緊迫の焼き肉店
吉持は、飢えた犬のような勢いで焼き肉をがっついた。弓野が奢ると言った時、吉持は初めて笑顔になり、「本当か!?」と喜んだ。奢れと言ったのは冗談のつもりだったらしい。
肉があまり得意ではない弓野は、吉持の食べっぷりを見ているだけで胃もたれしてきそうだった。その一方で、帝倉は吉持ほどではないにしろ喜んでいる。
男二人に横と正面で挟まれているこの状況も、弓野の食欲を減退させる。軽い気持ちで店に入ったものの、経費で落ちなかったらどうしようと不安になってきた。少額なら目をつけられないだろうが、吉持の勢いを見ていると、後悔が頭をもたげる。これ以上の追加注文はなんとしてでも阻止しよう。
「吉持くん、よく食べるねえ」
野菜スティックをかじりながら、弓野は声に皮肉を込めた。
吉持は喉を波打たせて肉を飲み込んだ。
「吉持くんなんて呼んだことないだろ」
「ああ、そうだね」
彼は再び食べることに集中しようとする。
「東京にいたんだね」
まずはとにかくしゃべってもらわないと。
「うん」
「ほんと、偶然だね。驚いた」
「だな」
「家族はみんな元気にしてる?」
「さあ」
「地元には帰ってないの?」
「帰ってない」
「そっか。わたしも」
「先輩は食べないんですか?」
帝倉は仕事を忘れているらしい。
「わたしはいい」
「いらないなら、富月の分も食べていいか?」
「いいけど。よっぽどお腹空いてるの?」
「ここ何日か、まともに食ってないから」
「え? なんで?」
「そういうこともあるんだよ」
「仕事はなにしてるの?」
「いろいろ」
「……紅生姜さんって人とは、知り合いなの?」
「まあな」
「どういう知り合い?」
「たまたまな」
「紅生姜さんの本名って知ってる?」
「知らない。名前の由来なら聞いたけど。生まれつき腰に紅生姜を撒いたみたいな痣があったから、自分でつけたんだって。姫蟻は、姫みたいな外見で蟻みたいに働き者だからって、紅生姜がつけたんだって」
そんなことはどうでもいい、と内心呟き、弓野は質問を続ける。
「紅生姜さんたちは今どこにいるの?」
「さあ」
「連絡先を教えてもらえないかな」
「無理」
「どうして」
「役人とはかかわりたくないと思うよ」
「紅生姜さんがそう言ったの?」
「いや。俺がそう思うってだけ」
「すぐに紅生姜さんに確認とって。どうしてもお話があるのでって」
「富月さ、そういう態度取って恥ずかしくない?」
吉持は、口元に焼き肉のたれをつけたまま言った。
「役人だからって、なんでも言うこと聞くと思う?」
不覚にも、弓野は言葉を失ってしまった。彼はこんなことを言うようなキャラだっただろうか。記憶の中の彼は、どちらかといえば物静かな子供でしかなかった。はしゃぐ時ははしゃぐけれど、大人に歯向かうことはない、平凡な男の子。
「そうですよ先輩」
帝倉の声はやはりうるさい。
「いくら幼なじみだからって、もう少し丁寧にお願いしないと。吉持さんは、僕たちの仕事のこと、なにもご存知ないんですから」
「いや、知ってるよ」
吉持は口をナプキンで拭った。
「刺青施術師ライセンス制度を広めるための仕事だろ? 大方、紅生姜たちに目をつけて、説明だかなんだかをするために来たんだろ」
「ご明察です。さすが、先輩のお知り合いですね」
帝倉の追従に、吉持はかすかに眉間にしわを寄せ、不快そうな表情になった。
「気の毒だけど、紅生姜たちを追いかけても無駄だよ。あいつらは聞く耳持たないから」
その時、吉持の様子が少しだけ変化した。なにかを視界に入れながら、それを直視もしなければ目を逸らしもしないようにしているような。
店に入ってきた男性二人が、弓野たちの席の横を通ろうした時に足を緩めた。店の出入り口が見える位置に座っている吉持の視界に入っていたのがその二人だということがわかった。
「おい、なにしてんだ」
棘のある口調で男の一人が吉持に声をかけた。
「やめろ」
年嵩のほうの男が連れの肩を掴む。
「大丈夫ですよ」
吉持は微笑して言った。
「この二人はサツじゃないですから」
「じゃあなんなんだ」
「厚労省の人です。友達なんですよ」
年嵩の男は不快そうに鼻であしらい、吉持を睨む若者を引きずるようにして店の奥へ向かう。帝倉はあからさまに二人のことを目で追い、距離が開いたことを確認した。
「こわ。なんなんですか?」
吉持は帝倉に、「友達」とカギ括弧をつけるような言い方で言った。
「サツじゃないって、どういうこと?」
弓野はささやく。
「二人が刑事に見えるってこと」
吉持は平然としている。
「ええ? そんなふうに見えますか?」
笑う帝倉を弓野は硬い表情で見つめた。吉持の目を見る気になれなかった。
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