新たな出会い
自分でセッティングしたブースでタトゥーを彫っていると、世界から隔離されたような気分になった。それはどちらかと言えば心地よい感覚だった。
フラッシュを買い取ってくれた男性客がいたが、複雑な気持ちになった。デザインを気に入ってくれたことは嬉しい。しかし、自分の絵はタトゥーらしくないということなのだろうか、と思った。デザイン画を買えば満足なんて、やはり自分の彫師としての腕が足りないとしか思えない。彫師なら、彫りたいと思わせるデザインをつくらなくては。
その男性客は、連れの女性と揉めているようだった。女性はタトゥーに対して否定的だったらしい。それならそれでいいのだが、なんだか恋人という雰囲気でもなかったし、不思議な二人だった。それ以上揉めてほしくなくて、フラッシュを売ることにした。そんなことは想定していなかったから、不本意ではあったけれど。
施術を終えた二人目の客が去り、金子は自分が用意したフラッシュを眺めた。
自分はなにをしているのだろう。なにも考えず、衝動的に描いたデザイン。それらを持って、こんなところまで来た。会場の人に、ここにブースをセットしてもいいか尋ねたし、机も椅子もラックも生活費から捻出したお金で用意した。一度に運べなかったから、寮と会場を三往復した。電車に乗ることができないので、一往復に二時間ほどかかった。おそらく、真夏だったら熱中症で死んでいる。
こんなことをしているのがオーナーにバレたら、クビになってしまうだろうな、とやけに冷静に考えている自分がいた。研修のために与えられている道具を勝手に使い、たった二人からとはいえ、客から料金を取ったのだから、完全に規定違反。金子は、潜在意識的に自滅しようとしているのだろうか。
それとも、自分は特別だと思い込むことにしたのだろうか。父の言葉を聞いたあと、すぐに走り書きした下絵。こんなもの、オーナーに見せられないな、と自室の机の引き出しに仕舞った。しかし、このイベントのことを知った時、それらをフラッシュに仕上げて参加することをすぐに決意していた。自分でもわけのわからない熱量。
準備に時間がかかったから、ブースを開いて二時間ほど経つと、イベント終了時刻間際になってしまった。
得たのは、客が来てくれた嬉しさ。数は関係ない。来てくれただけで意味がある。しかし、より大きいのは徒労感と無力感だった。
もっとなにかを得られると期待していた気がする。それがなんなのか、自分でもよくわからない。父は、今日はずっと黙っていた。
仕方ない、と片づけを始めようとした時、人影が近づいてくるのを感じた。
「どうしてこんなところに出してるんですか?」
その女性は、いきなりそう尋ねてきた。ベレー帽をかぶったストリート系ファッション。細身の体に化粧気のない顔をしている。
「特別に許可をもらってまして」
金子は、用意しておいた言葉を発した。今のところ、こう言ったあとにそれ以上同じことを尋ねてくる人はいなかった。
「だからそれはなんで? まだほかにスペースありましたけど」
「あ……わたし、人ごみ恐怖症なんです」
「へえ、そうなんですね」
どうやら、怒っているわけではないらしい。無表情だが、口調には棘がない。
「面白いフラッシュですね。どっかに所属してます?」
「……いえ」
金子は嘘をついた。
「わたしの店で働きませんか?」
その女性はあっさりと言った。
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