地図アプリが教える果樹園と一の宮-恋と御縁の浪漫物語・寒川編-

南瀬匡躬

僕と由里の梨(ペア)物語

「なになに……かつて朝廷の儀式において重宝された神社の認定制度には、一の宮という格付けがある。特に赴任した際の国司の行事が有名である。いわゆる旧国において一番格式の高いものを一の宮、次いで二の宮という格位が振り分けられた。その位の名簿が良く耳にする『延喜式』と呼ばれるものだ。相模の国においては寒川さむかわ川匂かわわ……、って、僕の知りたいのはそう言う情報では無くて」と独り言を言って、僕はスマホのアプリを閉じた。

 茅ヶ崎から乗った都市型とも、ローカルともいえない微妙な電車で長閑のどかな田園地帯を走る。相模線という電車だ。


「寒川町って、町なんだ。茅ヶ崎と藤沢に挟まれているのに長閑な場所なんだな。川の方にはよく来るけど、水道局施設の建物よりこっちには来たことないや」

 またも電車を下車したとたんに独り言を言う僕。

 何もない小さな駅のホームに降りて、「うわっ」と驚く。本当に集落の片隅に駅があるような感じだ。あわててスマホの地図アプリを立ち上げる。それでも何もしないのに地図アプリはちゃんと方位を感じて僕を誘導してくれているようだ。

「不思議だな」と独りごちた。


 簡素な駅のホームから続く路地を抜けるとコンビニ脇で県道に出る。それを右手に曲がり、大きなカーブを左に反れて、橋を渡り、見通しの良い田畑の中、延々と田舎の県道を歩き続ける。すると和食系のレストランや集落が見えてくる。

 僕の目的地はその先を右に曲がり、職場の元同僚が教えてくれた梨狩り農園に向かうことだ。別に行楽目的の梨狩りではなく、その元同僚が茅ヶ崎の自宅アパートで寝込んでいて、そこの梨を食べたいと言ってきたので、出向いてきたというわけだ。贈答用の美味しい梨を彼の代わりに受け取るためにここを訪れた。


 神社の参道近くの五叉路が見える。そこで何故か横を通った老人女性がレジ袋から梨の実を路面に落とした。レジ袋が切れたのだ。和菓子屋の店先の歩道で梨が数個ゴロゴロと転がり出した。


「まあまあ」と大慌ての老女。

 僕も大慌てでその梨を拾い集める。全部で八個。老婆の手元には二個ほどが残っているだけで、ほとんどは僕が拾ってあげた。低い位置からだったので梨自体に傷はついていないようだ。

「はい、どうぞ」と拾った梨を差し出す僕。そして「どうしましょう? その袋はもう使えないですね」と加えた。

 梨を戻すべく、差し出すにもレジ袋は切れており、老女にまとめて持つことは出来ない。十個もの梨を抱え込んで歩くわけにも行かない。かなり不安定になる。

 そこで一旦僕は、地面にその梨を置くと、背負っていた自分のリュックから買い物用のエコバッグを取り出した。綺麗にたたんであるエコバッグを広げると、老女に、「これに入れて下さい。差し上げますから」と言う。

 ズック生地で出来た頑丈なバッグだ。


 初老の女性は、一瞬戸惑ったが、借りずにこの先進むことは不可能と判断した。そして小さくお辞儀をすると、「ではお借りしますね」と借りることを選んだ。

「ウチはもうすぐそこなんですよ。だから一緒に来て頂いて、家に着いたらすぐにお返しします。ちょっとの間貸して下さい」と笑顔を向けた。

 急ぐ旅でもないので、僕は「はい」とだけ答えると、そのエコバッグの梨を手に持ち、「では、お家までお持ちしますよ」と続けた。


 大きな門構えの農家へと続く道、そこに向かって老女は「こっちです」と案内してくれる。格子戸で出来た大きな門を潜ると、ジーンズにフリースの格好で、庭先の物干し竿に洗濯物をかけている二十代後半から三十代ぐらいの女性が立っているのが見えた。

「由里、農園で今日の注文分の梨、もいで来たよ」と老女。

「ありがとう、おばあちゃん。今日、贈答品用の箱詰めを買いに来る人がいるから用意しておかないと」

 そう言ってから洗濯籠を持ち上げながら、

「あら、そちらの方は?」と由里という女性は僕を見る。

「途中でねえ、袋が切れちゃって大変。それで転がった梨を拾ってくれて、一緒に持ってきてくれたの。この袋も貸してくれたのよ」と穏やかに笑う老女。

「あらあら」

 洗濯籠を小脇に抱えながら、

「それはそれは、祖母がお世話になりまして」と深々とお辞儀をする由里。

 そして「いま、お茶と甘いものでも出しますから縁側に座っていて下さいな」とせわしく母屋に入っていく。

 農家の造りで銅板葺きの家の縁側へと老女は、背中を押して僕にすすめる。


「いや、僕はこれでおいとましますよ」と言うと、

「あら、いいじゃないですか? お急ぎでなければ、食べていってよ。八福餅はちふくもちって言ってねえ、この辺では好まれているお餅なのよ」と老女は僕をひきとどめた。

 どうしようか考えあぐねている僕。まごまごしているうちに由里がそのお餅を盆にのせ持って来た。

「どうぞ」と笑いながら僕に差し出す。縁側の僕の横に置いた。

 出てきたものを拒否するのも悪いと思い、言われるまま縁側を借りて腰掛け、爪楊枝を手に取り一口、そのお餅を口に入れる。ほんのりした甘みと溶けるような小豆あんのまろやかさが口の中に広がる。懐かしい味だ。

「こちらにはどの様なご用で?」と由里。庭先に立ったまま、盆を抱えて話しかける。

「梨を買いに来ました」

「まあ、どちらの販売所?」

安香あんこう果樹園って言ったかな?」

 僕の言葉に由里と老女はクスクスと笑い始めた。

 なにか面白いことを言った記憶はないのだが、僕が言った言葉でツボにはまった部分があるのかも知れない。僕もよく分からないまま一緒に微笑む。

 暫くして、僕が本当に分かっていないことを悟ったようで、由里と老女は顔を笑いながら見合わせた。

「まだおわかりにならない?」

 老女の言葉に僕はオドオドする。

「何でしょう?」

 すると今度は由里が「ここですよ。安香由里あんこうゆりと申します」と笑ってお辞儀した。

 僕は慌てて辺りを見回す。立て看板と幟旗のぼりばたには『観光農園 安香果樹園』という名前がある。

「あっ!」

 僕は人助けをするつもりで、目的地まで案内してもらったようだ。

「何かのご縁ですねえ」と笑う由里。

「本当に」

「ウチの農園、どなたに聞いたの?」

「会社の元同僚で、谷津米やつめという男です」と言うと。由里はまたクスクスと笑って、

谷津米繫やつめつなぎさんですか?」と言う。

 驚き顔の僕は「ご存じで? 常連なのかな? 随分ここを押していたし」と答える。

 彼女は優しく首を横に振ると、

「いいえ。私にとって従兄にあたる親戚のお兄ちゃんです。このおばあちゃんの孫の一人でもあります。親が私の父の姉です」と教えてくれた。


「何と!」

 身内の連続に驚く僕。

「失礼ですがお名前は?」と由里。

「ああ、すみません。申し遅れました。宇那木史路也うなぎしろやと言います」

「宇那木さん……」

 彼女は台帳のようなモノを持ち出して、

「本日の贈答用の梨をお求めのお客さんですね。朝方、メールの注文が御自身のお名前で入っていました。まさにその梨だわ」と笑う。

「谷津米が僕の名前で注文したんですね。そして僕は自分で買うはずの梨を自分で持ってきたんですね」

 僕の言葉に「まあ、『お持たせ』になってしまいました。しかも落ちてしまったやつだわ。もう一度もいでこようかしら?」と老女は済まなそうに言う。

「いいえ、これは谷津米に食べさせるモノなので大丈夫です、このままで」と笑う僕。しっかりヤツには自己完結させてやる。

「あはは、なんか変な巡り合わせですね」と由里。

 そう言いかけたところで、由里のメールの音が携帯電話からする。

『ピコン』

 彼女は画面を見てから、

「噂をすれば影。繫にいちゃんからメールです」とその画面を僕にかざす。

 彼女はその手続きが失敗したということに数分後悟ることになる。彼女よりも先に僕はその文面を読んでしまった。

『由里。今日、宇那木って、オレの最も信頼出来る男が梨を買いに家を訪れるから、デートの約束でもしてみろ。凄く良いやつで、優しくて、実直で、男のオレから見てもスーパー彼氏になること間違い無しだ』

 僕は顔を真っ赤にして、画面を指さす。

「あのこれ、僕読んではダメなヤツだったと思う」と俯く。

 あわてて由里は「ええ?」と画面を自分の方に向ける。

 暫く文字を目で追って、全てを理解したらしく、彼女も真っ赤になった。

 そして『ピコン』と二発目のメール。

『宇那木は彼女募集中だ。すぐにでも結婚したいそうだ。思い切って飛び込んで見ろ。お前の器量なら、海が見たい、って言えばすぐにでも連れて行ってくれるぞ。ちなみに彼は農家の女性でも全く問題ないそうだ。仕事も続けて良いらしい。事前調査済みだ』

「何言っての繫にいちゃん、迷惑じゃ無い。ねえ」と携帯画面に話しかけた後で、よそよそしく愛想笑いを僕に投げかける。


 僕はようやく辻褄が合った。早朝に連絡を受けて、ヤツのアパートに行ったとき、「お前面食いか?」と訊いてきた。見舞いに来た人間にそういう質問をする人間を初めて見た。ベッドに横になってはいたが、随分元気そうだった。

「普通だよ」と返す。

「結婚相手欲しいか?」

「そりゃいい人がいたら今すぐにでもなあ」と冗談ぶいて笑う僕。

「今すぐで良いのか……」と感心する谷津米。

「モノの例えだ」と切り返す僕。

「もし働く女性だったら敬遠するか?」

「そんなのその女性の自由意志だ」と返した。

「うん」と点頭して納得する谷津米。

「例えば、漁業や農家とかの独身女性はダメか?」

 彼の言葉に、「おい、何か尋問されているみたいで困るよ、でも職業的には問題ないよ。自然が好きだし」と僕が言うと、

「そうだな。それぐらい訊けばいいや」と再び布団を鼻まで被り、目だけ出して「ちょっと買い物を頼まれてくれないか」と言った。その目は今思うとなにかを企んでいそうだった。

「ここから数駅内陸に上がった寒川町というところに、オレは弱ったときに決まって食べる梨園の梨がある。そこにメールで注文を送っておいたので梨を買ってきてくれるか? 今日取りに行くことになっている」と言う。

 病人の頼み事と、ここ茅ヶ崎から数駅なので小一時間もあれば、行けるというので了承して、お使いの梨を買うために地図アプリ片手にここまで来た。

「ははーん」

 僕は全てを読んだ。

「由里さん、ヤツはあなたにもなにか臭わせていませんでしたか?」

「ええ?」

 唐突な質問に戸惑いながらも、由里は、

「自分には良い友人がいて、趣味は鮎釣り。相模川の近くにいればご機嫌な男よ。顔も結構男前、お前のお見合い相手にピッタリなんだよ。早く結婚してばあちゃんを安心させろよ、って随分前、お盆にあったときに言ってました」と返す。

 僕はヤツの魂胆が分かりニヤリとする。

「それ僕です。実はこの付近、よく釣りに来ます」

「そうなんですね」

 もじもじ顔の由里は、

「でもねえ、私、もう三十三歳になっちゃったんですよ。もう少し前に紹介されていたら宇那木さんも嬉しかったのにねえ。しかも高卒で農家のこの仕事継いでます。立派な学校出て、良い会社にお勤めの方には相応しくないと思いますよ。だから無理に繫にいちゃんのお願いに乗らなくて良いですよ。お見合いってもっと形式的なモノだと思うし、こんないい加減で、適当な……」と言ったところで、この引っ込み思案の遠慮がちな微笑みの持ち主に釘を刺した。

「じゃあ、お見合いしましょう。寒川神社の参道脇にあった会館で。うちの親も静岡から呼び出して、そっちはおばあちゃんに同席してもらって、いいですか?」と僕が積極的な意見を述べた。

「ええ?」と面食らう由里。僕の急展開の意見に驚きを隠せないようだ。

「私、三十三ですよ。良いんですか?」

「そこは僕にとって特に重要では無い。あなたの笑顔と控えめで謙遜できるその穏やかさにちょっと惹かれています。形式にこだわるのなら、パーフェクトなお見合いを設定しますので、それを越えてから、僕と一緒になりましょう。善は急げデス」

 僕の勇み足に彼女は少々驚いていたが、老女の方はとても乗り気だった。

「それは良いわね。私も賛成だわ。あんな道ばたで梨を落としている年寄りを無視せずに、一緒に拾ってくれた親切な人だもの。なにより繫のお友達なら安心よ」と老女にとっても僕は折り紙付きの人物に思われた。


 その梨の購入の一件からひとつきが経ち、彼女との連絡でお見合いの日取りと段取りをセッティングした。

 秋晴れの日に、訪問着和服の女性とスーツを着込んだ年輩の男性が車から降りてきた。何十台も入る大きな駐車場の一画に車を止めると例の五叉路の方に、向かって歩いてくる。信号の前にはスーツ姿の僕と振り袖姿の由里がお辞儀をして迎える。

「とうさん、かあさん、こっちまでわざわざありがとう」

 そう言って会館へと案内する。

「お前、あんなに見合い結婚は嫌だって言ってたくせに、なんで見合いのセッティングしているんだ。しかも自分で計画しているし、普通見合いって媒酌人、仲人がセットするもんだぞ。訳分からん」と懐疑的に小首を傾げる父親。目を細めて、物好きな息子だとでも言いたそうだ。

 僕は「ちょっとした気まぐれだよ」と笑う。

「どんな気まぐれだよ」と不思議そうな父。そのまま父は「由里さん、こんな適当な男で良いのか?」と笑う。

「そんな事言われたら、私だって、こんな行き遅れで良いのか? って訊ねてしまいそうですよ」と微笑んだ。

「そんな自虐が出来る女性なら、この先も見栄をはらずに、正確な人生判断が出来そうね。気取らずに二人で仲良くね」

 訪問着の母も笑う。

「良い釣り場と素敵な女性のいるこの神社の方角に導かれてしまってね」

 その台詞を隣で聞いていた振り袖姿の由里は頬を赤らめて、はにかんでいた。

 大きな鳥居の上に広がる青空は何処までも青く爽やかで、今日のお見合いの行く末を示してくれているようだった。

                           (了)

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地図アプリが教える果樹園と一の宮-恋と御縁の浪漫物語・寒川編- 南瀬匡躬 @MINAMISEMasami

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