また、話せてよかった。

「田所さん」


 目の前まで来た柳生くんは、名前を呼んだきり、迷うように口を開いては閉じて、閉じては開いてを何度か繰り返した。


「……貧血、なっちゃっただけだよ」


 どこから見られていたのだろう。

 わからないけれど、こんなわかりやすい嘘、ばれないはずがない。

 それでも、誤魔化さないといけない。

 後悔が常識を引き連れて、わめいている。

 なんてことをしたんだ、と。

 死ぬなんて、そんなこと許されるはずがないじゃないか、と。

 体は健康で、職場でも、それ以外でも、人間関係は良好。

 きっと他の人がパッと見たときに、死ぬほどの理由なんて、私にはない。

 生きたくても生きられない人がいる。

 例えば、高校の頃の、中村先生のように。

 それなのに、望まなくても生きられるような環境にいる私が、自殺なんて、していいはずがない。


 わかっている。

 そんなことは、この感情を自覚したときからわかっているんだ。

 わかっているから、尚更死にたくてしょうがなくて、生きるのが苦しくなる。


 でも、それを言ったところで、なんの解決にもならない。

 死にたいとか、自殺しようとした、なんて言ったところで、構って欲しいからだと思われて終わる。

 それか、すごく心配させてしまう。

 私以上に私を、私の心を心配するようになってしまう。


 柳生くんは、前者ではなかった。

 少なくとも、高校の頃はそうだった。

 後者かと言えば、明確にそうとは言えないけれど、でも前者か後者かどちらかにしか当てはめてはいけないのなら、後者だ。


 だから、柳生くんに見つかる訳にはいかなかったのに。


 柳生くんは、青い顔のまま、ゆっくりと首を横に振った。

 そのまま柳生くんは、目の前で膝を抱えてうずくまってしまう。


「……僕?」

「え」

「僕が、理由の一つだったりするの?」


 やっぱり、誤魔化されてはくれなかった。

 前回のように、触れずにいる、ということもなかった。

 どうしよう。

 そうだよ、なんてうなずけるはずがない。

 だけどうまく逃げられるような言葉が、浮かばない。

 思わず黙ってしまえば、もうそれはうなずいているようなものだった。

 柳生くんの表情が悲しげに歪むのが見ていられなくて、思わず顔をそらす。


「……とりあえず、家に帰ろうか。寒いから、体冷えちゃう」


 柔らかな声。

 視界の端で柳生くんが立ち上がるのが見えて、私も足に力を入れる。

 ガードレールに寄りかかるようにしてなんとか立ち上がったときには、柳生くんは私が地面に置いてしまっていたケーキの箱を持ってこちらを見ていた。


「あ、私持つよ」

「いいよ、僕手ぶらだし」

「……ありがとう」

「どういたしまして。さ、行こ」


 こちらに背を向けて歩き始めた柳生くんのあとをついていくようにして、私も足を踏み出した。



 家は、入った瞬間に温かくて。

 包まれるようなその温度に、体から余計な力が抜けていくのを感じて、今まで体がこわばっていたことを知った。


「手、洗ってきなよ。その間にご飯温めておくからさ」


 その言葉に、待っていてくれたのだと実感して、一気に罪悪感が湧いてくる。


「ごめん」

「気にしないで大丈夫」


 柳生くんはいつもの笑みを向けつつ、テキパキと料理を温めていく。

 ただただ申し訳ない。

 手と顔を洗って戻ってきたときには、湯気を立てた料理が用意されていた。


「ありがとう」

「いーえー。ほら、冷めないうちに食べて」

「……いただきます」


 チキン、サラダ、ポタージュに、バゲット……。

 そのどれもが私のためだけに用意されていて、それが温かくて、苦しかった。

 なにを言えばいいのかも、なにか言ったほうがいいのかもわからず、ただ黙々と食事をする。

 それを、柳生くんが黙ったままじっと眺めていた。



「僕はさ」


 ケーキまで食べ終えて、ちょっと話そう、と出された紅茶を飲んでいたときだった。

 ポツッと、柳生くんが都度都度で言葉を選ぶようにゆっくりと、話し始める。


「田所さんじゃないから、田所さんが抱えているそれを、完全に理解するっていうことは、たぶんできない。ただただ、田所さんの今までの言葉と行動から、想像することしかできない」


 見捨てたいわけじゃなくて、事実としてってことだよ、と柳生くん。


「僕は、ただ、今こうしてまだ、田所さんと会話できる状態でいられてよかった、と思ってる。それがもしかしたら、田所さんには辛いことかもしれないけど」

「違う」


 思わず言葉が出てしまった。

 でも、うまく説明できなくて、ただ、違う、とまた繰り返してしまう。


「……会えなくなるのが、耐えられなかった、とか?」

「……」


 そうなのだけど、うなずいてしまうと、それはまるで、死にたくなったのは柳生くんのせいだと言っているようで、うなずけなかった。


「ぼくはさ。死にたいって思ったことがあんまりない人間だから、見当違いなことを言ってしまうかもしれないし、これまでも言ってきてるかもしれないけれど」


 柳生くんは、私がこの、死にたいという感情を抱いていると知ってから、いつだって寄り添おうとしてくれている。

 今だって、それを感じていた。


「生物ってきっと、本能的に生きようとするものだと思うから。死にたいって感情を抱えるのって、その本能を否定するわけだし、すごく大きなエネルギーなわけでしょ、きっと。それをさらに抑え込もうとするわけだから、体力も、精神力も、そのエネルギーを上回る量を使うんだと思う」


 だからさ、と続ける柳生くんの瞳は、優しい。


「すごく、頑張ったよ、田所さん。って言うと、なに様だって感じだけど。でも、本当に。お疲れ様」


 長々とごめんね、と笑う柳生くんに、つられるようにして私も笑う。


「ありがとう。……心配と、迷惑かけて、本当にごめん」

「心配はしたけど、迷惑とは思ってないよ」


 お風呂、入れておくから準備してきなよ、という柳生くんの言葉に甘えて、自分の部屋に入る。

 ついでに明日の支度もしておこうと思って鞄を開くと、中から綺麗にラッピングされた箱が出てきた。

 柳生くんへのプレゼントだ。

 今渡していいものか、と悩んだけれども、悩むなら渡した方がいいと思い、プレゼントを手に、私は部屋を出た。


 お風呂場にはもう既に姿がなかったので、柳生くんの部屋のドアをノックする。

 中から返事が聞こえて、柳生くんが出てきた。


「どうしたの」

「……クリスマスプレゼント。渡したくて」


 はい、と渡せば、柳生くんは目を丸く開いたのち、嬉しそうに細めた。


「ありがとう、嬉しい。開けていい?」

「どうぞ」


 贈ったのは、コーヒーのアソートセットだった。


「なんか、懐かしい。初めてもらったのも、コーヒーだったよね」

「覚えてくれてたんだ。そう、それを思い出したから、コーヒーにしようと思ったんだ」

「あ、待って。僕も渡すものある」


 一度ドアが閉まり、また開いたときには、柳生くんは綺麗に包まれたクッキーを手に持っていた。


「美味しそう」

「よかった。僕と木津で作ったんだ。よかったら食べて」

「もちろん。大切に食べるね」


 微笑めば、柳生くんも微笑み返してくれる。

 その笑みを忘れないようにいられますようにと、私は静かに祈った。

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