8.蝉と言葉
ペンケースの中に隠し入れた携帯が、光る。
夏期講習が終わる時間だし、おそらく田所からのメールだろう。
俺が内容を確認するよりも前に、隣に座っていた柳生が、課題を仕舞い始めたので間違いない。
目の前の真っ白なノートを閉じて、俺も支度を始めた。
「なんか、いつも待っててくれてごめんね」
自習室をあとにして、下駄箱まで降りれば、田所がいた。
「別に、俺たちが勝手に待ってるだけだ」
「そうそう。それに、田所さんが講習受けてる間に、課題進めてるし。時間の有効活用ってやつだから」
サラサラと口から言葉が出ていく柳生に、内心感心する。
俺ではなかなかそうはいかない。
「そうかな。そうだといいな」
田所が柔らかく微笑む。
クラスでのそれとはまた違う微笑みに、少しは距離が縮まっているのだろう、と心のどこかで安心する。
田所の周りにいる幽霊が、どんな思惑でそこにいるのか。
俺にはわからないし、万が一教えてもらえたとして、それが田所をあの世へ連れていくためだとしても、俺にはその幽霊を祓うことはできない。
なにも出来ない。
だったらまだ、知らないほうが、マシだった。
靴を履き替えて、昇降口を出る。
瞬間、蝉の大合唱と強い日差しに出迎えられた。
「蝉ってなんであんな、元気なんだろうな。こんなに暑いのに」
「あと一週間しか生きられないからじゃない? たぶん木津も、同じくらいしか生きられないってなったらああなるかもよ?」
「耳元で泣き叫んでやるよ」
「うわぁ、熱烈」
柳生と軽口の応酬をしていたら、横から柔らかく笑う小さな声が聞こえた。
そちらを向けば、口に軽く手を当てて田所が笑っている。
こいつでも、小さくはあるけれど、声を出して笑うんだな。
そんな、妙な感動と同時に、ここのところ感じる頻度の高い胸の詰まりを、また感じた。
「ああ、ごめん。二人とも仲がいいんだなって思ったら、笑っちゃって」
田所は俺の視線を、本来の理由とは違うものとして受け取ったらしい。
だからと言って訂正する気はない。
訂正しようにも、この感覚がなんなのか、まだ上手く言葉に出来ないからだ。
「そんな仲良く見えるか?」
「見えるよ、いつも一緒だし。二人って、いつからの付き合いなの? 幼なじみとか?」
「んー、中一からずっと同じクラスだった。けど、別に僕たち、そのときはまったく話さなかったよ」
ね、と柳生に同意を求められ、俺はうなずく。
田所は目を丸くして、へぇ、と声を漏らす。
「そうなんだ、意外」
「そ?」
「うん」
柳生の言葉に、田所が力強くうなずく。
それがなんだか小動物を見ているようで、微笑ましくなった。
「まあ、昨年は他に話し相手がいなかったしな」
「確かに」
「そうなの?」
「……自分で言うのもなんだが、俺たち、あまり話しやすいタイプに見えないだろ」
「あー……」
そもそもとして、気が合うから柳生とは話しているだけで、俺も柳生も、暇があれば口を動かす、というタイプではない。
二人でいる時間は多いが、一人でいたいときはそれぞれ別行動をしている。
俺の言葉に、田所は言葉を探すように目をさまよわせる。
その姿を、柳生はじっと観察していた。
「話してみると、意外と話しやすい人たちなんだな、とは思ったかな」
「つまりはやっぱり、そうなんだ?」
「……まぁ、言葉を選ばなければ」
そう言って、田所は申し訳なさそうに目を伏せる。
「選ばなくていいよ、別に、言葉なんて。面倒でしょ?」
「そんなことはないよ! だって、ちゃんと選ばないと、変に誤解されて傷つけたくないし」
「そう、優しいんだ、田所さんは」
「……」
「柳生」
流石に言い方が悪いと、止めに入る。
柳生は、わかっていると言いたげな視線を投げて寄越した。
「ごめん」
「ううん、私こそごめん」
視線を感じる。
すぐそこにいる。
田所としてはすぐに帰りたいだろうし、柳生だって居づらいだろう。
バス停はすぐそこだ。
だけど、今ここで帰すのは、不安だった。
なにか話題はないかとあたりを見回す。
電信柱に、貼り紙があった。
「夏祭り……」
「なに? 木津行きたいの?」
「いや……あれ、でも、八月三日って、なんかあったよな」
なんだっけ、と考える俺に、柳生がなにかポツリとつぶやく。
「なんだ?」
「僕の誕生日だよ」
普段なら、酷い、忘れるなんて、なんてふざけた言い方をするだろうに。
一応、先程のことに罪悪感を抱いてはいるようで、そちらにスイッチが入らなかったようだ。
「そうなんだ」
「なら、その日に夏祭り、行くか」
「好き好んで人混みに混ざりたくないんだけどー」
「集合場所、どうする?」
「き、木津くん、柳生くんむくれてるよ」
「決定事項かよー」
多少強引ではあるけれど、貼り紙のおかげでなんとかそのまま帰すことにはならなかった。
話が終わり、別れる頃には、影も気配も消えていた。
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