エピローグ
エンド・ネバーエンド
「——…………う……ん」
目を開けると、見慣れた部屋の天井が見える。紛れもなく僕の部屋だ。まだ電気を点けていないが、カーテンの隙間から漏れる光によって室内はぼんやりと明るくなっている。
ごろりと寝返りを打ってスマートフォンを探し、時間を確かめる。
7月3日。6時46分。
丁度良い時間だ。僕は起き上がって部屋から出るとキッチンに向かい、朝食の準備を始めた。
トースターにパンをセットし、焼き上がるまでの間にスマートフォンをいじっていると、メッセージアプリの通知音が鳴った。
『おはよう! 翔助は今何しているの? お母さんはこれから仕事に行くところです』
先日桃花のお母さんに、僕の両親の連絡先を教えてもらったのだ。とは言ってもこうしてメッセージのやり取りをしているのは母だけで、まだ父と連絡を取る勇気はない。
2人は離婚して、今は別々に暮らしているらしい。だけど連絡は取り合っているらしく、母が僕とやり取りしていることを伝えたら羨ましがっていたらしい。それに、会いたいとも言っていたそうだ。
いつか……、直接顔を見て話す勇気が出たら、2人に会いに行きたい。
パンを食べて、準備を終えていつもと変わらない時間に家を出る。
「翔助くん、おはよう!」
「おはよ」
教室に入ると、仲の良いクラスメイトが挨拶をしてくれる。
周りの人間は、僕のことを当たり前に翔助と呼ぶ。彼らは今までタイムリープしていたことも、“名賜の儀”や“ミコト様”の存在がなかったことにされたことも、そして再び2年前……僕たちの年齢で言うと高校1年生に戻ったことも、何も知らない。
「なあめぐ……翔助!」
しかし碧に会った学はまだ本来の名前で呼ぶことに慣れていなさそうだ。藤島や古屋は元々苗字呼びなので、そこまで不便はなさそうである。
学と知り合ったのは中学1年生のときだから、「翔助」と呼んでいた期間と「巡」呼びの期間とは長さがあまり変わらないはずだった。そんなにも後者の呼び名がしっくり来ていたのだろうか。碧によって最後のタイムリープが起こってから2週間は経つのに、ずっとこの調子である。
「どうしたの?」
窓の外をぼーっと見ていた僕に声をかけてきた学。反応して彼の方を見ると、僕の目の前に何かのパンフレットの表紙を突きつけてきた。白く綺麗な建物の写真。どこかの大学の資料とかだろうか。
巻き戻る前に言っていた彼の志望校は、桃花と同じ○○大学だった。そこのものかと思ったが、
「これ……△△大学の資料?」
「最近、自分の進路について考え直すようになって……。俺が本当にやりたいことって何だろう、将来何になりたいだろうって」
色々な大学の資料を取り寄せて読んでいたところ、学びたい分野を取り扱っているのがこの大学だったという。
僕はぺらりとページをめくって目次を読んだ。学部学科紹介、キャンパスツアー、サークル紹介など。色々な項目がある。
なんとなく適当にバラバラと違うページを開くと、そこには「文学部文芸コース」と書かれていた。そのコースでは、文章の書き方や様々な表現技法などを作家をしている教授が教えてくれるとのことだ。
「物語、か」
小説の中の世界に飛び込んだかのような、不思議な体験。あの出来事を纏めて文章にしてみるのも楽しそうかもしれない、と思えてきた。
「夏休みにオープンキャンパスがあるんだけど、一緒に行かないか?」
「……うん、良いね」
僕も、未来のことについて考え始めよう。
皆が自分の道を歩き出しているように。
桃花は時間が巻き戻ってから、吹奏楽部に入部した。他の同級生よりも少し遅れての入部だったため夏のコンクールのメンバーになることは出来なかったようだが、落ち込む暇などなく必死で遅れを取り戻している。
『桃花ちゃんは中学生の頃から上手かったからね!』
と何故か古屋と藤島が胸を張っていた。
秋にある小さめのコンテストには出られそうとのことだった。
古屋は、タイムリープの前までは卒業したら就職すると言っていた。しかし、1年生に戻った今は進路についてもう少し悩むことにしたという。
『私が就職するつもりだったのは早く家から出たいのが理由だったし……。自分が本当にやりたいことを探してみようと思う』
藤島は、今までは教師になりたいと思っていたが、今は心理学を勉強してスクールカウンセラーになりたいと夢が変わったようである。
『自分の意見を言えなくて我慢しちゃう子とか……。人には言えないけど苦しんでいる子の力になりたい』
皆“命様”と……、碧との出会いによって考えたことはそれぞれあったようである。
それが、進む道に変化をもたらした。
それは、僕と桃花の関係性にも。
放課後、今日は練習がないという桃花と一緒にとある場所へ向かった。
それは神社があった場所。碧と、彼女の両親が眠る場所だ。
相変わらず人の気配がない。“名賜の儀”がなくなったため、ここを訪れる人はほとんどいなくなってしまうだろう。
僕たちは鳥居があったところに花を置いた。彼女の右目のように美しい青色の花を。
「…………周りの人たちが君のことを忘れても、僕たちはきっと忘れない」
そう思いを込めて、勿忘草の花を。
僕たちは手を繋いで、来た道を戻っていくのだった。
——人はいつ大人になると思う?
そう問いかけたら、人によって色々な回答が得られるだろう。
20歳になったら。
就職したら。
飲酒や喫煙が出来るようになったら。
税金を納めるようになったら…………。
今周りから「大人」と呼ばれている人たちも、きっと明確にはわかっていないと思う。
でもきっと、正しい答えなんてなくて。
いつの間にか自分のことを「大人になったな」と思えるようになっているのではないだろうか。
僕たちはいずれ大人になる。
君と……、皆と一緒なら大人になるのも怖くない。呪いの鎖じゃなくて、手を繋いで。この先の世界へ飛び込んでいくのだ。
タイムリープは、もう起こらない。
僕たちはこうして、終わりのある人生を歩んでいく。
エンド・ネバーエンド 遠野リツカ @summer_riverside
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