5.幽霊がいる意味

「田所さんって、幽霊とか好き?」

「……え?」


 柳生の唐突な質問に、戸締りの確認をしていた田所の動きが止まる。

 田所は笑みを浮かべてはいるものの、柳生を通り越して俺に向いた目は助けを求めていた。

 俺は思わず、頭を抱えてうなる。


 遠足の日以来、時々、田所のそばで幽霊を見かけることがあった。

 一人でいるときだけではなく、友人たちに囲まれているときも。

 幽霊たちはそろって彼女を見守るように見つめては、なにをするでもなくそばにいたり、消えていったりする。

 その行動の意図がわからない。

 田所自身には、見ている限りなにも変化はなく、いつものようにクラスメイトの中で笑っていた。

 もしかしたら俺が気づいていなかっただけで、今までもそうだったのかもしれない。


 それを今日、柳生に言ったのだ。

 昼休みに、わざわざ教室から離れた別棟にある空き教室に呼び出して。


「それって、よくあることなの?」

「いや、そんなことは無いな」

「じゃあ、一度でもそういう光景を見たことは?」

「無い……いや」


 一度だけ、あった。

 田所みたいに不特定多数の幽霊に見守られる、というものでは無いけれど、近いものが。


「幼い頃に俺は、母方の祖父母が亡くしているんだけどな」

「……うん」

「そのときのことなんだが……。先に亡くなった祖父が、よく祖母のそばにいたんだ」


 祖父は、俺に見えていることに気づくと、生前と同じ、優しい笑みを浮かべて言った。

 おじいちゃんが見えていることは、誰にも言ってはいけないよ、と。

 その言葉にうなずいたのは、自分はどうやら、他の人には見えない人が見えるらしいことと、それを言うと気味悪がられてしまうことを、知っていたからだった。


「祖母はその頃、次は私かね、なんて言って笑ってたんだ。そして実際、それから一年も経たずに亡くなった」

「つまり……死に近い人に、幽霊は寄ってくるってこと?」

「恐らくは……」


 二人して黙ってしまう。

 当たり前だ。

 クラスメイトの死が近いかも、なんて、考えたくもない。

 柳生は腕を組んで、解決策を探すように天井を見上げていた。

 と思えば、なにかを閃いたような表情になって、俺を見る。


「よし!」

「あ?」

「しばらく、田所さんのそばにいよう」

「ああ、なるほど」


 確かに、極力そばにいれば、なにかあってもこの間のように助けられるかもしれない。

 とはいえ、俺たちと田所さんはただのクラスメイトに過ぎない。

 数える程しか話したことはないし、そもそもとして、異性なのだから、同性と比べるとそばにいられる場所も限られてくる。


「どうやってそばにいるつもりだ?」

「それはもう、木津に頑張って口説いてもらって」

「一番無理だろ」

「違いないや」

「おい」


 柳生が、ケラケラと笑う。


「流石に冗談。まあ、普通に考えて、ただただ尾行するのが確実ではあると思うんだけど、高確率でお縄だよね」

「当たり前だろ、気持ち悪ぃ」

「だね、自分で言っててないな、と思った。だからあとは、時間がかかるし、確実とは言えないけれども、ちょっとずつ親しくなっていくところから、かなぁ」

「まともだな」

「でしょ? じゃあ、木津、頑張ってね」

「は?」


 冗談かと思って柳生を見たら、さも当然、という表情をしていた。


「本気か?」

「もちろん」

「俺がどれだけそういうのが苦手なのか、お前が一番わかっていると思っていたんだが、勘違いだったようだな」

「えー、でもジェットコースターのときは、普通に会話できてるように見えたけど?」

「あれは、少し違う」


 会話と言えば会話だが、親睦を深める類のものではなく、気遣いと遠慮の会話だったように思う。


「そうなの?」

「ああ」

「そっかー、残念。ならどうするかな」

「柳生がいけばいいだろ」

「え?」

「柳生がいけばいいだろ」

「や、大丈夫、ちゃんと一回目で聞き取れてた」

「俺なんかよりよっぽど得意だろ」


 言うと、柳生は、あー、とか、うー、とか、そういった意味をなさない音をしばらく発したのち、眉を寄せて困った表情でこちらを見上げてきた。


「それはそうだけど、ぶっちゃけどっこいどっこいだと思うよ?」

「お前、中学時代は田所と同じような感じだったろ」

「そうだけども」


 あのねえ、と柳生。


「仲良くなりたいと思って話しかけたのは、木津に対してが初めてなんだよ、僕」

「あの頃のクラスメイトたちは違うのかよ」

「……味方は多いに越したことないだろ」

「……」

「黙るなよ、僕が性格悪いみたいになるだろー」

「よくはないよな」

「お互い様。そもそも、僕は彼女のこと、あまりよく思ってないの、忘れないでよ?」

「そうだったか?」

「マジで忘れてた反応だね、それ」


 呆れたような笑いを浮かべて、柳生がため息を吐く。


「悪い」

「いいよ。悪気はないのわかってるし。友人のためだ、一肌脱ぐよ。ただ、あんまり期待はしないでね」


 そして、少しの話し合いの結果、今に至る。

 ド直球もいいところだ。


「幽霊、というよりも、怪談とかホラーみたいな、怖いのはあんまり得意じゃないかな」


 いつもの笑みをやや強張らせながらも、田所は答えてくれた。


「木津と一緒だ」

「おい」


 幽霊が見えるくせに、と思わなくもない。

 だけど、人を怖がらせるためにあらゆる知恵を使って作り上げられた創作物が、怖くないはずがないだろう。

 例えるとするならば、現実を舞台にした、猟奇的な内容の映画に対して抱く恐怖に、きっと近いはずだ。


「木津くんも苦手なんだ?」

「……得意ではないな」

「おんなじだ」


 田所が柔らかく微笑む。

 異性にそんな風に微笑まれたのは初めてだった。

 だからなのか、胸が詰まるような、そんな感覚がして、思わず固まってしまう。


「木津くん……?」


 名前を呼ばれて、ハッとする。

 田所が、キョトンとした表情でこちらを見上げていた。


「わり……」

「ううん。あ、柳生くんは、ホラーとかそういうの、好きなの?」

「好きとか嫌いとかではないけれど、楽しむことはできるかな」

「すごいね」

「そう? ただの趣味嗜好でしょ」


 柳生は笑みを浮かべているのに、どこか冷たい返答をする。

 こいつ、仲良くなる気はあるのか……?


「確かに、それはそうかも」


 対する田所はというと、変わらず微笑みを浮かべてうなずいていた。

 気づいていないのか、それともわかっていて流したのか。


 ふと気配を感じて窓を見る。

 そして俺は今度こそ固まってしまった。


 窓の外に、人がいた。

 田所を、じっと静かに見つめている。

 ここは三階だ。

 もちろん、生きている人間ではない。


「木津?」

「木津くん?」


 二人に問いかけられるが、なんと答えていいものかわからない。

 悩んでいる間に、田所は俺の視線を辿ってそいつのほうを向く。


「外に、なにかあるの?」


 見えていないのが、恐ろしいような、羨ましいような。

 ゆっくりと、そいつはこちらを向く。

 目が、合った。

 そいつは、今にも泣きそうな表情で、口を開く。


「私みたいに、ならないように、してあげて」


 窓の向こう側からの声。

 それなのに、すぐ隣で話しかけられたかのように、よく聞こえた。

 返事をする間もなく、そいつは消えていった。


「あー、いや、見間違いだった」

「そうなの?」

「ああ」


 心配そうにこちらを見上げてくる田所にうなずけば、そっか、とうなずき返してくれる。


「おい、お前ら!」


 突然聞こえた声に、三人そろってその場で飛び上がる。

 勢いよくドアを振り返れば、男性教師がそこにいた。


「な、中村先生……」


 胸を押さえて、田所が言う。

 相当驚いたらしい。

 俺もだが。


「そんなに驚くこたねぇだろ。なんか悪いことでもしてたのか?」

「してたとしても、先生に言うはずないじゃないですか」

「そらそうだ」


 柳生の言葉に、中村は快活に笑う。

 口調や仕草こそ豪快なくせに、そこから想像される姿とは違い、吹けば飛びそうなひょろ長い姿をしている教師だ。


「雑談するのもいいが、教室の外でやってくれ」

「まだ完全下校時間までにはかなりありますけど」

「吹部が使うんだってよ。いつも使ってるところ、今業者が清掃入ってるから使えないんだと」

「あー、わかりました。田所さん、日直の仕事どこまで終わってる?」

「あとは日誌を出しに行くだけかな」

「りょーかい、じゃあ出ようか」

「鍵だけもらっとく。どうせまとめて吹部に渡すからな」


 差し出された手のひらに、お願いします、と教室の鍵をかけた田所がそれを託す。

 さようならの挨拶をして、数歩。

 なにかが駆けて行ったような気がして、なんの気なしに振り向く。


 足が、止まる。


 他の教室の戸締りを確認しながら歩く中村のあとを、小さな子供たちが追いかけていた。

 なぜか全員パジャマを着ている。

 嫌な気配ではない。

 どこか温かで、穏やかな空気がそこにはあった。

 そうだ、祖母が亡くなるまでそばにいた、祖父のような、そんな空気。


 だからこそ、ゾッとした。


「先生」


 思わず、呼びかけていた。

 二人の足音が止まったのが、音でわかった。

 中村が振り返る。

 子供たちの姿は、消えてしまった。


「どうした」

「あ、えっと……」


 死なないでください?

 気をつけてください?


 突然そんなことを言われたら、不審に思われるに決まっている。

 なんだ。

 なにを言えばいいんだ。


「言うこと、忘れました」


 中村は、一瞬の間をおいて、吹き出した。


「そうか、そうか。また思い出したら明日にでも言ってくれ」

「はい」

「じゃあな、気をつけて帰れよ」


 ひらひらと手を振り、中村はこちらに背中を向けて歩いていった。



 翌日。

 中村は、亡くなった。

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