透明な壁

「あれ、田所さん?」


 職員室の前を通ったとき、男の子にしては高めの声が、私を呼んだ。

 顔を上げれば、柳生くんだった。

 私は軽く頭を下げる。


「どうしたの、職員室の前で」

「木津が、田中先生に今日までの課題を提出したきり、帰ってこなくて待ってるところ」

「あー……田中先生、話長いから」


 言いながら、チラッと職員室の中を覗く。

 ガタイのいい背中と、その向こうに二人、先生が見えた。

 片方は椅子に座っている田中先生。

 もう片方は、マグカップ片手に立っている中村先生だ。


「中村先生も会話に参加したみたい」

「……僕あと何時間したら帰れるんだろ」


 柳生くんは、笑いながら壁にもたれた。


「田中先生と中村先生、仲良しだからね」


 いつ木津くんが解放されるのか。

 何時間、は冗談だとして、少なくともあと五分から十分くらいは見たほうがいいに違いない。


「田所さんさ、ときどき僕たちのこと見てたよね」


 急な話題の転換に、頭が上手く追いつかなかった。


「え?」

「ベランダの件から、ときどきこっち見てるなぁってときがある」


 心臓が、ギュッと握られるような感覚がした。


「そう、かな」


 笑顔を作ろうとしたのに、強ばって、口角が中途半端にしか上がらない。

 それを言うのなら、私だって木津くんからの視線を感じることは多々あった。

 いつからだろう。

 ベランダの件の直後もだけど、遠足からは、さらに増えた気がしていた。

 好意の類ではない。

 まるで見張られているかのような視線。

 自殺しようとしたことがバレたのかもしれない。

 それにしては、言いふらされている感じがしないけれど。

 

「僕たちのこと、見張ってた?」

「……」


 肯定も否定もせず、柳生くんを見る。

 しばらく沈黙が続いたあと、柳生くんが微笑んだ。

 メガネの奥にある茶色い瞳は、笑ってはいなかったけれど。

 なんとなく慣れが見える作り笑いだった。


「言いふらさないよ、誰にも。言いふらす相手もいないし、言いふらしたところで、君が否定すればそれで済むでしょ」


 ニコニコと人好きのする笑みを浮かべながら、淡々と彼は言葉を並べていく。

 感情が読めなかった。

 それが、私と柳生くんの間にあるのであろう、透明な壁を思わせた。

 彼と木津くんとの間にはそんなもの、微塵も感じないから、きっとそういうものなのだろうと思った。


「そっか、ありがとう」


 私はそれだけ言って、その場をあとにした。

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