描き始める金子
父は相変わらず仕事をし、休みの日は食事をつくり、絵を描いた。金子には、さらに興味を示さなくなったようである。金子には触れ続けているが、触れ方が雑になっていた。
一人でいる時、金子は、レトルト食品か父がつくり置きした料理を食べ、父からくすねた紙と鉛筆で絵を描いた。
まずは、二階の廊下の壁に飾られているカラスの鉛筆画の模写から始めた。床に紙を置いて鉛筆を滑らせたが、フローリングの上では書きにくい。父の書斎から大きめの本を持ってきて、立てた膝で支えるようにして下敷きにした。
壁に背をつけ、絵を見上げながら、線をまねる。頑なさと穏やかさを感じさせるカラス。リアリスティックではあるけれど、あえて塗りつぶしを荒らしくているため、柔らかさからくる親しみを感じさせる絵。白い紙に浮き上がるような、決して動かない動きの予感。
金子は、何度か父が絵を描いているところを見たことがあった。いとも簡単に、動物や複雑な模様などが紙の上に現れるので、自分にもできるかと思った。しかし、カラスの首から頭にかけての線を滑らかに引くことすらできなかった。
金子は再び父の書斎に行き、消しゴムを持ってきた。引いた線を消す。壁の絵をじっと見て、紙に目を落とす。線を引く。すぐに消しゴムで消す。もう一度。消す。今度は、お手本から目を離さずに線を引いてみる。もっとひどくなったので、消す。
まったく上手くいかない。それでも金子は諦めなかった。時間はたっぷりとある。それに、ほかにすることなんてない。諦めたあと、どうすればいいかなんてわからない。
父が帰ってくる前に、カラスの絵は完成した。線はがたつき、陰影をつけようとしたところは汚れているようにしか見えないけれど、とりあえずカラスの形にはなっている。息をついた金子は、床に放り出した、下敷き代わりにしていた大判の本を何気なく開いてみた。
線とドットと塗りつぶしでできたモノクロの世界。そこに金子は吸い込まれそうになった。父の絵とはまた違う。父の絵は、金子にとって非常に身近なものだが、その画集の絵は異質であった。金子にとって、まったくの異世界。突然開いた扉の向こうの未知と魅惑に、金子はめまいを感じて目を閉じ、また開いた。
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