第参拾弐話 桃花-参

 事件から数日後、高校の入学式を迎えた。

 父はまだ退院出来てないので、母と2人で学校まで歩く。


『写真撮ってきてくれよな……』


 前日にしょぼんと肩を落としながら言っていた父に、母が任せなさいと親指を立てていた。


 通学路には、私たちと同じくフォーマルな服を着た親と一緒に歩く新入生たち。中学校で同じクラスになったことのある人が、まだ見慣れない制服を着て頬を上気させているのを見て、「高校生になったんだなぁ」と実感する。

 事件のことで暗くなっていた心も、入学式日和といった感じの暖かな空気を吸って明るくなったような気がした。


 ……しかし、まだ「翔助」のことは引っかかったまま。

 あの後、明華や心春にもメッセージで翔助のことについて聞いてみたが、そのような人物は知らないと言っていた。ところが玉置という苗字を出すと、2人とも『巡くんでしょ?』と私の聞き慣れないその名前を出したのである。


「あ、『巡』くん。おはよう!」


 母が前を歩いていた人物に気がつき声をかけた。

 丁度頭の中に思い描いていたので、実際に現れて驚きや緊張から心臓がドッと1つ大きな音を立てる。


「あ、おはようございます」


 ぺこりと頭を下げる彼。


「桃花、おはよう」

「お、おはよ……」


 姿も、声も翔助のままなのに。名前が違うのはこうも違和感があるものなのか。


 母など色々な人から聞いた情報を整理すると、玉置巡とは私の保育園の頃からの幼馴染らしい。家同士で交流があったが、彼の両親はつい先日ため、親子3人で住んでいた家でそのまま1人暮らしをしている、とのことだった。


 私たちは並んで一緒に歩くことになった。

 母はいつも翔助にしていたのと同じように「部活はどうするの?」とか他愛もない話をしている。翔助……いや、巡も笑顔で会話していて、私1人だけがどこか気まずそうな顔をしているという状況になってしまった。


 そこまで遠くはない距離なのに、1時間くらいかかったように思えた。

 ようやく校門まで辿り着き、「入学式」という立て看板の前で写真を撮ろうという話になる。

 母は父との約束通り、まず私1人で立っている写真を撮った。


「はい、並んで並んで!」


 その次に、なんと私と巡の写真を撮ろうと、彼の背中を押して私の隣に立たせてきた。

 平然とピースする巡。急に引き攣った笑顔になる私。でも、「桃花もっと笑って!」とは言われなかったので側から見たら大丈夫だったのかもしれない。


 写真を撮り終え、校門付近に長机を設置して配布されているクラス名簿を受け取る。新入生はこれを見て、体育館に向かったら自分のクラスのスペースの席に座るようにとのことだった。そして入学式が行われるようである。


 貰った名簿を見ると、同じ中学校に行っていた人たちの見慣れた名前が並んでいる。

 その中に玉置という文字もある。特段珍しいわけではないはずだが、その苗字を持つ同級生は1人しか知らなかった。

 しかし、それが知らない人になってしまった。私は、玉置巡という人物を知らない。その玉置という苗字を持つ同級生は、玉置翔助のことだ。


「巡くんも一緒なのね! 明華ちゃんとか心春ちゃんも一緒だし……良かったねぇ」

「う、うん」

「僕も良かった、知ってる人がたくさんいて」


 知ってる人。

 多分、田宮くんや明華、心春は君のことを知っている。

 でも、私はわからない。

 言いようのない不安が体の中を這いずっている。

 怖い。怖い…………。



 

 ——……怖い。


 2ヶ月ほど経つと、どうして彼は巡になったのかという疑問は頭の片隅に残りはしているものの、その名前で呼ぶことや彼と過ごすことに対して慣れてしまい、普通に生活出来るようになってしまった。


 自分が怖い。

 周りの皆のように、「彼は元々巡である」という認識を刷り込まれかけているようで。

 多分、「翔助」のことを知っているのは私しかいない。

 だから私が忘れたら、彼はこの世からいなくなってしまいそうで。それが怖い。


 恐怖、疑問と共存しながらも高校3年生まで普通に生活出来てしまっていた。

 本当に偶然なのかはわからないが、巡とは1年生からずっとクラスが一緒だ。そして心春と明華とも、田宮くんとも同じ。心春たちとは部活も一緒で、長い時間を共にしていた。


 18歳の誕生日を迎え、学校でも家でもお祝いしてもらった。

 明華からは可愛いスマートフォンケース、心春からはハンドタオルとバスセットのギフトを貰った。巡も「おめでとう」とお祝いしてくれた。

 家では父が慣れない手つきで作ってくれたご馳走、母が用意してくれたケーキを食べ、その後にプレゼントを貰って……。最高の夏休みのスタートだ、なんて思っていた。


 

 ……。

 …………。



「桃花〜! 遅刻しちゃうよー?」


 遠くで母が呼ぶ声がする。遅刻って、今日から夏休みなのに。そう思って頭まで布団を被って二度寝しようとしたが、止め忘れたアラームのようにその言葉は繰り返される。仕方なく起きたが、


「……へっ?」


 知らない人の部屋にいるのか……?

 使っている勉強机より小さい机、椅子。そこに置かれた小さなピンクのリュックサック。開け放たれたクローゼットには子ども用の服。

 まるで、子ども部屋にいるみたいだ。

 今自分から発せられた筈の声も高く、小学生……いや、まだ小学生にもなっていないくらいの幼い子どものようだった。


 慌てて部屋を出て洗面所へ向かう。いつもより何故か遠く感じる。1歩が小さくなって進める距離が短くなったかのようだ。

 洗面所に着き鏡を見ると、たまにアルバムで見る保育園生のときの自分が映っていた。


「桃花ー? もう保育園行くよー?」


 心配して様子を見にきたのか、鏡の中に母が映る。つい「昨日」まで見ていた顔より、少しだけ若い。


「おかあさ……」


 はっきり喋ったつもりだったのに、出てきた言葉は舌足らずだ。

 ぼーっとして動かない、動けない私に母は不思議そうな顔をした。


「どうしたの? もう巡くんたち先行っちゃうってよ?」


 巡?

 どうして。だって、彼は、中学生の終わり頃にその名前になったのに。

 先程の母の言葉から、今は私は保育園生だと確信する。だから、今はまだ彼は「翔助」のはずなのに。


 ——私は、タイムリープしているようだった。


 保育園。小学校。中学校。そして、高校。

 時間が巻き戻る前と全く同じ日々を過ごした。


 いや、同じではなかった。

 あの事件……正さんが父を刺す、ということは起こらなかった。そもそも、翔助、正さん、礼子さんという人間は登場しなかったからだ。

 巡、そして名前も顔もぼんやりとしてわからない彼の「両親」がずっと私の近くにいた。

 その謎の「両親」は、私たちが高校生になったら忽然と姿を消してしまう。


 やがて、私の18歳の誕生日が訪れた。これで2回目である。

 1回目と変わらず、友人からプレゼントやお祝いの言葉を貰い、家ではご馳走やケーキを食べ……。


 そして、その翌日から始まるはずの夏休みは来なかった。

 また保育園生の頃に戻ってしまった。



 保育園生から高校3年生までの日々を、15



 何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返される自分の人生。

 酔って気持ち悪い、もう吐きそうだと訴えかけても縛りつけられて、暴走する車にそのまま乗せられているかのような。

 もういらないと言っているのに、強制的に口を開けさせられて飲食物を入れられているかのような。


 吐きたい。気持ち悪い。もう無理だ。限界だ……。

 終わらせてほしい。終わらせたい。終わらせたい。



 …………私が死んだら、全部終わるのかなぁ。



 私の人生を、終わらせたい。


 でも何度自分を殺そうとも、目が覚めたら時間が巻き戻っている。

 何度屋上から飛び降りる恐怖を味わおうとも、全て綺麗さっぱりなかったことになるのだ。


 どうしてこうなった。一体、何が原因で?


 ある日、私はその「原因」を発見する。

 本当なら父が刺される事件が起こっていたその翌日。巡がふらふらとどこかへ出かけていくのを見つけた。

 彼は私に気がつかず歩き続け、人の気配が全くしない場所に着いた。そこには寂れた神社が建っていた。


「…………ミコト様、ありがとう」


 彼はそこにいる誰かに向かってお礼を言っていた。

 遠くから見ていたので顔ははっきりと見えないが、長い銀髪に黒い着物という浮世離れした格好。この人が、“ミコト様”。


「良かったね、巡」


 良かったね……?


「これで、桃花も君も大人にならないね。『巡』という同じ時間を繰り返す名前のおかげで……」



 その言葉から、タイムリープは巡が起こしているものだと知ったのだった。

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