軽い善意

 陳情をするとしたら、その時は自力でなんとかすると、紅生姜は言った。結局、なんの成果も得られなかった。弓野が仕事で評価されるのは、まだ先になりそうだ。

 その日は帝倉と顔を合せなかったので、帰宅してからお礼のメッセージを送った。すると、帝倉から電話がかかってきた。

「先輩、大丈夫ですか? なんか今日焦ってましたけど」

「焦ってるように聞こえた?」

 恥ずかしさと同時に、自分を理解してもらえていると安心している自分がいた。

「帝倉のお気に入りの彫師、ライセンスは取らないっぽいよ」

 ソファーでクッションを抱えながら、弓野は鶴寿の態度を細かく話してやった。残念がる帝倉に、弓野は嫌味でもなく、事実として伝える。

「帝倉の綺麗事も通用しなかったみたいだね」

「綺麗事って言いますけどね先輩、そうじゃないんですよ」

「ごめんごめん」

「冗談じゃなくて、国はマジでこの制度やっているんです。前に話したじゃないですか。紅生姜さんも言ってましたけど、ライセンス制度は、結局刺青業界を締めつけるためのものなんじゃないかって」

「ああ、うん」

「新しいプロジェクトに参加することになって、僕、上の人とも話す機会をいただけたんですけど、ほんと、みんなこの制度によって、彫師さんたちは喜ぶと思ってるんですよ」

「え、でも反発があることは伝わってるんじゃないの?」

「そうなんですけど、それは、理解が足りないからだって思ってるらしくて。先輩たちが勘ぐったように、結局税収のためだとか、保守層に配慮してるとか、彫師を増やさないように考えてるとか、そういうことじゃないんです」

「じゃあ、文化推進政策の一部だっていうのは、建前じゃなくて、本気ってこと?」

「です。これはマジです。タトゥーのイメージを改善するプロモとかやろうとしてんすから。国がやってることを正当化する意味もあると思いますけど、本気じゃなかったら絶対そんなことしませんって」

「だったら、そのプロモを先にすればよかったのに」

「多分、想像以上に反発が大きかったからじゃないですかね。反発を予想していなかったってことは、裏がないってことですよ」

「ふうん」

 帝倉の言うことを疑う気はなかった。言われてみれば、そのほうが様々なことが腑に落ちる。裏を読んでしまったのは、この施策が気に入らないという自分の感情のせいだったのだ。

「そのこと、あの人たちに伝えればなにか変わるかな」

「さあ、どうですかね。結構頑固そうな感じでしたよね」

 帝倉が誰かのことを悪く言うことがあるとは意外だった。弓野は冗談で、「あの子がもしライセンス取ったら、お祝いに彫りに行ってあげれば」と言った。

「いや、もういいです」

 帝倉は軽く笑った。

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