まともなレール

 吉持に連絡先を尋ねたが、教えてくれなかった。「やめておく」と言われ、弓野は思わず、「なんで?」と目を丸くしてしまった。

「俺も役人と関わりたくないから」

 その言葉にはなんの感情も含まれていないように聞こえたが、弓野は自分自身を完全に拒絶されたような気分になった。

 焼肉屋の前で別れる時、わたしも引っ越しを手伝おうか、と言ったが吉持は苦笑して断った。

「勝手に荷物を触らせるわけにいかないし。頼まれた以上、責任があるから」

「そう、だね」

「じゃあ」

 吉持はあっさりと背を向けた。

「結局、たいした話は聞けませんでしたね」

 帝倉は他人事のように言う。聞き出そうとする弓野を横目に、協力しなかったくせに。そんな帝倉と不甲斐ない自分に対して怒りがわいてきて、弓野は棘のある口調で言った。

「ちょっと待ってて。近づいてこないでよ」

 帝倉の返事も待たず、弓野は小走りに吉持を追いかけた。

「奢ったんだから、もっとちゃんと話しなさいよ!」

 吉持は、少し感心したような顔で振り向いた。弓野は、見下されているように感じた。

「冗談を本気に取るほうが悪いんだよ」

「きみってそんな感じ悪い人だったっけ?」

「さあ」

「紅生姜はどうしたの」

「別にどうもなってないから。別の場所で心機一転、新しく店始めるんだよ」

「それならどうして場所を教えてくれないの」

「なんで知りたいの?」

「業務上の質問があるから。上からの指示だよ」

「ライセンスのことなら、もう話したんじゃないの?」

「そうじゃなくて、客の個人情報の取り扱いについて質問があるの」

「個人情報の取り扱い? なんかキガクレでトラブルあったの?」

「そうじゃないけど、調査しろっていう指示があって」

「それって、ほかの店もってこと?」

「知らないよ。とにかくこっちは真面目に仕事しようとしてるだけなの」

「ふうん。まあ、俺には関係ないことだね」

「どうしてそう場所を教えるのをためらうの? お店移転したってことでしょ? ライセンス取らなくたって、逮捕されるわけじゃないんだよ。そこを勘違いしてるのかな?」

「いや、そうじゃないよ」

「じゃあなんでよ。わたしたちを追いはぎかなんかだと思ってる?」

「お前らとは関係ない。悪いやつらに追われてるから、居場所を知られたくないんだよ。名前も全部変えて、新しく店を始めるんだって」

「悪いやつら?」

 吉持がキガクレに出入りしていた反社の人間かと思いかけていたが、そうではないということか。

「借金取りだよ。前の店長が突然いなくなったのは、追われてたかららしい。紅生姜たちはなにも知らなかったらしいけど、勝手に保証人にさせられてたとかで、今度は彼女たちが追われるようになったって」

「そんなことある? 明らかに違法でしょ。警察に行けばいいじゃない」

「行ったって。でも、どうにもならなかったんだ」

「どういうこと?」

「あっちは組織だからね。警察の手入れにも時間がかかる。下っ端の借金取りを何人か逮捕したところで意味ないし」

「そんな……でもそういうことなら、わたしたちには場所教えてくれてもいいでしょ」

「ま、次会った時に言っとくよ」

「そんな悠長なこと言ってないで、今連絡してよ」

「まあまあ、そう焦るなよ」

「どうしてよ。どうして教えてくれないの」

「気にくわないからだよ」

 これもあっさりと吉持は言った。彼からは、なにを考えているのかほとんど読み取れない。

「個人的に気にくわないから、教えない」

「……わたし、尊になんかした?」

 弓野には、吉持との特別な思い出など、なにもなかった。九年間、同じ学校に通い、六年間以上クラスメイトでいたが、思い出せるエピソードは皆無だった。存在したことは覚えていても、学校生活の空気の一部との認識でしかない。お互いにそうだと思っていたが。

「そうじゃなくて。富月がどうこうじゃなくて、まともなレールに乗ってる人間が苦手なんだよ」

「まともなレール? なにそれ」

「わかんないの? わかんないくらいまともってことか」

「まともってなに。わたし、全然まともじゃないよ。無愛想で不器用で、損な仕事ばっかり回される落ちこぼれだし、友達も彼氏もいないし、特別な才能も熱中できる趣味もなんにもなくて、孤独死まっしぐらのお先真っ暗なのに、そこから目をそらしてなにもできない、ダメ人間だよ」

 なぜそんなことを言ったのかわからない。しかし、気づいた時には、弓野は本音をこぼしていた。

 吉持は、真剣な弓野の顔を見て噴き出し、笑いだした。

「なに。なんなの」

 弓野は吉持の言葉を待ったが、彼は笑うばかりでなにも言わない。

「なに笑ってんの?」

「ごめん、ごめん。わかった。じゃあ、まあ、焼肉ありがとう」

「は? それだけ?」

「うん」

「こっちは真剣なんだよ。わたしのことが嫌いなのはわかったけど、だからってそんな馬鹿にした対応、あり得ないでしょ。高級焼肉奢ったんだよ!?」

 吉持は再び笑いだし、ふらふらと歩きだした。

「嫌いじゃないよ、お前のこと。面白いから。でももう、会わないだろうな」

 吉持は、「ありがとお」と手を挙げ、有無を言わせず立ち去った。

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