第三十四話 お願い
「全部……。僕が、起こしてることだったんだ」
涙が止まらない。
ぼた、ぼた、とそれは僕の手を握っている桃花の手に落ちていく。
「……ごめん」
ごめん。ごめんなさい。
何度謝っても足りない。彼女は僕が殺したようなものなのだから。
ごめんなさい。君に、君1人に、苦しみを背負わせてしまって、ごめんなさい……。
「翔助」
彼女が優しく僕の名前を呼び、そのあたたかい掌で僕の頬を包んだ。涙に濡れた大きな瞳に、ぐしゃぐしゃの顔をした僕が映っている。磨かれたガラス玉のように、どこまでも透き通っていた。
「翔助は……、これから、どうする?」
「これから…………?」
自分の名前を思い出したとしても、周りの人間からはまだ「巡」だと思われている。それは、“ミコト様”にも。
“ミコト様”の力がないと、皆の記憶を改変することも、「巡」に絡まった呪いを解くことも出来ない。
「だから、多分……。また名前を変えてもらうしかないと思う」
「じゃあ、あの神社にまた行くしかないってことか……」
僕の言葉に桃花は頷いた。
そして言葉を発するかどうか迷ったように、口を開けたまま目を閉じたり開けて視線を彷徨わせたりした。
どうしたの、と声をかけると彼女はようやく声を出した。
「思い出させておいて……今更だと思うけど。翔助は、『翔助』に戻っても良いの? 戻りたいって、思ってる…………?」
自分の親に絶望し、名前を変えた。
大人になりたくない、なってはいけないと、「同じ時間を繰り返す」呪いをかけた。
それに彼女を巻き添えにした。
彼女に、そばにいてほしかったから。
「…………もう、先に進みたい。皆と……、桃花と、一緒に」
そうはっきりと口にすると、桃花は僕の頬に置いていた手を離し、再び手を握った。先程よりも温かくなっている気がする。
「私はね……。『翔助』が好きだったんだ」
その言葉に、呼吸が止まった。
泣いていたせいでただでさえ赤くなっているであろう耳が、更に熱を持っていくのがわかる。
「………………」
「………………」
じわじわじわじわ
くすぐったくて笑って誤魔化したくなるような、でもどこか居心地が良いような無言。
夕方になってもまだ明るい空の下で、一生懸命仕事を続けている蝉の声。
何度目かのタイムリープにて、桃花の家で告白されたときのことを思い出した。
「願いの影響だとかそういうのは関係なくて、優しい翔助のことを格好良いなって思ってた。でも見てると、自分のことより他人優先だったから怖くて……」
彼女は僕を、翔助を、そういう風に思っていたのか。
僕からしたら、彼女だってそうだ。あまりにも優しくて、自分のことより他人を優先しようとする。
「…………だから、翔助が無理しないように……、これからは、私が隣で見ていても、良いですか…………?」
へっ?
え、あ、これは……?
ま、まさか…………。
「え、えっと……」
まずい。今、顔を見られたくない。
きっと、相当間抜けな顔をしているはずだから。
僕の様子を見て、桃花もあたふたとし始めた。「へ、返事は全部終わった後で良いから!!」と珍しく大声を上げ、握っていた手をぱっと素早く離した。
「……神社に行って全部終わったら、ちゃんと返事する」
息を整えて僕がそう言うと、彼女は顔を真っ赤にして微笑んだ。ふわりと花が咲いたような笑顔で、「桃花」という名前がよく似合うな、なんて思った。
「一緒に、来てほしい」
「……もちろん!」
その願いに彼女は快く応じた。
「あと……、学たちにも、一緒にいてほしいんだ。僕が中途半端に巻き込んでしまったから」
翌日。
また朝に、前と同じように中庭に学と藤島、古屋を呼び出した。
彼らには事の顛末を全て話した。
僕が本当は翔助という名前であること。
“ミコト様”に名前を変えてもらったこと。
そのせいでタイムリープが起こるようになってしまったこと。
それを終わらせるために、名前を翔助に戻してもらわなければならないこと。
「だから放課後……。一緒に、神社まで行ってほしい」
そう言って頭を下げると、学にばしっと右肩を叩かれた。古屋には左肩を、藤島からは弱めのデコピンを喰らう。
顔を上げて見ると、彼らは無言で親指を立てていた。「もちろん」という表情に、僕は再び頭を下げた。
早く放課後にならないだろうか、とそわそわしながら授業を受ける。
事情を知らないクラスメイトたちには、昨日までと同じく巡と呼ばれていた。
「明日からは翔助になりま〜す」なんて言ったらどういう反応をされたのだろう、と考えたりもしたが誰にも試すことはなかった。きっと、前と同じように僕が翔助に戻ったら、巡であった頃の記憶は皆から消える。何だこいつ、と思われそうな行動をしても誰の記憶には残らないだろう。
放課後になって僕たちは素早く教室を飛び出した。先日残って勉強会をしているところを見ていたクラスメイトから、「今日はしないの?」と声をかけられたが、「うん、ちょっとね!」と返すことしか出来なかった。
まず僕の家の方まで向かっていく。
あのときも、早朝に家を抜け出してふらふらと歩いていた。学校の方には向かっていなかったはずだ。
「どこだっけな……」
翔助の記憶を取り戻したと言っても、その神社までの道のりを鮮明に思い出したわけではない。
駄目元でスマートフォンで神社と検索してみても、それらしきものは見つからない。
——こっちだよ。
「翔助…………?」
中学校の頃の制服を着た、今より少しだけ背の低い、僕と同じ顔の少年の幻。耳元で囁かれた声。
彼に導かれるように歩いていくと、どんどん音が遠くなっていく。車の音も、人の話し声も、蝉の声すらも、遠く。
「——久しぶりだね、巡」
冷たく澄んだ声が、静寂を切り裂いた。
僕たちは一斉に声の主の方を見る。いつの間にか目の前にはあの日と全く同じ神社があった。
腰まである長い銀髪。色のない肌。左右で色の違う目。豪奢な黒い着物。“ミコト様”が、鳥居の柱に寄りかかって立っていた。
「め……翔助、あの人は……?」
学がぼそりと尋ねた。
その声を聞き取ったのか、“ミコト様”がぴくりと眉毛を上げた。
「翔助…………?」
感情の読めない、淡々とした声。怒っているのか、悲しんでいるのか。はたまた喜んでいるのか。
どういう気持ちで名前に反応したのだろう?
「そうか。君……思い出したのか」
「…………はい。お願いがあって、今日は来ました」
僕は1歩前に出て、彼女の顔を真っ直ぐ見つめた。
後ろの4人は、物心つく前に“名賜の儀”にて対面したことはあるが、ちゃんと姿を見るのは初めての神様……“ミコト様”に固まってしまっている。
「僕を、『翔助』に戻して下さい」
青い目、緑色の目の両方に自分の姿が映っている。“ミコト様”は瞬きを一切せず、その目で僕を飲み込んできそうなほど顔を近づけてきた。
「……」
「……」
僕は瞬きも、呼吸すらも忘れていた。
“ミコト様”からはあいかわらず呼吸音が全くしない。
後ろからもその音がせず、息を呑んで僕たちの様子を見守ってくれていることが伝わってきた。
ふ、と息を漏らしたのは“ミコト様”だった。
「改名を2度もしたのは君が初めてよ!」
先程までの、低い声で気怠げな青年のような喋り方とは打って変わって、今度は少女のような高い声で、呆れたような口調でそう言った。
「良いわ、してあげる。でも、タダとは言わない」
その言葉に僕はごくりと喉を鳴らした。
一体、何を要求されるのだろう……?
「君のそのお願いを叶える代わりに、私のお願いも叶えてちょうだい!」
「お願い……?」
彼女は僕たちに向かって手招きをした。「ついてきて」と言い、重い着物をずるずると引き摺りながら建物の中に入っていく。
僕たちは広く真っ白な空間に通された。何で出来ているのかわからない、つるつるとした床や壁。自分たちがどこから入ってきたのかもわからなくなる。
背中を向けていた“ミコト様”がくるりと向き直り、その場に座った。
「座って、目を閉じて」
言われた通りに座り、目を閉じる。
一体何を……?
すると、直後頭の中に映像が流れ始めた。
畑仕事をする人。川で遊ぶ子ども。そして、今僕たちがいる神社によく似た建物。その境内の掃除をしている、不思議な目を持つ少女。
これはもしかして、“ミコト様”の過去……?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます