第参拾伍話 命

 巡や桃花たちが生まれるより、遥か昔。

 とある村の神職の家系に生まれた少女がいた。


 その少女には、人とは少し違うところがあった。

 目の色が特殊だったのである。右目は晴れた空を映したような澄んだ青色。左目は豊かな作物のようなみずみずしい緑色をしていた。


「きっと災いを呼ぶ子だわ」

「呪われているに違いない」


 彼女の目を見て一部の人間は、ひそひそとそう噂した。

 しかしそれ以外の多くの村人は、綺麗な目だと褒め称えた。「その瞳は、きっと神様からの贈り物だ」と。

 少女が成長すると、その明るく人懐こい人柄から陰口を言う者はいなくなった。


 少女は親の愛情をいっぱいに受けて育った。だから、2人のように心優しく、明るい人間に育つことが出来たのである。

 

 親の後ろについて回って、境内を掃除したり。

 近くの畑に行っては農作業をしたり。

 川で同い年くらいの子どもと遊んだり……。

 そんな穏やかな日々を過ごしていた。


 までは。


 

 おとうさん! おかぁさん!!


 ごうごうと、炎が周囲を焼き尽くしていく音。それに負けないように少女は声を張り上げたつもりだったが、煙を吸ってしまったからか上手く声が出ない。

 眠っていたら、いつの間にか家中が紅く包まれていた。どこが火元かはわからない。寝室の入り口は炎によって阻まれている。

 目の前にはうつ伏せで倒れてピクリとも動かない両親。駆け寄って揺すり起こそうとしたが、脚に火傷を負ってしまい痛みから動かせない。

 少女が痛みに耐えている間に、めきめきめき、と柱が崩れて両親にのしかかる。しかし叫び声の1つも両親は上げない。気絶しているのか。それとも…………。

 そこまで考えてしまい、少女は首を横に振った。


 お父さんとお母さんは生きている!

 わたしも、ぜったいに生きのびる……!


「お…………さん……。おぁ……さ…………」


 目の前が暗くなっていく。

 駄目だ、目を閉じちゃ駄目だ。

 誰か、助けて。

 お父さんを、お母さんを、助けて……。


 

 ………………。

 …………。

 ……。



 気がつくと、少女は家の近くの川辺に倒れていた。空は橙色から紺色へと変わろうとしていて、今が夕方であろうことがわかる。

 体をゆっくりと起こすと、至るところがビキビキと痛んだ。しかしそれは石の上に寝ていたことによる痛みで、火傷や転んだときの擦り傷から来るものではなかった。体中を確認しても、傷は1つも見当たらなかった。


「なんで…………?」


 呆然としながら呟いた後、少女は1つの可能性に辿り着く。


 ああ、そうか。

 全部、夢だったんだ!

 ここで遊んでいて、疲れたからそのまま寝てしまったのだ。

 だとしたら、早く帰らなきゃ。お父さんとお母さんが心配しているだろうから。

 

「お帰りなさい。ご飯、出来てるわよ」


 米が炊ける温かく甘い蒸気。ふわりとした出汁の香り。それと一緒に、柔らかい笑顔を浮かべた両親がそう言って出迎えてくれる。


 そう、思っていたのに。


「え…………?」


 そこには……、家があった筈の場所には、燃えて崩れた木の塊が横たわっているだけだった。

 神社の鳥居も、立派な朱色からガサガサとした黒色へ変わってしまっている。


「おとうさん…………?」


 呼びかけても誰も応えない。

 ただ、風がぴゅうと吹いて体を冷やすのみ。


「おかあさん…………!」


 またも、声は返ってこない。

 その場には、少女以外に命の気配はなかった。

 

 家だったものの中に入って両親を探そうとしても、扉が崩れ入ることが出来ない。

 そもそも、元の姿が思い出せないくらいに崩れてぺしゃんこになっており、少女にもなんとなく2人がどうなったのかは想像がついてしまっていた。


 でも、認めたくなかった。

 両親がこの世にもういなくて、1人ぼっちになってしまっただなんて。


「うわぁあ……! う、うあ、あぁぁあ!!」

 

 泣き叫びながら、その細い腕で崩れた木を退けようとする。しかし少女1人の力では全く動かず、木から出た棘や釘などが手に刺さって傷を増やしていくだけ。


「やだ!! やだやだやだやだ! あぁぁ……!」

「×××ちゃん!?」


 近くに住んでいる女性が、少女の元に駆け寄る。


「おねがい! おとうさんとおかあさんをたすけて!!」


 その女性の服の裾を掴み、下から顔を見上げて訴える。女性は少女と崩れた家とを交互に見て、それから唇を噛んで苦しそうな顔をした。


「×××ちゃん…………!」

「なんでたすけてくれないの!? あの中にきっとおとうさんとおかあさんがいるの!! たすけて! たすけてよぉ!!!」


 女性は、少女を抱き締めることしか出来なかった。


「×××ちゃん、一緒に暮らそう……?」


 女性の娘は、少女と一緒によく遊んでいて仲が良かった。きっと娘も喜んでくれると、少女を連れ帰ることにした。

 その道中。


「火事があったんですって?」


 ある老人が声をかけてきた。俯いて声に反応しない少女を不躾にじろじろと眺めている。


「やっぱり災いを呼ぶ子だったんだわ」


 その老人は、少女が生まれたときに目のことで陰口を言っていた者だった。両親と家を失ったばかりの少女に無情な言葉を投げかける。

 周りの人々は少女を庇い、老人にもうやめるよう言ったが、聞き入れず。

 

 お前のせいで火事になった。

 お前のせいで、両親は死んだのだ!

 老人は少女が何も言わないのを良いことに、そう捲し立てた。その顔は、人を罵倒することに快感でも得ているかのように、どこか綻んでいた。

 

 少女は、何も感じていなかった。

 あの炎は、私の心も奪って焼き尽くし、壊してしまったのだ。少女は他人事のようにそう思った。

 それを自覚した瞬間、つむじの辺りからすうっと熱が奪われていくのがわかった。指先、爪先まで冷えていくが、少女自身は寒いとは感じなかった。


「あなた……何その姿!? 気味が悪い!」


 老人は少女の髪を指差した。

 少女の黒髪は徐々に色が抜けていき、艶々とした銀色へと変貌してしまったのである。

 遠巻きに見ていた村人たちはざわざわと騒ぎ始める。目の色と相まって、少女はこの世ならざる者に見えた。


 少女は血の通っていなさそうな白く細い指で、その老人を指差した。

 そして、静かに告げる。


「そのおばあちゃん、明後日に死ぬ」


 突然自分の寿命を宣告された老人は、顔を真っ赤にして怒り狂った。

 急に何を言い出すのだ。そのような不謹慎なことを言うな、と。


 少女は全くそれを意に介さず、次は遠巻きにこの様子を見ていた女性を指差した。彼女の隣には、夫と思わしき男性が寄り添うように立っている。


「おねえさん、女の子がお腹にいるよ」

 

 老人とは対照的に、口を手で覆い涙目になる女性。隣の男性と顔を見合わせ、抱き合って喜んでいる。


 少女が宣告した通り、老人は2日後に亡くなった。寝ている間に心臓が止まったらしく、もがき苦しむこともなく穏やかな最期だったそうだ。


 

 そう、少女は「人の命が視える」ようになっていた。

 天に還る、消えゆく命の気配を右の青い目で。

 新たに芽吹く、生まれてくる命の気配を左の緑色の目で。

 それが火事によって失われた神社の力が宿ったのか、元々不思議な力の素質があり両親を失った精神的打撃によって開花したのかどうかはわからない。



 少女は多くの村人へ告げていく。


「あなたは何日後に死ぬ」

「あなたの子どもは男の子だ」


 その内、寿命がいつなのかだけではなく、どのような最期を遂げるかも視えるようになった。

 また、お腹の子どもの正確な出産日も。


 少女の予言は一度も外れなかった。

 彼女は一部には畏怖され、一部には崇拝された。


 やがて、少女はこう呼ばれるようになる。


 

 命を司る神様——みこと様、と。



 村人は新しく生まれた神のために、神社を大急ぎで建て直した。もちろん火事によって焼失し、神……少女の両親が眠る場所に。

 そして少女はそこに1人で暮らすようになった。身の回りのことが出来なくても、勝手に彼女を慕う村人が代わる代わる訪れ、食事を作ったり掃除をしたりする。少女は貢ぎ物のお菓子を食べ、細い体では支えきれないほど重く豪奢な着物に飾られて座っているだけの日々を過ごした。


 ある日、その神社に赤ん坊を抱いた女性がやって来た。最初に老人の寿命と一緒に子どものことを告げられた、あのときの女性である。

 その腕に抱かれた子は、少女に予告された女の子ではなく、その子の弟にあたる男の子だった。


「命様に、名前を授けて頂きたいのです」


 女性は御簾の奥に座る少女に向かって恭しく頭を下げた。


「…………どんな子どもに、なってほしいの?」


 いくら神と崇められていようとも、まだ齢10つの子ども。声は幼く、喋り方は無邪気だった。

 その声に、緊張していた面持ちの女性は安心したようにほっと息を吐いた。

 

「……優しい子に、なってほしいです」

「…………」


 少女はしばし考えた後、ずり、ずりと着物を引き摺って御簾を上げ、女性の前に現れた。

 そして赤ん坊の額に手を当て、


「優子」


 と名前を与えた。

 少女の手が離れると、女性は何度も頭を下げて礼を言った。


 その様子を見ていた別の村人が、翌日自分の子どもを連れてきた。あの女性と同様、この子にも名前を付けてやって下さい、と。


「どんな子に……」

「裕福になってほしいです!」


 少女が聞き終わる前に、村人は食い気味で答えた。


「…………」


 少女はしばし考えてから御簾の前へ出てきて、赤ん坊の額に手を当てた。


「豊」


 そして名前を与えた。

 村人は大喜びで帰っていった。


 その数年後。

 子どもを豊と名付けてもらった村人が神社に駆け込んできた。


「命様のお陰で我が家の財が増え……。誠にありがとうございます!」


 村人は額を床に擦り付けた。

 裕福になるよう願いを込めたのは子どもだけのはず。一体どうして?

 そう尋ねると、子どもが畑仕事を手伝ってくれるようになり、野菜の売り子も務めてくれるようになった。それで金を稼げるようになったからとのことらしい。


「そう…………」


 少女がそれだけ言うと、村人は名前を貰いに来たときと同じように、大喜びで帰っていった。


 そしてその数日後。


 命様に名前を与えてもらうと、その願いが叶う。

 

 このような噂が広がったのである。

 もちろん広めたのは豊の親である。



 こうしてこの村には、赤ん坊の名前を命という神に付けてもらう“名賜の儀”という儀式が生まれ、その後の時代にも継がれていくこととなったのであった。

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