第三十六話 最後
「私も村人から名前を貰い……。呪われてしまったのかもしれない」
命様、と呼ばれた少女。彼女は神と崇められ、この神社にて生活するようになった。
いや、飾られていた。煌びやかな着物に着替えさせられ、身の回りの世話は村人が焼いてくれて、彼女はただそこにいるだけ。
まるでショーウィンドウの中の宝石だ。
「私は神社の外へ出られなくなってしまった。鳥居の前の階段までしか行けないのだ」
見ろ、と言い命様は立ち上がった。着物の裾を両手で持ち上げ、白く細い脹脛がのぞく。
彼女の両足首には、枷がはめられていた。そこに繋がる鎖は長く、この白い空間の外にまで続いている。
しかし、どうして気がつかなかったのだろう。足にはまっている錆びた鉄の輪だけなら、着物に隠れていて見えなかったのは当然だが、ここまで長い鎖を見落とすことなどあるのか?
僕の訝しげな表情から考えていることを読み取ったのか、
「この枷はな、人から実際につけられたわけではないのだ。だから姿を現したり、消えたりする……」
しかし確実に私のことを縛りつけてくる。
彼女はそう言った。
「枷など存在しない。これはただの思い込みだ。自分が外に出たいと思ったら、出ることが出来る。そう何度念じても、神社から1歩でも外へは行けなかった……」
何度も外すことを試みたのだろう。細長く黒ずんだ傷が、消えない痕として白い肌に絡みついていた。
私も、外で皆と遊びたかった……。
高貴な身分を思わせる口調から、寂しそうな少女の話し方へころりと変わる。
川でよく遊んでいたの。近くに住む歳の近い子たちと魚を捕まえたり、水切りしたり。また遊ぼうね、って言われたのよ……。
少女は、僕が神社を訪れたときのように階段に蹲ってずっと外を見ていた。
すると、よく遊んでいた子どもたちが話しかけてくれたという。
『何してるのー?』
『また一緒に遊ぼ!』
「私の手を引いてくれたの。重たい着物も、しゃらしゃらと煩い髪飾りも、全部取っ払って飛び込んでしまいたかった。あの子たちと一緒に……」
『やめなさい、あなたたち! この方がどなたかわかっているの!?』
『うちの子がなんと無礼なことを……! お許し下さい、命様……』
話しかけてくれた子どもの親が急いでやって来て、首を垂れた。
子どもが命様に差し出した手は親に強く引っ張られ、家までの道を引き摺られていった。
『どうして遊んじゃいけないの? この間まで一緒に遊んでいたよ?』
『命様は神社でお仕事をされているの! 忙しいんだから……』
「私は神社にて村人から世話を焼かれ、人形の如く飾られ、そして赤子に名前をつけたり人の寿命を視ることが仕事であったらしい。初めて知ったよ。村の大人たちはそう思っていたのだな」
再び低い声になり、口調も変わる。
……それと同時に、私を縛る呪いの正体を理解した。
私は、「神社を訪れた者の願いは叶えなければいけない」という鎖に縛られているのだ。
そう言った。
縛られてい「た」ではなく、縛られてい「る」。
時代が移り変わり、当時の村人がこの世を去り、村から街へ変わっても、彼女はこの神社に縛られたままだったのだ。“名賜の儀”という名づけの慣習が残っているから。
だから、あのとき僕の願いも叶えてくれたのか。
そして、今……「翔助」に戻りたいという願いも?
「あの、私たちに叶えてほしいお願いは……一体、何ですか?」
桃花の声に、命様が彼女の顔をまじまじと見た。
着物の裾を引き摺って近づいていくが、床がツルツルしているからか布の擦れる音はしなかった。
「……桃花」
心春、明華、学。
命様は僕以外の4人の名前を1人ずつ呼んでいった。
「桃花……。良い、名前だね。…………君だけは、私の力を使って名付けられたわけではない」
——だから君は呪いではなく祝いを受けたんだ。
桃花が「巡」の呪いから外れた……タイムリープに気がつくことが出来たのもそのお陰。
「…………お陰、と言って良いのかはわからないけれど」
繰り返される日々。誰もそれに気がついていないという孤独。この日々ではなく人生を終わらせたいと思ってしまうほどの苦痛。
呪いから外れている筈なのに、呪われている方が……時間が巻き戻っていることに気がつかない方がマシだったのではないか。僕が呪いを起こしている張本人だけど、桃花の立場だったらそのように思ってしまう。
「私はね……。君たちに出会うまでこの慣習に何も思っていなかった。神として崇められるようになってしばらく経ち、傲慢になってしまっていたのだろう。『私から名前を貰えるなど有り難く思え』と……」
「それが……どうして変わったんですか?」
僕の問いかけに、命様は僕と桃花の顔を交互に見た。
「最初はね、君を……『巡』を面白い人間だと思って見ていた。何度も時間を巻き戻していく様子は私にとって良い余興だった。でも」
桃花が自殺をするようになり……。気がついたのだ。これは誰かの願いを叶える代わりに誰かを呪うことだと。
それは“名賜の儀”も同じだ。名前に縛られ、名前に呪われる。
「もう、終わりにするべきなんだ。ようやく気がついた。……終わらせたいんだ」
命様は、もう少なくとも100年は老けずに生きていると言った。きっと私は不老不死になり、この先も神としてこの場に縛り付けられ続けるのだろう、と。
「だから、桃花……。私の呪いを、断ち切ってくれ。呪いから外れた君なら……、きっと、私の呪いも…………」
「え…………?」
まさか自分の名前が出てくるとは思っていなかった桃花が、呆然としたような声を発する。
学たちも、驚いたように彼女を見つめていた。
「ど、どうやって」
そう尋ねると、命様は寂しそうな笑顔を見せた。
その表情が、親を失い普通の生活を奪われた、あの日の少女と重なった。
「——私に、名前をつけて。君が私のために考えてくれた名前を」
神様じゃなくて、普通の少女に戻すための。
そうしたらきっと、“命様”としてのこの枷は外れる筈だから。
「私が消えたら、私の存在や“名賜の儀”がなかったことになる。だから、君たちの名前に込められた願いも消える……」
良いのか、という視線を桃花は学たちに向けた。
3人は俯いて黙っている。自分の名前について、その願いについて、考えているのだろうか。
「……うん」
最初に口を開いたのは学だった。
彼に続いて、藤島と古屋も頷いた。
「そうしたら、きっと……解放される」
「もう、頑張らなくて良くなる」
「耐えなくて、良くなるから」
自分たちの名前に込められた意味は、自分たちで見つける。
3人はそう言って、震える唇を持ち上げて笑った。その顔は、泣くのを我慢したような表情に見えた。
「名前…………」
桃花は立ち上がって、命様の顔をじっと見つめた。命様は瞬きをせずに桃花の顔を見つめ返している。どこかその目が不安に揺れているような、しかし「どんな名前をつけてくれるのかな」とワクワクしているようにも見えた。
「——…………
どのくらいの時間が流れただろう。外の様子が全くわからないため太陽がどのくらい動いたのかもわからない。
桃花は命様の頬を手で包み、そう告げた。
その声は小さいけれどよく響いて、優しくて、周りの空気をふわりと柔らかく出来るほど温かかった。
この瞬間、神様は「碧」というひとりの人間になった。
「碧……。素敵な名前」
碧は名前の由来となったであろう自身の目に触れた。
「…………本当は、私はあのときに死んでいた筈だったんだ。両親と一緒に……」
そう言った瞬間、碧の周りだけが炎に包まれる。
あのときとは、神社が火事になったときのことだ。
真っ白な空間は一瞬にして紅く染まる。その炎は幻なのか、僕たちは熱を感じなかった。
「お父さん! お母さん!」
ガチャンッ
足枷が外れ、碧はふわふわと浮かんでいく。嬉しそうに叫んで彼女が手を伸ばす方には、優しそうな笑顔を浮かべた男性と女性がいた。あの2人が、彼女の両親なのだろうか。
いつの間にか、碧は姿が変わっていた。いや、元に戻ったと言った方が正しいだろう。銀髪の浮世離れした美しい女性ではなく、黒髪で僕たちよりも背の低い、無垢な少女が両親と手を繋いでどこかへと行こうとしていた。
「あ! 忘れもの!」
少女は2人の手を離すと、戻ってきて僕たちの前に立った。
「……最後にもう一度だけ、時間を巻き戻すから」
「え……?」
不思議そうな顔をする僕たちに向かって、碧は悪戯っぽく笑う。
「だから、諦めていたことをやってね。もう時間は巻き戻らないから」
少女の視線は僕たちに、というよりは桃花に強く注がれていた。桃花はその言葉にハッとしたような顔をし、頷いた。
碧は最後に大きく手を振った。もう、この後は振り返ることはなく炎が幕を下ろすかのように消えていき、3人の後ろ姿は見えなくなった。
気がつくと僕たちは神社の外に出ていた。
もう、というかそこには神社があるという事実がなかったことになり、何もない更地が広がっていたのだった。
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