変わらないね

 僕、今一文無しなんだよね。


 まるで、今日もいい天気だね、とでも言うような調子でそう言い放った柳生くんを連れて、私は近所のファミレスに入った。

 こういうとき、二十四時間営業というのはありがたい。


「私、夕飯まだだからここで食べるけど、柳生くんはどうする? おごるよ」

「え、悪いよ」

「いいよ、一文無しなんでしょ? 連れてきたのは私だし」

「あー、じゃあ、お言葉に甘えて……とは言ってもお腹空いてないから、コーヒーお願いしようかな」

「アイス? ホット?」

「ホットで」

「わかった」


 注文を済ませて、私は改めて柳生くんに向き合う。

 柳生くんはじっと窓の外を眺めていた。


 壁にかかっている時計は、二十三時過ぎを指している。

 店内は空いていて、リラックスした服装で本を読んでいる女性と、そしてそこから少し離れたところに、ずっとパソコンを叩き続けている男性とがいるだけだ。

 そんな中、律儀に店員さんはカウンターに立って店内を見回しつつ、なにか作業をしている。


 通されたボックス席は、そのどれからも程よく離れていて、まるでガラスか何かで空間が隔てられているような、そんな心地がした。


「柳生くんは」


 少しの音でも響くような、そんな気がして、声をできるだけ抑える。

 こちらを向いた柳生くんは、先を促すように首を小さく傾げた。


「どうして、あの場所で寝ていたの?」


 カラン、と音が響く。

 びっくりしてそちらに視線を向ける。

 溶けたお冷の氷が落ちる音だった。

 水滴がついたグラスに空のソファ席が映っている。

 近くの席だろうか。


「友人の三十の誕生日を祝いに、かな」

「え」


 視線を上げれば、ニッコリと笑う柳生くんと目が合う。


 誕生日は近いと言えば近い。

 と言っても、まだあと一ヶ月あるけれど。


「誕生日、覚えてくれてたんだ。ありがとう」

「まあね」

「でも」


 得意げな顔。

 見慣れていたはずなのに、なにかが食い違っているような、そんな違和感。

 そういえば、彼を見つけたときも、あまりにも若いな、と違和感を抱いたんだっけ。


「私達、まだ二十六でしょ?」

「……え?」


 柳生くんの表情がわかりやすく固まる。

 その顔には、やってしまった、とデカデカと書かれていた。


「あのやろ……」

「え?」

「いや、なんでもない。田所さんは、僕が大学生のときに事故に遭った話って聞いてる?」

「うん、木津くんから」


 今でも思い出せる。


 夏の暑い日。

 三人の中で一人だけ進学とともに上京してきた私に、地元の大学に進学した木津くんから、電話が来たのだ。

 酷く慌てた声で、柳生くんが車にはねられた、と。


 夏の暑さにやられてボーッとしていたらしい木津くんは、車に気づかず横断歩道を渡っていた。

 彼より先に車に気がついた柳生くんが、木津くんをかばう形ではねられたのだ、と。

 即座に病院に運ばれたが、打ちどころが悪く、助かる見込みは低い、と家族に説明する医者の言葉が聞こえた、と。


 酷く憔悴しきった声に、大丈夫だよ、と言い続けることしかできなかった。

 あのときほど、二人から離れた場所にいる自分を恨んだことはない。


 だけど。


「あなたは死んでもおかしくない状態だったのに、一命を取り留め……そして、退院と同時に音信不通になった」

「音信不通って大げさだな。それも木津?」

「私も連絡したけど、存在しない番号だって言われた」

「まあ、携帯もなにも持てない状況だったからね。とはいえ、驚異的な回復力で蘇った僕だけど、その影響で時間感覚があやふやになっちゃったんだ。だからズレちゃった」

「三年も?」

「うん」


 いっそ清々しいくらいの笑みを浮かべて、柳生はうなずく。


 思い出したのは、カラオケに行ったときにいつも、今何歳だったけ、と訊いてくる柳生くんと、呆れたように答える木津くんだった。

 懐かしい。もうあれから十年近くが経ったんだ。


「……もともと自分の年齢、すぐ答えられない人だったもんね」

「酷いなあ、そうだけどさ」


 私達の間を隔てるように影が差す。

 お待たせしました、の声。

 メニュー名と共に、目の前に静かに注文したものが並べられる。

 それを終えると店員さんは、ごゆっくりお過ごしくださいませ、とお辞儀を一つして立ち去っていった。


 オムライスの向こう側に置かれたコーヒーの湯気が、ゆらゆらと揺れている。


「この八年間、どうしてたの」

「話してたらきっと、オムライス冷めちゃうよ」


 それに、と柳生くんは一口コーヒーを飲んでから言う。


「ここでするような話じゃないからさ」

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