第参拾参話 桃花-肆

 タイムリープが起こる前には、必ず夢に翔助が出てくると気がついた。

 夢の中で、彼はこちらをじっと見つめている。光を映さない真っ暗な瞳で。感情の見えないその小さな暗闇が恐ろしくて私は目を逸らそうとするけれど、体が動かない。声も出ない。

 そんな私を見て可笑そうに、彼は口を吊り上げて笑う。カッ、カッ、カッ、と不気味な音を出して。

 そして言うのだ。


 ——君を、大人にさせないから。


 その言葉の後に、アラームが鳴らなくても勝手に目が覚める。

 日付を確認したら、時間が巻き戻っているのだった。


 何度、この夢を見たことだろう。


 もう諦めたい。

 私も皆のように、この世界が巻き戻っていることなど全く知らずに同じ日々を、何も考えずに生きていられるようになりたい。

 それはきっと、漫画で例えるならばのっぺらぼうで描かれる脇役のような人生。ゲームで言えば、話しかけたら同じ台詞を繰り返すコンピューター。そういう、キャラクター名だけ与えられた「主人公のクラスメイト」のような存在でありたかった。タイムリープがこのまま続くのならば。


 だから、何度高校生活がやり直しになってももう吹奏楽部に入らなかった。

 中学生のときからやっていたクラリネット。1年生のときに親から自分の楽器を買って貰って、「高校でも大学でも、大人になっても続ける!」と約束したのに。今はクローゼットの奥にしまい込まれている。黒いケースが闇を吸ったように、更にずっしりと暗くなってしまっていた。


 だから、翔助との関わりを絶とうとした。

 私と彼が幼馴染であるという事実をなかったことにしたかった。そうしたら、彼の人生において私はただの脇役になる。「タイムリープに気がつく」という大役から外れるかもしれない。

 しかし、家が近く学区が同じなので、小中学校は必ず同じになる。せめて高校は違うところに行こうとしたが、進路希望用紙には私がまだ何も書いていなくても、彼と同じ高校名が書いてあった。消しゴムで擦っても消えない。間違えて捨ててしまったフリをして新しい紙をもらっても、そこには既に学校名が刻まれている。まるで、「お前はこの運命から逃げられないぞ」と言われているかのように。

 

 だから、参考書を燃やした。

 どうせ8月に足を踏み入れることも出来ない。夏休みにあるはずのオープンキャンパスも参加出来ない。秋にならない。冬にならない。試験を受けることが出来ない。

 大学に、行けない。

 大人になれない。

 私だけじゃない。皆も、夢を叶えることは出来ない……。

 燃やしている場面は翔助に見られてしまった。それで「なんでそんなことを」と呆然とした様子で聞かれたから、引き攣った笑顔しか作ることが出来なかった。

 あの後飛び降りたら、また時は戻り参考書が燃えた事実はなかったことにされた。何事もなかったかのような顔をして、平然と私の鞄に潜り込んでいた。


 でも、やっぱり、諦めたくない。

 次こそは、時間が巻き戻らずに先に進めるかもしれない。あの声が、聞こえなくなるかもしれない。

 大学に行きたい。

 皆と夏休みを過ごしたい。夏休みだけじゃなくて、その先ずっと……、卒業してからも遊んだり出来るような関係になりたい。


 だから、翔助との距離をより近づけようとした。

 ただの幼馴染から、恋人へ。別に好きじゃないのに告白したわけではない。元々、私は彼に好意を抱いていた。小学校高学年の頃くらいには自覚していたと思う。

 何度もタイムリープを起こしている張本人である彼。自覚のなさそうなその顔に、腹が立ったことがないとは言い切れない。もう彼のことは好きではない。そう思ったときもあった。

 だけど、やっぱり……。ふとした瞬間に、翔助のことを考えてしまう。彼の特別になりたい。彼に触れたい。彼の隣にいられる権利が欲しい。この繰り返される世界の中でじゃなくて、この先も、大人になっても一緒にいられるような存在に。

 

 だから、翔助に志望大学を教えた。

 ○○大学に行きたい、と。

 私にはやりたいことがある。私は未来に希望を持っている。だから、この先の時間へ進みたい。

 教えたとき、彼は素直に応援してくれた。まさかタイムリープが起こっていて、しかもそれを起こしているのが自分だなんて思ってもいなかっただろうから、当然だ。

 私はしつこいくらいに確認した。「本当? 応援してくれる?」と尋ねると、そのとき彼は頷いてくれた。だから、念押しに「約束だからね……!」と約束を取り付けた。

 約束、したのに、なぁ。


 正気を保っていられない。いっそ狂ってこの世界に染まってしまいたいよ。

 私だけがこれに気づけるのにはきっと意味があるはず。だから、解決策を探さなきゃ。


 もう何を試したって無駄だよ。全部意味がない。だから諦めようよ。

 意味がないことなんてない……! 諦めたくない。


 相反する気持ちが、頭を、心をドンドンと叩いて……。

 言うことを聞かない私を悪い子と見ているのか、「諦めようよ」と囁いてくる黒い何かが、「諦めろ、諦めろ」と唱えながら攻撃してくる。

 私がそれに引き摺られていかないよう、目を覚まさせるためにか「いつか終わる! 諦めちゃ駄目だよ!」と叫びながら殴ってくる。


 痛い。痛いよ。

 頭が痛い。胸が痛い。

 

 諦めよう?

 諦めない。

 だって結局巻き戻っちゃうじゃん。

 いつかこのタイムリープは終わるはずだよ……。

 いつかって、いつ?

 それは…………。

 ほら、わからないでしょ? いつ現れるかわからない希望に縋るなんてしんどいじゃん。


 辛い。苦しい。大きすぎるこの苦しみを自分1人で抱え込むのは、もう限界だった。

 誰かにぶつけたい。でも、きっと誰も悪くない。

 皆、重い枷がはめられているんだ。それを繋ぐ鎖は長過ぎて、体にも巻きついてしまっている。がんじがらめになって、身動きが取れなくて。枷は肉に食い込んで外せなくて。

 

 ずっと昔から続いていた“名賜の儀”。名前に、絶対に叶う願いが込められるそれは受け継がれていき、私たちがいる時代まで至った。

 翔助の祖父母が、彼らの子どもに「正しい人間であること」を願い正と名付けられた。

 正しさに囚われた正さんは、彼の子どもに「人を無条件に助けられるような人間になるように」と願った。そして翔助という名前になった。

 人を助け続け、自分自身や両親に誇りを持っていた翔助。彼も父親同様正しさに囚われていて、正しくない父親に絶望した。そして自分で自分の名前を巡に変えた。


 翔助だって被害者なんだ。

 だから彼1人だけを責めることは出来ない。……何度目かの巻き戻りで、屋上にて色々な感情が篭った言葉をぶつけてしまった気がするけれど。

 

 体の中に溜まった負の感情は、私自身に向かった。

 無意識の内に皮膚を掻きむしってしまう癖がついていた。人前ではやらず、家などで1人になったときにやってしまう。夏服に衣替えしても周りにはバレないよう、肩や二の腕、あとは太腿に。


 でも、いくら自分自身を傷つけようとタイムリープしたら傷はなくなっている。……傷がそのままで巻き戻しされたら、飛び降りた後だと血塗れのままということになるのだけれど。

 もちろん、傷はない方が良いに決まっている。

 だけど、なんだか……。私が苦しんでいたことすらなかったことにされてしまったみたいで、余計に苦しくなった。




 ——君があと何回時を戻したら、この日々から抜け出せるんだろうか。

 大人に、なれるんだろうか。

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