煮て。焼けて。焦げて。

テケリ・リ

煮て。焼けて。焦げて。



「……こんなとこかな」



 誰も居なくなった調理実習室で、独り言と共にコンロの火を落とす。次の料理コンテストの課題作でもある肉の煮込み料理の試作品から、砂糖と味醂みりんの混ざって煮詰まった甘い香りが立ち上り、仕事終わりの空腹の胃を刺激してくる。



「粗熱が取れるまで片付けしちゃおう。それと業務日報も書かなきゃ……」



 私は手隙に小まめに洗い物を消化するタイプなので、シンクにはそれほど多くの食器や調理器具は残っていない。最低限の物だけを残して片付けを済ませたら、実習室の角に設置されている講師用のデスクでノートパソコンを開く。



「今日も皆は楽しそうで、輝いていましたっと……。なんて、こんな感想で良ければ日報も楽なんだけどなぁ」



 長年独りの生活が続いたせいか、思ったことを口に出してしまう癖は中々治らない。私にも恋人が居たら、独り言にしてももっと違う、なんて言うかこう……明るい言葉が出てくるんだろうけどね。



「……自分で考えてて落ち込んできた……。みんなキラキラしてて、目の毒なんだよねホント……」



 私が務めているこの調理学校は、割と若い子達に人気がある。特に高卒の、まだ成人していないような子達が料理人や栄養士を目指して入学してくるので、その年代特有の青春オーラのような物をヒシヒシと感じるのだ。


 中学高校時代の恋バナとか、現在の恋愛事情とか、合コンがどうとかうんとかかんとか……。恋人居ない歴=25年=年齢で絶賛更新中の私には、正直言って日々身体中を針で刺されているような戦いの日々だよ……!



「そろそろいいかな……?」



 煮物は冷める時に味が染み込む。先程から冷ましていた試作の煮込み料理を持ち帰り容器に移そうと、日報のファイルをローカルネットにアップロードしてからパソコンを閉じ、帰り支度を始めていく。


 荷物をまとめてから調理台へと戻って、試しに冷めた豚のバラ肉を菜箸で摘んで口に運ぶ。



「ん、美味しいっ。けどなんだろう、何かが足りないような……」



 まあいいか。味の考察は家に持ち帰ってご飯にしながら進めよう。そう思い直して密封容器の蓋を開け、お玉で煮物を移し始めた時だった。



「あれ? まだ誰か居る? つかいい匂い……って、ほのかちゃん?」



 突然聞こえた声と共に、実習室の扉が開けられた。

 ビックリして振り向いた入口に居たのは、私が受け持っているクラスの生徒の一人である青年だった。


 確か……



駒村こまむらくん? どうしたの?」



 駒村一輝こまむらかずきくん。19歳でこの学校の二回生。確か家業の料亭を継ぐために入校して勉強中なんだっけ?



「あ、いや、忘れ物したから取りに……。ほのかちゃんは何してるの?」


「はぁ……。あのね駒村くん? 一応私、キミの先生なんだけどね?」


「あ、ごめん……なさい。穂花ほのか先生」


「名前呼びかいっ」



 西条穂花さいじょうほのかが私のフルネームだ。だけどクラスの子達はこうして『ほのかちゃん』と呼んでからかってくる。

 そんなに私って子供っぽいかなぁ……? 身長だってそりゃあ彼……長身の駒村くんに比べたら子供みたいなもんだろうけど、それでも154cmって女性なら普通くらいじゃない?


 大人としての魅力が無いのだろうか……。胸だって平均くらいはあるし、スタイルは悪くはないと思うんだけどな……。



「はぁ……。まあいいわ。私はコンテストの試作をしてたの。もうそろそろ帰るから、忘れ物持ってキミも早く帰りなさいよ? 彼女とか待ってるんじゃないの?」


「へぇー。それって来月のヤツだよね? って、彼女とか居ねーし」


「あらそうなの? モテるのに意外だね……」


「……それドコ情報? つか、質問の答えは?」


「ああ、ごめんごめん。そうだよ。来月の予選の課題料理」



 ちょっと膨れた顔して可愛いかも? だけど駒村くんは実際クラスの女子達にモテてるんだし、普通に彼女居ると思ったんだけどな。

 イケメンで高身長で、料亭の跡取り息子だもん。しがない調理講師の私から言わせたらリア充の極致よ、まったく。



「へぇー! ちょっと味見してもいいか!?」


「ええ? 別にいいけど……」



 そんな少年のように目を輝かせて頼まれたら嫌とは言えないよ……。顔が良いってこういう時ズルいよね。凄い破壊力だもん。


 私は密封容器の蓋に豚バラ肉の煮込み料理を載せて、フォークと一緒に彼に渡す。

 彼は試食のそれを受け取ると……何故か食べようとせずに私をジッと見詰めてきた。


 え、これってまさか……?



「ど、どうぞ?」


「っ! いただきますっ」



 いや、お預けされてた犬かい!!


 わざわざ私の許可を待っていたらしい駒村くんは、そんなにお腹が空いていたのかと思うほどアッサリと、私なら二口に分けるくらいの量を一口で食べてしまった。



「うっま……!? ほのかちゃんコレめっちゃウメェよ!」


「そ、そうかな……?」



 また呼び方が『ほのかちゃん』に戻ってるけど、試作でまだ自信が無いとはいえ、自分の料理をこうも素直に褒められるのは悪い気はしない。それもこんなイケメンに……って、だ、だからその笑顔はズルいって!?



「マジで美味いって! 甘辛い味付けはご飯が欲しくなるし、この肉だって普通の角煮と違うよな?!」


「ああ、それは豚バラ肉のミルフィーユ角煮を試してみたのよ。ブロック肉よりも解れやすくて優しい食感になるかなって……」


「なるほどなぁ……! 確かに口溶けって感じじゃなくて、口の中で肉がバラけて……でもそのそれぞれから味がしっかり染み出してる感じだ」



 まるで欲しいオモチャを手に入れた子供みたいな笑顔を浮かべて、私の料理を評価してくれる駒村くん。

 しかしその笑顔は料理の無くなった蓋の上に視線が戻ると、途端に残念そうに曇ってしまった。



「そ、そんなにお腹空いてるの……? もう少し食べる?」


「いいのか!?」



 おおう、この表情の切り替えの早さよ……!

 本当に子供のようにコロコロと、お菓子を取り上げられたような悲しげな顔から一転して、またさっきのキラキラした笑顔を浮かべる駒村くん。


 なんだかおかしくって……私はついサービスしたくなってしまい、実習室の備品の小鉢を取り出して、そこに煮物を一杯によそってあげていた。


 だけどまあ、考えてみたらつい二年くらい前まではまだ高校生だったんだもんね。今はまだ大人になっていく途上と思えば、この無邪気さもそうおかしなものじゃないのかもね。

 授業中はこんな風なやりとりなんかしないから、いつも女子達の話題に挙がっているイケメンくんの意外な一面を新発見した気分だよ。



「どうぞ。私としてはもう一つ何かが足りないような気がするんだけどね」


「そうなのか? 俺は充分美味いと思うんだけどな……。いただきますっ」


「ふふっ。ご飯があったら良かったのにね?」


「いやマジでそれな! 丼にして食いたいわ。さすがほのかちゃん、先生なだけあるな!」


「先生って思うなら呼び方もなぁ〜」


「ああごめん、つい癖で……。ほのかちゃ……先生って若くて可愛いからさ」



 なっ!? なな何を言い出すのかなこの子はっ!? わわわわたしが、か、かわいい……ッ!? そ、それに若いって……。キミより六歳も年上なのに……?



「ま、まったく、そんな冗談言って……! 大人をからかうんじゃありませんっ」


「……? 別に冗談のつもりはなかったんだけどな」



 は、はああっ!? だ、ダメだ……、調子狂うなぁもうっ。そんなことこんな若い子に言われたこと無いから、ついつい彼の綺麗な顔立ちも相まってむず痒い気分になっちゃう……!



「お、美味しかったなら持って帰る? これだけあればお夕飯のオカズになるでしょ? あ……、だけどお家で用意されてるかも……」


「ん? いや、俺田舎から出てきて一人暮らしだから。それよりホントにいいのか!?」


「あ、ああ、そうだったね……! それじゃ夜も遅くなっちゃうし、持ってきなよっ」


「お、おう? ほのかちゃ……先生がいいなら、ありがたいし……その、ありがとな!」


「いいって。ほらもう九時になっちゃってるよっ! 未成年は早く帰んなさいっ。その代わりなんか味付けで気付いたことあったら教えてねっ」


「わ、わかったよ押すなよっ! ていうか洗い物! 俺やるから――――」


「いいのっ。ほら、私と一緒に残ってたなんてとこ見られたら誤解されちゃうよっ」


「はあ? って、ちちょ、おい!? ほのかちゃ――――」


「おやすみなさいっ」



 ……ついつい強引に扉の向こうへ押して、閉め出してしまった。ダメだぁ、顔が熱い……!


 ちょっと悪いことしたかな……なんて思いつつ、慣れない言葉で火照った頭と顔を冷ますために、空になった鍋や彼が使った小鉢などを洗い始める。


 あんなに美味しそうに食べてくれて……嬉しかったなぁ……。

 彼がつい先程使ったフォークを手に持つ。これを……駒村くんが私の料理と一緒に口の中に――――と思って見詰めてきたら急にまた、ガラッと実習室の扉が開いた。


 ビックリして慌てて振り向くと、そこに居たのはやっぱり駒村くんで……



「あ、や……、忘れ物取りに来たの忘れてて……」


「そそ、そういえばそうだったね……!? あはっ、あはは……っ!」



 そんな感じで乾いた笑いで誤魔化しつつ、洗い物を片付けながら彼を見送ったのだった。





 ◇





 その日の翌日から。放課後に私が自分の練習をしていることを知った駒村くんは、本人曰くバイトが無くて暇な日は一緒に残って私の試作料理を味見していくようになってしまった。

 わざわざ放課後まで待って貸していた容器を返しに来て、それからズルズルと私と他愛のないお喋りをして過ごして、時々料理を覗いては質問してきて、私は試食してもらってと……。


 いつの間にか私もそれが普通のことのように思い込んで、練習用の食材も二人分の量になり、持ち帰り用の密封容器も私用と駒村くん用の大きめの物の二つになっていた。

 彼の『美味い』という言葉が、『ありがとう』と言う笑顔が私の生活の一部になったような、そんなおかしな気分で――――



「――――ちゃん。……かちゃん? ほのかちゃん!」


「ふぇあ!? な、ナニかな!?」



 初めて駒村くんに試食をしてもらってから、二週間ほどが経っていた。

 講義の最後のコマで実技指導を終え、自分が使った調理器具をボーっと洗っていた私は、クラスの女の子に声を掛けられていたのに気付いて慌てて返事をする。っていうか皆して『ほのかちゃん』って……。私一応キミらよりだいぶ年上……っていうか先生なんだけどなぁ……?



「だいじょうぶー? なんかボーっとしてたよ?」


「う、うん、大丈夫だから。それよりどうしたの?」


「いや、だから〝こまやん〟今日休んでるじゃん? 模試の範囲プリントどーすんのって」


「あ、ああ〜……」



 そう。意外なほど真面目だった駒村くんが、今日は珍しく講義を欠席していたの。試作品の感想送るからって上手いこと言われて交換したL〇NEにも何も無かったし、どうしたのかなって……実は一日中そればっかり考えてたの。

 ちなみに〝こまやん〟っていうのは、クラスの皆が彼を呼ぶあだ名みたいなものだ。



「調理師の資格試験近いし……でもウチらこまやんドコ住みか知らないしさー。L〇NEも誰も知らないし」


「あー、うん、そうだね。先生車あるし、後で住所調べて届けるようにするよ。わざわざありがとね」



 やっぱり心配だよね。私も連絡先は知ってても、彼女でもないのに「学校どうしたの?」なんて送るのも躊躇ってたから、丁度いいか。

 それにしても駒村くん、相変わらずモテてるんだなー。クラスの女子達は私の言葉を聞いて、皆安心してるみたい。まあ将来有望でしかもイケメンだもんね、分かるよ。だけど誰も連絡先交換してないっていうのは、ちょっと意外だったかも……?


 そういうことで、私はその日は放課後の試作練習もしないで早々に業務を終えて、事務室で駒村くんの住所を確認して、車に乗り込んだのだった。





「ここが駒村くんのアパートか。ホントに一人暮らしだったんだね……」



 近所のコインパーキングに車を停めて徒歩で向かった先にあったのは、近代的な住宅街にひっそりと佇む築20年くらい経っていそうな、古びたアパートだった。

 雨降りには足を滑らせそうな屋根のない外付け階段を登り、二階の角の二〇一号室を目指す。鉄筋製であろう構造が、それほど高いわけでもないヒールの靴音を殊更に大きく響かせていた。


 ――――ピンポーン!


 昔ながらのインターホンの音が部屋の中に鳴り響いたのが、外に居る私にもよく分かった。

 壁薄くない? これじゃテレビとか観てたら外にダダ漏れじゃない……。


 ――――ピンポーン!


 返事も物音も聞こえないので、もう一度インターホンを鳴らす。なんか今更だけど私って、生徒とはいえ男の子の一人暮らしの部屋に来てるんだよね……!? あ、ヤバい緊張してきた……!?


 …………ていうか出てこないね……? もしかして何か用事で留守にしてるのかな?

 そういうことなら郵便受けにプリント入れてL〇NEだけ送っとこうかな。「留守のようなので模試の範囲プリント、郵便受けに入れておいたからね。ちゃんと勉強してね」……と。よし、送信っと。


 初めて異性の部屋に来た緊張感と、留守で良かったという安心感。でもそれだけでなくちょっとだけ、ほんのちょっとだけ残念な気持ちも感じながら、私はプリントをシワにならないように押し込んで、階段へと踵を返した。

 そして鉄板をヒールで鳴らして降り、パーキングに向かって歩き始めた時だった。やっぱり壁が薄いのであろうアパートから、何だかドタバタという音が聞こえてきた――――



「ほのかちゃん!?」



 ――――え??


 ガチャッと勢いよく戸の開く音が聞こえたかと思うと、突然そんな大声が辺りに響いた。

 驚いて声に振り返るとそこには……赤い顔で厚着をした駒村くんが、息を切らしながら二階のアプローチから私を見ていたんだ。





「もうっ。風邪ならそうL〇NEででも言ってくれれば良かったのに……」


「いや、ごめん……。なんか心配しろみたいに催促してるって思われたくなくてさ。それ違うよなって思って」



 呆れた。

 辛そうに息を切らしている駒村くんを部屋に押し戻して、私は彼を休ませた。念のため熱を測らせてみたら……38.5℃とかさ……!



「病院は?」


「行ってねぇ。金、余裕なくて」


「ええ!? それじゃお薬は!? ご飯は!?」


「昨日の夜のバイトの賄いから食ってない……。いいよ、食欲ねぇし。寝れば治るから」



 この子は……! こんな高熱出しといて、たった独りでなに強がってるの……!?



「バカっ!! もう良いから寝てて! 台所と食材借りるよ!!」


「は!?」


「『は!?』じゃないっ!! 頼る人が居ないなら先生にくらい相談しなさい!! その様子だとご両親にも言ってないんでしょ!?」


「う……っ!」


「『う……』でもないっての……! 何のためにL〇NE交換したのよ……!? ああ、もういい! 寝る前に着替えしちゃいなさい! 汗拭きたかったらお水持ってくるから! あ、換気するから窓開けるからね!」



 腹が立って、居ても立ってもいられなくて、私は怒鳴るように捲し立て、駒村くんに着替えて休むよう促した。

 さすがに着替えを見ている訳にはいかないので、私はそそくさと台所へと移動する。まずは冷蔵庫の確認からだね。



「……って、何も無いじゃないのよ……!? まさか、バイトの賄いだけで誤魔化してるんじゃないでしょうね……!?」



 熱も無いのに、私まで頭痛や目眩を感じそうだ。あまりの状態に少しの間呆然としてしまったけど、このままではいけないと頭を振って、駒村くんの居る寝室へと突撃する。あ、お水とタオルも……、それから飲み物……ええいっ!



「駒村くん! 私買い物行ってくるから! 部屋の鍵閉めてくから貸してちょうだい! あとこれ、お水とタオルで体拭いて! それからこれ私のスポドリだけどあげるから飲んで!」


「え、ちょ……ほのかちゃん?! そんなワリィよ!?」


「悪くないし聞きたくない! さっさと部屋の鍵出しなさい!!」


「ええぇ……」



 何故か駒村くんは引き気味だけど、コッチはそれどころじゃないの! ほら早くっ!


 私は恐る恐る差し出す駒村くんの手からひったくるように鍵を奪って、自分の鞄を持って部屋から駆け出した。あ、ちゃんと鍵閉めてかなきゃ!



「ホントにもう! 心配してる人の身にもなりなさいよ……!」



 カンカンと鳴る鉄板で出来た階段の音を置き去りにするつもりで、私はコインパーキングまで走って行った。





 ◇





 スーパーで食材を買い込み、ドラッグストアで風邪薬と冷〇ピタと汗拭きシート、スポドリとお茶をカゴに入れて、あとは何か必要な物は無いか考えていた時だった。


 ――――ピコン♪


 L〇NEのメッセージ受信音が鳴ったので、もしやと思いスマホを開くと、案の定それは駒村くんからのメッセージだった。



『ホントにごめん。ありがとう先生。今どこ? 大丈夫?』



 あれから少しは眠れたのかな? ふふっ、また家に行くからお礼なんてその時でもいいのに。あ、そうだ。



『大丈夫だよ。スーパーで買い物終わって今はドラッグストアだよ。何か欲しい物ある? 着替えとか足りてる?』



 送信っと。


 ちょうどいいから必要な物も聞いてしまおうと、私はすぐに返事を返した。

 あ、でも着替えとか聞いちゃって大丈夫だったかな!? 下着とか言われちゃったらどうしよう!? 女の子ならともかく、男の子の下着なんて分かんないし、そ、そもそもイヤラシイとかって思われないかな!?


 ――――ピコン♪


 あ、返事早い……! ど、どうしよう!? ぱ、パンツ欲しいとか言われちゃったら……!?



『着替えはまだあるから大丈夫。ってか二軒も行ってるの!? ホントごめん……! 金はちゃんと返すから!』



 よ、よかったぁ……!! パンツって言われなくてよかったぁ!! って、なにまた謝ってんのよこの子は……! まったく!



『そんなのいいから! 一応私これでも社会人なんだからね!? 気にしてないでちゃんと元気になりなさい! ほら、何か欲しい物無いの!? 食べ物でも何でもいいから!!』



 送信っ! ホントにもう、病人が遠慮とかお金の心配なんてしてるんじゃないわよ……!


 腕に買い物カゴを掛けて、スマホを片手に薬局内をウロウロ物色して回る。

 そういえば、簡単に用意できるレトルト系の食材も買っておいた方がいいかな? あれだけの高熱だし、私が帰ってから自炊できるかも分かんないし……。


 レトルトのカレールーを二、三種類と、温めるだけのお粥やおじや、それから缶詰の簡単なオカズと、レンジもあったからチンするご飯も買っておこう。


 そうしてカゴがそれなりに重たくなってきた頃に、片手で持っていたスマホが振動した。


 ――――ピコン♪



『……アイス食べたい』



 はっ!? え! ちょっと待って……!?

 なにこの子急に素直になって可愛いんですけど!? しかも欲しい物聞いたらアイスって!? あ、私今絶対顔ニヤケちゃってるよもう……っ!!



『分かった! 好きな味教えて!』



 ハイ送信ーッ!!

 爆速で返事を返してアイスコーナーへと競歩で進む私。一個と言わず三個、いや五個は買ってあげよう! あ、ついでに私の好きなアイスも買って一緒に食べたりなんか――――


 ――――ピコン♪



『イチゴ。……誰にも言うなよ!?』



 ハイかわいいぃぃぃッ!!! もう先生いっぱい買ってあげちゃうから!! そっかぁイチゴが好きなんだ駒村くんってば……ふふっ♪


 私は迷うことなくお高いハーゲン〇ッツのイチゴ味を三つと、飽きないようにバニラとチョコを一つずつ、そして自分用にもイチゴ味を一つカゴに放り込んで、レジへと颯爽と向かったのだった。


 あ、お返事返さなきゃ!



『お会計して今から帰るね! ちゃんといい子で寝てなさいよ!? ……イチゴ好きなんだね……?』



 私はなんだかとても尊い気分になりながら、レジの店員さんへとクレジットカードを差し出したのだった。





「……それで? キミは一体何をしてるのかな?」


「あ、や、脱いだ洗濯物だけでも洗おうと思って……」


「私、寝てなさいって言ったよね??」


「うっ……。い、いやでも、さすがに散らかりすぎだし……」


「言 っ た よ ね ???」


「……ごめんなさい」



 ホントにまったくもうッ!!! どうして高熱が出て辛いのにそういう無茶するかなぁっ!?


 再び車をパーキングに停め、荷物の重さなど気にもせずに軽快に階段を駆け上がって鍵を開け部屋の中に入ったら……駒村くんが赤い顔をして洗濯機の前に立っていた。


 いやもうこの子はホントに……! 風邪引きの病人が恥ずかしがってる場合かってのよ!!



「ほら、さっさと寝室に戻る! 布団に入って!」



 私は渋る彼の背中を押して寝室へと放り込み、布団を掛けてやる。まったく無理して……また熱上がってるんじゃないの!? 出る前より顔赤い気がするんだけど!?



「とりあえず何か食べてお薬飲まなきゃ。お粥なら食べられる? 無理そう?」


「ん……まだちょっと無理そう」


「それじゃアイス食べよう。体の中から熱を下げられるし、アイスなら軽いから大丈夫でしょ?」


「……うん」



 怒られて落ち込むくらいなら最初から大人しくしときなさいよ、ホントにもうっ。

 私は呆れ半分、微笑ましさ半分で台所に戻り、買ってきた食材類を冷蔵庫や棚に仕舞っていく。それと同時にアイスも食べる二つだけ(もちろん二つともイチゴ味だ)フタを開けて、添え付けてくれたスプーンも袋から出す。



「駒村くん、コップ借りるよー」



 一応断ってから食器カゴの中のコップを取り出して、買ってきたスポドリを注いで準備完了だ。

 お盆は無いようだったので、お行儀悪いけどスプーンをアイスに突き刺して片手に二つ持ち、もう片方でスポドリのコップを持って寝室へと入る。



「はい、駒村くん。リクエストの通り、イチゴアイスだよ」


「ありがと……って、ダッ〇じゃん!? なんでわざわざこんな高いのを……!?」


「いいの、私もちょうど食べたかったんだし。ほら、お揃いだよっ♪」



 有無を言わせずアイスを押し付けて、私は倒さないようにコップを離して置いてから、布団の横に座り込む。

 さあ食べようと思ったんだけど、何故か駒村くんは中々食べようとしない。



「はぁ……。遠慮しないで、どうぞ」


「っ! い、いただきます……」



 ホントになんなんだろうね、この子。食べたいって言うくせに、こちらが許可しないと絶対に手を付けないの。そういうご両親の教育だったのかな?



「美味しい?」


「うん……美味しい……。ダッ〇なんて一年以上ぶりだ」


「そう、良かった。まだ冷凍庫にイチゴ味が二つと、バニラとチョコが一つずつ入ってるから、熱で辛い時とか、オヤツにでも食べてね」


「……なんで、そんなに俺に良くしてくれるんだ……?」



 なんで……なんでねぇ……? どうしてだろう?



「私にもよく分かんないよ。ただ駒村くんは私の生徒だし、試作料理も味見してくれるし、美味しいって言ってくれるし……なんでだろ、ほっとけなくなっちゃった」


「なんだよそれ……。ほのかちゃん……先生ってさ、若くて可愛いって思ってたけど……」



 うん? 何よいったい? 思ってたけど……?



「若くて、可愛くて……カッコイイんだな」


「はあ?? な、なによそれ?」


「わかんね。そう思っただけだよ」



 ヤバい。ヤバいヤバいヤバい……!? なんなのその、はにかんだ笑顔は!? かわ、かわいいぃぃ……!!

 待って!? どーしよ、顔見ていられない……!? ていうか今絶対私顔赤くなってるから!! そんなイケメンで可愛い笑顔で見ないでぇ!?



「なあ、先生……。俺さ、先生と……ほのかちゃんと付き合いたい」


「ふえぇッ!!??」



 な、何言ってんの何言っちゃってんのこの子は!? この子は!!?? え、だって私は先生で駒村くんは生徒で、私は六歳も年上だしキミはまだ学生で……え? はあっ!!??



「俺……さ、付き合ってた元カノとかに何度も振られててさ。『思ってたイメージと違う』って。そっちから勝手に好きになってきといて、俺なりに大切にしてたのに、一方的にさ。だから正直、女って怖かったんだ」


「駒村くん……?」



 きっと体と一緒に、心も弱っていたんだろうな。普段は明るくて真面目に勉強している彼からは、いつも女子達の憧れの的の彼からは想像もできないような辛い過去を、まるでもう独りは嫌だとでも言うように、ポツリポツリと話し始めた。



「でも……ほのかちゃんはさ、俺のこと顔だけで判断しないし、図々しい俺に嫌な顔しないで試食させてくれたし、色々教えてくれて……。心配もしてくれたし、怒ってもくれた」


「それは……そんなこと当たり前じゃない」



 そんなことない。私だって女だもん、キミの綺麗な顔にはいつもドキドキしてたよ。その綺麗な顔で『食べたい』って言ってくれて、可愛い笑顔で『美味しい』って、『ありがとう』って言ってくれて……。落ち込んだ顔で『ごめんなさい』って言われて……。


 キミと話すようになってから、私はずっとドキドキしっぱなしだったんだよ……?



「俺さ、先生のことが……、ほのかちゃんが、穂花が好きだ。俺の恋人になってほしい」



 その顔の赤さは、熱のせい? それとも勇気を出してくれてるのかな……? すごく熱そうで、触れたら火傷しちゃいそう。

 真剣な顔で、だけど少し充血した潤んだ瞳でじっと私を見詰める駒村くん。私はドキドキし過ぎて胸が張り裂けそうで、混乱して……



「私……キミの先生なんだよ?」


「先生なだけじゃ嫌だ」


「き、キミはご実家の料亭を継ぐんでしょ……?」


「その時はお嫁に来てほしい。一緒に料理して過ごしたい」



 まっすぐに見詰め合って、お互いに顔を熱くして。

 まるで彼の熱を伝染うつされたみたいに熱くて、胸が焼けて焦げてしまいそうで。


 気付けば私は、彼の熱い胸に抱きしめられていた。彼の胸も本当に熱くて、そして心臓の音が……すごく早くて……。

 釣られて私もさらに鼓動が早くなって、まるで心臓が競走しているみたいだ。



「私……駒村くんより六個も年上なんだよ……?」


「一輝って呼んでほしい。俺も穂花って呼びたい」


「もうさっき呼んだじゃん……」


「これからもずっとだよ」


「うん……。分かった、一輝……」



 焼けて焦げちゃいそうな熱い胸に抱かれて……そんな時なのに私は、一輝のために買ったアイスが溶けちゃうなって、そんな心配をしてたんだ……。





―――――――――――――――――――――――






「でもさ一輝、ホントに私でいいの?」


「ん? なんだよ急に?」



 あの告白から数時間経って、一輝の熱も薬が効いたのか微熱くらいに落ち着いてきた。

 私は寝室で布団にくるまっている一輝に見られながら、彼の部屋の台所でご飯の支度をしていた。


 作っているのは、何度も彼に試食してもらったあのミルフィーユ角煮だ。聞けばやっぱりバイトの賄いが主な食事で、家では納豆ご飯や卵かけご飯ばかりで過ごしていたそうで、私は少しでも栄養を摂らせなきゃって思って、張り切って作っていた。

 このままじゃ風邪引きの彼には重くても、塩なしのお粥に崩して混ぜてあげればそれだけで味付けになるし、重さも気にならないはずだもん。


 それに、一輝の試食のおかげでやっと思い通りの味になったこの角煮を食べてもらいたいし、それだけじゃなく私にとってこの角煮は、一輝と引き合わせてくれた運命のひと品だったりもするし……。



「さっきも言ったけど、私六個も年上なんだよ? 気にならないの?」



 私が一番気にしていることを、思い切って訊ねてみる。

 今はまだいいかもだけど、私ってば25で既にアラサーだし。


 あれ……? 考えてたら悲しくなってきちゃった……!



「全然気になんない」


「ウソだぁー。だって私25歳だよ?」


「知ってる。そうそう、初めて聞いた時はビビったよなぁー」


「ふぇ?」



 既に火を落として味を染みさせる段階に入ったし、お粥もイイ感じに出来ているので、コンロから寝室の一輝に振り返って、何に驚いたのか首を傾げると、一輝は。



「言ったろ、穂花は若くて可愛いって。俺普通にタメか、行っても一個か二個上くらいだと思ってた」


「は、はぁーっ!?」


「下手したら年下に見えるよ」


「な、なにいって……!? 何言ってるのこの子は!?」



 ば、バカにしてるぅ!! ぜっっったいにバカにしてるでしょおッ!?

 もー怒った! そんなこと言うなら私にだって考えがあるんだからね!?



「明日学校でイチゴアイス食べようかなー」


「はっ!? ちょ、待て!? ウソ! ごめんっ!」


「意地悪な一輝も好きなんだよって、クラスの女子達にバラしちゃおっかなー?」


「マジで、マジでカンベン!! ごめんなさい! バラさないでください穂花先生!!」


「どぉーしよっかなぁー?」



 ふふっ。ウソだよ一輝。

 それは私だけが知ってる、一輝の秘密だもん。絶対に皆には内緒に決まってるじゃない。


 そうとは知らずに、布団から這い出してくる一輝を笑いながらまた押し込んで、お椀によそったミルフィーユ角煮を混ぜ込んだお粥を食べさせる。



「あーんしてほしい?」


「……ほしい」



 ああ、ダメだ……!

 一輝ってばやっぱりかわいい……!!


 私の胸はまた焼けそうなほど熱くなり、角煮のお粥を食べたわけじゃないのに、ポカポカして幸せだった。




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