心配してるのに

 支配って意外と簡単なんだよな、と彼は言った。

「は?」

 弓野は自室の床でビーズクッションを抱えながら、スマホの向こうの相手へ眉をひそめた。

「なんですって?」

「俺が弱いのかとも思ったけど、多分そうじゃないと思う。簡単なんだよ」

「あのね、きみのメンタル面のことなんてどうでもいいんだよ。気づいてたなら、なんで連絡してこないのかって話!」

 弓野は、実家に連絡して同級生たちの連絡網を発掘してもらい、電話をかけまくって、やっとのことで吉持尊の連絡先を突きとめたのだった。暴行犯に連絡先が渡ったことを問い詰めると、吉持はあっさりと、赤口清一とのつながりを認めた。

「スマホなくしちゃって」

 これまたあっさりと吉持は言う。

「え? スマホってなくしたりする?」

「多分、師匠、じゃなくて、赤口に盗られた」

「なんでよ」

「俺が反抗的だからじゃない?」

「五歳児ですか? なんでそんな人と一緒にいるの」

「もう一緒じゃないけど」

「逮捕されたからね。って、今の話をしてるんじゃなくて」

「もう、本当に一緒じゃないから」

「理解に苦しむわ。で、大丈夫なの?」

「なにが?」

「尊が。その、今の状況というか」

「優しいな。まだ心配してくれんの?」

 吉持はあきれているようだった。

「心配というか、気になってるだけ」

「うん、まあそうか」

「なにその気の抜けた感じ」

 やはり彼は大丈夫じゃなさそうだ。きちんと会話が成り立っている気はしないが、さっさと疑問を解消しよう、と弓野は思った。

「赤口って誰なの?」

「高校の時に通ってた道場の先生だよ」

「え、それって地元だよね?」

「うん。でも、先生が東京に進出するときに同行して」

「進出って、歌手とかじゃないんだからさ」

「武術家も進出するんだよ」

「武術家が暴行で逮捕されたらだめでしょ」

「そりゃもちろん」

「どういうことなのよ」

「さあ。もうだいぶ前から教わってないからさ。無理やり雑用させられたりとかしてただけだし」

「……なんか弱み握られたりとかしてたの?」

「弱み? 権力者じゃないんだから、そんなのないよ」

「じゃあなんで言いなりになるの。大人でしょ?」

「それが、わからないんだよなあ」

「そんな人でも尊敬してたとか、そういうこと?」

「いや、技術は尊敬したけど、その人自身は全然。まあ、クズだよ」

「だったらなんで」

「だから、わからないんだ」

「……ほんと、わからない人ですね、あんたも」

「うん」

 うん、じゃなくてさあ、と言いたかったが、ため息とともに飲み込んだ。

「まあ、俺が流されてたのが悪かったんだよ」

「みたいね。でも、もう逮捕されたから大丈夫だよね?」

「うん。迷惑かけたみたいで悪かったね」

「まあ……たいしてしたくもない仕事から外されただけだから」

「そうなんだ。じゃあ、今はどんな仕事してんの?」

「彫師ライセンス部門ではあるんだけど、主要プロジェクトからは外されて、データ集計とかをやってる」

「じゃあ、もうタトゥースタジオに行ったりとかはしないんだ」

「前も主要プロジェクトに入ってたから現場に行ってたわけじゃないんだけど……もう行かないと思うよ」

「ふうん」

「それがどうした?」

「いや、それならもう相談しても仕方ないかな」

「なにが?」

「紅生姜が、店に入った新人が、本当はライセンス取りたかったけど取れなかった人だとか言ってて、その子のためにはライセンス取らせたほうがいいんじゃないかとか言ってたから」

「え、今更なに」

「もう関係ないんだったらいいんだ。ちょっと思い出しただけ」

「取りたかったけど取れなかったって、どういうこと?」

 もうこんな話はやめろ、今日はとりあえず彼のことも仕事のことも忘れて寝ろ、と自分に向かってあきれる自分がいたが、気になる。

「人ごみ恐怖症で、講習の会場に入れなかったんだってさ」

「え。その新人ってもしかして、若い女じゃない? マスクしてフードかぶってる」

「女性だとは聞いたけど、俺は会ったことなくて。知ってんの?」

「知ってるかも。名前とか聞きだして教えてくれない?」

「名前は知らないの?」

「うん」

 弓野は女彫師のことを話した。後輩がその彫師の作品を気に入り、もう少しで彫るところだったことも話した。

「そんなことがあったんだ」

 さすがの吉持も、少しは驚いたらしい。

「会ったことあるんだったらさ、助けてやってよ」

 吉持は軽い口調で言った。

「助けるって?」

「ライセンス取れなくて困ってるっていうからさ」

「いやあ、そう言われても……」

「まあ、そうだよね」

 話を終わらせにかかったのは彼のほうだった。忙しいのにいろいろ悪かった、と言う。

「別に忙しくないけど……」

「俺はもう大丈夫だから。富月も元気でな」

「ああ、うん」

 通話を切ってから、女彫師の件について深堀りするのを忘れたことに気づいた。帝倉のために名前を入手してやろうと思ったのに。

 でも、と思い返す。元気でな、ということは、もう電話するなってこと?

 やっぱりわたしって嫌われ者なんだろうか、と少し落ち込んだ。

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