真奈美とユカリを合わせて六人だけ。

 この面子で、占いで出た低い生存確率を上手く掴み取らなくてはならない。誰一人欠けることなく、明朝まで生き延びられるように。


「もしかして、私らは嵌められたのか? 彼女が、本当にテロリストの大蜘蛛一族だったんだとしたら、電話は彼女が……」


 年配警察官が、肩を落として力なく漏らした。信じられないといった顔だ。

 どうやら俺達が訪れるよりも前、鬼巌村で何が起きていたのかを知っておく必要性がありそうだと思った。


「すまない、俺達はこの村に来たばかりで状況が分かっていないんだ。良ければ、順を追ってこの鬼巌村で起きた出来事を教えてもらえないか?」


「あ、ああ。まるで悪い冗談みたいだよ……。こんな何もない廃村で、最悪な事件が立て続けに……。いや、話すのは、場所を変えてからの方が良さそうだな……。こっちに来てくれよ」


 年配警察官は、そう言って俺達に目配せをする。エントランスに若い警察官二人を見張りに置くと、俺達は彼の後を追って屋敷の一階を移動した。

 外観通りに中も広めで、やはり洋風のホテルのような造りをしている。誰が建てたのか知らないが、ずいぶん村に似つかわしくない建物を建てたものだと思う。

 やがて案内された先は、屋敷内のラウンジと思われる場所だった。ソファやテーブルなどが、幾つか並んでいる。

 また、今気付いたが、エントランスにもこのラウンジにも、内壁のあちこちに太陽をバックにして、対峙した少年と鬼が描かれたレリーフが彫られている。

 もしかしたら、これらのレリーフはこの村にとって何か意味のあるものかと思った。


「君らも、座って楽にして欲しい。でも、まずは心の準備として、茶の一杯でも飲んでくれ。これから怪談染みた話になるんでね」


 年配警察官は、ポットからカップに注いだ茶を順番にテーブルの上に並べる。

 良い香りが漂って鼻孔をくすぐるが、紅茶だろうか。コップに並々と注がれたその液体は、まるで人の血のように鮮やかな赤色をしていた。

 俺達三人は自己紹介を済ませ、彼と向かいのソファに腰を下ろした。

 それから、しばしの間の後――香山巡査部長と名乗った彼は、沈黙を破り、頭を両手で抱えながら、ぼそぼそと語り始めた。


「発端は、匿名のタレコミ電話だったんだよ。鬼巌村の坑道で、隊員が行方不明になったってな。それで私らは、パトカー二台でやって来たんだ。そして今みたいに夕暮れ時に到着してね。それから……」


 俺と真奈美はソファから腰を浮かしながら、息を呑んで聞き入った。しかし、香山は中々続きを話そうとはせず、俺達をじっと見ている。

 そして足で床をとんとんと小刻みに軽く踏んで、落ち着かない様子だ。やがて痺れを切らして、俺が「続きを」と言うと、ようやく彼は話を再開した。


「同僚の一人が、発狂したんだよ。口から泡を吹いて、叫び出して……暴れたんで取り押さえようとしたんだ。でも、凄まじい力だったから、逆に首の骨を捩じり折られそうになってね。だから、やむなく射殺……したんだ」


 緊迫感が伝わってくる、抑揚のある話し方だ。真奈美が神妙な顔で、カップに震える手を伸ばし口に茶を含んだ、その時――。

 話の腰を折るように、ユカリはまたもパン! と、手を叩いた。びくりとして、全員の視線が彼女に集まる。

 彼女はそれを無表情で見届けると、すかさずテーブル下に両手を突っ込み――。そのまま力任せに、勢いよく引っ繰り返した――!

 派手な音を立てて、乗っていたポットや茶の入ったカップが、床に散乱する。驚いたこの場の全員が立ち上がり、ユカリの顔を非難する目で見た。


「ね、ねえ、ユカリさん? いきなりどうしたのさぁっ!?」


「この村の飲食物は、口にしないことをお勧めするよ。この村から湧き出る水は、長年に渡り、人を狂わせてきた。そして伝承の果実を食した鬼同様に、仲間を増やそうとするのだからね」


「水を飲んだだけで……? じゃあ、もしかしてこの紅茶が!」


「普通は長い年月をかけて摂取し続けない限り、害はないがね。けれど、この香りは、濃度が異常だ。口にすれば、人体にすぐ影響が出るかもしれない。今、彼が話していた同僚の警察官のようにね」


 真奈美がユカリを更に問い詰めようとするが、背後から足音が聞こえてきた。

 すかさず振り向く――と、そこにいたのは、エントランスを見張っていたはずの若い男性警察官二人だった。

 彼らは恐怖で引き攣った顔で、素早くホルスターから拳銃を抜く。その視線の先を追うと、そこにいたのは……

 目は充血し、虚ろ。そして顔は、青紫色にうっ血している。全身をぴくぴくと痙攣させた、香山巡査部長だった。

 そして彼は俺を認識するなり、牙を剥いて襲い掛かる。


「があぁ、あああぁっ――!!」


 雄叫びを上げ、飛びかかってきた香山を、俺は床を蹴って横に避ける。彼は、そのまま足をもつれさせ、前のめりに倒れた。

 そんな彼に対して、警官二人が拳銃を何発も発砲する。頭部に命中し、うつ伏せの身体は何度も跳ねて、やがて動かなくなった。

 敵は、すでに内部にまで。最悪な状況だ、もうこの屋敷も安全ではない。俺は体勢を立て直すと、真奈美達に向かって、叫ぶように指示を飛ばす。


「外を警戒しろ! 仲間を呼ばれたかもしれない!」


 俺は旅行カバンを片手に、屋敷の窓から外を確認した。いつでも逃げ出せるように、戦えるように戦闘態勢を維持しながら。

 悪い予想が的中し、屋敷に向かって数え切れない数の鬼達が歩いてきている。籠城したとして、持ち堪えられるだろうか。分からない――。

 俺はそんな不安な気持ちのまま、後ろにいた真奈美とユカリを振り返った。


「……真奈美っ!」


「うん、どうしたの、ヨミ君さぁ?」


 二人の……特に真奈美の顔を見たことで、自分の中の気持ちが改めて固まる。

 俺にとって、彼女は人生を救ってくれた恩人だ。たとえこの身を犠牲にしたとしても、こいつだけは守り抜く。それが責務と言ってもいい。

 せめて行動範囲が増える明朝まで生き残れば、道は切り開ける。――今はそう信じることでしか、希望を抱くことはできなかった。

 腕時計が示す時刻は、まだ午後十九時過ぎだ――先は長く、俺は万が一のためにポケットに捻じ込んである、古ぼけた切り札のナイフを握り締めた。

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