13.自覚

「あ、田所さん」


 柳生の声に顔を上げる。

 ちょうど田所が隣の教室から出てくるところだった。

 田所はこちらを見ると、にっこりと微笑んできた。


「柳生くん、木津くん。なんだか久しぶりだね」


 柔らかな声。

 聞き慣れていたものだったはずなのに、久しぶりに聞いたからか、それとも己の気持ちを自覚してからまだ数日しか経っていないからか。

 心臓が暴れ始めて、表情に出ていないか気が気じゃない。


「日直か?」

「うーん、代わりかな。日直の子、塾の関係ではやく帰らないといけないらしくて」


 大変だよね、と言う田所の声は優しい。


「私も頑張らないと。模試もちょっとまだ不安の残る結果だったし」

「田所は大丈夫だろ」

「そうかな?」

「そーそー、田所さんは多分大丈夫。問題はまだ時間があるって言ってのんびりやってる木津のほう」


 うちのクラスの鍵のチェーンを指に引っ掛けて、柳生は器用にクルクルと回している。


「授業と宿題やってればだいたい覚えてるだろ」

「人の写しといてよく言うよ……って言いたいけど、実際なんでか木津は点数取れるんだもんな」

「褒めてもなにも出ないぞ」

「褒めてないですー」

「ふふ」


 俺たちのやり取りに、田所の控えめな笑い声が入る。

 それだけなのに、それだけのことがただただ嬉しい。


「行事一覧、ほとんど受験関係で、なんか中三の頃思い出した」

「わかる」


 柳生の言葉にうなずいたとき。

 一瞬、田所の表情が強ばったのが見えた。


「田所?」

「ん? なに?」


 だけど、すぐに田所はいつもの笑みを浮かべていた。

 見間違い、だったのかもしれない。


「懐かしいな、中学。でも、高校受験も大変だったけど、大学受験はもっと大変だろうし、頑張らないと」


 まるで自分に言い聞かせるように、田所が言う。


「無理、するなよ」

「しないよ。でもありがとう、木津くん」

「……」

「木津くん?」

「いや、なんでもない、帰ろう」

「あ、ごめん。私このあと自習室寄ってく。赤本置いてあるから」


 誤魔化すように言えば、申し訳なさそうに田所がこちらを見上げてくる。


「そうなんだ、どうする、柳生」

「自習室、行こうよ。勉強しといて損することはないだろうし」


 ヘラッとした笑みを浮かべつつ、目にはからかいの色が見え隠れしている。

 こいつ……。


「じゃあ、行こうか。はやめに行かないと、場所、埋まってるかもだし」


 思わず柳生を睨みつけた俺に、田所は一度首を傾げたが、なにも訊かずにそう言って歩き出した。

 俺達も、そのあとを追う。

 今日は、幽霊の気配はなかった。

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