包丁

 就職を機に、一人暮らしを始めた。

 地元の大学を卒業するまでは、両親に兄と弟と妹がそれぞれ一人ずつ。途中兄が大学入学を機に家を出たとはいえ、それでも五名で一つ屋根の下生活をしていた。

 それがいきなり、一人切り。

 下に二人チビがいたから、両親を手伝い家事は一通りこなせるようになっていたから、料理や洗濯などは全然苦にならなかったけれど、最初は静かすぎて、落ち着かないくらいだった。

 大学へは、バスで20分程。バス停は、アパートから徒歩3分。そして、大学からアパートまで、歩けば大体1時間。

 入学当初はバスで通学をしていたが、今は自転車で通学をしている。

 というのも、安くておいしいと評判の学生でいつもにぎわっている居酒屋が、アルバイトを募集していると聞き、応募して採用されたからだ。

 その居酒屋は、ランチタイムから夜中まで営業している。

 シフトで最終のバスに間に合わなくなり、何度か歩いて帰った事もある。

 何度目か深夜に歩いて帰った翌日。

「俺が学生の時から使ってた古い自転車だけど、使うか?」

 そういって、材料が足りない時に乗り回していた、裏口に止めてある古い自転車を譲ってくれた。

 一度は断ったものの、新しい自転車を買ったから気にするなと言われ、店長の言葉に甘えることにした。


 最初はホールを担当し、出来上がった料理や飲み物を運んだり、空いた食器を下げたり、注文を受けたりしていた。手が足りない時に、厨房の手伝いで食器を洗ったり、簡単な調理を手伝ったりしてからは、もっぱら厨房に入ることが多くなった。

 もともと料理は好きだったし、厨房に入るようになってからはレパートリーが増えたこともあり、アパートのキッチンも調味料や調理器具が、引っ越してきた当初に比べずいぶんと充実した。

 一人暮らしをするからと、新しく買い求めたものが多い中、包丁と玉子焼き器と小さな両手鍋は家から持ってきた。

 包丁は生まれて初めて持った時からずっと使っている、ステンレスの三徳包丁。

 両手鍋は、初めて袋入りのインスタントラーメンを作ったもの。

 玉子焼き器は、弟や妹、両親に兄のお弁当に入れる卵焼きを焼いていたもの。

 どれも思い入れがあって、どうしてもと両親に頼んで荷物に入れた。

 両手鍋と玉子焼き器はほとんど専用のようにして使っていたから何の問題もなかったけれど、包丁だけはちょっとだけ、渋い顔をされた。

 アパートの小さなキッチン。流しについている包丁刺しに、今ではその三徳包丁とあったら便利だと思った小さめの出刃包丁と、居酒屋で使わせてもらって使いやすかった小さなペティナイフが並んでいる。

 この、新しく購入した出刃包丁とペティナイフが、時々見当たらない時がある。

 ちょっと古いアパートは、家賃のわりに部屋が広い。

 必然的に、大学の友人が部屋に遊びに来ることが多くなって。おまけに料理が得意とくれば、必然的に宅飲みの会場にもなる。

 もちろん、材料費も酒代も割り勘。

 普段は、三徳包丁をつかっているけど、そういう時は新しく買った出刃包丁やペティナイフを使うことが多い。


 見当たらなくなるのは、決まってそんな日の翌日。

 

 朝包丁刺しには、三徳包丁が一本、ポツンと刺されてて。

 朝食も、お弁当も、夕食も、三徳包丁だけで作ることになる。

 

 最初はどこかに置き忘れたかなって心配になっていた。

 でも、最近はあまり心配しないことにしている。

 翌々日の朝には、包丁が三本、昨日もちゃんとありましたよって感じで並んで刺さっている。


 でも、見当たらなくなるのは三徳包丁が拗ねて、新入りの二本の包丁をいじめてるんじゃないかと疑っている。

 

 だって、そんな夜はどこかで、通り魔に切られたってニュースが流れてて。


 大怪我じゃなくて、ほんのちょっとした切り傷なんだけどね。

 でも、未だに犯人は捕まっていないし、目撃情報もないんだ。

  

 だから密かに、三徳包丁にいびられた包丁達が、憂さを晴らしてるんじゃないかなって思ってるんだ。

 



 

 

 

 

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ついてない日 菊地 順 @kikuti23

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